伊国少女の恋愛事情(2-3)
ふと思った。
同じことを繰り返しているような気がする。
初めに頑張ろうと決めて、
次にムカムカして、
最後にもうダメだって思う。
でもやっぱり頑張ろうって決意して――
ふるふる。
大丈夫!
今度こそ!
なんとかっ!
……なるのかなぁ。
と、こんなことをグルグル考えていたら目が冴えてしまった。
定期的に首を振ったのも多分理由のひとつ。
少し首が痛い。
時間を確認すると午前二時。
起きるには早くて、だけど二度寝をするには目がパッチリしている。
ゆっくり体を起こして、こそこそ部屋から出る。
あと少しで二ヶ月。
それだけの時間ここで生活して、だけど初めて深夜に部屋から出た。
当然ながら電気は消えていて、代わりに窓から差し込む月明かりが狭い廊下を照らしている。
導かれるようにして窓に近寄り、見上げた。
いくつかの雲に祭り上げられた月は神秘的なまでに美しくて、思わずため息が出た。
このまま朝まで見ていても飽きないかもしれない。
ふと目線を下げて、首を傾ける。
少し遠い所、ポツンと小さな光が見えた。
校舎の方向だ。
なんだろうと考えて、とりあえず、近付いてみることにした。
寮から出ると、冷たい風が前髪を揺らした。
校舎へ続く一本道は芝に挟まれていて、風が吹く度に心地良い音を奏でる。
私は不思議な気持ちになりながら、ゆっくりと歩き始めた。
近付くにつれて、光は大きくなった。
やがて校舎の輪郭が見えた時、光はとある一室から出ていることが分かった。
……あそこは、たしか。
電気を消し忘れたのかなと思いながら、まっすぐ調理室へ向かう。
暗い校舎をつかつか歩いて、果たして光が見えた。
『いぃぃよしっ! できたぁ!」
とても聞き覚えのある声。
そうでなくても、この学校で日本語を話すのは一人しかいない。
どうやら、調理室に彼がいるらしい。
ふと、少し前の事を思い出した。
この学校に来て直ぐのこと。
私は調理室から聞こえた声に導かれて、彼と出会った。
あの時はナイフが飛んできて……ほんと、驚いたな。
驚いたといえば、次に調理室で寝ている姿を見た時も本当に驚いた。
彼への心象もあって思い切り怒ってしまったけど……そっか、ちゃんと理由があったんだ。
こんな時間まで……だからあんなに寝坊するのかな。
まったく、お菓子の勉強をする為に入学したのに、お菓子を作ったせいで勉強に支障が出るなんて……。
呆れながら、少しだけ穏やかな気持ちになる。
これから扉を開けて、私は彼を叱るだろう。
だけどそれは、きっと優しいものになる。
だって、すごく優しい気持ちになっているのが分かる。
そっか、アリスが言っていたのはこういうことだったんだ。
……はぁ、どうして分からなかったんだろう。
そんな風に思いながら、ゆっくりと扉を開ける。
それから彼を驚かせないように、小さな声で――
「ピラミッドからのぉぉぉ……テーブルクロスぅ!」
声を出そうとした途端、何かが口の中に飛び込んできた。
反射的に閉じた口が、それを挟む。
少し冷たい感覚と、突然の出来事に驚きながら、ゆっくりとそれを手に落とす。
白くて、ぷるぷるしている。
私はこれを知っている。
信じたくない。
だけど、どこからどう見ても、パンナコッタだ。
「……やべ」
彼がまた日本語で何かを呟いた。
私はいろんな気持ちを必死に堪えて、なるべく静かに言う。
「……ナーダさん、何か言いたいことはありますか?」
「あの、これはその、魔が差したというか、タイミングが悪かったというか……」
「……これ、どうするつもりですか?」
「それはその、ちゃんと食べ、食べる、食べます」
「じゃあどうぞ! 召し上がれ!」
手に乗ったパンナコッタを彼の口に押し込む。
彼は少し迷ったような顔をした後、口を開けて受け入れた。
「食べ物で遊ぶなと何度言えば分かるのですか!?」
「……ごめん」
「ごめんじゃありません! 貴方にはパティシエとして大切なものが欠けています!」
がみがみ言いながら、酷い既視感に頭痛を覚える。
同じことを繰り返しているような気がする。
初めに頑張ろうと決めて、
次にムカムカして、
最後にもうダメだって思う。
でもやっぱり頑張ろうって決意して――
結局、こうなる。
……ムリ! こいつと仲良くなるなんて、ムリ!
「あはははっ、なにやってんのあいつ」
あれから数時間後。
起きたばかりのアリスが大きな声で笑った。
「笑えない」
私は不機嫌だ。
おはようの後に何かあったのと聞かれてしまうくらい不機嫌だ。
「もうムリ。絶対仲良くなれない」
「あはははっ、すっごい嫌われてるし」
「笑えないっ」
「ごめんごめん怒らないで。まぁ、なんていうのかな? 間が悪かったんだよ」
「見える見えないの問題ではありません。お菓子で遊べるということが問題なのです」
「まぁまぁ、ナーダだし」
「意味が分かりません」
アリスは笑って、少しだけ目線を下げた。
それから何か楽しいことを思い付いたような声を出して、ニヤニヤと顔を上げる。
「ねぇキッカ、あたし、誕生日なの。次の日曜日」
「えっ、あ、おめでとうございます」
「それでね、ナーダのヤツがサプライズを企画しているみたいなの」
……本人にバレてるサプライズとは。
「で、次の土曜日ダニーと買い物に行く予定なんだって」
「……それがどうかしたんですか?」
「うん。ダニーの代わりに、キッカが行ったら?」
「嫌です」
「あはははっ、即答」
「なんで、あんな人と、買い物なんて」
「まぁまぁ。ほら、キッカってさ、あいつとちゃんと話したことないんじゃない?」
「……はい、ありません」
「だからさ、ゆっくり話してみたら、なんか変わるかもよ?」
「何か?」
「うん。どう? 試しに」
……。
「アリス、欲しいもの、ある?」
「面白い話」
そして土曜日。
私は、学校の外にいる。
これは、違う。
あいつと話をする気なんて無い。
ただ、アリスの誕生日プレゼントを買おうと思っただけ。
私がアリスから聞いた集合場所にいるのはダニエルさんの代わりというか、ダニエルさんが来ない事をダニエルさんの為に伝えようかなと思っただけで、いやでもダニエルさんなら自分で言うだろうな、だけど念の為に確認だけ……。
そんなわけで、一人で待つ彼を物陰から見ること一時間。
「……何をしているんですか」
「…………え? あっ、おぅ、ぐ、偶然だな……はは」
反応遅すぎ驚きすぎ。
「ダニエルさんなら来ませんよ」
「え?」
「風邪を引いたそうです」
「……あ、そうなんだ。いやー、その、わりぃな」
「どうして謝るんですか」
「だってほら、わざわざ言いに来てくれたんだろ?」
ヘラヘラ。
むかつく。
「……違います」
「あれ、じゃあなんで?」
「私は、アリスの誕生日プレゼントを買う為に……ダニエルさんのことは、たまたま」
「へー、そうだったんだ。まぁ、とにかくありがとな、助かった」
ヘラヘラ。
彼の考えていること、よく分からない。
「そういえばさ、アリスの誕生日プレゼントって言った?」
「……ええ」
「おお! 実はさ、俺もなんだよ」
「……そうですか」
「うん。でさ、ダニーに案内っていうか、店を紹介してもらう予定だったんだ。ほら、この辺よく分かんねぇし、英語しか分かんねぇし……」
「それは災難ですね」
「おう。だから、キッカもアリスのプレゼントを買うなら、一緒に行ってもいいかな?」
「……好きにしてください」
言って、私は彼から目を逸らす。
少し歩いて振り返ると、相変わらずのヘラヘラとした笑顔が直ぐ後ろにあった。
前を向いて、小さくため息。
……ちゃんと話す、か。