伊国少女の恋愛事情(5)
まず初めに、圧倒された。
会場の規模もさることながら、それをほぼ埋め尽くす人、人、人。
「あっ! ダニーみっけ! ……ふっ、なんかっ、やってる……」
アリスさんの声に意識を引き戻され、私もダニエルさんを探した。
会場に来ているお客さんの目的は、お菓子。
どのテーブルにも見た事が無いくらいたくさんの人が押し寄せている。
その中に、ひとつ異質な空間があった。
拍手と歓声。
どう考えても今日の課題に即さない評価を受けていたのは、一人の職人だった。
「ダニエルさん、何をしているんですか?」
「客引きだ」
言って、少しだけ口角を上げた。
彼がやっていたのは、パフォーマンス。
お菓子を使って、驚くべき早さで人の形に作り変える。
それは良く見ると手前にいるお客さんの姿をしていて、彼の手が動く度あちこちから歓声が上がる。
まさに神業。
人の手と一本の細い棒だけで作り上げられる芸術が、会場中の注目を集めている。
ただし、その「お菓子」は私達の商品だった。
「……どういう、ことですか?」
いくらお客さんを集めても意味なんてない。
だって、お菓子が足りない。
なのに、どうしてこんなことを……?
「安心しろ。俺達の商品ならそこにある」
「……え?」
彼の目を追って見つけたのは、紙の束だった。
そこには何か書いてある。
「あははっ、なにこれバカでしょっ……ありなの?」
「あぁ。俺とナーダで、そこの職員と話を付けた。明日の正午までに現物と交換できれば、正式にカウントしてくれるそうだ」
言いながら、ダニエルさんは人型お菓子を完成させ、お客さんに渡した。
大きな拍手と口笛。
それにつられて、さらに人が集まる。
「ほらキッカ、手伝いなさいよ」
ハサミを片手に、アリスさんが笑う。
coupon.
Term, Sep 2 9:00 ~ 12:00
商品引換券。
期限、九月二日の九時から十二時。
A4の紙に名刺くらいの大きさで印刷されていたのは、少し違和感のある手書きの英語。
集められたお客さん。
明日の正午までという期限。
つまり、この引換券の対象となるのは――
「あーもうっ、ほんとっ、最高……どんだけ自信あるのよっ」
人気のあるお店は常に供給量が不足する。
だから整理券などを発行し、後に商品と交換することも少なくない。
ならばこの『引換券』も立派な商品と言えるだろう。
……私、本当に。
彼に謝らなければいけない。
きっと会場に一人でいる間も、ずっと考えていたんだ。
だから、こんな方法を思い付いた。
目を袖に押し付けて、ハサミを手に取る。
一枚でも多く、商品を作るんだ。
今の私に出来ることはこれしかない。
謝るのも、話をするのも後でいい。
とにかく手を動かさなきゃ!
「ちょっとキッカ、なんで一枚ずつ切ってるの?」
作業を始めると、直ぐにアリスさんから声が飛んできた。
彼女は紙を何枚も重ねて切っている。
そのせいで少し形が歪だけど、私より遥かに早い。
「……ごめんなさい」
「へ? あー、うん」
このチームに不真面目な人なんて一人もいなかった。
謝りたい。
もっと良く知りたい。
もう一度、ちゃんと始めたい。
疲れも忘れて無我夢中で手を動かし続けた。
残り時間は何分だろうとか、そんなことも忘れていた。
きっと考えてしまったら、何も出来なかっただろう。
そして、最後の一枚を切り終えた。
大量の引換券を一ヶ所にまとめて、出入口へ目を向ける。
「ふっ、キッカ……どこ見てんの?」
笑いながら、私の肩に手を乗せた。
意味が分からなくて首を傾けると、彼女は何処かを指した。
そこに目を向けて、やっと気付く。
「さぁ皆様、彼のパフォーマンスは楽しんで頂けましたか?」
ダニエルさんの隣には、一枚のトレイをを持った男の人がいた。
全然気付けなかった。
……まったく、視野が狭くて嫌になる。
「もう目は十分でしょう。お次は、舌を満足させてみませんか?」
次々と、彼のトレイにお客さんの目が集まる。
だがトレイに乗ったお菓子を見る度、キラキラしていた目は濁っていった。
「あはははっ、あいつっ、引かれてる……」
アリスさんがお腹を抱えて笑う。
「どうぞ」
ダニエルさんはお菓子を掴むと、お客さんに差し出した。
「これは、何ですか?」
お客さんはお菓子を受け取り、目を細めながら様々な角度で見ている。
なかなか口に入れない。
「魔法のブロックです」
「魔法の……?」
「はい。どうぞ、口に入れてください」
ダニエルさんの一押しで、だけど難しい顔をしながら、ゆっくりと口に入れた。
一度、二度と口が動き、そして表情が固まる。
誰もが注目した。
果たして、どんな感想を口にするのか。
「…………残った物を全部くれ!!」
その叫び声を聞いて、周囲にどよめきが起こる。
すると、隣にいたお客さんが、その人に声を掛けた。
「そんなに美味しかったのかい?」
「ああ! 魔法だ! 魔法だよ!」
興奮した様子で目を輝かせる。
その反応を見て、もう一人のお客さんがトレイに手を伸ばした。
目を細め、口に入れ、絶叫する。
すると一人、また一人とトレイに手を伸ばした。
「もう無いのか!?」
やがて一人のお客さんが興奮した様子で声を上げた。
それを見計らったようにして、アリスさんが立ち上がる。
「はーい、ここに引換券があるよー?」
「おぉ!」
「何枚欲しい?」
「何枚もらってもいいのか?」
「いいよ」
「なら全部だ! 全部くれ!」
「おいおまえ独り占めするなよ」
「うるさい早い者勝ちだ!」「私も何枚か貰えないだろうか?」「私も!」「じゃあ、俺も一枚!」「なんだなんだ?」「魔法のお菓子だってよ」「おい押すなっ」
どんどん騒ぎが大きくなり、次々と引換券がお客さんの手に渡る。
私は、三人の背中を何処か違う世界を見ているような気持ちで見ていた。
「ほーら、手伝いなさいよ」
振り返ったアリスさんが、楽しそうな笑顔で言う。
その声に引っ張られるようにして、ようやく私は立ち上がった。
二千枚近くあった引換券は、五分と持たずになくなった。
あとは明日の正午までに現物と交換できれば、チームは少なくとも九位になれる。
課題が終わったあと、私達は少しも休むことなくお菓子を作った。
といっても、あのブロックを作れるのは彼だけなので、他の三人はちょっとした手伝いをしただけだ。
そして翌日。
不安と緊張で眠れなかった私の前で、お菓子は一時間と持たずになくなった。
これは夢かと、そんな気分で片付けを終えて、気が付いたら夜だった。
「んーっ! やっぱり美味しいっ!」
部屋でぼーっとしていると、アリスさんが幸せそうな声で言った。
見ると、彼女の手元にはいくつかのブロックがある。
「それ、どうしたんですか?」
「あまってたから貰った。キッカもひとつどう?」
アリスさんは片手を頬に当てながら、掌に乗せたブロックを差し出す。
それをぼーっと見つめていると、アリスさんは少し困ったように笑った。
「あははっ、キッカは食べないんだっけ? じゃあ全部私のだー! わーい!」
そして、次のお菓子を口に入れた。
私は少しの間だけ目を閉じて、ゆっくりと手を伸ばす。
この不恰好なパンナコッタが、いったいどんな味なのか、気になって仕方なかった。