伊国少女の恋愛事情(1)
父は店を持つパティシエ。
母はその店の経営者。
お店の経営は、ただ美味しいものを作るだけでは成り立たない。
値段設定、的確な話題作り。
とにかく食べてもらうことが大切。
パティシエの名前だけで食べてもらえる店は少なくて、普通は大変な営業努力が求められる。
両親の店では、母がそれを担っていた。
母の宣伝で興味を持った人が、父の料理に満足してまた来てくれる。
そうして店は繁盛した。
私はその姿に憧れた。
将来の夢はパティシエ……の、お嫁さん。
そんな可愛らしい事を思ったのは、六歳よりも幼い頃だったかな。
それは十四歳になった今でも変わらなくて、だから私はここにいる。
ここは、世界中からパティシエを目指す若者が集まる場所。
年齢は、十四歳から十六歳。
試験は一年に一度。
定員は四十名。
合否判定はオーナーの一存。
オーナーというのは歴史上最高の職人と呼ばれたパティシエで、私達の憧れ。
今の彼は育成に力を入れていて、ここでも輝かしい成果をあげている。
ある卒業生は一流の店でシェフを。
ある卒業生は自分で店を開いて有名に。
またある卒業生は、パティシエ・コンクールの最高峰――
クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリーで優勝した。
入るのも出るのも難しいけれど、その実績から世界的に注目されている。
中学校を卒業した私は、両親の勧めで試験を受けた。
合格できるとは思っていない。
物は試しの記念受験。
近所にある専門学校の入学試験に合格していたので、そちらに入学する準備を進めていた。
だから試験の結果を見た時、私も両親も飛び上がって喜んだ。
「いいですかキッカ、必ず、素敵な人を見つけるのですよ」
「ん、頑張りますっ!」
母と約束をして、私はフランスへ向かった。
調べてみると、職人学校という名前で、国に認可された学校らしい。
そこの寮で、これから数年間パティシエとして学ぶ。
電車に乗っている間、ずっとわくわくしていた。
どんな所なんだろう。
どんな人がいるんだろう。
ところで、どうして母は――素敵な人を見つけるのですよ――こんなことを言ったのだろう。
パティシエとして学ぶのに、素敵な人を見つける……?
「……………………」
電車の中で、無言のまま悶えた。
将来の夢。
幼い頃に繰り返していた言葉を母が覚えていたのだ。
恥ずかしい。
学校が始まるのは九月一日からで、フランスの学校制度に合わせたものらしい。
イタリアよりも少し早い。
一週間前に入学式があるから、私はそれに合わせて入寮した。
学校では、四人一組のチームを組むらしい。
チームで課題に挑み、競い合い、卒業を目指す。
私のチームメイトは、イギリスの女の人と、ドイツと日本の男の人。
まだ話した事は無いけれど、少し嬉しかった。
ドイツ人と日本人といえば、真面目な人。
イタリアの男の人は、いい加減な人が多い。
特に調理器具の扱いが酷い。
消耗品か何かだと考えている。
大切な経営資金で買った物なんだから、大事にしてほしい。
その点、私のチームメイトは大丈夫そう。
イギリスの人は分からないけど、他の二人はきっと大丈夫。
……素敵な人だといいな。
寮に入ってから、こんなことを考えてばかり。
顔が熱い。恥ずかしい。
チームメイトが事前に分かったのは、知らせが来るからだ。
そこで、国籍だけは伝えられる。
・あなたの所属するチームは此方です。
・同じチームに所属する方々の国籍は此方です。
・国によって、文化に違いがあります。
・文化の違いでケンカしないため、事前に予習しておきなさい。
・名前は直接聞きなさい。
それなりに親切な配慮。
宗教的な問題には気を付けろと母も言っていた。
とにもかくにも。
「……頑張ろうっ」
入学式の前日、グッと両手を握りしめて気合を入れる。
寮は男女に分かれているけれど、私のいる部屋は明らかに二人部屋。
だから、入学式の前にイギリスの人とは会えるかと思っていたけど、彼女はまだ現れない。
なんだか落ち着かない私は、学校の中をうろうろしていた。
証明書を持っていれば自由に出入り出来る。
まだ休み期間だからか人の姿は疎ら。
そこそこ広くて、油断すると迷う。
『おぉぉ~、いいナイフ使ってんじゃん!』
不意に、声が聞こえた。
知らない国の言葉だ。
……どこの国の言葉?
気になって、声のした方へ歩いた。
……たぶん、この部屋。
調理室という表札が扉の中央にある。
誰か料理をしているのかな?
私はそっと、扉を開けた。
「いやぁ~、ほんと、いいね。テンション上がるじゃねぇか」
その人は、よく分からない事を言いながら、ナイフで遊んでいた。
手首のスナップでクルクルと真上に投げては掴み、投げては掴む。
私は唖然としながらも、ほとんど反射的に言った。
「やめなさい! 落としたらどうするんですか!」
ドンと、音がした。
恐る恐る目を横に向けると、すぐ横の壁、顔から数センチの位置にナイフが突き刺さっていた。
「あ、えっと、わり、その、ビックリして……大丈夫?」
頭をかきながら、ヘラヘラと笑うアジア人の少年。
これが、彼との出会いだった。