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洋菓子店の夏季事情

「本当に、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」


 土曜日。

 会議の時間。

 二週間ぶりに顔を見せた華が大きく頭を下げた。


「全然迷惑なんかじゃないです。私、華さんが元気になってくれて嬉しいですっ」

「……真帆」

「ま、なに? 迷惑とかいまさらっつうか、べつに誰も気にしてねぇんじゃねぇの?」

「……矢野さん」

「おかえり」

「……キッカさん」


 三人に続いて口を開いて、だけど言葉は出なかった。


 ……自分も、頑張ります。


 代わりに、心の中でそっと呟いた。




「……というわけで、夏季営業についてご相談したいと思います」


 ホワイトボードに『夏季営業』と書いて、向き直る。


「……夏休み、予定はありますか?」


 こんな聞き方をするのは卑怯かなと思いながらも、率直に言った。

 すんなりと言えた事に少し驚く。

 時間が経って慣れたからだろうか。


「私は、学園祭の準備で来られない日があるかもです。すみません」

「……いえ、そちらを優先してください」

「でもでもっ、週に一回くらいなので他の日は全部大丈夫です!」

「……お願い出来ますか?」

「はい! ……だから、えっと、その代わり、お菓子作りを教えてほしい……です」


 目を伏せて、合わせた指先を見ながら遠慮がちに言った。


「……はい。自分なんかでよければ」

「そんなっ、店長さんだからお願いしたんです! 店長さんに教えてほしいです!」


 …………なんだか、照れる。


「……では、機会がありましたら」

「はいっ、よろしくお願いします!」


 ……教える練習をしておこう。


 やけに火照った首の裏側に手を当てながら、キッカさんに目を送る。

 彼女は少し遅れて頷くと、手元にあるノートにペンを走らせた。

 妙な間があったなと疑問に思いながら、矢野さんに目を向ける。


「……矢野さんは、如何ですか?」

「は?」


 どうして睨まれたんだろう。


「……いえ、その、夏休みの予定を」

「なにそれ口説いてんの? ごめんそういうのマジ無理」


 少し早口に言うと、髪をくるくるしながらそっぽを向いた。

 なんだか不機嫌だ、どうしよう。


「ちょっと矢野さんっ! 失礼ですよ!」

「うっせーばーか」

「むぅ……あっ、もしかして何も予定が無いのが恥ずかしくて……」

「は? なんか言った?」

「何も言ってませんっ」


 むむむと二人が睨み合う。

 最近は、このやり取りも微笑ましいなと感じられるようになった。


 ……矢野さんに睨まれるのは今でも少し怖いけれど。


 やがて矢野さんは顔を逸らして、頬杖をつきながら言う。


「まぁなに? みくこのチビと違って忙しいっていうか?」

「十センチくらいしか変わらないじゃないですかっ……」

「はいはい。で、そんな多忙なみくちゃんだけどぉ、夏休みは金稼ぎたいかなぁみたいな?」


 どこか大袈裟な口調で、矢野さんは続ける。


「あ、でもぉ。流石に週五は無いかなぁって思うんだよねぇ」

「それ私に言ってます?」

「べつにぃ?」

「むむむ……」

「ま、無難に週六じゃね?」

「私より多いじゃないですかぁ!」

「……うっさい」


 仲が良くてなによりだ。


「……華は、どうでしょう?」

「…………」


 華は俯いて、机を眺めていた。

 その様子に、わいわい騒いでいた二人も口を閉じ、少し心配そうな目を向ける。


「……華さん?」


 隣に座る結城さんが、彼女の肩を少し揺らした。

 華はハっとして顔を上げる。


「……どうかしましたか?」

「いやおまえがどうしたし。なにぼーっとしてんの?」


 矢野さんに言われ、華は少し困ったような顔をして笑う。


「……いえ、少し考え事を」

「どんな?」

「……ふふ」

「うわキモ、なに突然」

「……ごめんなさい、矢野さんが私の為に学校を休んでくださったのかと思うと、おかしくて」

「なにそれ」

「矢野さんって、口も目付きも悪いのに、本当はとっても優しいですよね」

「……べつに、サボりたかっただけだし」


 照れた様子で顔を逸らすと、結城さんがクスっと笑った。

 矢野さんは細い目で一瞥だけして、華に目を戻す。


「つか、なんかおとなしいじゃん」

「……そう、でしょうか?」

「そーでしょ。いつもなら、あのクソ店長にくっついて――」

「やめてください!!」


 その声は狭い事務室の中に反響して、他の音を奪い去った。

 自分も他の三人も、揃って華に目を向ける。

 その視線を受けて、華は少し恥ずかしそうにしながら言った。


「……あんなこと、もう出来ませんわ」


 チラと此方を窺って、直ぐに目を逸らす。

 そんなことを繰り返しながら、ゆっくりと言う。


「その、夏休みの予定でしたら、えっと、いくつか友人との約束がありますので、週に四か五……」


 聞きながら、ふと自分の頬が緩んでいる事に気付いた。

 華の口から自然と出た友人という言葉。

 それを聞くと、彼女が自分の過去を乗り越えたんだなと、あらためて考えさせられる。

 さておき、友達を優先してくださいと言おうとして、彼女が先に口を開いた。


「……やっぱり六、七……いえ、八……」

「こらこら、落ち着け」

「九時間。ええ、家に帰る時間は週に九時間くらいで構いません」

「いやだから落ち着けよ。それ明らかに何日か泊まってんじゃねぇか」

「お、お、お泊りなんてまだ早いです!」

「……おぅ」


 華の様子に、流石の矢野さんも困ったような反応をする。

 そして何とかしろと目でいいながら、此方を見た。


「……では、週に六日ということで」

「それなら毎日お泊りがいいです!」

「その話じゃねぇだろバイトの話だよ」

「え? ……あ、いやだ、私ったら……」


 ……なんだか調子が狂う。


「……それでは、週に六日で、よろしいでしょうか?」

「はい。労働基準法なんて無視してくださいまし」

「……いえ、それは遵守します」


 そんなこんなで、それなりに苦労をして予定を確認できたが、本題はここからだ。


「……キッカさん」


 声をかけると、彼女はじーっと此方を見ていた。


「……どうか、しましたか?」


 彼女は瞬きも忘れて、ぽつりと言う。


「てんちょ、時間、だよ?」


 言われて、少し驚きながら時計を見た。

 まだそれほど時間は経っていないはずだ。

 確認すると、やはりまだ三十分ほど時間がある。

 この時間に終わっても、開店までにやれることは掃除くらいしかない。


「じかん、だよ?」

「……いえ、まだ」

「そうじ、しよ?」

「……キッカさん?」


 じーっと、此方を見続けている。


「……分かりました。確かに、少し汚れている部分がありましたね」


 素直に頷き、他の方々に目を向ける。

 まぁ、例の件はまたの機会で良いだろう。


「……それでは皆さん、本日も宜しくお願いします」

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