夢見る乙女の青春事情(9)
「……華が幼児退行?」
火曜日の夕方、営業中の店の出入り口から現れた誠也さんが言った言葉を復唱する。
その意味が分からないでいると、彼は激しく乱れた呼吸を整えながら続けた。
「はい……それに加えて、とても不安定な精神状態で……なにやら自分を酷く責めている様子で……私には何をしたら良いのか、どうしたら彼女の為になるのか……お願いします。力を貸してくださいっ」
強い意志を感じさせる目をしながら、頭を下げた。
「貴方には何か考えがあったはずだ、もしかしたらそれが解決の糸口になるかもしれない。
それから無理を承知で、他のスタッフの方にも声をかけていただけないだろうか?
見たところ妹とは良好な関係で、なにより歳の近い同性であれば、我々には出来ない話が出来るかもしれないっ、それから――」
必死になって言葉を紡ぐ姿から、痛いくらいの感情が伝わってきた。
呼吸を乱しながら口を動かし続ける彼の肩に、そっと手を乗せる。
彼は肩を上下させながら顔を上げた。
「……自分にも、考えがあります」
それは丸一日かけて考えた小さな案。
……違う。
もっとずっと前から、ずっと考えていたこと。
「……手を貸してくれませんか?」
胸を張って、偉そうに大口を叩くことなんて出来ない。
確かに華の力に成りたいとは思う。
感謝しているし、日頃の恩を返したいと思う。
だけどこれは善意とか、そういう綺麗なものではなくて、みっともない同情なのだ。
だからこそ強い思いがある。
彼女には、後悔してほしくない。
「……ええ、もちろんです」
彼は少しだけ表情を緩めると、体を起こして、此方に手を差し出す。
小さく頷いて、力強く握手を交わした。
「……なにそれ、あいつ何も悪くないじゃん」
一通りの話を聞いて、矢野さんが苦々しく吐き捨てるように言った。
店の前には臨時休業の看板。
事務室にはスタリナのスタッフが集合し、いつも華が座っていた席には誠也さんが座っている。
「貴女には、何か心当たりはありませんか?」
「……なんも。バイト以外で接点ねぇし」
「そうですか……」
一度目線を下げ、次は結城さんに目を向けた。
彼女は慌てた様子で口を開ける。
「ええっと、あの……華さん、自分の事を責めているんだと思います」
その言葉に、誠也さんはピクリと眉を動かした。
彼女達に話したのは、大まかなことだけ。
華については、学校に行けなくなってしまったということしか話していない。
「なんで?」
矢野さんも疑問に思ったようで、結城さんに目を向ける。
「その、確かに華さんは被害者ですけど……私も、自分のせいだって思っちゃうかもしれないです」
「いやいや、意味わかんないから」
「だって、相手の人は自殺しちゃったんですよ?」
「自業自得じゃん。別にあいつは悪くないでしょ」
「そうですけど、それでも……華さんは、そういう人だと思います」
徐々に小さくなる声と一緒に、場も静かになった。
矢野さんは難しい表情を浮かべながら俯き、誠也さんはどこか納得した表情で目を閉じていた。
やがて彼は目を開けると、今度はキッカさんに目を向ける。
キッカさんは少しだけ俯いて、此方に顔を向けた。
頷いて、口を開く。
「……皆さんに、協力していただきたいことがあります」
誠也さんは、真剣な表情で大きく目を見開いて此方を見た。
結城さんもまた、まんまるに見開いた目で見ている。
少し遅れて、彼らより半分くらい小さな目をした矢野さんが、ゆっくりと顔を向けた。
最後に、キッカさんが小さく頷く。
それを見て、自分はひとつの言葉を飲み込んだ。
確認なんて必要無い。
「……それでは明日、華の通う学校に行きましょう」
平日の昼間。
店には、また臨時休業の看板を置いた。
「……あの、丸井華という生徒をご存知でしょうか?」
学校の門の近くで、下校中の生徒に声をかける。
違う場所でも、学校を休んで駆け付けてくれた結城さんと矢野さん、誠也さん、そしてキッカさんが、それぞれ声をかけている。
下校中の生徒に華がいるかもしれないという懸念があったが、彼女はテストを他の生徒よりも早く終わらせて、一番に帰宅するそうだ。
それは今日も同じだったようで、三十分ほど前に誠也さんが一人で下校する華の姿を確認している。
もうひとつ、女子校の周辺で生徒に声をかける事については、誠也さんが警備員の方々に話を通してくれた。
だから不審な目を向けられるだけで、大きな問題は無い。
それでも通報されるかもしれないという心配が残っていたが、結果として杞憂に終わる。
「ねぇなにこれ、ちょっとイラっと来るんですけど?」
しばらくすると、どこか上機嫌な矢野さんが声をかけてきた。
それに続いて、満面の笑顔を浮かべた結城さんがぴょこぴょこ走ってくる。
「店長さん! 聞いてください! 華さん、みんな、すごいです!」
要領を得ない言葉に、けれど自分は頬を緩めた。
気付くと他の二人も傍にいて、同じように頬を緩めている。
「いやはや、私は、本当に妹の事を何も知らなかったようだ」
誠也さんが、声を震わせながら肩を竦めた。
ほんの数分前、自分は一人の生徒に声をかけた。
簡単に事情を話し、力を貸してくださいと頭を下げた。
彼女は、
「……分かりました。私は何をすればいいですか?」
片手を胸に当てながら、力強い目をして言う。
「丸井さんには感謝しています。それと同時に、申し訳なく思っています。全部、押し付けてしまった……だから、もしも私に贖罪の機会が与えられるというのなら、どんなことでもいたします!」
彼女だけではない。
他の生徒達も残らず好意的な反応を示した。
「……あーあ、これみくイラなくね?」
「なんでそんなこと言うんですかっ」
「うっさい。あいつ友達多すぎでしょ。なんで引きこもってんだよ」
「……あ、もしかして矢野さん自分は友達が少ないから……」
「はぁ? 聞こえてんですけどぉ?」
「あっ、わっ、ごめんなさい睨まないでくださいっ」
緊張感の無い会話の横で、しかし誠也さんは不安気な声を出す。
「……妹は、立ち直ってくれるだろうか」
その雰囲気に少しだけ声をかける事を躊躇して、唇を噛んで一歩近寄る。
そして彼にだけ聞こえるように言った。
「……ひとつ、確認したいことがあります」
「はい、なんでしょう?」
自分で提案しておいて無責任な事この上ないが、おそらく、これだけでは解決しない。
もうひとつ、足りないものがある。
「……例の、加害者の方には会えましたか?」