夢見る乙女の青春事情(5)
お皿の割れる音がした。
「えっ、あっ、わっ、失礼しましたっ!!」
すっかり聴きなれた音を聞いて、結城真帆は反射的に頭を下げた。
はぁと溜息を吐いて、矢野未来は皿割り常習犯の困り顔を捜した。
ちょうどレジで伝票を受け取ったキッカは、手を動かしながら、音のした方向へ目を向けた。
店内を賑わす常連の客達は、また真帆ちゃんか―と、ほっこり笑った。
だが、その声は徐々に小さくなり、少しずつ店内は静かになっていく。
「……失礼しました」
丸井華の小さな声は、店中に届いた。
「珍しいですね、大丈夫ですか?」
真帆はとてとてと駆け寄り、華の顔を覗き見る。
「……いえ、その、寝不足で」
「そうですか……無理しないでくださいね?」
そういえばと、真帆は思い出す。
五月にも一度、華さんがお皿を割った。あのときは確か……。
「またテスト勉強ですか?」
「……はい、お恥ずかしながら」
少し不自然な間を作って、華は照れたように笑った。
真帆が「あれ?」と心の中で思うと同時に、二人の間に箒が現れる。
「みくがやっとく」
「あっ、手伝います」
「いい。てか仕事増えそう」
「なんですかそれぇ」
ぷくぅと膨れる真帆に、しっしと手を振った。
ぷいと顔を逸らしながら仕事に戻ったのを見計らって、未来は華に声をかけた。
「なんかあった?」
「……ただの寝不足です。すみません」
「へー、またテスト勉強?」
「……はい」
「ふーん。意外とテスト前に焦るタイプ?」
「……いえ、百点でないと気が済まないタイプです」
得意気に笑って見せる姿は、やはりぎこちない。
未来は一見して興味無さそうに目を細めながら、チリトリをトンと鳴らして持ち上げる。
「ま、よくわかんねぇけど。また仕事増やしそうなら奥で寝てろよ」
いつも通りの調子で、裏口へガラスを捨てに行った未来の背中を少し追いかけて、華は小さく目を閉じる。
そのまま短く息を吸って、ふっと吐いた。
それは何かを吹き消そうとしたかのようで、だけど、それを消すには弱すぎる息だった。
「お疲れ様でした〜」
「……はい。ありがとうございました」
挨拶をして、バイトの三人が揃って帰宅する。
辺りはすっかり暗くなっていて、けれど少ないながらも人通りがあり、三人の姿もそれほど目立たない。これが昼間であれば立ち止まって振り返る者もいただろうが、この暗さでは人の顔などよく分からない。
「うー、やっぱりオバケが出そう」
真帆が身を小さくしながら呟くと、華は口元に手を当てて笑った。
「真帆なら、きっと百鬼夜行にも優しくもてなされてしまうでしょうね」
「ひゃっきゃこう?」
「はーい、今度お姉ちゃんが読み聞かせてあげますからねー」
「……聞いてみたいから困ります」
仲良く話す二人の一歩後ろで、未来は特に何を考えるでもなく、その姿を見ていた。
ふと後ろを振り返り、ムッと目を細める。
「はぁ、今日も疲れました」
「はーい、お姉ちゃんがマッサージしてあげるからねー」
「あ、ありがとうございます。なんか華さん始める前より元気ですね」
「そうでしょうか?」
「そうですよぉ。矢野さんもそう思いませんか? ……矢野さん?」
振り返って、少し離れた位置で立ち止まって後ろを見ていることに気付く。
未来は真帆の声に振り返ると、眠そうに言った。
「わり、忘れ物したっぽい」
「あわわ、一緒に行きましょうか?」
「いやいや一人でいいし。てかガキはさっさと帰れ」
「ガキって、みっつしか変わらないじゃないですか」
「うっせー。ほら、しっし」
「むー、なんですかそれー」
むくぅっとする真帆を置いて、未来は店へ足を向けた。
真帆は華の方を見て、待っていようかと言いかけて、ふと彼女がテストを控えている事を思い出す。
「……行きましょうか」
「……はい、そうですね」
にっこりと柔らかく微笑む姿を見て、真帆はいつも通りの綺麗な華さんだなと安心しながら、小さな引っ掛かりを感じた。
それが何なのかは分からないまま、やけに暗い道の、ぽつぽつとした明かりを頼りにしながら、帰路を歩いた。