真帆と華の兄様事情
月曜日の夕方。結城真帆は一人で買い物に出かけていた。
目的は、お菓子の材料を買い足す事である。
同日同時刻同じ場所。丸井華は一人で買い物に出かけていた。
理由は特に無い。
何も考えず歩くうちに、ふと日頃お世話になっているお兄様へ何か買って帰ろうと思い、なんとなく手作りのお菓子がいいかなと考えた。
そして偶然、二人は同じ商品に目を付け、同じタイミングで手を伸ばした。
「あ、すみませんっ」
「いえいえ、此方こそ……あら?」
買い物を済ませた後、二人は近くにあった喫茶店に入った。
時間のせいか他の客は少ない。
慣れた様子で適当な飲み物を注文する真帆に合わせ、華は同じ物を頼んだ。
「すみません、なんか強引に付き合ってもらっちゃって」
「いえいえ、お気になさらず」
誘ったのは真帆。華がお菓子作りに興味があることを知り、ぐいぐい押した結果、他にやることもなかった華は、なんとなく付き合う事にした。
もちろん華は日常的にお菓子を作るわけではないし、これから始めようとも思っていない。
ただ作れないのかと問われればそういうわけではなく、本当に何となく、ただの気まぐれであの場にいただけなのである。
しかし、まるで共通の趣味を持った仲間を見つけたかのようにはしゃぐ年下の女の子の誘いを断る事は出来なかった。
「でもでも、本当に偶然ですねっ、ビックリしちゃいました」
「ええ、そうね」
にっこり頷きながら、コップの水を口に含む。華は口が渇いて仕方がなかった。
……こういうお店に歳の近い子と来るのは初めてだからかしら、妙に緊張してしまいます。
対して、対面で屈託のない笑顔を浮かべる真帆は、遠慮なく話を続ける。
「丸井さんの私服初めて見ました。なんだかお姉さんって感じで、ぴったりですねっ!」
「……そう、ありがとう」
「いつも何処で買ってるんですか?」
「え? そ、そうね……」
家の者が仕立ててくれるものが四割 (正装)。
通販で買うものが六割 (コスプレ)。
「さぁ、いろいろなお店で買うから、特に何処というのは……」
「……なんかかっこいいですねっ!」
「そ、そうかしら?」
「はいっ! かっこいいです!」
「……ありがとう。そういう貴女は、なかなか可愛らしい服を着ていらっしゃいますね」
「あー、やっぱり子供っぽいですかね? でも、華さんみたいにスタイルよくないので、大人っぽい服は似合わなくて……」
「そんなことありませんよ?」
「そうですか……? 嬉しいですっ」
……。
…………。
なにこのリア充オーラ。眩しいっ、溶けちゃうっ!
「丸井さん、あのお店にはよく来るんですか?」
「……いえ、今日が初めてです」
思わず自分が下だと感じて丁寧語。
そんな華の様子には気付かず、真帆は話を続けた。
「そうなんですか。私は三回目なんですけど、なかなか品揃えが良くて助かってます!」
「……へぇー」
「今は頑張ってかわいくてふわふわしたクッキーを作ってるんですけど、なかなか上手くいかなくて……丸井さんは、どんなお菓子を作るんですか?」
「え? そうね……いろいろ?」
「わぁどんなお菓子なんだろう。今度食べてみたいです」
……この子すごい。なんでこんなに言葉が出てくるの? 私なら既に四回は会話終了していますことよ?
次から次に話題を創造しては円滑に転換する技術が高すぎるっ……これが、リア充。
私も意識を高くして望まなければ、置き去りにされてしまいそうです……一度くらいは此方から話題を振らないと。
「そういえば貴女。私を丸井と呼んだり華と呼んだり、ばらばらですね」
「あ、ごめんなさい。どっちで呼べばいいのか分からなくて、なんとなく……えっと、どっちがいいですか?」
「ファーストネームで構いません。知らない仲ではないのだから」
「ふぁーすとねーむ?」
「名前の事です」
「あっ、すみません。それではえっと……華さん」
「……ええ、それで構いません」
「……」
「なんですか、ニヤニヤして」
「え? えへへ、なんでもありませんっ」
……やだ、何この恋人同士みたいな雰囲気。
「それじゃあ、私の事も貴女じゃなくて真帆って呼んでくださいっ」
「……」
「華さん?」
「……なに? ……真帆」
「……」
「貴女が話を振ったのだから黙らないでよ」
「……えへへ、ごめんなさい。なんだか嬉しくてっ」
……てんてん、これは違うの。浮気じゃないの! ドキドキなんてしてないのぉ!
だって反則なのぉ! 照れたように伏し目がちでハニカム姿がかわいすぎるのぉ!
――あの、この壺、買ってくれたら、嬉しいな……えへへ。
買っちゃうのぉぉぉ!
「お待たせしました、此方――」
「あ、ありがとうございます」
華が心の中でやんやんしている間に、店員が二人の注文した紅茶を持ってきた。
真帆は音もなく机に商品を置いた店員の背中に尊敬の眼差しを送りつつ、口を開く。
「ばらばらと言えば、華さんもですよね」
「……なんのことかしら?」
「はい。なんていうか、物静かというか、クールというか……そういう時と、その、元気な時のギャップが凄いなって思いまして」
「そう?」
「そうですよー。バイト中とか、何処かのお嬢様みたいだなって思いときもあるんですけど、店長さんと話している時は、なんていうか、凄いです」
「あら、そんなこと。簡単よ。恋は人を変えるっていうでしょう?」
冷静に言って、内心で照れながら紅茶を口に含んだ。
その姿を見て、なおさら大きなギャップを感じつつ、真帆も紅茶を飲む。
「……お菓子って、店長さんに作るんですか?」
それは無意識に出た言葉だった。
「いえ、違いますけど……それもいいですね」
「えと、じゃあ、自分用ですか?」
取り繕うように早口で言った。
……あれ、なんで焦ってるんだろう。
「自分でも食べますけど、お兄様に差し上げようかなと」
ピタっと、真帆の表情が固まる。
……え、おにいさまって、お義兄様だよね? さしあげるって……え?
直前までのあれこれが一瞬で上書きされ、より大きな衝撃に襲われた真帆は、無表情に華を見た。
その視線の意味に気付かない華は、ようやく見つかった話題に声を弾ませる。
「そういえば、真帆にもお兄様がいるのでしたよね?」
「……はい」
「ひょっとして、貴女もお兄様にお菓子を作るのですか?」
「違いますっ」
「あら、そんなに仲が悪いのですか?」
「……普通だと、思いますよ?」
「それはいけません。せっかくのお兄様なのだから、もっと大切にしないと」
「……はぁ」
すごいな。すっごいプロ意識高い。だからあんなに素敵な接客が出来るのかな。
……見習わないといけない、よね……でもなぁ。
「まったく。お兄様と上手くいっていないようですね」
「……そう、なんでしょうか?」
上手くいくって……ぇぇ?
「そうです。そもそも、貴女はお兄様の事をどう思っているのですか?」
「……どうって」
「正直に言ってごらんなさい」
「……あまり、話しかけないでほしい……かな」
「ダメ! そんなのダメ!」
大きな音に、何事かと周りの目が集まる。
「……ちょっと、華さん?」
「失礼しました。だけど真帆? お兄様への敬意を忘れてはなりません」
敬意って……えっと、確かに、お客さんがいなきゃ、お店は潰れちゃうけど……。
「……ごめんなさい。そこまで高いプロ意識を持つのは、ちょっと難しいです」
「プロもアマも関係ありません。そもそも、貴女も私も生まれた時から妹なのだから、立派なプロです」
そうなの? 私プロだったの?
「分かりました。特訓しましょう」
「特訓ですか……?」
「ええ。まずは、そうね。お菓子を差し上げる練習をしましょう」
「……」
「ほら、ぽけーっとしていないで立ち上がりなさい」
「は、はいっ、すみません」
慌てて真帆が立ち上がると、華はスーと息を吸い込み、にっこり微笑む。
「お兄様、いつもありがとうございます。よろしければ、此方を……」
わぁ、思わず見惚れちゃった。やっぱり華さん美人だよなぁ、いいなぁ……。
だけど、これを……お義兄さんに?
「ほら、真帆も」
えぇ……?
「……………………あの、やらないとダメですか?」
「当然です」
「どうしても?」
「早くしなさい」
……うぅ、なんだか断れない。でもでも、なんか周りの人が見てるし……でも、やらないと許してくれなそうだし……うぅぅぅ――
「…………お、お兄ちゃん。よかったら、これ……」
「……う、上手く聞こえませんでした。もっと大きな声で」
……むりだよぅ。
「ほら、真帆。はやく」
なんか華さん楽しそう? うぅぅ、これもしかして虐められてるのかな?
「……嫌です。もう帰りますっ」
「待ってっ、ごめんなさい調子に乗りました。だから怒らないでっ」
「……まったく、やっぱり華さん変です」
「せめて最後にお姉ちゃんって言って!」
「華さん?」
「そしたら一ヶ月は頑張れるからっ、お願い真帆ちゃん!」
「何を頑張るんですか!? ……ちょっと、あのっ、放してください」
「お姉ちゃんと呼んでぇぇぇぇぇ!」
「泣いてる!?」
おいおい、どうしたんだあの姉妹。
なんか、妹ちゃん怒らせちゃったみたいだよ?
よく分かんねぇけど、許してやればいいのにな。
ねー。あんなに泣いてるのに。
だよねー。
私が悪いみたいな雰囲気!?
ぐっと唇を結びながら、縋りついてうわああああと泣く華さんの手を取る。
「……真帆ちゃん?」
そんな捨てられた猫みたいな目で見ないでください……。
なんかすっごく嫌だけど、このままじゃお店に迷惑かかるだろうし……。
「……泣かないで…………お姉ちゃん」
ぶわっと、華の両目から大粒の涙が零れた。
「ありがとぉぉぉぉぉぉ――ッ!」
と、こんなことがあって、
彼女の言った「お姉ちゃん」に胸を打たれた女性客から噂が広まり、
結城真帆に、多くのお義姉ちゃんが出来るきっかけになったのだった。