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洋菓子店の求人事情

「てーんてんっ! もう夏だね☆」

「……えぇ」


 定例となった土曜朝のミーティング。開始予定時刻の五分前。

 腕にくっつく華と周囲の冷たい視線に慣れつつあることに複雑な思いを抱きながら、努めて冷静に声を出す。


「……では皆さんお集まりになったので、始めましょう」

「はーいっ!」

「はーいっ! じゃねぇよさっさと座れバカ」


 くっついたまま大きく挙手した華に、矢野さんが鋭く言った。これまたおなじみのやりとりに、結城さんが苦笑い。ここで注意して、華が素直に着席した後で会議を始めるのが、いつもの流れだ。


「……座っていただけますか?」

「えー?」


 あれ?


「だって夏だよ?」

「いやいや、なおさら離れろよ」


 意味不明な理屈に、流石の矢野さんも語気を弱めた。すると華は「あらあら~?」と表情を変え、対する矢野さんはムッとして目を細める。


「みくちゃん、熱学、ご存知ないのかなぁ~?」

「すっげぇ腹立つなおまえ。何の話だよ」

「冷たい物は、温かい物から熱を吸収します。これが熱伝導。つまりっ! 体温の低い私は、てんてんから熱を吸収しているのだ! どうてんてん、涼しい?」


 すごく遠回しに言うと、温度調整はエアコンさんに一任したいのだが、どう伝えよう。


「……お気持ちだけ」

「きゃーてんてん淑やかっ! 淑女の私とお似合いだね☆」

「どこが淑女!? あと遠回しに離れろって言ったんだよバカ」

「うふふ、あったかい。てんてんの熱が伝わってくるよ……熱平衡っていうんだけどね、二つの物質は最終的に同じ温度になるの。つまり! 今てんてんが感じている温もりは、私が感じているのと同じなんだよ? きゃーっ! ひとつになってるーっ!」

「おいこらいい加減にしろよっ」

「あれあれっ? でもでもおかしいよ? 体が火照って、止まらないの……はっ!? そうかこれが心の温度だね! てんてんから伝わってくるということはっ、てんてんの方が私を愛してる! きゃーっ! 両想いーっ!」


 頬を擦り付けながら言う。


「これぞ心の熱平衡、恋の物理方程式は、てんてん×はな……答えは、二人の心の中だけにある……きゃーっ!」

「聞けこら!」


 暴走する華に痺れを切らした矢野さんが腰を浮かせる。


「いい加減にしろよお花畑っ! てめぇのせーでいっつも無駄に時間かかるんだよこの会議! ほんっと邪魔だから! いっそ出てけよバーカ! だいたい――」

「矢野さん、それ以上は」


 流石に言い過ぎだと思ったので口を挟んだ。意外な事にすんなりと言えたのは、あの出来事があったからだろうか。対して矢野さんは、いつものように鋭い目を向けるものの、グッと口を閉じると、目を伏せて腰を下ろした。

 意外な反応に驚いている間に、華が席に戻っている。


「さぁ、会議を始めましょうか」

「……なにみくが悪いみたいな雰囲気演出してんだコラ」


 再び騒ぎ始めたのでどうしようかと思っていると、ふいに横から声をかけられた。


「店長さん、矢野さんと何かあったんですか?」


 少し背伸びした結城さんが耳打ち。


「……いえ、特に」


 大嘘である。だって、軽々しく話しても良い内容ではないのだから。

 結城さんは不思議そうな目をしながらも「そうですか」と言って身を引いた。

 ……そういえば、あのあとの事は聞いていないけれど、彼女の様子を見るに丸く収まったのだろうか。であれば、ともかがこの店に訪れる事はもう無いのだろうなと、あの小さな少女とよく似た表情で矢野さんと華のやりとりをぽかんと眺めるキッカさんを見て、密かに思った。




「……というわけで、今回の議題は此方になります」


 ホワイトボードに『求人』と書き、ペンの裏でボードをポンと叩きながら言った。


「あれ? 新しいバイト雇う余裕あんの?」

「うん。大丈夫、だよ?」


 矢野さんの疑問にキッカさんが答えた。それに乗っかるようにして、言葉を足す。


「……皆さんのおかげで、お客さんが増えつつあります。個々の負担を軽減する為にも長らく募集を続けていますが……その、まるで応募が無く、どうしようかと」

「アイデア、大募集、だよ?」

「それバイトに聞いちゃう? ダメじゃね?」

「……ちょっと矢野さん、しー」

「……申し訳ない」

「あ、いえいえ私はいいと思いますよっ! やっぱり、申し込む立場からの意見も大切だと思います!」


 結城さんのフォローが逆に辛い。

 こほんと切り替えて、


「……何か、ありませんか?」


 投げかけると、皆はうーんと考え始めた。此方としても突然意見が貰えるとは思っていないので、とりあえず五分後に……と言いかけたところで、華が静かに手を挙げた。


「いらないと思う」


 きっぱり言う。


「てんてん、そんなに彼氏がほしいの?」


 冷たい目を受けて頭が真っ白になるくらいに疑問を抱きつつ、とりあえず声を出す。


「……いえ、まったく」

「じゃあ何を募集するの?」

「……新しい、アルバイトの方を」

「ならいいよ☆」

「な、なんですか今のやりとり……」

「あら結城さん? 何かしら? 私に意見する前に、何か案を出したらどうかしら?」

「さっきの意見だったんだ……えっと、あの、どんな人を募集してるんですか?」

「……というと」

「どんな人が欲しいかによって、募集の仕方も変わると思うんです」


 なるほどと思いながらキッカさんに目を向けると、結城さんと同じような目をして此方を見ていた。

 ……ふむ、基本的には裏でケーキを作っているので、接客ホールの事情、特に忙しい土日に関してはあまり把握出来ていないけど……。

 考えながら今いるメンバーに目を向ける。

 これ以上無いくらいに経理としての仕事をしてくださっているキッカさん。

 落ち着きがないけれど、真面目で、積極的に動いてくださる結城さん。

 言葉遣いが心配だけれど、真面目で、周りを良く見た動きの出来る矢野さん。

 意外にも丁寧な接客をして評判も良い華。

 あらためて、恵まれているなと思う。奇跡と言っても良いくらい素敵な方々が集まってくださった。

 ここにあえて人を加えるなら、それは……。


「……皆さんとは違ったタイプの人、でしょうか」


 皆真面目だから不真面目な人が一人いても良い、という事ではなく、また別の魅力を持った人が来てくだされば嬉しい。


「……どうかしましたか?」


 目を戻すと、なんだか冷ややかな目で見られていた。


「べっつにー?」

「……はい、なんでもないですよ?」

「てんてんが浮気……てんてんが浮気……」


 あれ、おかしなことを言っただろうか?

 あたふたしていると、矢野さんが溜息を吐いてから言う。


「てかさ、今はどんな風に募集してんの?」

「こんな感じ、だよ」


 さっと紙を取り出すと、矢野さんに渡した。

 ちょっとだけ見えた文面と状況から察するに、店の出入り口付近にも貼ってあるアルバイト募集の紙だ。


「アルバイト募集中。あー、そういやあったあった。なになに……」


 矢野さんが募集の文章を見る間に、他の二人にも紙が回った。

 ついでに自分の所にも来た紙を受け取って、文面を見る。


 アルバイト募集中!

 土日だけでも大丈夫!

 喫茶店で接客するだけの簡単なお仕事!

 若い女性スタッフが仲良く仕事しています!

 時給1500円!


「かんっぜんに風俗じゃねぇか!!」

「そう、かな?」

「あのあの、これは誰が書いたんですか……?」

「私、だよ?」

「…………そうですか」


 長い間の後、結城さんは紙に目を戻しながら真顔で言った。そんなにおかしな文章だろうか? 一応自分もチェックをしたというか、一緒に考えたのだが……。


「……参考までに、何処がおかしいと思いましたか?」


 問うと、結城さんと華が露骨に目を逸らした。残った矢野さんが、やれやれといった具合に人差し指を立てる。


「まず、時給がおかしい」


 後ろで結城さんがうんうんと頷く。


「四千円は欲しいよね」

「矢野さん!?」

「私は逆に払ってもいいかな。むしろてんてんに私をあげちゃう」

「華さん!?」


 うーむ、対極な意見で判断に困る。


「……結城さんは、どう思いましたか?」

「はい! えっ、あっ、私は、えっと……とりあえず、これを元に皆で考えませんかっ?」

「……はい。では、これを良い物に変える方向で話を進めましょう」

「じゃあさー、とりあえずー、最後にカッコして研修期間ありって付けたら?」

「あー分かります。時給千円だと思ってバイトに入ったのに、研修期間で半年くらい時給九百円だったとか、友達が言ってました……」

「そうね。続けて『給料の有無は応相談』って一文も加えるとより良いんじゃないかしら?」

「あーそれっぽい、って給料の有無を相談しちゃうんですか!?」

「だって、わたし、お金の為に働いているワケじゃないもの」

「……私もそうですけど、普通はアルバイトってお金の為にやるものじゃないですか?」

「さっきから否定ばかりね。全く以って非生産的だわ。貴女も何か意見を出したら?」

「うぅぅ……えっと、もっと仕事内容とか、詳しく書いたらいいんじゃないですか? どんな仕事か分かると、安心できますし」

「そんなの店に来いって話じゃね?」

「た、確かにそうですけど……なんだか二人ともキツイですね。そもそもうちは研修期間とか無いですし」

「なら、みく達の写真とって貼るとかどう? こんな感じで」


 楽しそうな笑顔を浮かべながら、ケータイ画面を見せた。

 それを確認した結城さんが目にも留まらぬ速さで飛びつくが、矢野さんはサッと腕を引いて避けた。

 一瞬だけ見えた画像は、疲れ切った結城さんが、ちょっと見せられない表情でぐったりしているところだった。


「消してくださいっ!」


 涙目になって言う結城さんを横目に、矢野さんが次の意見を出す。


「んー、でも仕事内容ってどう説明すんの? キツくね?」

「ぐぬぬ……そうですか? 普通に、お料理を運んだり、お客さんの案内をしたり……」

「長い。もっと簡潔に……たとえば、お兄ちゃんって呼ぶだけの簡単なお仕事ですっ! とか」

「さらに怪しくなってるじゃないですか!」

「だって事実じゃん」

「……………………そうですね」


 衝撃の事実を知ってしまった。


「……すみません」

「え? なんで店長さんが謝るんですか?」


 とりあえず謝ると、きょとんと首を傾げられた。あれ、特に問題なかったのだろうか?


「おーいエセお嬢様、さっきから静かだけど?」

「…………」

「丸井さん?」

「…………」

「……華、どうかしましたか?」

「え? あらやだ、うっかり眠りに誘われてしまっていましたわ」

「丸井さん!? それ私に意見出せって言った直後ですよね!?」

「まったく、なに、突然。貴女先程から大声で、しかも肩を上下させながら、はぁはぁと……はしたないですわよ?」

「……はい、すみません」


 グッと堪えた様子で息を吐いて脱力して見せた。大人だ。


「それで、何の話だったかしら?」

「……お兄ちゃんの話です」

「あら、貴女にもお兄様がいらっしゃるの?」

「いらっしゃるって、華さんも? 仕事中の華さんはお姉さんって感じですけど……」

「まぁ世の中いろんなのがいるんじゃねぇの?」

「貴女達は何を言っているのかしら? ところで、結城さんのお兄様はどのような人?」

「え? えっと……笑顔が、多い人、ですかね」

「そう、それは素敵な方ね」

「いや気付けよ。否定的なニュアンスだっただろ」

「そんなことは……えっと、丸井さんのお兄さんはどんな人なんですか?」

「とても素敵な人よ。てんてんの次くらいに」

「わぁ、プロ意識高いですね」

「フロイスキー? いえ、お兄様はそんな哲学者みたいな名前ではありません。誠也せいやという立派な名前がありますわ」

「名前まで把握してるんですかっ!?」

「当たり前でしょう……?」


 なんだか話が噛み合って無いような、と思っていると、くいと袖を引かれた。


「そろそろ、だよ」


 キッカさんに促され時計を見ると、確かに時間が来てしまっていた。

 ……結局、まともな話し合いが出来なかった。

 でも、まぁ、暫くはこのままでもいいかもしれない。


 こほん。


「……それでは皆さん、本日も宜しくお願いします」

また真帆ちゃんが同じ過ちを……

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