金髪少女の母親事情(9)
最後に自分の事を私と呼んだのは、いつだっけ。
まだ五年くらいしか経ってないはずなのに、ふと忘れてしまいそうになる。
あの時はまだ髪が黒くて、気が弱くて、何処にでもいる内気な女の子だった。
本が好きで、そこそこ友達がいて、親とも仲良し。食事の時間にその日学校であった出来事を話しては、にこにこした両親と笑いあった。
変わったのは、妹が生まれた頃だ。
私は素直に嬉しかったけれど、お父さんとお母さんは違った。
叩いたり蹴ったりしながら、たくさん悪口を言うお父さんが怖かった。
そのうち、お父さんは私を連れて出ていこうとした。
理由を聞いても「あんなクズの元には置いておけない」だとか、そんな言葉しか返ってこなかった。
だから私はお母さんのもとに残った。同時に、お父さんを恨んだ。
それから、お母さんは私に依存するようになった。
離れないでね、大好きだよ。
呪いの言葉が何度も繰り返された。
大好きな親から、こんなことを言われた子供は、よろこんで頷くしかない。
だけど、おかしいなって思うまでに、そう時間はかからなかった。
お母さんは、妹の世話をしなかった。
お父さんのことでショックなのだと思ったから、暫くは私が代わりに世話をしていたけれど、やがて祖母のもとへ預けられた。
二人になってからは、もっと依存されるようになった。その頃には、全部の家事を私がやっていた。お母さんは、虚ろな目で私にありがとうと言うだけになった。
辛かった。
全部お父さんのせいだと思っていた。
でもそうじゃなかった。
変化は、ゆっくりとしたものだった。
なんだか視線を感じるようになって、こそこそ何かを言われるようになった。
そのうち小さな声が聞こえるようになって、それがだんだん大きくなって、いつしかはっきりと聞き取れるようになった。
あいつの母さん――
悔しかった。
大好きなお母さんのことを悪く言われて、何とも思わないわけなかった。
そのうち、嫌がらせみたいなことも始まった。
もともと少なかった友達も、私に近寄らなくなった。
お父さんのせいに違いない。
文句を言おうとしたけれど、居場所が分からなかった。
どうしてこんな目に合わなきゃいけないんだろう。
疑問の答えは、直ぐに出た。
お母さんのお腹が大きくなった。
流石に、それが意味することくらい理解出来た。
それはお父さんの子じゃない。
そして妹も、お父さんの子じゃなかった。
全部この人が悪かったんだと悟った。
だけど、だからって、お母さんを見捨てる事は出来なかった。
お願いだから一人にしないでって泣きながら言われたら、一緒にいるって答えるしかなかった。
それでもまだ、お母さんのことが好きだった。
それから、辛い日々が始まった。
学校では聞こえるように悪口を言われ、家では、すっかりおかしくなったお母さんの相手をする。
どうして私が辛い思いをしなきゃいけないの? 私は何も悪くないのに。
そう思いながらも、思うだけで、何も出来なかった。出来るわけがなかった。
お母さんがいなくなった。
突然だった。
意味が分からなかった。
一人にしないでって言ったくせに……。
違う。
私のせいだ。私が、お母さんを助けてあげられなかったから、いなくなっちゃったんだ。
祖母に引き取られることになった。
家に上がって最初に見たのは、元気な妹の姿だった。
無邪気に笑う姿は、私に殺意に似た感情を与えた。
そのまま一年が経った頃、ちょっとだけ嬉しい事があった。
噂も時間が経てば忘れられるというか、徐々に私の事を悪く言う人はいなくなっていて、ついに、私に声を掛けてくれる人が現れた。
彼はクラスの中心にいる人で、優しくて素敵な人だった。あと、かっこよかった。
めっちゃ舞い上がった。もう本の中のヒロインになった気分だった。あの人絶対に私のこと好きだよとか思ってた。
それから暫くは、そこそこ楽しかった。うきうきだった。
ある日の事だ。忘れ物を取りに教室へ戻った時、こんな声が聞こえてきた。
おまえ、矢野のこと好きなの?
私はさっと扉の横に隠れた。
ドキドキしながら、続きの言葉を待っていた。
は? ねぇよ。まぁ強いて言うなら、体目当て的な?
あー分かるチョロそう。
ゲッスイなお前ら。
ぎゃはははは。
くらっとして、背筋がぞわってなって、強い吐き気に襲われた。
それを必死に堪えながら家まで走って、思い切り泣いた。膝を抱えて一日中泣いた。次の日は学校に行かなかった。もう行きたくなかった。
どうしてこんな目に合わなきゃいけないの……何も悪い事してないのに!
散々泣いて、疲れて、だけど目元の辺りが痒くて眠れなくて、ただぼんやりと虚空を眺めていた。
そんな時、何かが腕に触れた。
妹だった。
まだ一歳の、言葉も分からない子供が、心配そうな目で私を見ていた。
おまえのせいだ。みっともなく叫んだ。
この子さえいなければ、こんな目には合わなかった。
この子さえいなければ、お母さんはいなくならなかった。
全部お前のせいだ。
おまえが全部悪い。
返して。
お母さんを返して。
お父さんを返して。
私の家族を返して。
普通の日々を返して。
幸せだった日々を返して。
返してよ!!
無意味なのは分かっていた。
この卑怯者が大きな声で泣き叫ぶことも予想していた。
そのうえで、ずるいって思った。
泣きたいのはこっちなのに、悪いのはあっちなのに。
まるで被害者見たいに泣き叫ぶ妹が憎かった。
近付いて、首に手を伸ばして、ぶるぶると震える腕が痺れるように痛んで、また涙が零れた。
本当は分かってたんだ。
悪いのは、全部お母さんだ。
あの人のせいで何もかも滅茶苦茶になって、そのくせ謝りもしないで何処かへ消えてしまった。
私は何も悪くない。
この子だって、何も悪くない。
私達子供は、何も悪くない。全部、あいつが、あいつらが勝手にやったことで、私達は巻き込まれただけだ。
一緒になって泣いて、そのまま眠った。
目が覚めた時、妹は私の頬をぺちぺちしていた。
目が合うと、にっこり笑った。
そのとき決めたんだ。
パンと自分の頬を叩いて、気合を入れた。
立ち上がって、鏡の前に立った。
ひっどい顔をしていた。
とりあえず滅茶苦茶に化粧をして、見た目を変えた。
髪の毛の色も変えて、口調も変えて、とにかく強くなろうと努力した。
二度とあんな思いをしないように、二度とあんな思いをさせないように、強くて立派な大人になろうとした。
子供は親がいなきゃ何にも出来ないから、大人がちゃんとしなきゃいけないんだ。
お母さんは間違ってた。
だから私は間違えない。
子供を守るのは、大人の役目だ。
この子は私が……みくが守る。
強くなって、立派に育てるんだ。
突然の変化に、周りの人達は驚いた。
見た目を変えたからって、中身まで変わるわけじゃなくて、先生にいろいろ言われて、初日から心が折れそうになった。
悩みがあるなら言ってみなさい。
……ぃぇ、ぁの……。
話を聞きながら、こんなんじゃダメだって唇を噛んだ。
だから手始めに、思いっきり叫んだ。
うっせーばーか!