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金髪少女の母親事情(8)


 月曜日。

 ともかはもうこの部屋にはいない。

 三日前には彼女が座っていた場所で、同じように外を見ながら考える。

 矢野さんは、どうしてあんなに怒っていたのだろう。


 あの時――


 病室には、ただ親子の嗚咽があるだけだった。

 隣に居る矢野さんの酷く冷めた目を覚えている。


「ともか、お願い帰ってきて。ママを一人にしないで……」


 正直、分からなくなっていた。本当に普通の、良い母親だ。

 なのに不信感が消えない。どうしても消えない。

 それが自分だけならまだしも、矢野さんまで同じ印象を持っているのだから無視できない。

 だけど、原因を探るような事は出来なかった。


「……ともか? どうして返事をしてくれないの?」


 そう言った母親の腕からするりと抜け出したともかが、背中に隠れる。

 ともかを追いかけた目を通して、やけに冷静な表情をした自分が映った。


「ええっと、あの……」


 困ったように目を伏せ、やがてともかに目を戻すと、不安そうな声を出した。


「ともか……?」


 返事は無い。代わりに、小さな手がズボンをぎゅっと握ったのが分かった。


「どうして……」

「どうしてじゃねぇよ」


 静かに見守っていた矢野さんが、ぼそりと低い声を出した。


「他に言う事があるんじゃねぇのかよ」


 手を震わせている。何かをグッと堪えているのが伝わってくる。


「ごめんなさい、何を言っているのか、さっぱり……」

「……もっと先に、一番に言う事があんだろ」


 その言葉を受けて、はっとした顔をする。


「そうよ。ともか、どうして家出なんてするの? 何か嫌なことがあるのなら、ママに言って」


 客観的に、おかしな言葉だとは思わなかった。

 しかしそれは、矢野さんを煽る結果となってしまった。


「いい加減にしろ!」


 ここが病院だということなんか忘れた様子で大きな声を出す。

 驚いた母親が反射的に身を引くと、矢野さんはその分だけ体を近付けて、さらに激しく感情を表に出した。


「どうしてじゃねぇよ、考えれば分かるだろ。あんたは一番分かってやんなきゃダメだろ。もっとともかのこと考えてやれよ! だからこんな餓鬼が何度も家出してんだろ!」

「……あなたには、分かるの?」

「とうぜんっ、つか、あんたには分かんねぇのかよ」

「なら教えて、私はどうすればいいの?」


 縋るような目を鋭く睨みながら。とても慎重な声で言う。


「本当に分かんねぇのか」

「ええ」


 即答だった。矢野さんは目を閉じて、ゆっくりと脱力するように息を吐いた。

 そして次の瞬間に開かれた目は、ぞっとするほど冷たいものだった。


「じゃあ教えてやるよ」

「……矢野さん」


 咄嗟に声を出したのは、この先を言わせてはいけないような気がしたからだ。

 だが、そんな曖昧な言葉は、彼女に一瞥されただけで奪われてしまう。

 興味を失った矢野さんは母親に目を戻し、静かに言った。


「智花は、あんたの玩具じゃない」

「矢野さんっ」


 流石に無視できない言葉に口を挟んだ。

 だけど矢野さんは聞こえていないかのような態度を見せる。


「なに黙ってんの」


 ともかの母親は口元を震わせながら、けれど何も言わない。

 やがて矢野さんは興味を失ったように息を吐いた。


「結局そういうことだろ。あんたみたいなヤツのせいで、子供が不幸になるんだ」


 俯いて、呟く。


「産まなきゃいいのに」

「矢野さん!」


 思わず大きな声が出た。

 彼女の、とても寂しそうな目が此方を見上げる。その目のせいで、まるで体が石になったかのように、何も言えなくなってしまった。

 再び俯くと、疲れたように息を吐いた。


「……うるせぇよ、ばーか」


 そしてそのまま、病室から出て行ってしまった。

 取り残された三人の間に、微妙な空気が流れる。

 それを感じ取ったのか、流石のともかも声を出せないでいる。


「……あの、あまり、お気になさらず」


 なんとか取り繕おうと声を出す。けれど中身の無い言葉に、誰も耳を傾けてはくれない。


「……ともか」


 放心している母親から目を逸らして、まだ背後でズボンを握っている幼女に声を掛けた。


「……まだ、家出を続けますか?」


 母親を見て、俯く。

 何か言ってやりたい気持ちはあるのだが、直前の事のせいか言葉にならない。


「……よければ、彼女の傍に、いてあげてください」


 だからか、逃げるような事しか言えなかった。


「……また家出したくなったら、自分の所へ来てください」


 少し間があって、俯いたまま頷いた。

 


 

 その後は、上手く思い出せない。

 何かいい加減な言葉を並べて、無責任に病室から去ったと記憶している。

 溜息。

 結局、何も出来なかった。

 何かしようと決意したのに、同じだった。

 これでは何もしていないのと変わらない。

 それに、また謎が増えてしまった。


「…………どうして」


 あれから三日間、矢野さんとは何も話せていない。

 土曜も日曜も、バイトには来てくださった。だから勇気を出して何度か声を掛けたけれど、全て無視されてしまった。

 自分はこのあと、どうすれば良いのだろうか。どうしたいのだろうか。

 考えて、考えて、気付くと店に来ていた。

 無意識のままケーキを作っていた。


「……しまった」


 このケーキは売り物には出来ない。1ホールの損失……ギリギリの経営をしている我が店には痛い出費だ。

 昔から悩んだ時はケーキを作っていた。我ながら変わっていると思うが、そうしていると何故か落ち着いたのだ。

 今回も、少し落ち着いた。

 落ち着いたところで、何も変わらないのが分かっているせいか、数割増しで虚しくなる。

 

「――ん」


 何か聞こえたような気がして、厨房の外に出る。


「すいませーん!」


 ホールに近付いた時、今度はハッキリと聞こえた。

 お客さんだろうか? 今日は定休日で、入口に置いた黒板にしっかり書いたはずだけど。

 疑問に思いながらホールに出ると、かなり下の方に、見覚えのある顔が有った。

 彼女は、矢野さんの妹さんだったか。

 とりあえず店の中に入れようとして、入口の鍵が無い事に気付く。

 仕方なく裏口から出て、声を掛けた。


「……どうしましたか?」

「お休みなのにすみません! 少し、お聞きしたいことがありました!」

「……どうも、ご丁寧に」


 少し変な日本語だが、意味は伝わる。伝わるというか、年不相応な言葉遣いに、なんだかほっこりした。


「あのですね! ……………………」


 勢い良く言って、口を閉じて唸る。

 そして意を決したように顔を上げ、叫んだ。


「お姉さまと喧嘩しちゃったんですか!?」

「……矢野さんは、何と言っていましたか?」

「なんかね、なんでもないって言っているけど、絶対何かあったの!」


 どうやら、こんな小さな妹に心配されてしまうくらいに様子がおかしいらしい。

 ……かといって、自分に何が出来るのか。


「それでね! いろいろ探りを入れて、店長さんの話題がもうビンゴって感じなの!」


 この子はいったいいくつなのだろう。二十歳と言われても驚かないでいられる気がする。


「だからね、喧嘩しちゃったんじゃないかなって! 思いました!」


 とても元気な子だ。

 ともかもこれくらい元気なら、今の状況も少しは変わったのだろうか。

 さておき、どう返事をしよう……。


「……いえ、何もありません」


 うー、と唸っている。

 ビシっと指を突き付けられた。


「うそつき!」


 ……やり辛い。


「……本当に、何もありません」

「ううん、だってお姉さまと同じ表情をしてるもん!」

「……」


 返す言葉が見つからずに黙ると、再び唸り声が聞こえてきた。


「ここで待ってろ!」


 やがて、全身を使って力強く言った。


「返事しろ!」

「……はい」


 勢いに押されて返事をする。

 彼女はどうしてか素早く一回転して、また指を突きつけた。


「ぜったい待ってなきゃダメだからね!」

「…………はい」

「やくそく!」

「……分かりました」


 何度も念を押すように言うと、振り向いて走り出した。

 ……なんだったのだろう。

 なにはともあれ、やることも無いので待つことにした。

 そして二時間ほど経った頃、彼女が戻ってきた。


「おばーちゃーん! こっちー!」


 此方の姿を確認すると、後ろを向いて大声で言った。

 とても疲れたような言葉が返事をする。


「……はぁ、みかちゃん、足が速くなったねぇ……」

「おばあちゃん! 運動不足!」

「ははは、ごめんねぇ……」


 お婆ちゃん。呼びに行っていたのだろうか。なぜ?


「あー、貴方が、店長さんですか?」

「……はい」

「おー、男前だねぇ」

「……いえ、恐縮です」


 とても穏やかな声の中にある威厳というか、その雰囲気に少しだけ緊張する。


「えっとー、話を聞かせてもらえるかね?」

「おばあちゃん! 何回も言ったじゃん!」

「これこれ、ちょっと静かにしてなさい」

「うー!」

「しゃー!」

「きゅー……」


 ……なんだか和んだ。


「こほん、あらためて、話を聞かせてもらおうか」

「……」

「おー、こちとら腰が悪くてね。さっさと話してもらえないか」


 とりあえず店の椅子に座っていただいて、お茶を出す。


「これはこれは、ご丁寧に」


 言って、話を促すように顔を上げた。

 話……何を話せば良いのだろう。


「……みか、ちょっと先に帰りなさい」

「えー! なんでー!」

「いいから、ほれ」

「や!」

「よーし、諭吉さんだよ。本を買っておいでー」

「わーい!」


 妹さんは、弾むように外へ出ていった。


「さて、これでいいかい?」


 開いた口が塞がらないというか何というか……。

 

「……分かりました」


 諦める、という表現は適切か否か。

 とにかく口を動かす事にした。

 一度声を出すと、不思議な事に次々と言葉が浮かんできた。

 それを引き出すように相槌が打たれ、誘導される。

 気付けば、全てを話し終えていた。


「……なるほどね」


 短く言うと、考え込むようにして目を閉じた。

 あの目が開いた時、彼女は何を言うのだろうか。

 期待してしまっている。

 情けない。

 そんな心情とは関係なく、ゆっくりと目が開かれた。


「あんたは、どうしたいんだい」


 少し前までの気さくな口調とは違う、とても厳格な声で言った。


「……分かりません」

「なっさけない。ちゃんと考えなさい」


 言われて、もう一度考えてみる。

 どうしたいのか……。

 そもそも、どういう状況なのだろう。

 小さな家出少女を預けられた。

 形は歪だが、母親のもとへ届ける事になった。

 そして、激しい怒りを見せつけられた。

 ……訳が分からない。彼女が、矢野さんが何を考えているのか、何一つ分からない。

 いや、そうか。それが分からないんだ。

 言葉にするならば。


「……知りたいと、思います」

「なにがだい」

「……彼女が、何を考えているのか」

「そうかい」


 合格とでも言わんばかりに口角を上げると、よいしょと言って立ち上がった。


「それじゃあ、話をしてやろう」


 

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