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金髪少女の母親事情(7)

 なんとかキッカさんに店を任せ、必要最低限の作業だけ済ませて帰宅した。

 カチカチと時計の音だけが響き、無意味に時間が流れていることを思い知らされる。

 時刻は一時になったところ。約束の時間まであと四時間。

 何かしなければならない。何か、準備のような事を……その何かが分からない。何をすればいい?

 ともかは、ちょこんと椅子に座って窓の外を見ている。外野と違って当人は落ち着いている様子だ。

 大事そうに兎を抱いて、ぷらぷらと足を揺らす少女は、今何を考えているのだろう。

 深呼吸して、少ない情報をまとめる。

 事の始まりは、家出をしていたともかと矢野さんが出会ったところらしい。ともかを預けたあとで母親と会った矢野さんは、普通の母親と評価しながらも確実に不信感を抱いたようだ。そのうえで、ともかとの再会をセッティングした。

 ……なんだこの第三者は、自分で考えた事が何一つ無い。

 思い返せば、ともかを預かった時だってそうだ。矢野さんを信用するという言葉で、考える事から逃げた。

 ともかという不思議な少女の抱える事情に関わる未来を予感しながらも、自分からは何もしなかった。

 話をする機会はいくらでもあったのだ。それをしなかったのは、単に、逃げたのだ。

 

「なに?」

 

 視線に気づいたともかが可愛らしく首を傾けた。


「……いえ、その、本当に大事なのだなと思いまして」

「うーちゃん?」


 兎を前に差し出して言う。名前があったらしい。


「……はい。お母さんから貰ったのでしょうか?」

「ちがう」


 僅かに目を伏せ、力無く兎を抱きしめる。


「パパ」


 そして、小さな声で言った。

 きっと本当の父親の事で間違いない。


「……」


 口だけ開いて、躊躇した。

 聞くべきか、聞くべきだ。

 聞いてもいいのか、分からない。

 息を吐いて、自己嫌悪する。

 いや、ダメな自分を再認識した。

 あの時から、何も変わっていない。何の努力もしていないからだ。

 頑張る意味なんて無い、そんな風に逃げた事もある。

 その結果、ともかという非日常を前に何もすることが出来ない。そんな自分が嫌になる。

 こんなこと、そうそう起きない。大丈夫、時間が解決してくれる。何もしなくていい。そんなことを考えられる自分が、どうしようもなく嫌いだ。


「どうしたの?」


 勝手に自己嫌悪を始めた愚か者を心配して、ともかは珍しく不安そうな顔で言った。


「……いえ、なんでもありません」

「うそ」


 少しだけ、いつもより少しだけ強い言葉に冷やりとする。


「パパ、わたしのこと、きらい?」

「……いえ、そんなことはありません」

「なら、よくない」


 とても五歳とは思えないくらい、悲しい表情で言う。


「うそは、よくない」


 その一言で、驚くほど簡単に、やるべきことが決まってしまった。


「……すみません。聞きたいことがあります」

「なに?」

「……ともかのパパは、どんな人でしたか?」

「とっても、やさしかった」


 ゴクリと色んな物を飲み込んだ自分より遥かに幼い少女は、いとも簡単に返事をした。

 意図せず過去形で問われた言葉に、同じく過去形で答えが返ってくる。


「よくおぼえてない」


 兎の目を見て、淡々と続ける。


「うーちゃんは、パパがくれた。さんさいだった。だからうーちゃんは、にさい。まだ、あかちゃん」


 黙って、続きを待つ。


「いまは、パパのかわり」


 そしてともかは、決定的な言葉を口にした。


「わたしは、ママにとって、パパのかわり」




 約束の時間は、あっという間に訪れた。

 正直、準備らしきものは何一つ出来ていない。

 矢野さんに会うという名目で、ともかを公園に連れ出したのが四時四十分。

 矢野さんが現れたのが四時五十分。

 そして五時を少し過ぎたところで、青ざめた表情をした性が現れた。

 彼女は公園に飛び込むと、膝を抱え、荒い息を繰り返す。

 顔を上げると、何かに縋るような目で辺りを見た。

 まず矢野さんを見て、それから此方を見て、その横に居るともかを見ると、涙を流してともかの名前を叫んだ。


「はぁ……よかった……うぅ……よかった……」


 抱きしめられたともかに、恨めし気な顔で睨まれたこと。

 この涙に、不信感を抱いたこと。

 矢野さんが何かを言いかけたこと。

 どれかひとつが形になるよりも早く、女性は意識を失った。

 慌てながらも救急車を呼び、泣き叫ぶともかを戸惑いながら宥めていた。

 医師から栄養失調だとか、そういう話を聞いている間も、頭の中はぐちゃぐちゃだった。

 ようやく病院の処置が終わり、ベッドの上で点滴に繋がれながら安定した呼吸を繰り返している。

 ベッドの横に三人で並んで、だけど無言のまま、ともかの母親を見つめる。

 だがそんな時間も長くは続かず、彼女は僅か一時間ほどで目を覚ました。


「……ここは?」

「ママ!」


 ぼんやりと天井を眺めながら呟くと、ともかが飛び上がった。それをなんとか矢野さんと二人で抑えると、今度は母親の方が体を起こそうとする。


「動かないでくださいっ、ここで病院で、あなたはいま、点滴に繋がれていますっ」


 焦りながら口にして、だけど母親は止まらず、繋がれた点滴はいくつか彼女から外れた。

 そしてともかを強く抱きしめ、むせび泣く。


「……よかった、ほんとに……本当に良かったっ!」


 良い母親だ。

 きっと娘が心配で、ともかが家出してから何も口にしていないのだろう。

 そして娘と再会し、涙を流す。

 だけど、この涙は誰の為に流れた涙なのだろう。

 そんな疑問が、消えなかった。

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