金髪少女の母親事情(6)
夢を見ていた。
ついさっきまで鮮明だった映像が、突然ゆらゆらと揺れながら消えた。
体が揺らされているらしい。
飛び起きて時計を確認すると、いつもと変わらぬ時間だった。
安堵の息を吐くと、軽い頭痛に襲われる。不規則な睡眠に寝不足が加わったせいだろうか。
「おはよ」
ちょこんと手を上げ、にっこりと言ったのはキッカさんだ。どうやら起こしてくれたらしい。
「……すみません。助かりました」
「あってよかった、でしょ?」
得意気な顔をして、ここに引っ越す際に作った合鍵を揺らす。頷くほかない。
「……」
何か言わなければならない気がして、何も浮かばなかった。そんな様子を見て、キッカさんがにっこりしたまま首を傾げる。
「……すみません、顔を洗ってきます」
はーい、と手を振るキッカさん。なにか良い事でもあったのかな? と思いながら簡単に身だしなみを整えて、戻る。
「……改めて、おはようございます」
「うん。おはよ」
やはり何かを言わなければならない気がするのだが思い出せない。
「いいかな?」
相変わらず笑顔のままのキッカさんが手を後ろに回して言う。彼女も何か用があったようだ。なんだろう。
「あれ、なに?」
体を横に向けると、ベッドの方に視線を促した。
そこには、ぐっすりなともかがいて、その奥には……。
「いっしょに住むの、嫌がったのは、こういうこと、するため?」
それでもにっこり笑顔のキッカさんが首を傾けて言う。
一瞬だけ見えた彼女の握りこぶしは、小刻みに震えていた。
「……説明させてください」
ともかの事情を素直に説明すると、意外にもあっさり納得してもらえた。よかった。
今になって考えると、必死に弁明するというのは、なんだか違和感のある行為だったが、さておき仲良く四人で朝食をとる。
最近どんどん賑やかになっている朝の時間。嬉しいような、悲しいような……恐ろしいような。
「へー、隣に住んでるんだー」
カツンと音を鳴らしながらハムにフォークを刺した矢野さんが、眠いんだか不機嫌なんだかよく分からない表情で言う。
キッカさんに説明する途中で目を覚ました彼女の第一声は「はぁ?」だった。怖い。
「何か、おかしい?」
「んー? べっつにー?」
何処か険悪な二人が、正面に並んでいる。
部屋に最初から付いていた机は、ちょうど椅子が四つ。決して埋まる事は無いと思っていた席が埋まり、だけど流れるのは和やかな会話ではなく、食器による金属音だけだった。
ふと矢野さんの表情を伺うと睨まれた。さっと目を逸らした先では、キッカさんが普段通りの笑顔で微笑むから逆に怖い。
猛獣の檻に放り込まれたような緊張感に震える自分とは違って、隣に座るともかは、いつも通りだった。
足りない背丈に難儀しながら食事をする姿は微笑ましくもある。
「おいしい」
それを聞いて、料理を作ったキッカさんが嬉しそうに口元を緩ませた。そのまま此方に目を向けるキッカさんに、いつも通り感謝の気持ちを込めて頷く。
「ママは、つくらないの?」
その声に、キッカさんがピタリと動きを止めた。
理由は分かる。ともかが矢野さんをママと呼ぶのは、先ほどの説明と辻褄が合わないからだ。
「みくは、べつに……」
「パパ、きっとうれしいのに」
パパ? と、笑顔を失ったキッカさんがともかに目を向ける。
「でしょ?」
育児をする親が、しばしば子供が悪魔に見える瞬間があると口にするらしい。
なるほど、これが。
現実逃避している場合ではない。
キッカさんが真顔で、ただ此方を見ている。
それだけで迫力が尋常ではない。
何かを言わなければならないことは分かる。いや誤解なのだからただ誤解だと言えば良いだけなのだろうが、言葉を間違えればただでは済まない予感がする。その証拠に、隣の矢野さんが何も言わない。ここには誰も居ませんと言わんばかりに、斜め下へと顔を逸らしている。
「……大きな、誤解があります」
「そう」
意を決して声を出すと、拍子抜けするくらいあっさりとした反応が返ってきた。
「つーか年齢的におかしいっての。みく十九で、智花五歳だよ? 二重の意味でありえないから」
はぁと息を吐いた矢野さんが助け舟を出してくれた。
眠たそうな顔をして、残った料理を口に運ぶ。
キッカさんと目が合って、なんだか気恥ずかしくなって料理に逃げる。
こっそり目だけで様子を伺うと、キッカさんも食事を再開していた。
「パパ、うれしくない?」
ともかが不安そうに言う。
キッカさんを見ると、事情を察したように笑顔を見せてくれた。
だから安心してともかに返事をする。
「……いえ、とても嬉しいと思います」
「だよね」
嬉しそうに笑って、ともかも食事を再開した。
そして僅かに無言の時が流れたあと、矢野さんがボソリと声を出す。
「ま、それとパパ呼びとは別の話だけど」
ガシャリと、キッカさんの食器が悲鳴をあげた。
一瞬だけ自分の口から出た悲鳴かと思ったことはさておき、おそるおそる顔を上げると、キッカさんが激しく動揺していた。
「どうしたの?」
ともかがきょとんとした様子で言った。
「どうして、パパ?」
「パパは、パパ」
「……そう」
「べっつに気にすることないんじゃねぇーの? ガキの言うことだし。みくも気にしてないし」
軽い調子で言って「ごちそうさま」と手を合わせる。
そしてキッカさんを横目に、コップ一杯の水を一気に飲むと、少しだけ楽しそうに言った。
「あんたには、かんけーないことだし?」
部屋の温度が、下がったような気がした。
涼しい顔で食器を洗い場へ運ぶ矢野さんの背中を、キッカさんが目で追う。
「……あの、キッカさん」
「だいじょぶ、だいじょうぶ。気にしないで、ね?」
絶対に気にしている様子で言うキッカさんに、このあと店を頼むことを考えると、泣きそうだった。
……矢野さん、どうして煽るような言葉を――
見ると、彼女の肩は小刻みに震えていた。