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金髪少女の母親事情(5)


 今日もともかは大人しく待っていた。

 とっくに子供は寝る時間で、だけど省略できる作業など無いから、申し訳なく思いながらも待たせてしまっている。

 

「……お待たせしました」


 ともかはぴょんと椅子から下りると、とことこ隣に並んだ。

 たった二日で、ともかは見知らぬ大人に慣れてしまった。今朝は隠れる事なくキッカさんと食事を共にしていた。

 彼女への謎は深まるばかりで、ただ時間だけが流れていくけれども、確実に変化がある。

 物心ついた時からお菓子を作っているせいか変化というものに馴染みのない自分ですら、状況が刻々と変わっている事を実感させられてしまう。

 だからこそ、なおのこと、いろいろ考えてしまう。

 たとえば、彼女の親はどうしているのか。

 ふと月に照らされたともかの横顔を見ると、視線に気付いたのか顔を上げた。そして「なに?」と首を傾げる。なんでもないと首を振って前を向き、また考える。

 そうやって考え事をしているせいか、せっかく隣り合って歩いているのに会話が無い。いやきっと何も考えていなくても会話なんて始まらないだろうけれど、今日はもう一つ理由があるような気がした。

 ともかよりひとつ向こう側。


「なに?」

「……いえ」


 ともかと同じ言葉、だけど全く違う言葉。

 矢野さんは、ともかと二人で待っていた。

 一度帰ったあと、閉店時間を三十分ほど過ぎてから現れたのは店に気を使ったからか、それとも結城さんに気を使ったからか、あるいは両方か。

 とにかく、話はともかを寝かせてから、ということになった。なってしまった。

 そんなこんなで矢野さんを部屋に上げることになった。なんだか妙に緊張する。

 話をするだけ、問題ない。

 寝て起きるだけの部屋だから散らかっているということはない、問題ない。

 異臭なんかしない、と信じたい。

 こんな場違いな思考が働いてしまうのは、このあと聞くことになる話に緊張しているからか。単純に愚か者だからか。

 ……話をするだけ、話すだけ。

 誓いというか、自己暗示をかけながら歩くこと数分。

 

 扉を開けると、ともかは早足でトイレへ向かった。我慢していたらしい。


「……どうぞ、奥へ」


 促すと、矢野さんは一瞥だけして部屋に入った。そのまま靴を脱いで、狭い廊下を真っ直ぐ歩く。

 施錠して、自分も部屋に入る。外は風が強かったからか、少し暖かく感じた。


「なにしてんの?」


 ともかが入った扉の横で立っていると、不審者を見る目で言われた。


「……いえ、一人では怖いようなので」

「なにが? つかその部屋なに」

「……お手洗い」

「あー、そう」


 言うと、少し大きめの鞄を置いて壁に背を預けた。


「……どうぞ、かけて待っていてください」

「べつに、すぐでしょ?」


 奥の部屋に見える椅子を指して言うと、矢野さんは欠伸混じりに言った。

 扉ひとつ挟んだ場所で、少し重そうな目蓋と長い睫毛をゆらゆらさせながら、髪をくるくる弄っている。

 やがて扉が開いた。ともかは真っ直ぐ浴室に向かうと、ばんざい。


「あれなに?」

「……一人で脱げないようで」


 言って、思わず息を呑んだ。睨まれたような気がした。

 いや、問題ないはずだ。何も悪い事はしてない。堂々としていよう。


「……」


 違う、堂々とするというのは無言でいるということではない。


「はやく」


 催促の声。ともかを見て、矢野さんを見て、斜め下を見る。


「みくがやる。着替え持ってきたし」

「……あっ、よろしくお願いします」


 眠そうなまま鞄を持ち上げた矢野さんに道を開ける。

 あまり気にしていない?

 自意識過剰だったかと緊張を解きかけた時、ともかとの間に入った矢野さんが小さな声で言った。


「いろいろ、聞きたいことがあるから。いろいろ」


 またせたなーと言いながら脱衣所に入った矢野さんが、鋭い目をして振り返り、何かを言いながら扉を閉める。

 声は聞こえなかった。おそらく口の動きだけだったのだろう。

 それでも確かに伝わった。覗いたら殺すと。


「ほーら、まずは一人でやってみ」

「むり」

「いーか、やる前から諦めるやつはロクな大人になれねぇんだぞ」

「なれなくてもいい」

「ついでに友達も出来ねぇぞ」

「それはいや」

「じゃーがんばれ」

「…………んー」

「おー、もーちょいもーちょい」


 扉の向こうから聞こえる声を背に、こそこそと立ち去る。

 部屋の隅で膝を抱えて、心を無にして待つ。

 しばらくして、楽しそうな声と共に、パジャマに着替えた二人が出てきた。

 パジャマに着替えた、二人が出てきた。


「次入れば?」

「……はい」


 何も言うなと目が言っているような気がして、素直に従って立ち上がる。


「いっしょでいいのに」

「いやいや、ダメだから」

「なんで?」

「よーし、少しずつ教えてやるからな。まずは正座しろ」

「ママ?」

「おー、確かにママみたいだったな。でもまだそんな歳じゃないから。みく十代だから」

「パパ?」

「……え、ああ、ええ」


 子供相手だと優しい顔になるんだなと思っていたら、突然パパと呼ばれてしまった。

 何のことか分からなかったけど、とりあえず頷く。

 するとともかは嬉しそうな表情になり、矢野さんの手を取った。

 そのまま此方に向かって反対の手を伸ばす。

 戸惑いながらも手を取ると、笑う。


「じゃあともかは、パパとママの子供」


 一瞬だけ間があって、


「は、ハァ!? こ、こいつととか、ありえねぇから!」


 一瞬前まで眠そうにしていた矢野さんが、焦ったように言う。

 ともかはきょとんとして、


「なんで?」

「なんでって……」


 いつもより化粧が薄いせいか、少しだけ子供っぽく見える矢野さんが、それでも迫力ある表情で此方を見る。


「おいこら、なにぼーっと見てんだよ。さっさと行け」

「……すみません」


 最初からそのつもりなのだが、道を塞がれてしまっている。

 どうしようか。

 ほんの少しだけ考えて、勇気を出して言おうとした途端、ともかが口を挟む。


「ママ、パパのこときらい?」

「その呼び方やめろってばっ……ほんと、ありえねぇし」

「パパは? ママのことすき?」


 少しだけ予想していた問いに、それでもビクリとした。

 いつも通りの表情をしたともかの後ろで、表情を強張らせた矢野さんが、空いた手で髪をくるくるしながら睨んでいる。

 ……どう、答えたら良いのだろう。

 好きか嫌いならもちろん好きだ。ライク。

 ただ矢野さんには嫌われてしまっているようだし、その答えでは怒られてしまうかもしれない。

 いや、そもそもラブではなくライクの話なのだから、さらっと言ってしまった方が良さそうだ。

 時間が経つ程、きっとよくないことになる。


「……はい」


 幾分か緊張しながら、ただ一言そう答えた。

 ともかは納得したように小さく頷き、矢野さんは、何も言わずに目を逸らした。

 よかった、怒られなかった。

 ……妙な沈黙。

 数秒で耐え切れなくなったのか、ともかが口角を上げ、楽しそうに言う。


「ママ、てれてる」

「は、ハァ!? て、照れてねぇし!」

「ふふふ」

「ちょおいこら、なに笑ってんだよ」

「おもしろい」

「いい加減にしろよ……? あと! てめぇはいつまでそこにいんだ!」

「……あの、あまり大きな声は、近所迷惑に」

「うっせーばーか! さっさと風呂入れ!」

「……はい、そうしたいと、思っていますが」


 通れませんと目で必死にアピールする。

 どうやら伝わったのか、矢野さんはサッと道を開けて言う。


「ほら、さっさと行けば?」

「……失礼します」


 ビクビクしながら二人の間を通って、浴室へ向かう。

 なんとか通り抜けた直後、


「ママ、すなおじゃない」

「……ともかぁ!」


 その声に押されたようにして脱衣所に入り、静かに急いで扉を閉める。

 ふーっと長い息を吐く間にも二人の声が聞こえてくる。

 ……居心地が悪い。


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