金髪少女の母親事情(4)
一瞬だけ時間が止まったような気がした。
左手を腰に当て、足を肩幅に開いて、いつもの堂々とした態度で、何か文句ある? という風に、とんでもないことを言われてしまった。
文句というか疑問がとってもたくさんある。あるというか、これまで考えないようにしてきたものが一気に浮上したというか、次々に浮かぶ言葉が自分の中でぶつかりあって声にならない。まとまらない。
「ともか、ひろわれちゃったの?」
不意に低い位置から聞こえた声にハッとする。
「うん。ひろわれちゃった」
「なにそれ! おもしろーい!」
……なんだか深刻に考えていたのがバカバカしくなった。いや確実に深刻な問題なのだけど、この場でうだうだ考えても仕方ない。
あらためて矢野さんを見ると、彼女は子供達に目を向けながら「後で話す」と言った。
果たして子供の前では話し難い程度の内容らしい。ちょっと覚悟しておこう。
「すみません遅くなりっ、わ、わわ――」
とても慌てた様子で更衣室から出てきた結城さんが勢いよく転倒した。うーと唸る彼女に、なんとも言えない視線が集まる。
「……ケガはありませんか?」
「はい……すみません、お客さんが来たのかと思って」
矢野さんの姿を認めると、体を半分だけ起こして恥ずかしそうに言った。
ところで、その姿勢で膝を上げるとスカートも一緒に、いや気付かなかった事にしよう。
可能な限り、だけど不自然にならない程度に目を逸らして、結城さんに手を伸ばす。
「あ、ありがとうございます……」
彼女が手を取ろうと姿勢を変えたことで、見えている面積が広くなった。これはもう結城さんの目を見るしかない。そんなわけで少しでも早く立ち上がってくれることを願うのだけど、結城さんは何故か目を逸らして動きを止めてしまった。
「ああ――っ!」
疑問に思うと同時に、またしても低い位置から大きな声が聞こえた。
矢野さんの妹さんは、小刻みに震える人差し指を結城さんに向けると、何度か口をパクパクした。そのあと少しだけ口角を上げて、矢野さんの元へとことこ駆けていく。
結城さんと一緒に何事かと目で追う。
袖をぐいぐい引かれた矢野さんがやれやれという表情で膝を折ると、妹さんは耳元に顔を近付け、こそこそと何かを言う。
本人は隠しているつもりであろう言葉が、だけどはっきりと聞こえてくれる。
「お姉さまっ、あの人っ、やり手だよっ、やばいよっ」
あの人? という風に矢野さんが結城さんを見た。
「見せパンだよっ、見せパンだよお姉さまっ」
とんでもない言葉が聞こえたような気がした。
残念ながら勘違いではないらしく、まず結城さんが自らのスカートを確認し、バッと両手で押さえた。それを見た矢野さんが、全てを察した様子で此方を睨む。
「へー、なーんか見てると思ったらそーいうことだったんだー」
「……いえ、あの、誤解が、あります」
「へー、どんな?」
確かに見たのは事実だが、決して凝視していたわけではなく、
「……あれは、目を逸らそうと」
「やっぱり見てたんじゃねぇかセクハラ店長!」
「……すみませんっ」
「みくに謝んなし」
「……すみません」
「いえいえ、そんな」
向き直って頭を下げると、結城さんはパタパタと手を振りながら即答した。
少しの間の後に、柔らかい声で言う。
「その、店長さんは、私を起こそうとして、それでその、なんというか、私の不注意だったというか、だからえっと……気にしてません」
やっぱり恥ずかしそうに、それでも笑顔で言う。その優しさに救われつつ、厳しい表情をしたままの矢野さんから目を逸らす。ともかと目が合った。いつも通りの表情で「なに?」と首を傾げる。なんだか和んだ。
しかし、またしても低い位置から聞こえた声が、起爆剤となる。
「お姉さまっ! やばいよっ! あれはポイント高いよ!」
ぐいぐいと袖を引きながら、
「彼氏さん! 取られちゃうよ!!」
……。
「はぁ!?」
「えぇぇぇぇ――っ!?」
思わぬ一言に、大きな反応。
「ややや、矢野さんと店長さんってそういう関係だったんですか!?」
「んなワケねぇだろ誰があんなヤツと!」
「お姉さま! 素直になろうよ!」
「だぁらっ、あっ、ありえねぇし!」
「そんなこと言ってー、いっつもあの人の話ばっかりのくせにー」
「してねぇし! するわけねぇしマジありえねぇし!」
「みゅー、慌ててるお姉さまかわいいっ」
「――っ! みか! いい加減にしねぇと迎えに行かなくなるかんな!」
「あーずるい! それはずるい!」
ギャーギャーと姉妹喧嘩が始まった。喧嘩といっても微笑ましい様子で、なんだか蚊帳の外。
やがて妹さんが結城さんの後ろに隠れ、結城さんが二人の間に挟まれる形になった。
「あのっ、結局、どういう関係なんですか!?」
「どういう関係なんですかー?」
結城さんに続いて妹さんが言う。あの子なんだか楽しそう。
最近の子のイタズラはレベルが高い……。そんな事を考えながらともかを見ると、やっぱりいつもの表情で首を傾げた。大物だ。
「あぁもぅいい加減にしろぉ! そもそも彼氏とかいねぇしっ、作るにしてもあいつとかっ……ありえねぇし!」
一瞬だけ此方を見て直ぐに目を逸らす。
自惚れた考えなど無いつもりだが、こうも直接の否定を受けると胸が痛い。
「お姉さま! そんなこと言ってると、ほんとに嫌われちゃうよ?」
「べっつに、あんなやつにどう思われても……」
「ちょっと矢野さん! さっきから店長さんに失礼じゃないですか?」
「は? なに?」
「うっ、なんか当たり強いですね……」
「嫉妬ですよっ、嫉妬!」
「え? あっ、難しい言葉知ってるね……」
ほんの僅かに生まれた間、それを見計らったようにして
「……はぁ。みか、そろそろ帰るぞ」
「えー、つまんなーい!」
「あーもーうっせー。あいつの顔見てると、なんかイライラすんだよ……」
……。
「矢野さん! 店長さん落ち込んじゃったじゃないですか!」
「しらねーし」
「お姉さま! 流石に酷いと思います!」
「だぁら、しらねーし」
「ひどい」
「ちょ、ともかまで。みくは……」
三人に迫られた矢野さんが珍しく言葉を詰まらせた。
そこに子供達が追い打ちをかける。
「みか、人のこと悪く言うお姉さま、嫌い!」
「よくない」
困ったように子供達を見る矢野さんの表情が本当に新鮮だ。場違いな感想を抱いていると、鋭く睨まれた。一瞬だけ息が止まる。怖い。
「お姉さま、素直になろ?」
「……なに、素直って」
伏し目がちに言った矢野さんのスカートの裾をともかが引っ張る。
「ちょ、こらっ」
「きらい?」
「…………」
グッと口元を引き締めた矢野さんが、じーっと此方を見る。
その姿はともかに似ているようで、全く逆のものだった。
大人として、ここで何を言うべきかはわかっているけれど、口にするのが相当に嫌みたいだ。
やっぱり胸が痛いけれど、ここは、矢野さんの気持ちを優先しようと思う。
「……あの、」
「うっせーばーか!」
ちゃんと言うから黙っていろということらしい。
待つ。
やがて長く小さく息を吸うと、そのまま息を止めた。最後の最後にためらっているらしい。
妙な緊張感が伝わってくる。
そして、
「……………………す」
その声に、子供達が前のめりになった。
「……………すっ」
またしても止まった声に、今度は結城さんが前のめりになる。
「…………」
そして再び息を吸い込んだ矢野さんが、覚悟を決めた。
「……すっごく嫌いってわけじゃない」
ガックリと妹さんが倒れ、結城さんは大きく息を吐いた。
ともかは、よく分からない。
そして――妙な緊張感から解放された代わりに、少しの間だけ呼吸が出来なかった。