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金髪少女の母親事情(1)

矢野未来編――

「……お疲れ様でした」

「おー」


 どこか上の空の矢野さん。

 彼女によって繁盛するようになった火曜日。そのせいで負担が増え、お疲れなのかとも考えたが、仕事をする前からこの様子だ。挨拶をしてから少し時間が経ったけれど、矢野さんはじーっと此方を見たまま動かない。


 何か言いたそうだ。


 待つべきか。

 聞くべきか。


 あちこちに泳ぐ目を見るに、言葉を探しているのだろうか。ならば待つべきだ。それとも髪を弄る手が徐々に速くなるのを見るに、早く声を掛けろとイライラしているのだろうか。ならば早急に声を掛けるべきだ。


 待つべきか……っ! 

 聞くべきか……っ!


「あのさ」


 っ!? 待つのが正解だったらしい。良かった。


「うぇ、なによろこんでんの? キモ」

「……すみません」

「べっつに、いまさらって感じだけど?」


 すっと息を吸って。


「でさセクハラ店長、頼みがあんだけど」


 酷い誤解だけど、先日の事を考えると何も言えないわけで。いや何もなくても言い返したり出来ないけど。

 

「……なんでしょう?」

「聞いてくれる? てか聞いてくれるよね?」


 黙って頷けと目が言っている。

 怖いので要求通り頷くと、矢野さんはほっとしたように息を吐いた。

 だが直後に真剣な表情を作ると、一歩だけ距離を詰めて低い声で言う。


「二言はねぇな?」


 そもそも一言も口にしていないが、お願いを聞いた後で「最初から嫌って言ったよ?」というのは絶対に通じないだろう。

 諦めよう。

 そんな感じで頷くと、矢野さんはにっこりした。


「……あの、お願いというのは?」

「おーい、もういいぞー」


 聞いていなかった。というか、聞いてもらえなかった。

 矢野さんは更衣室の方に声をかけている。誰かいるのだろうか。

 やがてゆっくりとドアが開き、小さな女の子が現れた。

 身長は1メートル前後で、可愛らしい兎のぬいぐるみを抱いている。

 ちらっと此方を見たあと、矢野さんの足元までとてとて駆けた。

 そして隠れるようにして、というか矢野さんに隠れて此方を伺っている。

 なんというか不思議な雰囲気をした子だ。

 生まれてから一度も切っていないんじゃないかというくらい長い髪と、妙に痛んだ兎のせいだろうか。どこか浮世離れした印象を受ける。


「なにじろじろ見てんの? 怯えてんだけど」

「……っ、すみません」


 人見知りというより怯えているようだなと感じていたが、やっぱり怯えていたらしい。

 矢野さんは小さく息を吐くと、女の子に「ほら」と言った。するとその子は矢野さんの前に出て、ペコリと頭を下げた。そしてまた後ろに隠れる。


「……あの、その子は?」


 問うと、矢野さんは女の子を見た。自分で名乗れということだろうか。

 しかし女の子はぷいっと目を逸らしてしまう。

 矢野さんは困ったように息を吐くと、くるくると髪を弄った。

 ここで、先日の話を思い出す。


「……妹さん、でしょうか?」


 六歳になる妹がいるという話を聞いた覚えがある。

 この子がそうなのだろうか? 矢野さんとは似ていないが、六歳くらいに見える。

 いや、矢野さんがメイクを落としたらこんな感じなのだろうか?

 うん。良く見ると……輪郭とか似ている気がする。


「いもうと……妹ね。うん、まぁそんなとこ」


 曖昧な返事に少し違和感を覚えた。

 誕生日ケーキを買いに来た矢野さんからは、大きな愛情を感じた。

 しかし、今は感じる事が出来ない。

 妹ではないのだろうか?

 ならば、適当に返事をしたと考えるのが自然だ。

 なぜ? ……難しい関係なのかな?

 とすると、聞かない方がいいか。うん、聞かないでおこう。


「で、お願い聞いてくれんだよね?」

「……ええ、まぁ」


 お願い。もう後には引けないが、なんだかものすごく嫌な予感がする。


「だってさ。よかったな」


 ここで、矢野さんが初めて笑顔を見せた。女の子に向かって。

 文字通り初めて見る笑顔だった。

 もっと普段から笑ってくれてもいいのに。

 なんて言ったら絶対に怒られるんだろうな。言わないでおこう。


「じゃ、よろしく」


 真顔になって此方を見ると、軽い調子で言った。

 そして真っ直ぐ出入り口に向かう。


「……待ってくださいっ」

「なに?」

「……あの、どういう?」

「だーら。よろしく」


 言って、女の子に目を送る。


「……預かってくれ、ということでしょうか?」

「ん、よろしく」

「……待ってくださいっ」

「なに?」


 ちょっと不機嫌。怖いけど、此方に非は無いはずだ。


「……どういう、ことでしょう?」

「だーら、預かって」

「……せめて、事情だけでも」

「あんたさ、お願い聞くって言ったよね?」


 嫌な予感が見事に……。


「……旅行でも、するのでしょうか?」

「りょこー? あー、まぁ、そんな感じ」


 先程から曖昧な返事が続いている。

 此方としては子供を一人預かるくらいなら問題は無い。

 だけど事情も知らされずにとなれば話が違う。


「なに難しそうな顔してんの? なんか問題ある?」


 考え込んでいると、矢野さんが覗き込むようにして言った。それから目を細めて続ける。


「もしかして、ロリコン? こんな可愛い子を預かるなんて理性が持たないよぉとかそういうこと? キモ」

「……そんなことは」

「でもあんた店のヤツに抱き付かれた時とか困った顔するじゃん」

「……それは」


 本当に困っていたからというか、気付いていたなら助けてほしかったというか。何も言えないというか……。


「とにかく、あんたしか頼れるヤツいねぇの。頼むよ」


 その言葉に、やはり違和感を覚えた。

 他に頼れる人間がいないとはどういうことだろう。

 親や親戚は?

 たとえば家族旅行なら、この子だけを残して行く理由は?

 ……なんだか考えれば考えるほど難しい事情がありそうだ。

 考え方を変えよう。

 あの矢野さんが、物事をハッキリずばずば言う矢野さんが、言葉を濁している。そこにはきっと深い理由がある。

 問題は、そこだ。

 それが良くないこと、悪いこと、極端に言えば「犯罪」の香りを持っているから、はい分かりましたと頷くことが出来ない。

 だが、矢野さんに限ってそんなことがあり得るだろうか?

 答えは思ったよりもすんなり出た。

 

「……分かりました。少しの間なら」

「言ったな? ぜってぇだな?」

「……はい」


 しばらく真剣な表情を続けたあと、ふっと息を吐くと、女の子に目線を合わせて何かを言った。女の子がコクリと小さく頷くと、矢野さんは微笑んで、女の子の頭を撫でた。

 見ていると、なんというか和やかな気持ちになる。思わず頬が緩んでしまいそうだ。


「なに?」


 直ぐに表情を引き締める。


「……いえ、あの、名前が、気になりまして」

「名前? あー、本人に聞いた方がいいんじゃね?」

「……はい」


 いけない、よく分からないまま頷いてしまった。

 なんだか重要な機会を逃した気分だ。


「んじゃ、えっと……よろしく」


 立ち上がると真っすぐ扉に向かい、半分だけ体を傾けて言った。


「……はい。責任を持って、預かります」


 彼女は小さく頷くと、一度だけ女の子に視線を送り、いつも通りの軽い挨拶をしながら外に出た。だけど振り返り際に一瞬だけ見えた表情は、見たこともないくらい真剣だった。

 いったい、この女の子と矢野さんの間にどんな事情があるのだろう。


 なにはともあれ幼い女の子を預かる事になってしまった。

 ……どうしよう。

 矢野さんが帰ったあと、女の子はぬいぐるみで顔を隠し、少しだけ顔を出してはパッと隠れるという事を繰り返している。

 ……どうしよう。

 とりあえず矢野さんに倣って目線を合わせてみる。すると次に顔を出した女の子は、やっぱりパッと隠れて、だけどゆっくりと半分だけ顔を出して、じーっと此方を見た。

 再び矢野さんの言葉を思い出す。


「……お名前は?」

「…………」


 女の子はじーっと此方を見たまま。

 だけど、何かを言いたそうな雰囲気が伝わってくる。

 出来るだけ穏やかな表情を作り、言葉を待つ。

 やがて女の子は、此方にぬいぐるみを差し出して小さな声で言った。


「…………ともか」


 兎の赤い目が、じーっと此方を見ているような気がする。


「……ともか、さん?」


 ぶるぶると兎が左右に震えた。

 違うということだろうか。

 いや聞き間違えてはいないはずだ。

 となると呼び方の問題……?


「……ともか、ちゃん?」


 ぶるぶる。

 ともちゃん、ぶるぶる。ともさん、ぶるぶる。ともかどの、ぶるぶる――


「……ともか」


 悩んだ末に、呼び捨て。

 すると兎はこくりと頷いた。

 正解らしい。

 ともかは腕を引くと、兎の後ろから半分だけ顔を出す。

 そしてまた、じーっと見る。

 

 ……困った。扱い方が分からない。

 とりあえず下手な笑顔を作ってみせると、ともかは小さく頷いた。

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