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結城真帆の刻苦事情(6)


 何かがおかしい。

 妙に視線を感じる。

 咲ちゃんの態度が何処かぎこちない。

 もやもやする日々が続いていた。


「それでは、学園祭についてですが……」


 木曜日、帰りのST

 委員長の犬飼君の声に、一人の男子が挙手して言う。


「あのさ、喫茶店やめね?」

「ちょっと!」


 勢い良く立ち上がった咲ちゃんが睨む。

 私は頭が追いつかなくて、ぼんやりと見ることしか出来ない。

 

 やめるって、どうして?

 

 簡単な一言が出てこない。


「だってさ……分かってんだろ?」

「……関係ないでしょ」

「いやあるだろ。あんなやつが作ったものなんて食いたくねぇよ」


 何かを言い返そうとした咲ちゃんが「そーだそーだ」という声に押し黙る。

 え、どういうこと?

 咲ちゃん? どうしてそんな顔で私を見るの?


「…………あれから自分なりに考えたんだけど、どうしても信じられない」

「なにが?」

「ねぇ結城さん……違うよね? きっと、あたしが何か誤解してるんだよね?」

「えっと、何のこと?」

「だからっ! ……かきまぜたりとか、ぬったりとか……違うよね? そんなことしてないよねっ?」


 え? お菓子作りって、そんなにおかしいことなの?


「そうですね。僕もおかしいと感じていました。どうしても結城さんのイメージと重なりません」


 その言葉にクラスの皆が頷く。

 そうなの? そんなにおかしいの?


「結城さん、どうなんですか?」


 咲ちゃんが緊張した顔をしている。

 それだけじゃない。クラス中から注目されているのが分かる。

 思わずしてないって言いそうになる。

 きっとその一言で、この嫌な空気は消えてなくなるんだと思う。

 それでも、夢を否定するようなことなんて言えない。


「そんなにおかしいかな……?」

「結城さんっ」


 バンと机を叩いた咲ちゃんの瞳は揺れていた。

 そして私にだけ聞こえるよう「空気を読め」と言った。

 ……ちょっと待ってよ。


「私、何もおかしいことしてない」

「そうですね。結城さんは、そんなことしていない」

「そんなことってなに? どうしてそんな言い方するの?」


 分かんない。

 何もおかしくないじゃん。

 すっごくイライラする。


「ちょっと珍しいかもしれない、けどおかしくなんかないもん」


 犬飼君が失望したように息を吐いた。

 咲ちゃんは悲しそうに目を伏せた。

 私の周囲からビリビリとした緊張感が消えた。

 興味が失せた。呆れた。そんな雰囲気が伝わってくる。


「皆やってることじゃん」

「みんなって……」


 咲ちゃんが唖然とした表情になる。

 なんで?

 部活だってあるし、コンクールだってあるんだよ?


「どこもおかしくない。どこがおかしいのか言ってみてよ」

「どこって……結城さん、もうやめよ?」

「やめるって、なにを?」

「この話もそうだけど……貴女のやっていることは普通じゃない」

「普通ってなに。珍しいことは悪いこと?」

「お願いもうやめて。あたしは、結城さんとは友達でいたいの」

「私なら友達のこと応援すると思うけどな」

「出来るわけないじゃん! 応援なんて出来るわけない!」

「……そっか」

「うん。だから、ね。お願いだから……」


 咲ちゃんがゆらゆらと伸ばした手を払いのける。

 チクリと胸が痛んだのは、きっと涙のせいだ。

 私は何も悪くない。

 おかしいのは、私じゃない。


「大嫌い」

「……え?」


 机の横に置いたカバンを持ち上げる。

 立ち上がり、入口を見る。

 途中に居た人達は、黙ったまま目を逸らして私を避けた。


「結城さん、待って……」


 扉を開けて、一瞬だけ止まって、だけど振り返らずに外へ出た。


 

 

 ケンカなんて滅多にしない。

 もしかしたらさっきのが初めてかもしれない。それくらい。

 体中に力が入って、そのときの事が何度も頭の中で繰り返されて、息苦しい。

 私は悪くない。

 咲ちゃんが悪い。

 永遠と繰り返される言葉は、果たして頭の中のものなのか、口に出ているものなのか。

 イライラする。

 いつもより歩くのが速い。脚が痛い。きっと力が入っているせいだ。

 曲がり角で一時停止を守らずに現れた車に舌打ちしそうになった。

 信号で止められると、手や足に入った力が行き場を失って、叫びそうになった。

 気が付けば家にいた。

 手を洗って、うがいをして、少しの間ぼーっとして……。

 仲裁に入った人が「頭を冷やせ」と言う理由が、なんとなく分かった。

 

 なんであんなこと言っちゃったんだろう。

 なんで咲ちゃんを悪者にしてるんだろう。

 なんで、泣いていたんだろう。

 違う。私の為に泣いてくれたんだ。

 どうして?

 どうしてもっとちゃんと話をしなかったんだろう。

 これからどんな顔して会えばいいんだろう。


 多分、これが頭が冷えたということなんだと思う。


 何度も繰り返される映像。

 むしゃくしゃした気持ちは消えないけど、それ以上に後悔が強くなる。


「……あ、バイト、いかなきゃ」


 正直、行きたくない。

 でも同じくらい、行きたい。

 店長さんに話を聞いてもらいたい。

 正反対の気持ちが心の中でぐちゃぐちゃになって、気持ち悪い。

 



――HisSide


 結城さんの様子がおかしい

 

 彼女が店に来てから一時間が経ったのに、まだ挨拶以外の声を聞いていない。

 怒っているようにも、落ち込んでいるようにも見える。

 聞くまでもなく何かあったと分かる。


 事情を聞くべきだろうか。

 そっとしておくべきだろうか。


 さらに三十分くらい悩んで、とりあえず声を掛ける事に決めた。 

 返事があったのなら、黙って話を聞こう。

 返事がなければ、何か話をしよう。

 いつもの結城さんのように、この場を明るくしよう。


――HerSide


「……何か、ありましたか?」


 ……どうしよう。話を聞いてほしいのに、聞いてほしくない。


 ずっと黙っていたら誰だって心配になる。

 店長さんは私の事を心配して、声を掛けてくれた。

 なのに、返事が出来ない。

 いつもみたいに、ごめんなさいって謝る事も出来ない。

 ……簡単な一言すら、言えない。


「今日は、素敵な日でした」


 思わず見上げる。

 滲んだ横顔が見えた。

 ちょっとだけ遅れて、自分の涙のせいだと気付いた。

 袖で拭うと、前を見たままの店長さんの口元が少しだけ緩んでいるのが分かった。


「お客さんがいないとき、いつも外を見ています。三時頃になると小学生の元気な声が聞こえて、楽しそうな様子が見られます。でも今日は、少し違いました」


 何の話だろう。


「一人の女の子が、ちらちらとこっちを見ていました。行ったり来たり……何度か深呼吸をして、ようやく店に入ってきました。そして大きな声で、どうやったらケーキ屋さんになれますか」


 ……かわいいな、その子。

 でも店長さん、どうして今そんな話を?


「ついさっき母親が迎えに来るまで、話をしていました」


 話し続ける店長さんから、とても楽しそうな雰囲気が伝わってくる。


「このまま店を続けられたら、あの子もいつか、結城さんのようになるのでしょうか」

「……わたし?」

「はい。この店に、夢を持った人が集まってくれれば、とても嬉しく思います」


 ……そうだ、私は、パティシエになりたい。

 夢がある。

 そのためにここでバイトをしている。

 だけど……。


「……これって、おかしいですか?」

「これ、とは?」

「……お菓子作りです」


 店長さんは難しそうに唸った。

 いきなりだったかな。

 ……あれ?


「それは、ギャグでしょうか? おかし作りだけに、おかしい……と」

「すみません、真面目な話です」

「……申し訳ない」

「今日、友達とケンカしちゃったんです……」

「……ケンカ、ですか」

「はい。私が店長さんのところでバイトしていること、みんなおかしいって言って……それで、かっとなって、友達に酷いこと言っちゃって……」


 なんで?

 いつのまにか、相談してる。


「どうしたらいいのかなって……ぜったい、嫌われちゃったなって……謝りたいけど、どんな顔して会えばいいのかなって……」


 途中で目が痛くなって、声が震えた。

 ちゃんと言えたのかな? 分からない。

 どんどん涙が溢れてくる。

 言葉が溢れ出てくる。


「ううん、違う。ほんとは謝りたくなんかないんです……だって、そんなことって言われたんだよ……そんなの、怒るよ。許せないよっ。あっちが謝ってよ!」


 言い切って、手前のショーケースに手をついた。

 言葉は止まった。

 でも涙が止まらない。


 ふと、頬に何かが触れた。

 ハンカチだった。

 それを受け取って、顔を覆う。

 そしたら、また涙が溢れてきた。


 きっと店長さんからしたら、わけの分からない話だ。

 それでも、優しくしてくれる。

 それが嬉しくて、苦しかった。


「……ごめんなさい……ごめんなさいっ」


 どれくらい、そうしていただろう。

 私の嗚咽が止んだ頃、店長さんが静かに言った。


「その友達とは、ちゃんと話をしましたか?」

「……してません」

「なら、ちゃんと話をしてみましょう」

「…………」

「自分が本気でパティシエになりたいと、はっきり伝えましょう」


 首を横に振る。


「何も解決しないかもしれない。もっと関係が悪くなるかもしれない」


 頷く。


「だけど結城さん。一番怖いのは、伝えないことです」

「……つたえない、こと?」

「はい。一生懸命作ったケーキを食べてもらえないのは、とても辛い。でも、食べてもらえたのなら、たとえ不味いと言われようと……嬉しいものです」

「……はい」


 涙を拭いて、鼻をすすって、店長さんの目を真っ直ぐ見る。


「私、頑張って伝えてみます。ありがとうございました、もう大丈夫です」

「いえ、まだ足りません」

「え?」

「まだ、笑顔になっていません」


 店長さんは、お店の出入り口に何か紙を貼ると、施錠をしてから戻ってきた。

 そして、微笑んで言う。


「また一緒に、ケーキを作りませんか?」


 一瞬、時間が止まったような気がした。

 感じた事のない、温かい気持ちになった。


 元気付けてくれてる。

 あの時と同じ。

 だったら、私も。


「そんなの、すっごく元気になっちゃいます」


 声は掠れちゃった。

 顔は笑っていたかな。

 笑顔で、言えたかな?

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