夢見る乙女の作家事情(後)
ふとした時に考える。
あの時あなたに出会わなかったら、どうなっていたのだろう。
「ほらこっち、もうちょっとだからね」
私の腕を引く男の人は、今日初めて出会った人だ。
名前は知らない。
夜の街を一人で歩いていた。
ただふらふらと、目的なんて無い。
夜な夜な家を出ては、ふらふら。
そんなある日、声をかけられた。
一目で怪しい人だなって思った。
だけど抵抗しなかったのは、どうなっても良かったから。
だんだん人目が少なくなっていく。
違う、この人がそういう道を選んでいる。
滅多に人が通らない路地に入った。
奥へ奥へと進み、やがて行き止まりになった。
あれ? 直ぐに襲われちゃうのかなと思ったのに、なかなか近付いてこない。
こん、と背中が何かにぶつかった。
壁だ。
次の瞬間から彼が近付き始める。
そっか、逃げちゃってたんだ。
何で逃げたんだろう。
べつに、どうなってもいいのに。
「……助けて」
あれ? 誰の声?
なんだか頬が冷たい。
泣いてるの? どうして?
疑問があった。
考えようとは思わなかった。
このまま全部壊してくれればいいなと思った。
そんなとき、彼が現れた。
彼は何も言わずに間に入ると、そのまま私の手を引いた。
「おい、なんだよおまえ!」
怒鳴り声をあげる男が彼の肩を引いた。
振り返った彼の鋭い目が男を射抜く。
たったそれだけで、男は何も言えなくなってしまった。
広い道に出ると彼は手を放した。
私は急に力が抜けて、その場にへたりこんでしまう。
「……大丈夫ですか?」
初めて彼の声を聞いた。
少し低めの声は、弱々しく震えているように感じた。
「ありがとうございます……」
差し伸べられた手を取って驚いた。とても震えていたから。
「怯えているの?」
立ち上がりながら聞くと、彼は困ったように笑った。
「どうして助けてくれたの?」
「……助けてと、聞こえたので」
偶然通りかかった彼は私が路地に入るところを見た。
私の表情が気になり、こっそり後を追ったそうだ。
相当おかしな表情をしていたのだろう。
「……何か、あったのですか?」
たった一言。
なのに、私の口からは雪崩のように言葉が溢れ出た。
それは緊張が解れたせいか、他の理由があったのかは分からない。
とにかく、全てを話してしまった。
彼にとっては意味不明な内容だったに違いない。
それでも彼は黙って耳を傾け、ようやく話し終えた私に向かって、こう言った。
「結婚しよう」
「……はい?」
――これは、プロポーズから始まる物語。
~霧の向こうでベルが鳴る~
絶賛執筆中!
キャーっ!
キャーキャーっ!
書けちゃった書けちゃったーっ!
これよこれ! これこそ私とてんてんの前奏詩だよ!
てんてんがこれ読んだらどう思うかな?
……
キャーっ!
だめだめそんなの! 絶対見せられないっ!
……ハッ!?
もしかしてこれがラブレターを書いた女の子の気持ち?
キャーっ!
やだ、わたし、もうっ……
「てんてん大好きぃぃぃぃぃぃいいいいいいいい!」
抑えきれなくなった気持ちが弾けて部屋中を跳び回って私を包む。
幸せな気持ちに満たされていく。
この気持ちは、てんてんがくれたもの。
この気持ちは、私が生み出したもの。
まるで二人の子供だねっ!
あはっ、やっぱり?
ダメダメまだ早いよぅ!
「うへへへぇ、幸せっ」
私達の物語は、まだ始まったばかり。
ここから先は自分で書き上げるんだ。
どんな物語がいいかな、どんな物語にしようかな。
んん~っ!
恋って素敵。
考えているだけで幸せな気持ちになれちゃう。
「……早く会いたいな」
抱きしめた枕をもっと強くぎゅっと抱きしめる。
そこに顔を埋めて目を閉じた。
きっと今日はいい夢が見られる。
きっと明日もいい夢が見られる。
その次も、次の次も――
広い部屋に一人。
震えるほど強く枕を抱きしめながら願い続けた。
きっといい夢が見られますように。