夢見る乙女の作家事情(前)
夜の街。
喧騒に支配された昼間とは一転して、微かな足音すら聞こえる時間になった。
もしかしたら私の鼓動が彼に聞こえているかもしれない。
そう考えると胸の奥から何かが湧き上がってくる。
それが喉に詰まって、どんどん息が苦しくなっていく。
ひたすら前を見ていた。
目を合わせられなかった。
「……どうかした?」
彼が心配そうに言った。
私の緊張が伝わっちゃったのかな。
「ううん、なんでもない」
少し声が高くなったけど、なんとか裏返らなくてよかった。
それから声を出したおかげで、ちょっとだけ緊張が解れた。
今なら、上手く話せるかもしれない。
彼に気付かれないよう息を整える。
「あのっ――ごめんなさい、どうしたの?」
「……こっちこそごめん。なんだった?」
「ううん、なんでもない」
ああもう私のバカっ! タイミング悪すぎだよっ!
って、ダメ! ここで黙ったら、またっ。
「何を言おうとしたの?」
「……大したことじゃないんだけど、そうだな…もう、一年も経つんだなって」
「……そうだね」
あれからもうそんなに経つんだ。
「……いろんなことが、あったな」
「うん、そうだね」
本当に、いろいろな事があった。
たとえば――
………………ボツ。
「あああああもうダメ! 進まないいいぃぃぃ!」
ばんばんキーボードを叩くと:え:あr::えお:b:文字化けしたみたいになった。
Ctrl+Zで元に戻して、うーんと腕を組む。
考えてみたら、てんてんとの思い出が全然ない。
起も承も転も飛ばして結から始まった感じ。だっていきなり修羅場でプロポーズだったんだもん。キャーっ!
しかも結から始まるってなんだかいやらしっあああああダメ! ノーマルで健全な話にするんだからっ!
と意気込んで数時間経つけれど、まったく話が進まない。
スタンダードに運命の出会いから始めてみたら、なんだか主人公がてんてんにならなくてボツ。
だからと突然の修羅場から始まる方向性にしたら、なんだか出落ちみたいになってボツ。
ならばと回想から始めたら、回想が浮かばず今に至る。
「今さらだけど、てんてんの事あんまり知らない……」
好きなものはなんだろ……私だよね。
好きな食べ物は? ……私かな。
好きな女性のタイプは? ……私でしょ。
やだもう!
「相思相愛っ! キャーっ!」
じたばた。
はぁ。
さっきから同じことの繰り返し。
「ねぇ、どうすればいいと思う?」
抱きしめた枕に貼った顔写真は返事をしない。
そっか、自分で考えなさいってことか。
うーん、てんてんへの愛の言葉ならどんどん浮かんでくるのになぁ。
あそっか! まずは詩を書いてみよう!
そこからストーリーの大筋を決めて、細かい所を肉付けして……うんっ、そうしよう。
詩かぁ、よぅし、てんてんへの好きを沢山詰め込んじゃうぞ!
恋が始まったのは甘いお菓子の匂いがする場所
弱気な彼が私の為に狼を追い払う
そして真っ直ぐな目で言ったよ結婚しよう
その言葉が私の心を掴んで離さない
会えると嬉しい
会えない時は寂しい
だけどぽっかり空いた胸の隙間にいつも彼がいる
こんな気持ち初めてなの
高鳴るこの想いときめき止められない
画面に綴る愛の言葉があの人に届いたらいいな
うん、こんな感じかな。
これを土台に……
ええっと、まずは接続詞を消して……
それからリズムと抑揚を付けて……
あ、ここはこうしちゃおう……
よしっ、出来た!