洋菓子店の経営事情(4-3)
翌日。
「……眠い」
まさかあんな遅くまで話し合いが続くなんて思わなかった。
今ならバイトをバックレる人の気持ちが分かるかも。
……でも、ムリだよなぁ。
だって誘ったのは真帆で、オッケーしたのは私なんだもん。
バックレたら真帆に迷惑がかかっちゃう。
と、分かってはいるんだけど……。
「……はぁ、ドアが重たく感じる」
更衣室のドアに手をかけて、溜息。
「ダメダメっ、モチベ上げないとっ」
そう、こんな時の為の魔法の言葉がある。
「十万円! ――おはようございます!」
十時半ピッタリ。
またしても、着替え中の華さんと目が合った。
「華さんなにその下着すご――」
今日も、お客さんがいっぱい。
お客さんと話をして、注文を取って、キッカさんから受け取ったお菓子を届けて、またお話しする。
その繰り返し。
「へぇ、同じ学校なんだ」
「はい! 学校では咲ちゃんといつも一緒なんですよ!」
「そうなんだ。じゃあ咲ちゃんも私の妹だねっ、ほぉら、希お姉ちゃんだよぉ」
「の、のぞみお姉ちゃん……」
「あはは、咲ちゃんはシャイだね」
「でもでも、咲ちゃんは舞台の上だとすごいんですよ!」
「舞台?」
お客さんと話すといっても、基本的に真帆の後にくっついているだけ。
人前で話すのとか平気だと思ってたけど、そんなことなかったみたい。
……それにしても。
「へぇそうなんだ。演劇かぁ~」
「はい! しかもっ、主役なんですよ!」
「おぉ! ジュリエットだね!」
ほんと、楽しそう。
真帆も、お客さんも。
……あと、高校演劇でロミジュリなんてやらないよ……。
そんなこんなで、今日も微妙なテンションのまま休憩時間になった。
「おっつー」
「お疲れ様です」
今日は矢野さんと一緒に休憩。
……うん、華さんとは別の意味で緊張する。
矢野さんは意外に綺麗な姿勢で座って、そのまま目を閉じた。
座ったまま寝るっぽい。
……やる事無いし、私も寝よ。
「咲にゃんはさ、バイト中なに考えてる?」
「……えっ、あ、えっと……」
ビックリした。
なに考えてるって……。
「みくは、こいつらバカだなぁって思いながらバイトしてる」
「……そう、なんですか?」
良く言えば正直な人なのかなぁ?
でもそれでお客さんは怒らないんだから凄いよなぁ。
「ん。で、気付いたら名前覚えてる」
「……はぁ」
何の話なんだろう。
「そんな感じで知ってる顔が増えて、したら、たるかったバイトが、けっこう楽になってた」
矢野さんは、まだ目を閉じたまま。
独り言のように、私に言う。
「咲にゃんも知り合い作ったら?」
「……頑張ってみます」
べつに、楽したいわけじゃない。
「ん。じゃあみく寝るから」
「……はい、おやすみなさい」
……ええと、結局、何が言いたかったんだろ。
一時間後。
矢野さんと入れ替わりで真帆が戻って来た。
「咲ちゃん! ケーキ! ケーキだよケーキ!」
「なになにっ? ケーキ?」
「まかないだよ! 初めてだよ!」
寝耳に真帆。
突然のハイテンションに驚きながら起き上がると、いちごのショートケーキが二個。
真帆は、お皿を机に乗せるとキラッキラした目で私にスプーンを差し出した。
「ありがと」
そういえば、昨日は何も食べてなかったっけ。
……矢野さんは何か食べたのかな?
「いっただきま~す!」
真帆はぴょこんと私の前に座って、小さなスプーンでケーキを取り、パクリ。
「ん~~♪ やっぱり店長さんのケーキは世界一です」
両手を頬に添えてクネクネ。
そんなに美味しいのかな?
前に一度食べたけど、普通に美味しいくらいだった気がする。
「咲ちゃんも食べて食べて」
「うん。頂きます」
すっごいキラキラした目で見られてる。
これ感想とか言わなきゃダメな空気だ。
……いいでしょう。
ここらで演劇部の本気、見せてあげる。
パクリ。まずはゆっくり咀嚼して……んん!?
「なにこれっ、おいしい!」
「だよね!」
「なにこれなにこれ! いつももらえるの!?」
「ううん、今日が初めてだよ!」
「うっそ私マジラッキーじゃん!」
「やったね!」
真帆が私に両手を伸ばす。
「やったよ!」
ガシっ。
「「わーい! わーい!」」
ちょっとテンチョンが上がった私と真帆は、そのテンションのまま華さんと交代でホールに戻った。
相変わらず満席で、とっても賑やか。
「午後も頑張ろうね!」
「うんっ」
明らかにお客さんに聞こえる声だけど、いいのかな。
そう思っている私を置いて、真帆は接客を始めた。
一方で、私は何をしようかとキョロキョロ。
……時給分は働かないと。
「あら、咲ちゃんじゃない」
うげっ、知り合い?
と思ったら……えっと、ゆきさんだっけ?
今日も来てたんだ。
「こんにちは。常連さんなんですか?」
「うん。来られる日は毎日来てるよ」
「へー」
「あー興味無さそう。ゆきねぇショック」
「いやいや、来てくれて嬉しいですよ!」
「ほんとにぃ?」
「もちろんっ、明日も来てほしいくらいです」
「なんか言わされてる~」
「……」
めんっどくさい。
しかも、なにその楽しそうな笑顔。
「あ、咲ちゃん怒っちゃった。ゆきねぇ悲しい」
「いえいえ、全然そんなことないです」
やばい、何かフォローしないと、えっと……。
「ふふふ、ちょっと意地悪だったかな?」
「いえいえ、私は、べつに」
「ごめんね。新人いじり、結構好きなの。そのせいか、会社では後輩と上手く行かなくて……」
分かってるなら止めればいいじゃん。
「ね、どうすればいいと思う?」
ナチュラルに愚痴と悩み相談が始まっちゃった。
どうするって、止めるしかないでしょ。
「あ、止めるのは無しだよ? 生きがいだから」
なにそれ。
ええっと、どう答えよう……。
そうだ、たしか県大会に似たような話があったぞ。
「……たぶん、愛が足りないんだと思います」
思い切って、言ってみた。
ゆきさんはポカンとした表情で瞬きを繰り返した後、ふっと笑った。
私はピンと人差し指を立てた格好で固まる。
なにこれすっごい恥ずかしい。
「ごめんね、今みたいな返事は初めてだったから」
いろんな人に聞いてるってこと?
「ね、どうしてそう思うの?」
「ええと、この前見た芝居に似たような話がありまして」
「お芝居?」
「はい。よくある、男の子が好きな子にちょっかいをかけちゃうって話だったんですけど、やっぱり、その男の子は嫌われちゃうんです」
「うんうん」
「それは、愛が足りなかったからなんです」
「どういうこと?」
おお、なんか興味深々って感じ。
ちょっと話すの楽しいかも。
「その男の子、相手の女の子のこと、そんなに好きじゃなかったんですよ」
「あ~、そういう、ね……」
「いえいえ、多分そうじゃなくて……何が違うかって言われると困るんですけど、とにかくえっと……最初はそうだったんですけどっ、段々本気になって、そしたら相手の気持ちを考えるようになるんです」
……意外に説明が難しい。
我ながらメチャクチャなこと言ってるかも。
「それでその……これは嫌がるかな。これは大丈夫かな。そういう優しさみたいのが女の子に伝わって、最後は両想いになる。そういうお話でした」
「……」
「ええと、だから……愛が足りないんだと思います!」
ちょっと強引だったかな?
なんか、ゆきさんポカーンってしてるし。
「あれです。自分が楽しむことだけ考えてるカップルが直ぐ別れるのと同じです!」
無反応。
「……あ、あはは。何言ってるんでしょうね、私。あははは……」
ごまかすと、ゆきさんは小さく頷きながら目を閉じた。
……つらい。なんか、顔とか、いろいろ熱い。恥ずかしい。
「ありがと」
「……え?」
思わず、二度見した。
「咲ちゃんの言う通りかもね。私、自分が楽しいってことしか考えてない……」
「…………あ、その、えっと」
「だからありがと。ちょっとスッキリした」
「……どうも」
……やば、さっきより恥ずかしいかも。
「ねぇ、君」
「……あっ、はい!」
振り返ると、ヤクザみたいな強面のお兄さんが私を見ていた。
「……な、なんでしょう?」
「面白いね」
「……え?」
「今みたいな話、他には無いの?」
「……あり、ます」
「へぇ、聞かせてよ」
サングラスを外すと、机に肘を乗せて頬杖をついた。
……どうしよ。超怖い。え、あの人が好きそうな話?
「私、さっきみたいな恋愛っぽいのが聞きたい」
わっ、また別の人。
「ぼくはエグイの聞きたいな。なんか、ないの?」
「飯の席でグロとかねぇよ。俺は笑える話が聞きたい」
「私も!」
「知的な話があるのなら、是非」
「ちょっとちょっと、咲ちゃんは私の専属スタッフだよ?」
「はぁ? ふざけたこと言ってんじゃねぇぞババア」
「ちょっ、誰がババアですって!?」
えええええええ!?
どうしよこれ、どうしよっ!?
「あの!」
…………うそ、すっごい注目されてる。
「……」
深呼吸、一回。
「こんな話があります」
必死に、数日前に見た芝居を思い出す。
「主人公は――」
妙に舌が空回りするのを感じながら、話し始めた。
いろんなお客さんが、私のことを見ている。
慣れているはずなのに、すっごく緊張した。
興味深々、そんな顔をしている人。
見ると嬉しくなる。
興味無い、そんな風にケータイをいじり出した人。
見ると悔しい。
悔しいから、ちょっと張り切ってみた。
どんどん集中力が上がっていくのが分かる。
喋りながら、ふと冷静に自分を見ていることに気が付いた。
頭の中は真っ白、でも口は流暢に動いている。
ただぼんやりと、話を聞くお客さん達の顔が見えた。
……そっか、簡単じゃん。
これ、演劇と同じだ。
お客さんの前で、お客さんの喜ぶことをする。
お客さんと一緒に、舞台を盛り上げる。
……でも、少し違う。
舞台に居る時と違って、お客さんの顔がはっきり見える。
舞台に居る時よりも、盛り上がってるのが分かる。
「――めでたし、めでたし」
終わった。
足が浮いているみたいにふわふわする。
ぼんやりと、お客さん達の反応を見る。
少し間があって、
拍手。
小さいけど、とっても大きな拍手。
「あ、ありがとうございます!」
わわ、今日一番恥ずかしい!
でも……一番うれしい!
「いやぁ、主人公が女装した時はどうなるのかと――って、あっ、時間!」
あ、あの男の人、最初にケータイいじってた人だ。
「面白かったよ、また来るから」
男の人は私の前に来ると、早口に言った。
それから小走りでレジに向かう。
私は、その背中をぼんやりと見送った。
「……あ、ありがとうございます!」
十秒くらいして、やっとこの言葉が言えた。