バグ
「今日も収穫なしか」
『なんだか疲れている?』
「ん?そう見えるか?」
ソードタイガーを諦めない颯太は、アジトに少し顔を出してからすぐに古城周回へ出かけていた。
『うん。あんまり無理しないでね?』
「あぁ、大丈夫さ」
レーナに心配されるほど自分の顔に疲労が溜まっている事を知った颯太は笑おうとしたが、何かの気配を感じて振り返る。
「なんだ…?」
空間に裂け目が出来ている。
その裂け目は次第に大きくなり、中からドロリとドロのような液体が落ちてきた。
「…………クレアさん」
颯太はどんどん形状を変えていくドロを凝視しながらクレアに電話をかけた。
『どうした?レアモンスターでも出たか?』
「いえ、それよりも大変な奴に出会ったかもしれません」
『何やらただ事ではないようだな。すぐに向かおう』
「お願いします」
クレアが走り出した音と共に通話が切れ、颯太は相手のHPバーを確認する。
「ブラックのバーが10本か………これはまずいな…レーナ、何か分かるか?」
『…………』
「レーナ?」
耳の奥でノイズが走っている。
「おい、レーナ?」
レーナの反応がない。
「おいおい冗談だろ……?」
颯太の顔が引きつった瞬間、ドロから青黒い閃光が放たれた。
「なんだこれ……」
ぐにゃぐにゃと歪みだした世界に颯太は茫然とそう呟く。
「――――――!?!?!?!?!?」
「うおッ!?」
ドロから突然触手のような茶色い鞭が飛び出して颯太に襲い掛かる。
「なんなんだよこれッ!!!」
オイルが混ざったような虹色の煌めきを持つ触手を叩き斬る。だが、まるで水を斬ったかのように触手はすぐに再生して大剣を呑み込もうとする。
颯太は慌てて剣を引き抜いて後方に下がるが、そこへ槍のように触手が何度も降り注ぐ。
『そ……――――!逃―――――ッ!!!』
「レーナか!?おい!何て言っているんだよ!!!」
ノイズが酷く、レーナの声が全く聞き取れない。
『出口――――――!!!―――って!!』
「はぁ!?と、とにかく逃げればいいんだな!?」
そこでまたレーナとの連絡が取れなくなってしまった。
颯太は舌打ちしながら変形も出来なくなった重い大剣を背負いながら逃げ出した。
「オォォオオォオォオオオオオ――――――!?!?!?!!!!?!?!」
「や、やめろおおお!!」
怨念のような呪いの声に颯太は苦悶の声を上げ、ぐにゃぐにゃとした空間のせいでうまく走れなくなる。
ドスドスと降り注ぐ水滴のような汚水を颯太は躱す。
一瞬だけ振りかえると、あのドロは曲がり角をゆっくりと曲がってきたところだった。
おかしい。全力で走っているのに全然差が開かない。
確かに今の自分は冷静になって走れていない。それを差し引いてもあのドロのスピードと自分のスピードには雲泥の差がある。
だが、差が開かない。
“まるで一定間隔以上の差が開くと自動で差を詰めてくるようではないか”
そう思い至った瞬間颯太はかつてない程の恐怖を感じた。
あれに捕まったら終わりだ。何故か颯太は自然とそう思ってしまう。
そう思わせる何かがあのドロにはある。
レーナもかすかにだが、逃げろと言った。ダメだ、あれに捕まってしまったら終わる。いや、もしかしたら死んでしまうかもしれない。颯太は何度もそう頭の中で繰り返す。
誰でもいい。誰でもいいから冷静になるために話がしたい――――――だが、誰も来ない。
「くそおおおおおお!!!!」
叫びながら降り注ぐドロを颯太は剣を頭上に掲げて回転させながら弾き飛ばす。
何百回も周回した古城の出口がやけに遠く感じられる。
今までは短くて回りやすいな、と思えた古城がまるで同じ道を走らされているかのように続いている。
颯太は再び曲り角を走り抜けて一直線に入った。
「試してみるか…」
震え声でそう呟く。
一直線の瞬間速度は詩織に軍配が上がるが、それでも颯太はギルド一の速さを持つ。
颯太は自分で挙げた仮説が正しいかを確認するためにブーストポーションを飲む。
一定時間ステータスを上昇させるポーションを飲んだ颯太は、地を踏み砕いて走り出した。
玉座から一気に扉まで飛ぶように駆け抜け、ドロの様子を窺うべく曲がり角で身を隠す。
そしてそっと曲がり角から顔を出すと―――――………。
“それ”は目の前にいた。
「うっ―――――!」
まるで喉が潰れたかのように声が出ない。
だが、身体は動く。
ほぼ無意識に颯太はドロの中から飛び出した触手を身体を捻って躱すと再び駆け出した。
「うわあああああああああ!!!!」
ドロから少し離れた瞬間に叫びを拘束していた口から息が一気に溢れ、颯太はあらん限りの叫び声を上げた。
「もうなんなんだよ!!!なんで俺がこんな目に!!」
自分のこの理不尽な状況さに嘆く颯太だが、事態は良くなるどころか悪くなる一方だ。
ログアウトも出来ないし、クレアも助けに来てくれない。
「お、落ち着け!落ち着くんだ!」
頭の中ではなく、声に出して荒ぶる気持ちと恐怖で押し潰されそうな心を落ち着かせる。
『に、逃げ――――――!!!!颯太!』
「あ、あぁああ…ッ!あぁ!に、逃げるよ!」
たまに頭の中で響くレーナの声に颯太は救われる。
“だけど、自分は一体いつまで逃げればいいのだろうか?”
「くそッ!!なんだこれは!!」
クレアは颯太の援護に向かうべくパーティーに参加したものの、ワープゲートに何故か弾かれてフィールドに入れないでいた。
「これじゃ颯太の場所にいけないではないかッ!」
頭が沸騰しかかっている事に気付いたクレアは一体息を吐きだして気持ちを落ち着かせる。
「入れない事は分かった。恐らくこれは運営も予測していなかった非常事態。しかし、颯太はログアウト出来ないのか?」
先ほどからFDで颯太宛てにメールを送っているが、何故かメールが届かず帰ってくる始末。
たとえどんなに電波が悪いところでもメールが送れない事がなかったあのFDがダメなのだ。きっと颯太もログアウト出来ない状況に陥っているのだろう。
「何かないのか………颯太を助ける方法は…!考えろ……考えるんだ…!」
クレアは考えを頭に巡らせた。
颯太を救う手段を。
そしてクレアは颯太とレーナの会話を思い出す。
それは颯太の兄がレーナのカードに触れて強制ログアウトしたあの大会後の話しを。
クレアは香織に電話をかけた。
「早く出ろ……!」
『どうかしましたか?』
「香織!!今すぐ颯太の家に迎え!!そしてレーナの媒体であるカードに触れるんだ!!早く!!」
『え?ええ?あのどういう―――』
「いいから行けッ!!!竜也でも何でもいい!とにかく颯太の家に行け!!私は颯太の家が分からない!!彼の家を知っているのは君しかいないんだ!!」
『は、はい!!兄さん!!バイクを出してください!!』
『俺は原付しか持ってねえっつうの!』
クレアは周りの目も気にせず叫んだ。
「頼んだぞ、香織…!」
「クレアさん!」
「ティアか!」
それから数十秒後、血相を変えた詩織がクレアのもとにやってきた。
「あの、どういう事ですか!?颯太が危ないって!」
クレアはワープゲートを睨めつけたまま詩織に状況を説明した。
「そんな事が………」
「私たちはもし颯太が戻ってきた時のために備えておくぞ。今颯太の家に香織と竜也が向かっている」
「お願い……無事でいて…」
「兄さん!もっとスピードでないの!?」
「夜道は危ないんだ!これ以上スピード出せるかよ!」
バイク、ではなく車を走らせている竜也は香織に急かされる。
「くそ!一体どういう事だよ!ランゲージバトルは安全なゲームじゃなかったのかよ!?」
「私だって知らないわ!いきなりクレアさんに颯太くんの家に向かえ言うんだもの!」
「また赤信号か!こっちは急いでいるんだよ!」
「兄さん…」
「分かっている!次の曲がり角を左だな!?お前はちゃんと俺のナビをしていろ!」
「ええ!分かったわ!」
『待ってて!颯太くんッ!』
青になった瞬間に急発進した車は颯太の家へと向かっていた。
「いつになったら出口につくんだ……なぁレーナ…」
『………ザザザ――――!!!』
「………」
颯太の気力も限界に近づいてきた。
唯一彼の逃げる気力を保たせていたレーナの声も次第に聞こえなくなり始め、あのドロとの鬼ごっこも終わりを迎えようとしている。
「竜也、詩織、クレアさん、香織さん……」
『――――うたっ!あのドロ――――運営の……!!』
「レーナか!?」
『だから――――!もうすこ……――――耐えて!今――――ア達が―――頑張ってる』
「あ、あぁ!分かった!クレアさん達が頑張ってくれているんだな!?」
レーナの声が颯太に活力を生み出させる。
『うん―――――わた―も頑張る―――!』
「レーナ……俺も頑張る」
颯太は仲間を持ったことに深く感謝をすると、あれほど重かった足取りが今では軽く感じるほど軽やかに走り出した。
「ここよ!」
「行って来い!俺は車をそこらへんに止めてくる!」
香織は颯太の家に着くなり、車から飛び出した。
「すみません!!」
インターホンを押し、失礼だが相手を待たずに扉に手をかけて中へ入る。
幸い鍵はかかっておらず、中に入るとポカーンとした表情で颯太の父親が香織を見ていた。
「颯太くんのお部屋はどこですか!?」
「お?おお?に、2階だが」
「ありがとうございます!」
香織は靴を脱ぎ捨てると勢いよく階段を昇り、颯太の部屋に飛び込んだ。
「颯太くん!起きて!!!」
眠っている颯太の胸に置かれたカードを強く握りしめた。
「うおッ!?」
あと一歩踏み出していたらドロを踏みつけるところだった颯太は、目を見開いてドロを飛び越える。
『来た―――!やっぱりクレアは覚えていたんだッ!』
「もういいか!?もう出られるんだな!?」
『うんッ!強制ログアウトまで3――2――1――――!!!』
その瞬間、颯太は得体のしれないドロを見た。
何故かそのドロは颯太に助けを求めているように見えたのであった。
視界がクリアになっていく。
颯太は目を開けると、そこは見慣れた自分の部屋の天井だった。
「俺……帰って来たのか…」
「颯太くんっ!」
「うお!?香織さん!?」
「ホント心配したのよ!?クレアさんが私に連絡してきてそれから――――もうホント心配したんだから!」
言葉が出てこない香織は涙を流しながら颯太に抱き付いた。
「………………香織さん、ありがとう。俺、あのままだったらドロに呑み込まれていた」
颯太も香織を抱きしめ返すと、自分はちゃんと現実世界に帰って来たのだという実感がわいてきた。
「何があったの?」
「分からない。今日もソードタイガーのレアモンスターに会うために古城を周回していたら突然空間が裂けて……そこからなんか泥水にガソリンを混ぜたような気持ち悪い液体が出て来たんだ…」
「あれはバグだね」
颯太と香織が抱き合っているのにお咎めしないレーナは難しい顔をしてそう言った。
「バグ?レーナさんは何か知っているの?」
「詳しくは知らないよ。でも、あれは………」
「あれは…?なんだよ」
「………」
「おいレーナ」
「ごめん、ちょっと考え事してくる」
レーナはそのまま部屋を出て行ってしまった。
レーナが出て行った事で静けさが戻った部屋で、二人はようやくお互い抱き合っている事に気付いた。
「あ…っ!す、すまん!」
「え?あ、ううん……別にいいの。それに颯太くん、まだ震えているわ」
「あ、あれ…?なんで俺こんなに震えて…」
痙攣したように小刻みに震える颯太を香織は優しく抱きしめた。
「もう大丈夫よ……もう怖くない」
「あの………香織さん」
「なぁに?」
「少しみっともない姿晒す」
「いいよ」
すると颯太は声を押し殺しながら『怖かった、怖かった』と言葉を繰り返しながら泣き始めた。
そして香織は彼の背中を優しく撫でながら泣き止むまで抱きしめ続けた。
「下が騒がしいな―――おっと」
何やら騒がしい事に気付いた和彦が部屋から出てきて颯太の部屋に入ろうとして足を止める。
「女に興味がないような顔をしてあんな可愛い子を捕まえていたのか。颯太も隅に置けないな」
和彦は弟の成長を嬉しく思いながら、開いた扉をそっと閉める。
「あ、こんばんはっす」
「おや、君は?」
下に降りようとしたところで竜也が2階に上がって来た。
竜也は和彦に頭を下げる。
「俺は道草竜也って言います。颯太の友達です」
「なるほど。俺は颯太の兄の和彦だ。今は悪いが、颯太は絶賛お楽しみ中だ」
「お、香織の奴もやるな。んじゃ、俺は邪魔か」
「ん?颯太の部屋にいる女の子を知っているのか?」
「まぁ、知っているのも何もあれは俺の妹っすから」
「そう言う事か。それじゃ俺の部屋に案内しよう」
「お邪魔します」
竜也は和彦の部屋に招かれた。
なんだかんだ和彦とは初対面だったが、もっとゆっくりした状況で会いたかった。
しかし、状況が状況ということで、今はそんな事よりも颯太が無事帰って来た事を素直に喜ぶべきなのだろう、と竜也はそう考えた。
「ティア、私達も帰ろう」
「あ、無事だったんですね!」
「あぁ、香織が颯太を強制ログアウトさせたそうだ」
城で待機していたクレアと詩織はやっと肩の力を抜く事が出来た。
「でもこうなってしまえば2人には…」
「そうだな。今度3人で集まる予定だったのだが、そこに竜也と香織を加えよう。もう隠し事を出来るような状況ではなくなった」
「クレアさんはこれを運営の仕業だと?」
「いや、そこまで考えてはいないが、ただのバグではないはずだ。そこを踏まえて後日颯太から詳しい話を聞きつつ香織と竜也にも説明するとしよう」
「神器達は?」
「無論同席だ。運営に見られようが構わん」
「案外クレアさんも大胆なんですね」
「いつも慎重に動いているわけではないぞ。時には大胆に、だ」
クレアと詩織はそんな談笑をしながらアジトへ戻って行った。
人物紹介はまた今度です。この章が終わりどきらへんにもう一度登場人物を軽くまとめたものを作りたいと思います。
さてと、なんだか最近腰が痛くてたまらんです。
ずっと座っているとどうも腰が痛くなって、そのままベッドにダイブすると腰の痛みがすーっと引いていくんですよね。
こういうのって整骨院行った方がいいんですかね?まぁ恐らく猫背のせいもあるかと思いますけど。




