天風先生
「帰るか」
「颯太くん、これからバイト行くんだって?」
「竜也に聞いたのか」
鞄に教科書を入れている颯太の下へ香織がやってきた。
「ええ、何でも小学生の家庭教師だとか。頑張ってね」
「あぁ、緊張するが、ちゃんと教えてくるさ」
「何かあったら何でも相談してね」
「その時は頼る。俺より教え方がうまいからな。香織さんは」
「そ、そんなことないわよ…」
「遅れるから、じゃあな」
「あ、うん。行ってらっしゃい」
颯太は教科書を鞄にしまうと忙しそうに教室を後にした。
「よし!行くか!」
学校から徒歩で10分の距離に自分のバイト先である家がある。
家自体はそう大きくなく、どこにでもあるような一軒家だ。
颯太は玄関前で気合を入れ直すと、勢いよくインターホンを鳴らした。
『は~い!』
「あ、家庭教師で派遣された天風という者ですが」
『あぁ、もうそんな時間だったのね。少しお待ちください』
それから数十秒後、玄関の扉が開かれる。
自分の母親よりも少し年下に見えるのは当たり前だろう。
まだ若さが残る顔立ちの女性に颯太は一瞬どきりとしたが、気を入れ直す。
「初めまして、天風颯太と言います」
「天風さんの事は既に聞いていますよ。元気そうな男の子で安心しました。何分、こちらは家庭教師を雇うなんて初めてなものでして」
「あはは、俺も家庭教師をやるなんて初めてですよ」
今日は挨拶も兼ねて早めに来たのだが、優しそうな人で安心した颯太だった。
リビングに案内された颯太は、ソファに腰掛けるよう言われる。
「うちの子はまだ学校に行っていまして、もうすぐ帰ってくると思うんですが。天風さんはお茶にしますか?それともコーヒーですか?」
「あ、いえ、お構いなく」
「若いんだから遠慮しなくていいのよ」
「………では、コーヒーで」
「はい」
派遣された家は笹森という家だった。
家族構成は父親、母親、そして一人娘というわけだが、父親の方は単身赴任でなかなか帰ってこない日が多く、素人の颯太の目からしてもこの女性の顔色に疲労が浮かび上がっているのが分かった。
「娘に勉強を教えたいのは山々なのですが、忙しい身でして」
「なるほど」
自分と颯太のコーヒーを運んできた母親は静かに颯太の前にコーヒーカップを置く。
「ごめんなさい、少し愚痴っぽくなってしまいましたね。それで天風さんは、バイトしたお金で何か買う物があるんですか?」
「あ、えっと、妹を遊園地に連れて行こうかなと思っていまして」
「妹さんを遊園地に………―――――いいお兄ちゃんを持ちましたね、妹さんは」
「あはは、そうでもないですよ」
そんな世間話をしていると玄関が開く音共に『ただいま~』という声が聞こえてきた。
「千草~!先生が来ていますよ!挨拶にいらっしゃい!」
ダッダッダ―――!と足音が大きくなり、颯太がリビングの扉に目を向けたと同時に少女と目があった。
真っ赤な長い髪を可愛らしくツインテールにしている少女は、一瞬だけ颯太に目を向けてからそのまま2階に上がって行ってしまった。
「ごめんなさいね……あの子はちょっと人見知りなものでして…」
「あ、いえ……」
『難敵だな……』というのが颯太の感想だった。
普通に挨拶をするのならまだしも、ギロリと一瞥するだけ2階に上がってしまったものだからコミュニケーションのコの字もない。
だがまぁ、これもレーナのためと自分に言い聞かせて颯太は寄せていた眉を戻す。
「それでは早速ですが、お願いしますね。私は買い出しの方もしなくてはいけませんので」
「分かりました」
自分の娘をまだ何も知らない男子高校生と一人残して買い物に行く母親にどういう神経をしているのだ、と思った颯太だが、とにかく今はあの少女とコミュニケーションを取るのが最優先事項だ。
颯太は少女が上がって行った階段を昇り、2階に着くとキョロキョロと少女の部屋を探す。
「あれか」
部屋の扉にウサギとクマの可愛らしい札が下げられており、見つけるのは簡単だった。
「入っていいかな」
『………どうぞ』
「失礼します」
中は年相応の実に女の子らしい部屋だった。
全体的に赤色が主体となってコーディネートされた部屋には、ぬいぐるみがたくさんあり、少女は机の椅子に座ってこちらを見ていた。
「天風颯太っていうんだけど、君の名前は?」
「…………千草」
警戒感ありまくりなのは仕方がないとして、名前が聴けただけでも上出来だろう。
「千草ちゃんか」
「アンタ高校生?」
「…………そうだよ」
経った今名前を教えたばかりだと言うのに『アンタ』呼ばわりした千草に颯太の足が一瞬止まるが、まだ許容範囲だった。
「お母さんからバイトで来るって言っていたけど、私、正直馬鹿じゃないから家庭教師なんていらないんだけど」
「あぁ、君の成績はここに来る前に目を通した。正直俺の出番なんていらないくらいの優秀さだったが、君のお母さんが俺を必要としたんだ。最低限のことはする」
「アンタ頭いいの?」
「いや、良い悪いで言えば悪い方だと思うけど」
「はぁ……」
小学生にため息をつかれた事に一瞬イラっと来た颯太だったが、息を吐きだす事で気を落ち着かせる。
「でも、算数が少し苦手のようだね」
「少し苦手な程度でそこまで悪くない」
「苦手なままにしておくのは一番ダメな事だと思うが?」
口調が段々いつもの口調に戻っている事に気付かない颯太は、用意された椅子を引っ張って千草の隣までやってくる。
「あんまり近寄らないでよ」
「それじゃ教えられないだろうが……」
「別にアンタなんかに教わる事なんて何もない」
「なら苦手な教科とずっと睨めっこしながら勉強が出来るか?」
「そ、それは……」
「出来ないだろ?その苦手意識がやがて少しから嫌いに変わる。だから、良い機会だと思って少しずつでもいいからやって行こう。幸いそこまで成績が悪いわけじゃないんだから、千草ちゃんならすぐ理解出来る」
「ふん」
「そういうのは心の中でしてもらえないか……そう何度も目の前でやられるとこちらも気が滅入ってくる……」
「なら帰れば?」
「このガキ………――――はぁ……いいからやるぞ」
「はいはい」
「宿題とか出されたか?」
「一応先生気取りするんだ」
「………―――出されたのか?」
「はい、これ」
「なら、まずはそれから片づけて行くぞ」
こうして颯太の家庭教師としての日々が幕を上げた。
「30分休憩しよう。余り根詰めると集中力が損なわれて勉強の効率が落ちる」
「は~い。私、トイレ行くけど部屋の私物漁らないでね」
「漁るか!!」
「なに本気になってんの?」
「いいからトイレ行きたかったら行け!」
人を小ばかにした態度が全く気に入らないが、正直千草は頭が良かった。
颯太が説明したところを自分なりに解釈して答えを導きだし、この年齢にして最も効率のいい勉強の仕方を知っているのだ。
勉強を教える前に千草が言っていた事が実現して苦笑い気味になる。
「漁ってない?」
「漁ってねえよ……俺をなんだと思っているんだ…」
戻ってきた千草は真っ先に颯太にそう尋ねて反応を楽しむかのように言うが、颯太は呆れ気味にそう言う。
「正直家庭教師に来る人は女の人だと思っていたんだけど、なんで男なの」
「俺が知るか。派遣されたらここだったんだよ」
「………アンタ、それが素なの?」
「いい加減千草ちゃんのご機嫌を取りながら喋るのが面倒になっただけだ」
「小学生に優しくしようと思わないの?」
「名乗った俺をアンタ呼ばわりする小学生に優しいも何もないだろ」
「何て呼べばいいのよ」
「それくらい自分で決めろ……」
「んじゃ颯太」
「…………年上をいきなり呼び捨てか」
「じゃなかったらアンタ」
「もういい……好きに呼べばいい…」
『可愛くない小学生だな』と颯太は思った。
いや、外見だけ見れば可愛いのだが、中身が全てを台無しにしている。他人に対して高飛車な態度を取るのは最悪だ。
「ねえ、高校ってどんなとこ?」
「どんなとこ?もっと具体的に頼む」
「ん~……何をしているの?颯太は高校で」
「学校に行ってゲームをして、勉強を受けて、昼飯食って、帰るだけだ」
「え?それだけ?」
「何を期待しているんだ?高校なんてそんなもんだぞ」
「颯太はお友達がいないの?カラオケとかそういう所に行かないの?」
「うっ………」
「あら?あらあら?もしかして颯太はお友達がいないのかしら~?」
「う、うるさい!お金を節約しているんだよ!」
そこまで言って颯太ははっとして我に返る。そして千草を見ると、明らかに彼女は笑いを堪えているようだった。
「あぁ、悪かったな!俺はお友達が少ない寂しい男なんだよ!」
「寂しいね~。なら、私がお友達になってあげようか?」
「お前も友達が少ないくせに何を言っている」
「へっ!?」
「図星か」
「い、いるもん!私にもお友達いっぱいいるもん!」
「いや、少ないと見えるね。お前、高飛車な態度を取るせいで友達少ないだろ」
「うっ……うううっ……」
「あっ……おいおい…泣くなよ………俺が悪かったからさ」
突然泣き出してしまった千草に颯太は狼狽えたが、今のは完全に言いすぎだったと自分に非がある事を認める。
歯を食いしばって泣く千草に近寄ると颯太はどうすればいいか一瞬迷ったが、とりあえず頭を撫でることにした。
小学生の頃、やはり颯太にも喧嘩などして泣いたりする場面がいくつもあった。そこで颯太はいつも世話になっていた保健室の先生に頭を撫でて貰ったとき、すごく落ち着いた事を思いだしたのである。
それから10分程度だろうか。
とにかく千草が泣きやむまで頭を撫で続けていた事もあり、落ち着いて来たのか、千草が口を開いた。
「最低………」
「あぁ、悪かったよ」
「颯太最低…」
「悪かった」
「颯太変態」
「あぁ、俺が―――ってなんだよ!」
「あははは!ノリツッコミなんて今どき流行らないよ」
顔を上げた千草は笑っていた。
笑えば可愛いのに、何て思ったが、それこそ言ったら変態扱いされてしまう。
「落ち着いたか?」
「うん……颯太こそ、小学生の頭撫でられて嬉しかった?」
「減らず口を…………心配して損した」
颯太は千草の机に置いていた参考書を手に取る。
「ほら、勉強を再開するぞ」
「は~い」
最初の人見知りは何だったのかと思うほど千草は、颯太に心を開いていた。
小学生というのは最初こそ疑いもするけれど、すぐ打ち解けるものなのだなと颯太は勝手に決めつけて千草に勉強を教えていた。
だが、人を小ばかにするのと高飛車な態度は一向に改めようとしないようだが。
「今日はここまでだ。大分復習出来たんじゃないか?」
「私の頭がいいからよ」
「はいはい、千草ちゃんの頭が天才ですねっと」
「なにそれ、馬鹿にしているの?」
「どうだかな」
「酷い高校生ね。それで、次はいつ来るの?」
「来週の火曜日だ。次は国語だが、俺が出した算数の宿題もやっておくんだぞ」
「こんなの朝飯前よ」
「簡単なおさらいだし、余り千草ちゃんの時間を縛るような問題にはしていないからな」
颯太はバッグを肩に背負うとレーナが家で待っている事を思いだして、帰りに何かお菓子でも買って行こうかと思考を巡らせる。
「それじゃあな。お疲れさん」
「ええ、さっさと帰るといいわ」
「はいはい。邪魔な高校生はさっさと帰りますよ」
礼の一つも言えない千草に怒る気にもなれない颯太は部屋を出た。
「天風さん、娘が何か言っていませんでしたか?」
「いえ、何も言っていませんよ。千草ちゃんは頭がいいようで、教える側の俺も助かりました」
「そうでしたか。またよろしくお願いしますね」
「はい。こちらこそ」
正直あのガキの目上の相手に対する言動や態度を改めさせるべきだ、何て言いたくなったが、言ったところでこちらの立場が危うくなるだけと思った颯太はぐっとその言葉を堪えた。
「では、お邪魔しました」
「はい。また来週に」
笹森家を後にした颯太は思いっきりでかい溜め息を吐き出した。
緊張していたのもあるが、これから先ずっとあの態度を取り続ける千草に漠然としたストレスを感じたのである。
「なんだか小町先生が急に偉大に見えてきたな……」
そんな生徒達の面倒を全て見る小町に颯太は感服した。
「先生という職業は思った以上に大変なんだな……」
先生という職業について真剣に考えだした颯太は、帰りにコンビニへ寄って自分の家へと帰って行った。
家庭教師天風颯太!という今回でした。
ネトゲの話が一切出てきませんでしたが、この物語はそういうものです。日常編とネット編でわかれていますので、しばらくそういう日常編が続いたりします。
もちろんバトル編もちょくちょく入れていきますので、わたくしめの戯言にどうかお付き合いください。




