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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

『正気』シリーズ

『死期』

作者: 良多一文

 錆びたくろがね、無表情な厚壁の向こうのぽっかりと空いた空間で、ひとりの少年がその身を囚われていた。


 やれやれ、どうしてこんなことになったんだろう。

 腕にはホンモノの手錠、口には猿轡ときた。いまどき3流ホラーでも見ないようなシチュエーションを、俺は見事に体現しているわけだ。

 周りは殺風景な打ちっぱなしのコンクリート。かろうじてあるのは時計と印のついたカレンダーくらいだろうか。

 誰が、どんな目的で、こんななにもない部屋に俺を閉じ込めているかって?

 まあまあ待てって、そのうちやって来るから……。


 静かに扉が開く。来訪者は肩に届くか届かないかくらいの長さの黒髪の少女。


 時間ぴったり。さあ、犯人のお出ましだ。

 彼女の名前はれみ。俺の中学からの親友だ。いや、親友だと思っていた、という方が正解かな。

 だってさ、人を浚って監禁するようなやつを親友だと言えるのか?

 まあいいや。ぼやいたってこの状況は覆らないしな。


 少女は手にしていた盆を床に音もなく置く。その上には質素な食事が並べられている。


 なんで俺がこんなに冷静でいられるかっていうと、ひとつに誘拐犯が知り合いだってことと、もうひとつにちゃんと飯が出るからだ。

 動けないのは窮屈だけど、不自由はしてない。でも、なんとなく介護をされている気分だ。


 少女は少年の猿轡を外し、口元に温い食物を運ぶ。彼はそれを甘んじて口にする。


 これは端から見れば微笑ましい光景なのかもしれないな。

 ただ、れみは俺に食事を与えている最中、絶えず「あなた……わたし……あなたは……わたし……」とぶつぶつとつぶやいているんだ。

 流石にこれは怖いし、やめてほしいんだけど。


 ホントに……どうしてこんなことになったんだろう。

 少し前まで、れみは普通だったんだ。普通に笑い合って、普通にバカやって、普通に……。

 でもある日を境にあいつはおかしくなった。

 目は虚ろに光を失って、表情は消え失せた。執拗に俺のそばにいようして、わけのわからないことを言うようになって、言葉遣いも変わった。前の明るいれみは壊れちゃったんだ。

 その最たるものが今の現状ってわけ。

 さてと。さっきの疑問、犯人はわかったと思うんだけど、実のところその目的は俺にもわかってないんだ。

 いい加減、このままってわけにもいかないし本人から聞きただすとしよう。

 猿轡から解放されるのは飯の時だけ。だから話しかけるチャンスは今しかない。


「……あの、さあ」

 れみの食器を運ぶ手が止まる。

 最初の頃は喚いていたものの、ここしばらくはそれが無駄だとわかりおとなしくしていたせいか、声がうまく出せない。

 時計がかちかちと耳障りだ。

「なんで、こんなこと、すんの?」

 れみが今度は気に留めず残りを食べさせようとしてくる。

 ああ。

「ムシ……かよ。ふざ、けんなよ……いい加減にしろよ!!」

 今のところ自由な足で盆を蹴り飛ばす。当然、中にあったものは辺りに飛沫してびちゃびちゃと床を汚した。

 参った。明日から飯を抜かれたらどうしようか。

 俺の心配はよそにれみは無表情で落ちた残骸を拾い集める。……なんで何も言わないんだ?

「こんなの、いけないことだって、わかってんだろ……?」

 れみがこっちを向く。

 相変わらず瞳に生気がなくて、目、というよりも落ち窪んだ空洞みたいだ。


「そう、だよね。いけないよね」

 ぽつりと言葉を漏らした。

 真っ暗な声はまるでれみのものじゃないみたいで、ぞっとさせられる。

 でもやっと俺の言うこと――


「いけないのは、届かなかったこの腕だぁ」


 少女は床に転がった冷たいフォークを掴みとり、その三叉を自らの腕に振り下ろす。


――え?


 ぐちゃっぐちゃっぐちゃっぐちゃっぐちゃっぐちゃっぐちゃっぐちゃっぐちゃっ。

 生暖かい音が部屋を埋め尽くす。


――なんで。なんでなんでなんで。


 何度も何度も何度も。腕にフォークを突き刺し、掻き回し、引き千切る。

 次第に皮はめくれ、紅く濡れた肉が痛々しく露になっていった。


「間に合わなかったこの脚も、いけないよね?」


――ひっ。


 次に脚。ただただ繰り返す。

 抉る、抉った、抉り、抉ろう。

 少女が腕を振るうたびに血液は飛散し、少年を染める。もはや彼の身体は行動すること自体を忘れ、麻痺している。


――嫌だ、どうして、顔色ひとつ変えずにこんなことができるんだ。


 深くまで歯を食い込ませていくにつれ、骨に到達したのだろうか、硬く乾いた音も交ざってきた。

 それでも少女は表情を生まない。そこにあるのは虚無だけ。

 瞳孔は開ききっており、そこから彼女の中の闇を覗き見ているかのような心持ちになる。


――おかしいおかしいおかしいれみおかしいよおかしくなっちゃった。


「うううっ」 

 少年は先程口にしたものを戻してしまった。

 にちゃにちゃと頭を掻き乱す狂音は嫌でも聞こえてくる。耳を塞ごうにもそれすら許されない。

 血と肉と少女の破片が混散するこの部屋では、吐瀉物でさえ、“まとも”に見えた。


「ちゃんと伝えられなかったこの口も、いけないんだッ!」


 そう言って少女は滑らかな頬に「もうやめろよッ!!」


 少女は止まる。


 なんでわかってあげられなかったんだ。

 れみはこんなにも苦しんでるじゃないか、こんなにも傷ついているじゃないか。

 それなのに自分勝手に怒鳴って、俺は、俺は……。


 かちかち


「ごめんな。れみがそうしたいんだったら俺は一生ここに閉じ込められたって構わない」


 少女は顔を背け、歯噛みする。


 れみの為だったらなんだってする、されるよ。

 そうだよ、ははは、俺が間違っていたんだ。


 かち


「なんてったって――俺たち親友だもんな?」


 少女ははっと息を呑む。


 よかった。フォークを放してくれて。そんなものは片付けてしまおう?

 もうれみはつらい思いをしないで。


「ねえ、君は……」

「れみ……!?」

 あはは、いつものれみだ。

 しゃべり方も、目の輝きも、前のれみといっしょ。


 でもなぜ泣いているの?


 震えているの?


 ああ、れみれみれみれみれみれみれみれみれみれみれみれみれみれみれみれみれみれみれみ。


 少女は永く久しい下手くそな笑顔を浮かべ、血だまりの上にひと粒、透き通る“血”を落とした。

「もし、もしも、明日僕が死んじゃうってわかっていたら。君だったら……どうする?」


 時計の針が音も立てず、ゆっくり、前に進む。

限られた情報の中から“彼ら”の関係を推測してみてください。もちろん、はっきりとした正解なんてありません。

 あなたの心が感じるままに、彼らの“想い”を見出だしてみてください。

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