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黄金の怪稚と、銀の産着

これから連載していきますが、処女作となります

広い気持ちで呼んで頂けると嬉しいです

中世の大国、グランゼリア帝国。その繁栄を象徴する白亜の王宮の北端に、まるで毒を盛られたかのようにひっそりと佇む「静寂の離宮」がある。石造りの重厚な壁は年中降り注ぐ冬の湿り気を吸い込み、中庭にはねじくれた黒檀の樹々が墓標のように等間隔で並んでいる。

この離宮の主は、帝国の双璧と謳われた名門、ヴォルガ大公家の長女・イザベラ。かつて「氷の令嬢」と恐れられた彼女は、現皇帝ですら政治的に無下にはできない高貴すぎる血筋の持ち主だ。しかし、彼女という女は生まれた時からどこか壊れていた。慈しみも、怒りも、悲しみも欠落し、ただ銀色の瞳で世界をじっと見つめ、何かに失望したように溜息をつく。そんな彼女に、周囲は虐めることすら躊躇われるほどの「底知れぬ寒気」を感じ、この離宮に彼女を押し込めることでようやく平穏を得ていたのだ。

その夜、離宮の産室は、かつてないほどの死の気配に支配されていた。

「……あ、ああ……」

産婆の震える声が、微かな衣擦れの音さえも凍らせた。赤子が産み落とされた。しかし、そこに本来あるべき「産声」がなかった。

「……息を、していないのか?」

侍女たちが顔を真っ青にして顔を見合わせた。彼女たちは、赤ん坊が息を吹き返すのを待つ間、自分たちの首筋に死神の鎌が当てられているような錯覚に陥り、歯の根が合わないほどに震えていた。

だが、その沈黙を破ったのは、産声ではなく、一対の「視線」だった。

赤子は泣くことも、怯えることもなく、その黄金の瞳をゆっくりと開いた。生まれたばかりの幼児特有の混濁など、最初から存在しない。それは、磨き上げられた金貨のように冷たく、深く、周囲で震える大人たちの恐怖を、鏡のように静かに反射していた。

「……ああ」

吐息のような、芯から陶酔しきった声が響く。第四夫人、イザベラ。

王宮の誰よりも透き通った、血の通わぬ大理石のような白い肌。月光を糸にして織り上げたような長い銀髪をシーツの上に散らし、彼女は産後の衰弱など微塵も感じさせない、妖艶で、どこか壊れたような微笑を浮かべていた。

彼女は、恐怖で硬直した産婆の手から、赤子をひったくるように奪い取った。黄金の瞳と視線がぶつかった瞬間、イザベラの全身を、歓喜という名の戦慄が駆け抜けた。

「なんて……なんて美しいのかしら。私のアルス。貴方は、この世のどんな宝石よりも、どんな星々よりも完璧だわ……」

イザベラは、赤子の頬に自分の冷たい頬を擦り付けた。

「見て、この瞳。……貴方は生まれた瞬間から、この世界を理解しているのね。ええ、そうなのよ。この世界は、貴方の美しさを収めるにはあまりに狭くて、不潔だわ。……ああ、愛おしい。私の、私だけの神様……」

駆けつけた皇帝が、不審げに部屋に踏み込んだ。「泣かぬ赤子など、不気味な。……鑑定が必要だ」

だが、イザベラは野獣のような、それでいてひどく冷淡な視線で皇帝を射抜いた。

「陛下。貴方の汚れた手で、この子に触れないで。この子は、貴方の劣った血を引きながら、私の中で変異し、全く別の次元で『完成』された存在なのです。貴方のような凡夫が触れれば、その輝きが曇ってしまう」

皇帝はその異様な気配に圧され、舌打ちを残して去っていった。イザベラにとって、皇帝もこの帝国も、アルスの誕生を祝うための舞台装置に過ぎなかった。

時は流れ、アルスが三歳になった頃。離宮の侍女たちは、幼い王子が放つ異様な気配に、日ごとに精神を蝕まれていた。

「アルス様、お食事の準備が整いました。……今日は、殿下がお好きなベリーのタルトも用意しております」

侍女の一人が、震える声で声をかける。アルスはゆっくりと、まるで首の関節の動きを確認するように顔を上げた。黄金の瞳が、侍女の顔をじっと見つめる。

「……タルト? いらないよ。砂糖の結晶が歯に当たる感触は、脳の思考をノイズで濁らせるから。それより、今日は肉を下げて。冷たい果物だけでいいんだ。だって、死んでから時間が経った動物の筋肉を噛み切る音って、ひどく耳障りだろう? 繊維が断裂する振動が、頭蓋骨に響いて不快なんだ。果物なら、細胞が壊れる音がまだ……少しだけマシかな」

アルスは、まるでお気に入りのおもちゃの色について話すような、穏やかで無垢な声でそう言った。侍女は、背筋に氷を流し込まれたような感覚に襲われた。

「……そ、左様でございますか。すぐに、果物を用意させます」

「うん、お願い。あ、それから、母様を呼んでくれる? 古代語の術式について、少しだけお話ししたいんだ。……ほら、あの時の小鳥、覚えているかな。数日前に僕が『一緒にいてもらうことにした』あの子だよ。まだ飛んでいるけれど、魂の定着が揺らいで、少し寂しそうなんだ。もっと深く、僕のそばから離れないようにしてあげないと。……だって、一人は可哀想だもんね」

アルスは、ふふ、と可愛らしく首を傾げて笑った。その笑顔は、本来なら天使のように愛らしいはずのものだった。

侍女は返事もそこそこに、逃げるように部屋を去った。彼女が廊下に出ると、そこにはアルスが加工した小鳥が、止まり木に止まってた。小鳥は、生きた鳥にはあり得ないほど全く微動だにせず、ただアルスの部屋の扉を、白濁した瞳でじっと見つめ続けていた。

アルスの脳裏に、数日前のあの午後の光景が、鮮明な記録として再生される。

離宮の庭園、黒い土の上に、一羽の小鳥が転がっていた。翼の付け根が折れ曲がり、内臓の一部が漏れ出し、生命の灯火は完全に消え去っていた。

アルスは、母の手を離れ、その死骸の前に屈み込んだ。それを見た侍女が、顔を引きつらせて駆け寄る。

「アルス様! いけません、それは不浄な死骸です。殿下のお手が汚れてしまいます、すぐに私たちが片付けますから……!」

侍女が慌ててアルスの細い腕を掴み、そこから引き離そうとした。

刹那、アルスはその手を無機質に払い除けた。

「……離して。触らないでって言ってるだろ」

三歳児とは思えぬほどに拒絶の意志が明確な動作に、侍女が硬直する。アルスは彼女の方を見ることさえせず、ただ不毛に転がる小鳥を見つめ続けた。

(……この小鳥は、さっきまで元気に鳴いていたのに。今はもう、動かない。独りで、こんな冷たい土の上に転がっているのは、ひどく……可哀想だ。僕も、こいつがいないと退屈だよ)

彼にとって、死は救うべき「孤独」だった。ただ「動かなくなった」という状態で放置されるのは、彼にとって耐え難い不備に見えた。

「……独りは可哀想だ。大丈夫、僕がずっと一緒にいてあげるから。……もう、誰にも捨てられないようにしてあげるね」

アルスは、まるでお気に入りの積み木を組み上げるような、極めて事務的な手つきで、小鳥の冷たくなった頭部に細い指先を触れた。

瞬間。

アルスの黄金の瞳が、内側から不吉な光を放つように輝きを増す。

彼の小さな指先から、淡い、けれど澱みのない黄金の魔力が、溢れ出した。

ドクンッ、と死骸が跳ねた。

小鳥の体内から、パキパキという乾いた硬質の音が鳴り響く。折れ曲がっていた翼の骨が、見えない力に誘導されるようにして元の位置へとはまり込み、断裂した筋肉が微細な蛇のようにのたうちながら、瞬時に結合していく。

漏れ出していた内臓は気泡を上げて胎内に吸い込まれ、剥がれ落ちた青い羽は皮膚へと突き刺さり、一分の隙もなく並び直された。

黄金の魔力が激流となって小鳥の血管を駆け抜け、本来の「生」とは異なる、冷たく一定な「魔力の拍動」を刻み始める。

バサッ、バサササッ!

もはや光を失っていた白濁した眼球に、アルスの魔力と同じ黄金の燐光が宿った。

死んでいたはずの翼が、猛烈な勢いで羽ばたきを始める。

小鳥は不自然なほど機敏な動作でアルスの指先にしがみつくと、心臓の音すら立てず、ただ彼を見つめて従順に鳴いた。

「わあ、よかった。これで君も、もう独りじゃないね。……世界には、まだこんなに『可哀想なもの』がたくさんあるんだ。全部、僕がこうやって一緒にいられるようにしてあげなきゃ」

アルスの顔に、純粋な喜びの笑みが浮かんだ。

背後で、侍女たちが腰を抜かして震えていた。だが、イザベラだけは違った。彼女は狂喜のあまり、膝をついて息子を強く抱きしめた。

その日の夕刻、静寂の離宮に似つかわしくない、威圧的な足音が廊下に響いた。皇帝が、宮廷魔導師団の長である老鑑定士、バルタザールを伴って現れたのだ。

「イザベラ、退け。この子の周囲で不気味な現象が起きているとの報告があった。……庭で死んだ鳥を蘇らせたというのは本当か?」

皇帝の声は、父親としての慈しみよりも、未知の脅威に対する警戒に満ちていた。イザベラは冷笑を浮かべ、アルスを庇うようにその前に立った。

「陛下、『蘇らせた』などと野蛮な言い方をしないで。アルスは、その慈悲深さゆえに、独りぼっちだった小鳥に寄り添ってあげただけですわ」

「黙れ。バルタザール、鑑定しろ。もし禁忌の術式を使っているのなら、ただでは済まぬ」

バルタザールが進み出た。彼は帝国有数の賢者であり、数多の魔導犯罪を暴いてきた男だ。彼はアルスの指先に止まっている小鳥を凝視し、その眉を深く寄せた。

「……信じられん。これは、蘇生魔法などという生易しいものではない。……このお子がやっているのは、死霊術ネクロマンシーの極致だ。いや、もはや芸術の域か……。死者の肉体に自らの魔力を糸として通し、細胞の一つ一つに至るまでを自らの支配下に置いている。しかも、本人の意志ゴーストを再現するかのように、魔力の拍動のみで命を模倣させている……。なんという、なんという恐るべき精密さだ」

バルタザールは、アルスの魔力の波長を読み取ろうとして、息を呑んだ。

(……なんだ、この魔力は。深すぎる……。まるで底の見えない暗黒の海だ。しかも、この幼児、邪悪な意思も、呪いの気配もなく、ただ純粋な『維持』のためにこの禁忌を行使している……。これこそが、神を畏れぬ真の狂気だ)

「陛下……。このお子は、危険です。術式の根底にあるのが『慈愛』であるからこそ、手が付けられぬ。彼は、自分が正しいと信じたまま、この世の全ての死を拒絶し、歪んだ死霊の静寂で塗りつぶしかねません」

皇帝の顔が強張った。「……幽閉を強めろ。この離宮から一歩も出すな。……アルス、貴様は自分が何をしたか分かっているのか? 死者は、静かに眠る権利があるのだぞ」

アルスは、皇帝の言葉を反芻するように繰り返した。

「……静かに、眠る権利? 違うよ、お父様。それは、誰も構ってくれないから、そう言ってるだけだよ。暗くて冷たい土の中で、ずっと独りでいるなんて……。そんなの、僕なら嫌だもん」

アルスは、指先の小鳥をそっと愛でた。小鳥は黄金の瞳を瞬かせ、アルスの頬に嘴を寄せた。その動きには、本物の命が持つ「揺らぎ」が一切ない。ただ、アルスの愛に応えるためだけに設定された、完璧な死霊としての動作。

「……大丈夫。僕が、みんな寂しくないようにしてあげる。……たとえ、お父様が死んじゃっても、僕がずっと一緒にいてあげるからね。可哀想だもん」

アルスは無垢な、最高に可愛らしい微笑みを皇帝に向けた。

皇帝は、その「慈愛に満ちた宣告」に、生まれて初めて本当の恐怖を感じ、後退りした。背筋を駆け抜ける戦慄は、どんな強大な敵国の宣戦布告よりも冷たく、重かった。

イザベラだけが、狂おしいほどに満たされた表情で、アルスの肩に手を置いた。

「ええ、そうねアルス。みんなを救ってあげましょう。この不自由で、残酷な世界から。……私と貴方だけの、完璧な箱庭の中で」

離宮を包む霧は、もはや晴れることを忘れたかのように濃く立ち込め、沈黙を深めていった。

黄金の瞳を持つ幼児は、その手に宿る禁忌の力さえも「優しさ」だと信じ、その無垢な「狂気」で世界を静かに、確実に染め始めていた。

意図せずして世界を平らげていくことになる死霊王としての、確固たる最初の一歩。

それは、誰よりも優しい「救い」から始まった

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