第98話 王都出発、そして見送る影
まだ空が薄青い。
王都の城壁の上に朝日がかかる少し前。
街はようやく目を覚ましはじめたくらいの時間だった。
「……ふぁ」
あくびを噛み殺しながら宿を出ると、
肌を刺すような冷たい空気が頬を撫でる。
寝ぼけ眼も一気に覚める感じだ。
「秋人、ちゃんと起きてる?」
「起きてるよ。
そこまで子どもじゃないからな?」
隣で、ユイが少しだけ笑う。
髪をいつもよりきちんと結いなおしているせいか、
なんとなく“出陣モード”って感じだ。
「クレハは?」
「ここ」
ふと視線を落とすと、
俺の影の横から、ひょこっとクレハが現れた。
「おはよう」
「お前、今どこから出てきた?」
「さっきまで屋根の上で様子見てた」
開口一番がそれなの、忍びっぽすぎる。
◇ ◇ ◇
王都ギルド前の広場には、
すでに荷馬車が一台、待機していた。
ニナの商隊用の馬車だ。
見慣れた荷台に、今はしっかりと防水布がかぶせられている。
「おっ、来た来た!」
ニナが、大きく手を振った。
「おはよ、アキト! ユイ! クレハちゃん!」
「おはよう、ニナ」
「おはようございます」
「おはよう」
三人で挨拶を返すと、
ニナは馬車の荷台をぽんっと叩いた。
「荷物はぜーんぶ積み込み完了!
オークキングの魔石の代金も無事受け取って、その一部はちゃんとギルド経由で保管済み。
今回載ってるのは主に商売用の品と、ラグナス方面に流す品物ね」
「魔石そのものは、もうここにはないんだっけ?」
「うん。とっくに王都の地下金庫行き。
だから今回狙われるのは、“魔石の売上金が一部混じった荷物”」
「それでも充分狙う価値あるんだよなぁ……」
金の匂いがあるところに盗賊は寄ってくる。
これは異世界でも元の世界でも変わらないらしい。
◇ ◇ ◇
少し遅れて、
軽い足音が近づいてきた。
「お待たせ」
リゼが、肩に愛用の剣を軽く引っかけて現れた。
銀髪に朝の光が差し込んで、
やたら眩しい。
「集合時間ぴったり。さすがですね」
ユイが微笑むと、
リゼは「まぁね」と軽く肩をすくめる。
「弟子たちを外に連れ出す最初の護衛旅だし。
遅刻はできないでしょ?」
「弟子って言い方、すっかり定着してますよね」
「事実でしょう?」
あっさりと言われた。
否定できないのが悔しい。
◇ ◇ ◇
そこへ、ギルド側からも何人か出てくる。
その先頭にいたのはヘルマンだった。
「揃っているな」
いつもと変わらない、落ち着いた声。
「《フロンティア・ライン》、ニナ、リゼ。
これより、王都からラグナス方面への護衛行を開始する」
ヘルマンが、手に持っていた書類をひらりと掲げる。
「ギルドとしては“正式依頼”として受理済みだ。
目的は、王都からラグナス方面への商隊の護衛。
途中で発生する盗賊・魔物への対処、
および被害の最小化」
「了解しました」
俺たちは同時に返事をする。
「先に釘を刺しておくが――」
ヘルマンの目が、
三人一人ずつを順番になぞった。
「戦果よりも、依頼主の安全、そして自分たちの生存を優先しろ。
ブラッドベアが出ようが、盗賊が何人いようが、
死んだらそこで終わりだ」
「はい」
「“全部倒してやろう”なんて考えるな。
状況次第では、“引きながら守る”のも立派な戦い方だ」
言葉が、胸にじわっと染みる。
俺は自然に背筋を伸ばしていた。
◇ ◇ ◇
「それと――」
ヘルマンは、ふっと視線を逸らし、
ギルドの屋根のほうをちらりと見た。
「今回の行程には、
こちらからも“監視兼護衛”をひとり付けている」
俺たちもつられてそちらを見るが、
屋根の上には何も見えない。
「誰かは、聞かなくても分かるでしょう?」
ユイが小さく笑う。
「はい。だいたい想像がつきます」
ドルガン。
顔は見えないが、
あのおっさんがどこかで見ているのは間違いない。
「過保護だと思うなら、
実力で“もういらない”と言わせてみろ」
ヘルマンがからかうように言う。
「その日を楽しみにしている」
「プレッシャーがすごいですね……」
ニナが苦笑する。
◇ ◇ ◇
「出発前の、最後の確認をしておく」
ヘルマンは真顔に戻った。
「この街道では、
盗賊ギルドの一部と、“魔獣使い”と名乗る連中が
繋がっている可能性がある」
その言葉に、
ユイとクレハの表情がきゅっと引き締まる。
「ブラッドベアも、その“魔獣使い”の手駒かもしれん。
普通の熊よりさらに凶暴で、血の匂いに敏感だ。
不用意に傷だらけの状態で近づくな」
「……こちらの攻撃で出血させても、
暴走の引き金になる可能性がある、ということですね」
ユイが冷静に補足する。
「そうだ。
動きや様子がおかしいと感じたら、
“普通の魔物ではない”前提で動け」
「了解です」
「さしあたって今言えるのは、ここまでだ」
ヘルマンは一歩下がる。
「――行け、《フロンティア・ライン》。
ラグナスへ戻って、またここに来い」
「行ってきます」
その言葉に、俺たちは頭を下げた。
◇ ◇ ◇
馬車がゆっくりと動き出す。
ギルド前の石畳を軋みながら転がる車輪の音が、
妙に大きく聞こえた。
城門へ向かう道の途中、
王都の朝の空気が少しずつ賑やかになっていく。
商人が店を開け、
パン屋から焼きたての匂いが漂いはじめ、
子どもたちが路地を駆け抜けていく。
「王都を出る実感、湧いてきた?」
ニナが御者台から振り返る。
「少しは」
俺は空を見上げた。
高い城壁の向こう側に、
薄い雲がゆっくり流れていく。
「でも、
“帰る場所がある”って思うと、
王都から離れるのもそこまで寂しくないな」
「分かる」
クレハがぽつりと言う。
「ラグナス、好き。
空気、落ち着く」
「“王都の空気”は、慣れなかった?」
「敵が多そう」
即答だった。
まぁ、レオンハルトみたいなのを見たあとだと、
否定はできない。
◇ ◇ ◇
城門が近づいてきたころ。
ふと、背中に視線を感じた。
(……ん?)
振り返ってみても、
人の行き交いがあるだけだ。
ただ、
大通りの少し離れた場所。
馬車の列とは逆方向にある、
石造りの建物の二階から。
ひとつだけ、
やけに冷たい視線がこちらをなぞった気がした。
(気のせい……か?)
「秋人?」
「ああ、なんでもない」
すぐに視線を戻す。
けれどその建物の窓辺には、
しばらくのあいだ、
誰かがじっとこちらを見下ろしていたことに――
このときの俺は気づいていなかった。
◇ ◇ ◇
城門の前は、
いつものように混雑していた。
荷馬車の列、出入りする旅人、
騎士団の姿。
門番のひとりが、
こちらに気づいて手を挙げる。
「王都ギルドの護衛隊か。
書類は?」
「ここに」
ニナがギルドから受け取った書類を見せる。
「商隊一台、護衛四名。
行き先ラグナスで間違いないな」
「はい」
「ブラッドベアの噂も出てる。
気をつけて行けよ」
門番の言葉に、
俺たちは「ありがとうございます」と軽く会釈した。
城門が開き、
馬車がゆっくりと門をくぐる。
石造りの影が頭上を過ぎ、
ふっと視界が開けた。
ここから先は、
“城壁の外”だ。
◇ ◇ ◇
「じゃ、ペースはこんなもんで行くね!」
ニナが手綱をさばいて、
馬のスピードを少しだけ上げる。
リゼは馬車の横を歩き、
俺とユイは馬車の前方やや左右へ位置取りをする。
クレハは――
「少し前、少し高いところ」
つまり木の枝や岩場に飛び移りながら、
斥候役として動き回る。
「なんか、
“冒険者っぽい隊列”になってきたな」
俺がぼそっと言うと、
ユイが小さく笑った。
「秋人、今さらですよ」
「いや、
最初はただの高校生だったからさ」
「わたしたち全員、ですよ」
その一言に、
妙に胸が温かくなった。
◇ ◇ ◇
数時間ほど進んだところで、
最初の小休憩を取る。
道の脇に広めのスペースがあったので、
そこで馬を休ませながら、
俺たちも簡単に水を飲んだりする。
「どう?」
リゼが、泉の水で顔を洗っていた俺に声をかけた。
「思ったより身体、動く?」
「はい。
王都来てからも、それなりに鍛えてた甲斐ありました」
「ふふ、いい返事」
リゼは俺たち三人を見回した。
「ブラッドベアが出るかどうかは分からないけど――
出たとき、“初見で怯えない”くらいの覚悟はしておきなさい」
「脅すんですか?」
「脅してるんじゃなくて、
“現実の線引き”を教えてるだけよ」
リゼは、少し真面目な表情になる。
「ブラッドベアはね、
“自分より弱いものが目の前で血を流す”と、
楽しくなって止まらなくなるタイプの魔物よ」
「最悪じゃないですか」
「うん、最悪。
だから、“誰かだけ大怪我して戦いが長引く”って形が一番ダメ」
リゼは指を一本立てる。
「もし出たら――
“短期決戦”か“撤退”のどちらか。
中途半端な長期戦は、自分たちから死にに行くようなものよ」
「分かりました」
ユイが真顔で頷く。
クレハも、
木の枝の上から小さく手を挙げて「了解」と示した。
◇ ◇ ◇
その日のうちは、
幸い魔物との大きな遭遇はなかった。
小さな狼の群れが道端に現れたが、
俺とユイが前衛で追い払い、
三十分もかからず終わる程度。
「この調子で終わってくれるといいんだけどな」
夕方、
最初の宿場町が見えてきたとき。
つい、そう口にしてしまった。
「フラグ立てないでくださいよ」
ユイが即座にツッコむ。
「秋人のそういうとこ、
たまに怖いですからね?」
「いや、俺そこまで不運じゃないと思うんだけど」
「“自覚がないタイプ”が一番厄介だって
ドルガンが言ってた」
「ドルガン余計なこと言いすぎじゃない?」
◇ ◇ ◇
宿場町は、王都ほどではないけれど
それなりに活気があった。
旅人用の宿、馬屋、小さな酒場、
雑貨屋が道沿いに並び、
夕方の人の流れが作られている。
「今夜はここで一泊ね」
ニナが手綱を引いて馬車を止める。
「馬の世話は宿に任せて、
荷物だけ自分たちで見てれば大丈夫」
「夜の見張りはどうします?」
ユイが尋ねると、
リゼが腕を組んだ。
「順番に起きる形でもいいけど――
ここはギルド登録のある宿場町だし、
今日は普通に休んでいいと思う」
「え、いいんですか?」
「初日からピリピリしてたら持たないわよ。
“警戒しつつしっかり寝る”のも実力のうち」
「なるほど……」
◇ ◇ ◇
チェックインを済ませて荷物を部屋に運び、
簡単な夕食を取ってひと息ついた頃。
クレハが、窓の外をじっと見ていた。
「どうした?」
「……なんでもない」
少しだけ間を置いてから、そう答える。
「“なんでもない”って顔じゃなかったけどな」
「気配が少しだけ変だった。
でも、すぐ消えた」
「盗賊?」
「分からない。
でも、“こっちを見てる感じ”ではなかった」
クレハは目を細める。
「ただ――
森のほうから、少しだけ“血の匂い”がした」
背筋に、ぞわっとしたものが走る。
「死骸?」
「そうかもしれない。
獣同士の喧嘩かもしれないし、
ただの狩りの跡かもしれない」
クレハは静かに言う。
「でも、
“普通の熊の匂い”じゃなかった」
ランプの炎が、
ほんの少し揺れたように見えた。
「……明日は、もっと気をつけないとな」
思わず口にすると、
ユイも頷いた。
「はい。
初日は“何も起こらなかった”からこそ、
二日目以降のほうが危険かもしれません」
「俺も、
ちゃんと寝て備える」
クレハが布団に潜り込みながら言う。
「起きてても、
見えるものは増えない。
でも、寝不足だと、見えるものも見えなくなる」
「名言っぽいけど、
若干ニートの言い訳みたいな響きがあるのなんでだろうな……」
「秋人も早く寝て」
ユイに促され、
俺も布団にもぐり込む。
天井を見上げながら、
さっきクレハが言った「血の匂い」という言葉を思い返す。
(ブラッドベア。
魔獣使い。
エルステッド家の噂)
バラバラなピースが、
じわじわと近づいてきているような気がした。
けれど今はまだ、
それがどんな形になるのか、
誰にも分からない。
ただ――
明日、森の中に踏み込んだとき。
その答えの一部を、俺たちは嫌でも知ることになるのだろう。
そんな予感だけを胸に抱いて、
ゆっくりと目を閉じた。
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