第96話 レオンハルト・エルステッドという名前
焼き菓子の箱を抱えたまま、
俺たちは真っ直ぐ王都ギルド本部へ向かっていた。
「宿、先じゃなくてよかった?」
ニナが少し心配そうに聞いてくる。
「今は、“後回しにしたくない用事”が先かな」
俺は苦笑して答えた。
「さっきのあれは、
ちゃんと記録に残しておいた方がいい」
「……レオンハルト・エルステッド」
クレハが小さく、その名を口にする。
「名前、覚えた」
「敵の名前は覚える。
ドルガンもそう言ってたもんね」
「うん」
短いやりとり。でも、その一言が妙に頼もしい。
◇ ◇ ◇
ギルド本部に入ると、
昼過ぎらしく、受付周りはそれなりに人がいた。
それでも、
見慣れた受付嬢はこちらに気づき、軽く会釈をくれる。
「こんにちは、《フロンティア・ライン》の皆さん。
本日はご依頼のご相談ですか?」
「いえ、報告があります」
ユイが一歩前に出て、落ち着いた声で答えた。
「さきほど、街の菓子屋の店内で――
王都貴族の一人、レオンハルト・エルステッドと接触しました」
受付嬢の表情が、すっ、と真剣になる。
「……詳しくお伺いしても?」
「もちろんです」
ユイは簡潔に、けれど抜け漏れなく説明していく。
・場所は王都中央通りの菓子屋店内
・レオンハルトが一方的に声をかけ、ユイに執拗な言葉を向けたこと
・《フロンティア・ライン》がC級パーティだと知ったうえで、
「使い勝手が良さそう」「まとめて抱え込めば便利」と発言したこと
・ユイ個人を「本命」としているような口ぶりだったこと
・最後に「目を離さないと思っておけ」と言い残したこと
受付嬢のペン先が、紙の上を忙しく走った。
「従者の方は?」
「先日のギルド前で見たときと同じく、二人でした」
ユイの説明に、受付嬢はこくりと頷く。
「レオンハルト・エルステッド様……
お名前を出していただいたので、
こちらでも慎重に扱わせていただきます」
「“慎重に扱う”ってことは、
やっぱりギルドとしても要注意人物ってことですか」
俺が尋ねると、
受付嬢は少しだけ言葉を選んだ。
「個人名については、
ここではあまり深く申し上げられませんが……」
小さく息をついて続ける。
「“冒険者や商人に対する不快な接触”の報告が、
これまでにも何件か上がっている方です」
「やっぱりか……」
「ただし、どれも“ぎりぎり事件とは言えないライン”で止まっているのが現状です。
なので、今回のような詳細な報告はとても助かります」
「じゃあ、俺たちの話も“ひとつ”として積まれていくわけですね」
「はい。
件数と内容が一定以上になれば、
ギルドとしても動き方を変えられますので」
受付嬢は帳面を閉じ、こちらを見る。
「ギルドマスターにも、お時間を取れるか伺ってきますね。
少しお待ちいただけますか?」
「お願いします」
◇ ◇ ◇
ほどなくして、
執務室前の扉の向こうから、低い声がした。
「――入ってもらって構わん」
ヘルマンの声だ。
俺たちは案内に従って執務室へ入った。
いつものように、机の上には書類の山。
ヘルマンはそれを一旦脇に避け、こちらに視線を向ける。
「また顔を見せに来たということは、
何かあったな」
「“また”って言われると、
トラブルメーカーみたいで心外なんですけど」
思わずぼやくと、
ユイとクレハが「事実では?」みたいな目を向けてきた。
「今回は俺のせいじゃなくて、
レオンハルト・エルステッドのせいですからね?」
強調しておく。
「……レオンハルト、か」
ヘルマンの目が、わずかに細くなる。
「話を聞こう」
◇ ◇ ◇
ユイが、先ほど受付で話した内容をあらためて説明する。
ヘルマンは途中で何度か短く質問を挟み、
細かい言い回しや態度まで確認していった。
「つまり――」
ひと通り聞き終えると、
ヘルマンは指で机をとん、と叩いた。
「レオンハルト・エルステッドは、
きみたち《フロンティア・ライン》がC級パーティであることと、
それぞれの戦い方を把握した上で接触してきた、というわけだ」
「はい」
ユイが頷く。
「わたしたちを“使い勝手がいい駒”と見なし、
特にわたしを“本命”として狙っているような発言でした」
「秋人とクレハは、“オマケ”扱い」
クレハが淡々と言う。
「便利そうって言ってた」
「オマケって言い方やめて?」
俺が抗議すると、
ヘルマンの口元がわずかに動いた。笑いかどうかは読めない。
◇ ◇ ◇
「レオンハルト・エルステッド……」
ヘルマンは椅子にもたれ、天井を一瞬仰いだ。
「名前自体は、言うまでもなく王都でも知られた貴族だ」
「やっぱり、そういう家の出なんですね」
「家格はそこそこ。
だが、“金の回り方”が少々きな臭い」
ヘルマンははっきり言った。
「盗賊ギルドと直接つながっている証拠はない。
だが、“怪しい噂”ならいくらでもある」
「やっぱり……」
ニナが小さく息を呑む。
「今後、道中で襲撃があったら、
普通の盗賊だけじゃなく、その裏にも目を向けろということですね?」
ユイが確認する。
「そうだ」
ヘルマンは頷いた。
「ただし――」
少し声のトーンが変わる。
「今の段階で“全部レオンハルトのせいだ”と決めつけるな。
感情で動けば、足元をすくわれる」
「……はい」
俺たち三人は、自然と姿勢を正していた。
◇ ◇ ◇
「いずれにせよ、きみたちの報告は非常に重要だ」
ヘルマンは机上の書類から、一枚を抜き出す。
「これまでにも、
レオンハルトと名指しはせずとも、
“身分の高い貴族にしつこくつきまとわれた”という報告が何件かあった」
「名前を出せなかったんですね」
「貴族の名を軽々しく口にして問題を起こしたくない者も多い。
だが、《フロンティア・ライン》は、
はっきり名前まで挙げてくれた」
「ラグナス育ちなんで」
俺は肩をすくめる。
「“嫌な相手の名前は覚えておく”って、
師匠に言われて育ったので」
「いい師匠だ」
ヘルマンは短く笑った。
「これで“レオンハルト・エルステッド”としての記録が残る。
今後、同じような被害報告が増えれば、
王都ギルドとしても何らかの制限を検討できるだろう」
「制限、ですか?」
「ギルドの建物内や、
ギルドが管理する敷地への立ち入り制限だ。
さすがに街全体をどうこうはできんがな」
「それでも、
“ギルドの中では関わらなくていい”って分かるだけでも、
だいぶ救いですね」
ユイがほっとしたように言う。
◇ ◇ ◇
「ニナ。護衛依頼は、予定通り三日後出発でいいな?」
話題がふっと現実に戻る。
「はい。
オークションの代金の受け取りも完了しましたし、
荷物の整理も今日明日で済ませます」
「護衛対象は、
ニナの馬車一台と荷物。
護衛は《フロンティア・ライン》三名と、Sランクのリゼ」
「それに、もう一人」
ニナが視線を動かす。
「どうせ、ドルガンさんがどこかからこっそり付いてきます」
「そうだろうな」
ヘルマンもあっさり認める。
「ギルドから正式に“監視兼護衛”をひとり付ける。
名前は出さんが、きみたちなら察しがつくだろう」
「頼もしすぎる影武者ですね」
ユイが微笑む。
◇ ◇ ◇
「最後に、ひとつだけ覚えておけ」
ヘルマンの表情が、少しだけ引き締まった。
「レオンハルト・エルステッドは、
きみたちを“駒”として見ている」
机越しに、まっすぐな視線が飛んでくる。
「だが、きみたちは違う。
《フロンティア・ライン》は、
ギルドと正式な契約を結ぶ“冒険者”だ」
「……」
「貴族がどう思おうと関係ない。
自分たちの“線引き”だけは、はっきりさせておけ。
それができなければ、
辺境だろうが王都だろうが、飲み込まれて終わる」
それは説教というより、
“先輩冒険者からの忠告”に近かった。
「気をつけます」
ユイが深く一礼する。
「貴族にも、盗賊にも、
自分たちの足を掴まれないように」
「うん」
クレハも、短く、だがはっきり頷いた。
「敵の名前、覚えた。
でも、自分たちの名前も、
もっと知られるようにする」
「《フロンティア・ライン》の名が、
ラグナスだけじゃなく王都にも届く日を楽しみにしている」
ヘルマンが、少しだけ口元を緩めた。
「さしあたっては――
ラグナスへ、無事に帰ってこい」
「はい」
それは命令ではなく、
願いに近い言葉だった。
◇ ◇ ◇
執務室を出て、
受付に軽く挨拶をしてギルドを後にする。
外の空気は、
さっきより少しだけ軽く感じられた。
「……よかった」
ユイが、小さく息を吐く。
「きちんと名前まで出して報告しても、
ギルド側が受け止めてくれたの、
正直すごく安心しました」
「王都ギルドも、
やっぱり“冒険者の味方”なんだね」
ニナが微笑む。
「もちろん、全部が全部じゃないかもしれないけどさ。
少なくともヘルマンさんは、そうだよ」
「レオンハルト・エルステッド」
クレハが空を見上げてつぶやく。
「嫌い。
でも、ちゃんと覚えた」
「うん。俺も嫌いだ」
俺は焼き菓子の箱を持ち直した。
「でもまあ――
ラグナスに帰ったら、
“王都で変な貴族に絡まれた話”として、
笑い話にしてやろう」
「ボルグさん、絶対笑いますね」
「エルナさんは、ちょっと怖い顔しそう」
「ドルガンは、“まああるあるだ”って言いそう」
そんなことを話しながら、
俺たちは宿への道を歩いていく。
三日後には、
ラグナスへ帰る旅が始まる。
道中に何が待っていようと――
もう、“レオンハルト・エルステッド”という名前に、
振り回されるだけの存在ではない。
ほんの少しだけ、
そんな自信が胸の中に生まれていた。
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