第93話 下水路明けのご褒美と、王都冒険者の一歩
ギルド本部に戻る頃には、
太陽はちょうど頭の上あたりに来ていた。
下水路から上がった直後――
俺たちはまず、ギルドの裏手にある簡易水場でブーツの泥を落とし、
マスクを外して顔を洗いまくった。
「……生き返る……」
「秋人、今日それ三回目ですよ」
「言わせてくれよ、今日くらいは」
さっきまでいた場所を思い出すと、
今この空気が奇跡レベルでうまい。
「報告、先に済ませよう」
クレハがマスクを外しながら言う。
「臭いの、落ちきってないうちに」
「それな……」
というわけで、
俺たちは半乾きのまま受付カウンターへ向かった。
◇ ◇ ◇
「下水路第二層巡回、南区画担当の《フロンティア・ライン》です。
報告に来ました」
受付嬢にそう告げると、
「あ、ヘルマン様のほうにお願いします」と案内される。
ギルドマスター直行。
どうやらこの依頼、わりと“ちゃんとした案件”らしい。
執務室前でノックすると、
すぐに低い声が返ってきた。
「入りなさい」
扉を開けると、
書類の山を前にしたヘルマンがこちらを見上げる。
「戻ったか」
「ただいま戻りました」
思わずそう言ってしまったけど、
ヘルマンは特に突っ込まなかった。
「無事、指定ルートを一周できました」
ユイが、一歩前に出て報告を始める。
「巨大ネズミの群れが三度、
“吸魔コウモリ”が二群、
スライムが五体ほど、
アンデッド系はスケルトン四体と朽ちかけたゾンビが二体です」
淡々と数を挙げていくその様子は、
ホラーにビビっていた本人とは思えないくらい冷静だった。
「遭遇地点は?」
「ここです」
クレハが、簡易地図に印をつけながら説明する。
「ネズミは、水路の淀みが多い場所に集中。
吸魔コウモリは、天井が高くなっている区画。
アンデッドは、古い木箱や残骸が積まれているところに出やすい」
「ふむ」
ヘルマンは地図をじっと見つめる。
「“何かおかしい”と感じた場所は?」
「……一ヶ所だけ」
俺が口を開いた。
「ここです。
ネズミもスライムもいないのに、
水の流れが妙に澱んでた場所がありました」
地図の一点を指さす。
「今日は深追いしませんでしたが、
鼻と本能が“あんまり行きたくない”って言ってたので」
「その判断は正しい」
ヘルマンが即答する。
「調査依頼において、
“嫌な場所から引き返した”という記録は、
“深入りして消息不明になった”という報告より
百倍高く評価される」
「……よかった」
素で安堵の声が漏れた。
◇ ◇ ◇
「戦闘での負傷は?」
「特に大きな怪我はありません」
ユイが答える。
「軽い擦り傷と、
すべりかけて打った足くらいです」
「秋人の」
クレハがさらっと補足した。
「バラすなよ!?」
「報告だから」
「事実ですしね?」
二人に挟まれてぐうの音も出ない。
ヘルマンは小さく咳払いをした。
「初回としては十分だ。
指定ルートを回りきり、
遭遇した魔物を処理し、
“異常な気配”を持つ地点を報告した」
表情は相変わらず厳しいけれど、
声色にはわずかに柔らかさが混じっていた。
「《フロンティア・ライン》、
本日の依頼は合格とする」
「……よかった」
思わず小さく拳を握る。
◇ ◇ ◇
「報酬は、通常の下水路依頼分に、
初回ボーナスを少し上乗せしておこう」
「初回ボーナスなんてあるんですね」
ユイが目を瞬かせる。
「“二度とやりたくない”と、
最初から投げ出す者もいるからな」
ヘルマンが微妙に黒い笑みを浮かべる。
「それを乗り越えた者への、ささやかな奨励だ」
「……説得力あります」
「それと――」
ヘルマンは机の引き出しから、
小さな木札を三枚取り出した。
「これは?」
「ギルドと提携している浴場の無料券だ。
一人一枚。今日中のみ有効」
「……神か?」
思わず口から出た。
「神ではない。ギルドだ」
即否定された。
でも、今だけはヘルマンが女神様に見えた。
「下水路から戻った者に、
そのまま酒場へ行くなと、
何度言っても聞かない者が多くてな」
ヘルマンが肩をすくめる。
「最初から“風呂行き前提”の導線を作った」
「合理的すぎる……」
「そういう意味では、これは“ご褒美”であると同時に、
“衛生指導の一環”だ」
「でも、素直に嬉しいです」
ユイが笑顔で木札を受け取る。
「ありがとうございます」
「……ありがとう」
クレハも、珍しくはっきりした声で礼を言った。
◇ ◇ ◇
「最後に一つだけ確認する」
ヘルマンの視線が、
俺たち三人を順番になぞる。
「――まだ、下水路に行く気はあるか?」
一瞬だけ、部屋の空気が止まった。
臭い。暗い。滑る。
ネズミ、コウモリ、スライム、アンデッド。
嫌な要素しかない場所だ。
でも――
「……正直、毎日は勘弁してほしいですけど」
俺は言った。
「必要なら、また行きます」
ユイも、わずかに顔をしかめながら頷く。
「私も。
こういう場所を知らずに、
“冒険者やってます”って言うの、なんか違う気がしますし」
「……わたしも」
クレハは短く付け足す。
「嫌いだけど。
でも、一回歩いたから、二回目は少しマシ」
ヘルマンは、
ほんの少しだけ目を細めた気がした。
「それでいい」
短い一言。
「嫌悪と、それでも向き合おうとする意志。
それがあれば十分だ」
「はい」
「今日のところは、早めに切り上げろ。
風呂に入って、飯を食って、寝ろ」
それは、
王都ギルドマスターからの、
最高級の“今日はもう休んでいい”宣言だった。
◇ ◇ ◇
執務室を出ると――
廊下の向こうから、見慣れた二人組が歩いてきた。
「お、終わったか、《フロンティア・ライン》」
ギリアムと、ヘレンだ。
「どうだった、初下水路?」
「臭い、暗い、滑る、ホラー、以上」
「情報が主観に寄りすぎてる」
ユイのコメントに、ヘレンが苦笑する。
「でもまぁ、
その“最悪の第一印象”を乗り越えたんなら合格よ」
「ヘルマンさんに、“合格”って言われました」
「お、やるじゃないか!」
ギリアムが俺の肩をバンバン叩いてくる。
「今日はもう依頼入れんなよ。
ちゃんと風呂入って、飯食って、
“生きて戻った実感”を味わっとけ」
「その順番なんですね……」
「順番は大事。
下水路上がりのまま酒場来るやつ、
マジで嫌われるから」
ヘレンが真顔で言う。
「あと、
ユイ」
「はい?」
「ホラー苦手なのに、アンデッドちゃんと浄化したって聞いたわよ」
「だ、誰から聞いたんですか!?」
「ヘルマン」
「ギルマスぁぁぁッ!!」
ユイが顔を真っ赤にする。
そんなユイを見て、ギリアムが大笑いした。
「いいじゃねえか!
怖いのにちゃんと仕事してんだから、
それは立派な『冒険者』だ!」
「……そうですかね」
「そうだともよ!」
豪快な笑い方はうるさいけど、
不思議と嫌じゃない。
◇ ◇ ◇
「それじゃ、俺たちはこれから依頼に出る。
今日はゆっくりしとけよ」
「また酒場で話聞かせてください」
「おう、下水路武勇伝な!」
「武勇伝……?」
なんか名前が一人歩きしそうで怖い。
ギリアムたちと別れ、
俺たちはギルドを出た。
「……風呂」
「風呂ですね」
「風呂、行こう」
三人の意見が珍しく満場一致だった。
◇ ◇ ◇
提携浴場は、
ギルド本部からそう遠くない大浴場だった。
中に入ると、
受付の女性が木札を見るなりにっこりする。
「下水路明けですね。
お疲れさまです」
完全に“専用の顔”を持っているらしい。
「男女は別になっていますが、
“下水路セット”で汚れ落とし用の石鹸もお付けしますね」
「下水路セットってなんだよ……」
「王都の現実です」
ユイの冷静なツッコミが刺さる。
◇ ◇ ◇
男湯。
服をロッカーに入れ、
刀だけはそっと別の棚に置いておく。
「……今日はよく働いてくれたな」
少しだけ、柄を撫でる。
タツミから預かった一本。
まだ“俺の刀”とは呼べないけれど、
下水路の暗がりでも、
こいつがあったから前に出られた。
(いつか、自分だけの刀を手に入れて、
それを“相棒”って呼べたらいいな)
そんなことを考えながら、
風呂場へ入った。
湯気。
石の湯船。
広い浴槽。
湯に肩まで浸かると――
全身から、どっと力が抜けた。
「……文明……」
謎の単語が口から漏れる。
背中を湯に預けながら、
今日の下水路を思い返した。
臭かったし、怖かったし、
足もと悪くて何度もヒヤッとした。
でも――
(ちゃんと戻ってきた)
それが、たまらなく嬉しい。
◇ ◇ ◇
風呂から上がってロビーに出ると、
湯上がりのユイとクレハが待っていた。
ユイは髪を後ろでざっくりまとめ、
どこか柔らかい雰囲気をまとっている。
「秋人」
「ん?」
「やっぱりホラーは嫌いです」
「知ってる」
「でも――
“嫌いなものから逃げない”って決めてるんで」
ユイが少しだけ、いつもより頼りなげな笑みを見せた。
「また一緒に、お願いしますね」
「もちろん」
即答だった。
「その代わり、秋人は、
私が怖がってるとき、からかわないこと」
「努力する」
「努力じゃなくて、やらないこと」
「……気を付けます」
本気で刺されかねないので、
ここは素直に折れておく。
「クレハは?」
「……今日の下水路、秋人とユイがいたから、
そこまで怖くなかった」
クレハがぽそりと言う。
「ひとりだったら、多分、嫌になってた」
「それは俺も同じ」
俺は肩をすくめた。
「ひとりで下水路とか絶対いやだわ」
「じゃあ、次も三人で行く」
「そうだな」
自然に、そう言葉が出る。
◇ ◇ ◇
浴場を出て、
王都の空気を胸いっぱいに吸い込む。
依頼報酬は、
このあと軽く何か食べて、
残りを宿代と次の日の費用に回すつもりだ。
「今日は、あとは軽くご飯食べて、昼寝でもします?」
「賛成」
「わたしも」
王都生活はまだ始まったばかり。
今日の下水路も、その一日。
それでも――
(“王都の冒険者”として、一歩は踏み出せた、かな)
そんなことを思いながら、
俺たちは並んで石畳の通りを歩いていった。
次にどんな依頼が来るのかは、まだ知らない。
でも、三人なら――きっと、なんとかなる。
そう思えるだけの“小さな自信”を、
今日のご褒美として胸にしまい込んだ。
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