第90話 危険貴族リストと、“線”を教える大人たち
王都ギルド本部に戻ってきたころには、
高い窓から差し込む夕方の光が、
ロビーを薄いオレンジ色に染めていた。
昼間の喧騒は少し落ち着き、
代わりにカウンター前には、
精算待ちの冒険者たちの列ができている。
「はぁ……」
列に並びながら、
俺は小さく息を吐いた。
今日は一日中、市場を歩き回って、
人の流れと声と視線の中にいたせいで、
魔物相手とは違う種類の疲労感がある。
「戦闘してないのに疲れましたね……」
隣でユイがぽつりと言った。
「人混みって、案外スタミナ持っていきます」
「人混み+揉め事予備軍だしな」
「秋人くん、途中から“揉めそうな場所探す顔”になってましたよ」
「そんな顔あったのか俺……」
クレハは、無表情のまま小さく頷いた。
「“めんどくさい気配探知”の顔してた」
「新スキルやめろ?」
◇ ◇ ◇
「お待たせしました。《フロンティア・ライン》の皆さんですね」
順番が回ってくると、
昨日と同じ受付嬢が笑顔で迎えてくれた。
「はい。
中央市場の見張り依頼、完了しました」
「お疲れさまです。
状況をお聞きしてもいいですか?」
「大きな乱闘はなし。
荷車の位置や通路を調整しながら、
ちょっとした口論をいくつか止めました」
俺はかいつまんで説明していく。
「スリが一件、“未遂”で発見。
少年だったので、市場主任のマルコさんと相談して、
今日は荷物運びを手伝わせる形にしました」
「マルコさんがそれで納得されたなら、
ギルドとしても問題ありません」
受付嬢は、さらさらと書類にメモを取りながら頷く。
「中央市場側からも、“助かった”と報告が来ていますよ」
「それは何よりです」
「ギルドマスターにも、詳細は共有しておきますね」
「お願いします」
ギルドカードを渡すと、
受付嬢が魔道具に通し、依頼完了の印を刻んでいく。
「報酬はこちらです。
それと――」
受付嬢が言いかけたところで、
「《フロンティア・ライン》」
後ろから、低くよく通る声がした。
振り返ると、
ギルドマスター・ヘルマンが、
壁にもたれた姿勢のまま、こちらを見ていた。
声は大きくない。
怒鳴り声でも、威圧でもない。
けれど、その視線に気づいた瞬間、
自然と背筋が伸びる。
「時間はあるか」
「……はい」
俺が答えると、
ヘルマンは目線だけで奥の廊下を示した。
「話がある。来なさい」
「わかりました」
三人で軽く会釈してから、
ヘルマンのあとを追った。
◇ ◇ ◇
通されたのは、
昨日も使った応接用の小部屋だった。
丸テーブルと椅子が四脚。
壁には王都周辺の地図、
棚には書類がぎっしり詰まっている。
「座れ」
ヘルマンが短く告げ、
自分も対面に腰を下ろす。
すぐに職員が温かい飲み物を運んできた。
淡い茶色の液体から、ほのかに薬草のような香りが漂う。
ヘルマンはカップには手をつけず、
まっすぐこちらを見た。
「まず、市場の件だ」
感情をあまり乗せない声で、淡々と話し始める。
「報告は受理している。
――混乱は最小限。
死人なし、重傷者なし。
スリ一件、未遂で抑止」
「はい」
「判断は妥当だ」
それだけ。
必要な分だけの評価。
だが、それで十分だとわかる声色だった。
「弱者を甘やかす必要はない。
かといって、切り捨てるだけでは街が荒れる。
今日お前たちがしたのは、その中間だ」
ヘルマンの視線が、俺→ユイ→クレハと順番に止まる。
「それでいい」
短いけれど、重たい言葉だった。
「……ありがとうございます」
素直に頭を下げると、
ヘルマンは小さく頷いた。
「本題はもう一つある」
空気が、少しだけ引き締まる。
「昨日――貴族に声をかけられたな」
避け道のない切り口。
けれど、責める気配はない。
「……はい。
レオンハルト・エルステッドと名乗っていました」
「間違いない」
ヘルマンの目がわずかに細くなる。
「王都ギルド内での扱いは、
**“Bランク危険貴族”**だ」
淡々と告げられた一言に、
ユイが小さく息を呑んだ。
「“危険貴族ランク”っていうのがあるんですか?」
「正式な制度ではない。
ギルド職員と、一部冒険者の間での共有用だ」
ヘルマンは説明を続ける。
「Aランクは“即時警戒・共同対処対象”。
ギルド・教会・騎士団が同時に動くレベルだ」
「それは……会いたくないですね」
「普通は会わないように動く。
Bランクは、“距離を取りつつ監視”。
Cランクは、“面倒だが致命傷にはなりにくい”」
「で、そのレオンハルトがB、と」
「そうだ」
ヘルマンは、机の上で指を組む。
「エルステッド侯爵家の次男。
本人の戦闘能力は平凡だが、
家名と財力が中途半端に強い」
そこで一拍おいて、静かに続ける。
「権力に対する自覚が足りない。
それが、最も厄介な点だ」
「……やっぱり」
昨日の、あの「当然」の態度が頭をよぎる。
「彼は暴力を好まない。
自分で手を汚すこともしないだろう」
ヘルマンの声が少しだけ低くなる。
「だが、自分の気まぐれで人を巻き込む。
“断られた”という事実一つで、
依頼や交友関係に、じわじわと影響が出ることがある」
「直接、何かされるってわけではないんですね」
「そうだ。
だからこそ、余計に質が悪い」
淡々としているのに、
言葉だけがひんやりと重い。
「昨日、何を言われた?」
俺は、レオンハルトとのやり取りを、
要点だけかいつまんで話した。
専属契約の誘い。
“後ろ盾になる”“装備や情報を優先する”といった甘い言葉。
そしてその代価としての、“自分の依頼を優先しろ”“茶会に顔を出せ”――。
「……断った理由は?」
「誰か一人に線を握られたくないからです」
自分の中で整理していた言葉を、そのまま口に出す。
「今はまだ、自分たちで“どこまで踏み込むか”“どこで引くか”を決めたい。
依頼も、関係も」
ヘルマンは、しばらく俺たちを見ていた。
嘘がないか、
理解しているか、
そこを静かに確かめているような目だった。
「……判断としては正しい」
短い結論。
「王都で“貴族専属”を選ぶということは、
自分の成長より、貴族の都合を優先するということだ。
短期的には楽だが、長期的には足枷になる」
静かに、
言葉だけがまっすぐ刺さってくる。
「エルステッド家は、“若い冒険者”を好む。
新しい玩具のようにな」
その言い方に、
ユイの肩がわずかに震えた。
「ただし、あの家は“守り方”を知らない。
保護の仕方も、育て方もだ」
「……」
イメージが、嫌なくらいにそのままだ。
「ギルドとしては、介入する」
ヘルマンは言う。
「お前たちが勝手に問題を起こしたわけではない。
ギルドの管轄区域内で起きた事案だ」
「そんなことをして、
ヘルマンさん自身は大丈夫なんですか?」
ユイが控えめに尋ねる。
「問題ない」
即答だった。
「ギルドマスターは、
“嫌われ役”を引き受ける立場だ。
ここで動かなければ、存在理由がない」
それは、自己犠牲でも自慢でもなく、
ただ職務を述べているだけの声だった。
「お前たちは、“専属にはならない”という線を引いた。
あとは、その線を守り続ければいい」
「……はい」
「もう一つ」
ヘルマンは、棚から小さな紙片を取り出した。
「王都冒険者向け簡易危険貴族リストだ。
正式な文書ではない。
だが、目は通しておけ」
紙には、いくつかの名前と、
短い注意書きが書かれている。
レオンハルト・エルステッド
──若い冒険者への接触多/専属誘い/断っても即時の危害はないが、後々面倒。
他にも、“ギルド職員への口利きを匂わせる家”、“慈善活動の裏で情報収集”など、
ろくでもない特徴が並んでいた。
(ゲームの敵データ表かな?)
内心で突っ込みたくなる。
「王都では、
“誰と関わらないか”も力だ」
ヘルマンの声が、静かに響く。
「それから――教会のエルナにもこの件を伝えろ」
「エルナさんにも、ですか」
「教会側の線引きは、あの女神官が最も把握している。
貴族と教会とギルド、その三つの均衡をな」
そういえば、エルナも“王都には知り合いが多い”と言っていた。
「お前たちはすでに、ラグナスで“エルナの線”の中にいる。
それは利用していい」
「……わかりました。
戻ったら、ちゃんと報告します」
「そうしなさい」
ヘルマンは、そこで少しだけ姿勢を変えた。
「最後に、明日のことだ」
視線が、俺たち一人ひとりを捉える。
「下水路の護衛依頼を受けるつもりはあるか」
「はい」
俺は迷わず答えた。
「今日、市場で“地上の顔”は少し見えました。
なら次は、“地下”も見ておくべきだと思います」
ヘルマンは、短く頷いた。
「下水路は楽な仕事ではない。
臭い、狭い、足場が悪い。
小型の魔物も出る」
淡々とした説明。
「だが――」
そこで一拍置き、はっきりと言う。
「街を守る者は、街の腹の中を知らなければならない」
その言葉は、
ラグナスで考えていた、地下避難所や水路の話と重なった。
「今日の市場は王都の“顔”だ。
明日は王都の“内臓”を見ることになる」
「例えが生々しいです」
思わず突っ込むと、
ヘルマンはごくわずかに口元を緩めた。
「生々しいほうが、よく覚える」
そう言ってから、
静かに締めくくった。
「今日はもう休め。
報告と最低限の準備だけでいい。
休息は、明日の結果に直結する」
「はい」
「失礼します」
三人で立ち上がり、礼をして部屋を出た。
◇ ◇ ◇
廊下を歩きながら、
ユイがぽつりと呟く。
「……怖い人ってわけじゃ、ないんですよね」
「うん」
俺も、さっきの空気を思い出しながら頷いた。
「怒鳴られたわけでもないのに、
“気を抜くな”ってだけはしっかり伝わってくる感じ」
「でも、嫌な感じはしない」
クレハが短く言う。
「嘘つかない人。
必要なことだけ、はっきり言う」
「それは本当にそう」
ギルドマスターって、こういう人なんだろうな、という納得感がある。
◇ ◇ ◇
ロビーに出ると、
「おーい、《フロンティア・ライン》!」
聞き覚えのある声がした。
見ると、ギリアムとヘレンが、
カウンター横から手を振っている。
「市場依頼、お疲れ」
「どうだった?」
「魔物より人のほうが手強かった」
俺がそう答えると、
ギリアムが「だよなぁ」と笑った。
「で、あの話は聞いた?」
ヘレンが声を落とす。
「レオンハルト・エルステッド。
Bランク危険貴族」
「さっき、ヘルマンさんから直接教わった」
「なら安心ね」
ヘレンは、少しだけ肩の力を抜いたように見えた。
「絡まれたのは運が悪い。
でも、そこで専属にならなかったのは正解」
「専属になったパーティも、いるんですか?」
「いる」
ギリアムが肩をすくめる。
「で、今は“他の貴族からもギルドからも距離置かれてる”」
「……きついな」
「“あの家の犬だろ”って見られるからな」
言い方は軽いが、
そこに含まれた現実は軽くない。
「だからさ」
ヘレンが、まっすぐこちらを見る。
「困ったら、一人で抱え込まないこと。
ギルドか、教会か。
どっちかに必ず相談する」
「それが、この街のルールです」
はっきりと言い切るその声に、
王都で生きてきた時間の重みを感じた。
「明日、下水路行くんだって?」
「……なんで知ってるの?」
「さっき酒場に行ったら、もう話題になってた」
ギリアムが笑う。
「“ラグナスの新星、王都の腹の中へ”ってタイトルでな」
「勝手に物語タイトル付けないでほしいんだけど」
「でもまぁ、下水路抜けたら――」
ギリアムは、指を一本立てた。
「“王都の七割は見た”って言っていい」
「残り三割は?」
「城と貴族街と、教会の上のほう」
「……今は、七割でいいかな」
「それでいいよ」
ヘレンが小さく笑った。
「綺麗なところしか見てない人より、
下水路を歩いた人のほうが、この街をちゃんと知ってる」
それは、妙に納得できる言葉だった。
「じゃ、明日生きて帰ってきたら、
うまいものでも食べに行こう」
ギリアムがひらひらと手を振る。
「その“生きて帰ってきたら”ってやつ、
フラグっぽいからやめて」
「大丈夫大丈夫。
死にはしねぇよ。臭いだけだ」
実体験らしい一言が返ってきた。
◇ ◇ ◇
ギルドを出ると、
空はすっかり夕暮れから夜に移りかけていた。
通りの魔道具灯がぽつぽつと灯り、
昼より少し落ち着いた人の流れが行き交う。
「……なんか」
宿への道を歩きながら、
ユイがぽつりと言った。
「王都って、“キラキラした都会”ってだけじゃないんですね」
「だな」
「綺麗なところと、汚いところと、
悪い人と、ちゃんと守ろうとしてる人と。
いろんなものが混ざってる」
「ヘルマンさん、“愚かで賢い街”って言ってた」
クレハが思い出したように言う。
「でも、“守ろうとする人”がいる街は、嫌いじゃない」
「俺も」
ラグナスでもそうだった。
ここでも、それは変わらない。
(その人たちが引いた“線”の、内側にいないとな)
ギルドと教会。
その二つの線の中で動くこと。
それが、
今の俺たちにできる最大限の“賢さ”なのかもしれない。
「じゃ、とりあえず――」
宿《銀の輪亭》の看板が見えてきたところで、
俺は二人を振り返った。
「今日は風呂入って、飯食って、早く寝る。
明日の下水路は、多分、体力も精神も持っていかれる」
「覚悟しておきます」
「鼻も鍛える」
「だからそれどうやって?」
「甘いもの食べて、いい匂い覚えておく」
「それは鍛えるっていうより、
“心の保険”じゃないですか?」
「保険も大事」
「それは同意」
三人で笑いながら、
宿の扉を押した。
王都二日目の夜は、
危険貴族の名前と、
“線を守る大人たち”の存在を、
はっきりと知る夜になった。
そして明日は、
王都の“腹の中”を歩く日だ。
胃と、鼻と、心の準備をしながら。
俺たちは、それぞれのベッドに潜り込んだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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