第78話 出発、そして動き出す牙
宿場町の朝は、ラグナスより少し賑やかだった。
行商人たちの怒鳴り声、馬のいななき、
パンを焼く匂いと、どこかの酒場から漏れる笑い声。
――それでも、砦や野営地に比べたら、圧倒的に「平和な音」だ。
「おはよ、秋人くん」
階段を降りると、テーブル席でユイがパンをちぎっていた。
髪はすでに高い位置でポニーテールに結われていて、
身支度はほぼ完了している。
「おはよう。早いな」
「商人さんって朝早いでしょ? それに付き合う護衛はもっと早く、だよ」
「耳が痛い理屈だ……」
向かいに座って黒パンをかじる。
焼き立てで、中は思った以上に柔らかい。
「クレハは?」
「馬見てる。
“今日の機嫌、悪くない”って」
「馬の機嫌聞いて分かるって、だいぶすごくない?」
「“匂いでちょっと分かる”って。
秋人くんの寝不足も分かるって言ってたよ?」
「マジかよ」
どこまで本気なのか分からないけど、
クレハなら本当にありそうなのが怖い。
◇ ◇ ◇
朝食を終え、荷物をまとめて宿を出る。
宿の女将さんが、見送りに出てきてくれた。
「気をつけてね。
あんたたちみたいな若いのが頑張ってくれてるおかげで、
こっちも商売ができるんだからさ」
「また帰りに寄れるように、ちゃんと護衛こなしてきます」
軽く頭を下げると、女将さんは満足そうに頷いた。
「ラグナスのギルマスに、ここのパンが好きだって伝えときな。
“また買いに来るように”って」
「それ、完全に営業じゃないですか」
「商売人だもの」
ニナと気が合いそうだな、この人。
◇ ◇ ◇
宿場町の門を出るとき、
門番の兵士がこちらに目を留めた。
「ラグナスからの王都行きキャラバンだな?」
「はい。ラグナス支部Cランク《フロンティア・ライン》、護衛任務中です」
ギルドカードを見せると、
兵士は頷きながら、少しだけ表情を引き締めた。
「西の森のほうで、盗賊の目撃報告が増えてる。
この町から一日分くらい離れた辺りが一番危ない」
「やっぱり、そこですか」
「知ってたのか?」
「ラグナスのギルマスも、似たことを」
兵士は小さく笑って、
街道の先を顎で示した。
「“気を張りすぎて潰れるな。でも、油断はするな”。
俺たちから言えるのは、それくらいだ」
「十分です」
礼を言って、馬を進める。
背後で門が閉まる音が、妙に重く響いた。
(ここから先は――)
完全に「外」だ。
◇ ◇ ◇
午前中の道のりは、驚くほど順調だった。
森に入る前の草原地帯は、視界も良く、
出てくる魔物も、小型のウサギ型魔獣や、
遠巻きにこちらを見てすぐ逃げる狐くらい。
「昨日の狼たちのほうが、よっぽど厄介だったね」
ユイが軽く笑う。
「でも……気配は、やっぱり“いる”」
クレハがぽつりと付け足した。
「昨日よりも、“距離が近い”。
でも、まだ歯は見せてない」
「こっちも“歯を出しかけてる”くらいで止めとけってことかな」
刀の柄に軽く手を当てながら、
俺は周囲を見渡した。
街道は少しずつ森の中へと入り込み、
左右の木々が密度を増してきている。
(……地形的には、そろそろ“やりやすい場所”だよな)
高低差、見通し、隠れ場所。
盗賊側から見れば、選択肢がいくらでもある区間だ。
◇ ◇ ◇
やがて、街道の真ん中に――
一本の倒木が転がっているのが見えた。
「……出た」
ユイが眉をひそめる。
「これ、やっぱり“あるある”なんだね」
「倒木、ですか。自然に倒れた可能性もゼロじゃないけど……」
ニナが荷馬車の上から身を乗り出す。
「どう見ても、真っ直ぐ“道の幅ぴったり”に倒れてるよね。
自然にここにこんな都合よくは落ちないかな」
「問題は、“今すぐどかすべきかどうか”」
俺は馬を止め、刀の柄から手を離さずに周囲を見た。
倒木は、荷馬車一本分ほどの太さ。
少し手間をかければ、人力でも動かせそうだ。
だが――
「不自然なところ、ある?」
「……ある」
クレハが即答する。
「木の根元、見て。
切り口、きれいすぎる。斧か、ノコギリ」
「倒れた方向も、不自然ですね」
ユイが付け足す。
「街道のど真ん中に沿うように倒れてる。
“道を塞ぐために”置いた、って感じ」
「位置も悪い」
クレハは、倒木の前方と後方を交互に見た。
「ここ、道の両側が盛り上がってる。
“上から見下ろせる”」
「……なるほど」
完全に「教科書に載せられそうな」罠地形だ。
「どうする、リゼ?」
「そうねぇ」
リゼは肩を回してから、さらっと言った。
「“触らない”って選択肢もあるわよ?」
「触らない?」
「倒木ごと、迂回して森の中を抜けるとか。
まぁ、それはそれで危険なんだけど」
「どっちも危険ってことですか……」
「そういうこと」
リゼはわざとらしくため息をついた。
「“安全な選択肢”なんて滅多に落ちてないのよ。
現実はだいたい、“マシなほうを選ぶゲーム”」
「うわぁ……身も蓋もない」
◇ ◇ ◇
少し考えたあと、俺は口を開いた。
「……倒木は、どかす。
ただし、“今すぐ全員で動かす”のはやめたほうがいい」
「うん」
ユイが頷く。
「誰が倒木に近づいて、誰が周囲を見て、
誰が荷馬車のそばに残るか。
役割、ちゃんと決めよ?」
「俺とユイで、倒木まで歩いて確認。
クレハは少し後ろから、木の上と左右の森を警戒。
ニナの荷馬車のそばには、リゼと護衛たち」
「了解」
「了解」
「了解したー」
それぞれの位置につき、ゆっくりと倒木に近づく。
森の匂いが濃くなる。
鳥の声が、一瞬だけ遠のいた気がした。
(……いるな)
真上ではなく、左右、そしてもう少し奥。
複数の視線が、こちらの出方を見ている。
それでも、誰もまだ動かない。
“こっちがどう動くか”を、最後まで確認しようとしている。
◇ ◇ ◇
「根元の切り口、どう?」
ユイが小声で尋ねてくる。
間近で見ると、倒木の切断面はさらに鮮明だった。
「やっぱり人為的だ。
しかも、この太さをサクッと切る道具って時点で、
そこそこ準備してる連中だな」
「時間かけて準備してるってことは、
“ここを狙う気満々”ってことでもあるね」
「だろうな」
倒木を一回見回し、踏み台代わりにそっと乗ってみる。
特に仕掛けはない。
(倒木そのものには、罠仕込んでないか)
それはそれで、逆に嫌な感じだ。
「どうする、秋人くん」
「……どかす。
けど、“どかしきらない”」
「どかしきらない?」
「荷馬車がぎりぎり通れるくらいの隙間だけ作って、
“あとはそのままにする”。
完全に道をきれいにしてしまうと、
“ここを獲物にする気満々の盗賊”のほうが、次に工夫してくる」
何より――
「倒木があったってことは、
“ここに罠を張ると便利だ”って地形ってことだからさ」
「……あぁ」
ユイが小さく笑った。
「“その地形を、こっちが覚えておく”ってことだね」
「そういうこと」
◇ ◇ ◇
倒木の端を、二人で持ち上げる。
重さはあるけど、運べないほどじゃない。
「せーのっ」
「っと」
道の脇へ、少し斜めになるようにずらす。
完全にどかさず、あえて「通りにくい角度」で止めた。
これなら、荷馬車は速度を落とせば通れるが、
馬車ごと一気に突っ込むのは危険だ。
逆に、盗賊側も「突っ込んで乗り越えてくる」ことはやりにくい。
「よし。戻ろう」
「うん」
荷馬車のところへ戻ると、ニナがひょいっと親指を立てた。
「ナイス。
全部片づけちゃうより、“なんとなく面倒なまま”残しとくほうが、
後々ラクなこともあるんだよね」
「商人目線?」
「そう。
“易きに流れたくなる場所”って、泥棒も好きだからさ」
「説得力あるな……」
◇ ◇ ◇
倒木ゾーンを抜けてしばらく進むと、
森はさらに深くなった。
頭上を覆う枝葉。
斑に差し込む光。
街道は続いているが、左右の見通しはかなり悪い。
「ここから先が、“今日の本番”って感じね」
リゼが声を落として言う。
「三人とも、魔力の残量とスタミナ、ちゃんと自分で把握しておきなさい」
「今のところ、半分以上は残ってる」
「わたしも。
《守護の加護》は一回も使ってないし、
支援魔法も温存できてる」
「爆薬も、まだバッグの中。
“どこに何個あるか”、ちゃんと覚えてる」
クレハの言葉には、妙な安心感があった。
「よし。
じゃあ――」
リゼが、ふと顔を上げた。
「――来るわよ」
◇ ◇ ◇
それは、ほんの一瞬だった。
耳に届いたのは、小さな「パキン」という音。
木の枝が折れる、乾いた音。
その直後――
前方の街道に、土煙を上げて何かが転がり込んできた。
「馬車だ!」
ニナが叫ぶ。
古びた荷馬車が一台、横倒しになって転がり、
道を塞ぐように止まった。
中身は空。
形だけの「障害物」だと、見ればすぐ分かる。
(さっきの倒木と、似た発想)
ただし、こっちのほうが露骨で――
同時に、準備も派手だ。
「止まれぇっ!」
左右の森の中から、怒鳴り声。
次の瞬間、矢が何本も、
俺たちの周囲の地面や木の幹に突き刺さった。
標的は、明らかに――荷馬車のすぐ手前。
「動くな! これ以上進んだら、馬と御者から蜂の巣だ!」
男の声が響く。
森の影から、外套姿の男たちが、じわじわ姿を現した。
弓を構えた者、短剣を抜いた者、
それぞれが位置取りをしながら、こちらを囲むように広がっていく。
「……来たか」
俺は、静かに刀の柄を握った。
(ここまでやって、“ただの山賊”って顔じゃない)
動きに迷いが少ない。
互いの距離を測り合う位置取り。
弓の構え方も、素人のそれではない。
――盗賊ギルド。
おそらく、ここの一帯を仕切っている連中だ。
◇ ◇ ◇
その中でも、一歩前に出てきた男がいた。
ボロい外套。
だが、その下に隠れている身のこなしは軽い。
「よぉ、ラグナスの三人組」
にやり、とくたびれた狼みたいな笑み。
「噂は聞いてるぜ。“フロンティア・ライン”だったか?」
「……こっちの名前、知ってるんですね」
「仕事だからな。
“どこの支部の、どこの奴らが、どの街道をいつ通るか”
それくらいは調べておくさ」
男は、視線を荷馬車へ滑らせる。
「そっちの銀髪エルフの嬢ちゃんは――言わずと知れたSランク。
商人の小娘も、名前が売れ始めてる。
護衛の腕も、それなり以上」
「あら、光栄ね」
リゼが肩をすくめる。
「でも、褒めたところで“通してあげよう”とかは思わないわよ?」
「お互い様だ」
男はあっさり言った。
「――“こいつは王都行きの特別な荷物だ”。
お前たちも、それは承知の上だろ?」
核心に触れられ、ニナの表情が少しだけ固くなる。
「中身をよこせとは言わない」
男は、指先で「ひとつ」のジェスチャーを作った。
「ただ、その中身が入ってる箱を、こっちに渡してくれりゃいい」
「それをよこせって言うのを、“よこせとは言わない”って言うんですかね」
ユイが冷静にツッコミを入れる。
「そうね、言い方の問題ね」
リゼが苦笑した。
だが男は、笑いもしなかった。
「――ここで全員死ぬか」
わずかに顎を上げ、森の影に目配せする。
その瞬間、さらに数人の気配が濃くなる。
「誰も死なずに帰るか。
“箱一つ、失くしただけ”で済ませるか」
男は、射抜くような視線をこちらに向けた。
「選べ」
◇ ◇ ◇
喉が、かすかに鳴った。
怖くないと言えば嘘になる。
だが――
(この荷を守るって決めて、ここまで来た)
ラグナスから出る前に交わした言葉。
ボルグの手の重み。
エルナのお守り。
全部まとめて、胸の奥に押し込んだ。
「……選ぶまでもない」
刀を少しだけ抜き、鞘に戻す。
カチリ、と金属同士が鳴る音。
それを合図にするように、一歩前へ出た。
「箱も仲間も、全部守って帰る。
それ以外は選ぶ気ないです」
静かに、はっきりと言う。
「さすが、“線を引く側の顔”になってきたわね」
背後から、リゼの小さな独り言。
ユイとクレハが、それぞれの位置に自然と散る。
「……そうかよ」
外套の男は、しばらく俺の顔を見て――
ふっと、笑みを消した。
「なら、“仕事”を始めるだけだ」
手が、わずかに下ろされる。
森の中で、弓弦の音が一斉に鳴った。
矢が、雨のように放たれる。
その瞬間――
「――《ガード・サークル》!」
ユイの足元から、光の輪が弾けた。
見えない壁が、矢の雨を弾く。
甲高い音が連続して響いた。
防ぎ切れなかった数本が、地面と木の幹に突き刺さる。
「《影走り》」
クレハの姿が、ふっと薄くなり、左右の影へ散っていく。
「さぁて」
背後で、リゼが剣を抜く音。
「Sランクの授業、開講の時間よ」
その声に合わせて、
俺は前へ踏み込んだ。
(守るって決めたんだ。
だったら――)
ここで引く選択肢なんて、最初からない。
《フロンティア・ライン》と盗賊ギルドの、
本気のぶつかり合いが始まった。
つづく。
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