第76話 宿場町までの道と、探り合いの牙
二日目の空は、やけに青かった。
昨日より少しだけ乾いた風。
街道の両脇には低い丘が続き、ところどころに小さな林が点在している。
「今日は、夕方までに宿場町に着けるはずだからねー」
荷馬車の上から、ニナがいつものテンションで手を振る。
「途中で何回か休憩入れて、馬も人も無理はさせないように――
が、今回の目標でーす」
「“何事もなければ”だよね?」
ユイが苦笑気味に返す。
「そう。何事もなければ」
リゼが、その言葉をなぞるように言った。
「だからこそ、“何かありそうな場所”は、ちゃんと見て歩くのよ」
「何かありそうな場所?」
「たとえば――」
リゼが前方を指さす。
「これから先に出てくる、わざわざ街道をくぼませた場所とかね」
少し先。
緩やかな下り坂の先に、窪地のようになった一帯が見える。
道の両側が少しだけ高くなっており、
そこからなら街道を見下ろせそうな地形。
「うわ……」
「いかにも、上から石とか転がされそうな場所」
「そういうこと」
リゼが肩をすくめる。
「まぁ、今日はまだ“そこまでの動き”はしてこないと思うけどね。
今は、おそらく“探り合いの時間”」
「探り合い……」
昨日の夜の、遠くからの視線を思い出す。
(こっちも、向こうも、“相手の癖を測ってる”ってことか)
「こっちの配置とか、誰がリーダーかとか。
誰が一番魔力を持ってそうか、とかね」
「……一番魔力持ってるの、実は僕なんですけどね」
「そこは上手く隠しなさい」
リゼがくすくす笑う。
「見た目だけなら、“一番危なそうなのは銀髪エルフ”ってことにしておくのが一番。
Sランクの名前は、舐めてかかれない目印にもなるから」
「便利なんですね、Sランクの看板って」
「便利よ? 面倒ごとも増えるけどねー」
◇ ◇ ◇
街道の窪地に差し掛かる前に、一度停止して周囲を確認する。
「クレハ、どう?」
「……気配、増えてる」
クレハは馬上から、丘の斜面をじっと見る。
「昨日より、“目の数”が多い。
左右、丘の上、三ヶ所くらい」
「三ヶ所……」
ユイも周囲に視線を走らせた。
「でも、姿は見えない。
“見られてる”けど、まだ動いてない感じ」
「やるなら、もっと先だろうな」
俺は土の感触を靴越しに確かめる。
「ここで仕掛けるなら、もっと人数がいるはず。
石とか木とか、簡単に転がせる地形だし。
今は“通り方”を見てるだけかも」
「正解」
リゼがあっさり頷く。
「だからこそ、“雑な通り方”はしない。
でも、“全部にびくついてる”って顔もしない」
「難易度高い……」
「慣れるわよ」
リゼは馬を一歩前に出した。
「ここは、私がちょっと派手に先行する。
“ここを襲いたいなら、まずSランクをどうにかしてからね?”って、
分かりやすく教えてあげましょ」
「リゼ、それ……」
「牽制は大事よ。
攻撃だけが戦いじゃないの」
そう言って、リゼは軽い足取りで窪地へと進んでいった。
◇ ◇ ◇
荷馬車はいつもより少しだけ間隔を広く取って進む。
俺たち三人は、車列の左右と後方に散開して“線”を張る。
窪地を抜けるまで、特に何も起きなかった。
けれど、背中に刺さる視線は、明らかに昨日より強い。
(……やっぱりいるな)
丘の上。
草むらの影。
風の流れに紛れて、わずかな“人の匂い”。
俺はわざと、ちらりとだけ丘の上へ視線を滑らせる。
視線が交わることはなかったが――
“そこにいる”ってことだけは、互いに理解し合っているような、
妙な空気があった。
◇ ◇ ◇
窪地を抜け、少し開けた場所に出たところで、
ニナが合図を出す。
「ちょっとここで一回休憩しよっか。馬も疲れてるだろうし」
荷馬車を止め、俺たちは周辺の警戒と見張りを分担する。
「水と干し肉、食べとけよー。
昼近くなると、日差しもきつくなってくるからね」
「ニナは?」
「もちろん食べる。喋るにはエネルギーがいるの」
「“喋る専用のスタミナ”ってあるんだ……」
くだらないやり取りをしながらも、
心のどこかはずっと緊張したままだ。
ふと、クレハが俺の袖をちょん、と引っ張った。
「秋人」
「ん?」
「向こう、見て」
クレハが顎で示した先――
少し離れた丘の上に、わずかな動きが見えた。
ボロい外套を着た男が一人。
こちらを見ていた……が、すぐに姿を消した。
(わざと、見せた?)
隠れる気がないほど雑な動き。
“見ろ”と言わんばかりの、あからさまな存在感。
「威嚇、かな」
ユイが小声で言う。
「“こっちはお前たちを見てるぞ”って、見せつけてきた」
「こっちも、“気づいてるぞ”って顔すればいい」
クレハが短く頷く。
「でも、“今は戦う気はない”って顔もする」
「そのバランス、難しいな……」
「秋人、よくやってる」
唐突な褒め言葉に、思わずむせかけた。
「な、なんだよ急に」
「ドルガンが言ってた。“線の引き方、うまくなってる”って」
「……聞いてたのか、それ」
「うん。
だから、“秋人が決めた線”の中に、ちゃんといる」
クレハは、そう言ってほんの少しだけ笑った。
その笑い方が、妙に頼もしく見えて――
俺は気持ちのどこかを、ほんの少しだけ預けることにした。
◇ ◇ ◇
その頃、少し離れた丘の裏側では。
「今の、わざと見せました?」
若い男が問いかけると、外套の男――盗賊ギルドの小隊長は、鼻で笑った。
「あぁ。
“こっちがいる”って教えておいてやったほうが、案外楽なんだよ」
「楽、ですか?」
「ビビってペース崩す奴もいるし、
逆に“動くなら構えが必要だ”って身構えさせることもできる」
男は、街道の向こうにいる銀髪のエルフと、その弟子たちを見た。
「あいつらの場合は――そうだな。
“疲れさせる前の準備運動”ってとこだ」
「今日、襲わないんですか?」
「襲わねぇよ」
男は短く答える。
「お前ら、あいつらの顔、ちゃんと見ただろ」
「……はい」
「“まだ余裕がある顔”だ。
銀髪のエルフは論外として、
あの三人も、“全力の半分も出してねぇ顔”してる」
「……」
「狙うなら、もっと先だ。
宿場町を出たあとか、その手前の森の中」
男は指先で地図をこすり、その一点を示した。
「“街の安全圏から、遠ざかりきったあたり”が、一番おいしい」
◇ ◇ ◇
昼を過ぎ、太陽が頭上から少し傾き始めるころ。
空気はじりじりと熱を帯びてきた。
「そろそろ、今日の山場が来そうね」
リゼがぽつりと言う。
「山場?」
「魔物でも、人でも、“襲いやすい時間帯”ってあるのよ。
暑さで集中力が落ちて、空腹や眠気も出てくる頃」
「つまり、今?」
「そう。
だからこそ――」
リゼは馬上から、少しだけ声を張った。
「ここから先、しばらくは “魔物戦闘訓練モード” に入りまーす!」
「訓練モード……?」
ニナが首をかしげる。
「言い方の問題よ。
“いつ襲われてもおかしくない時間帯だから、
あらかじめ気持ちを戦闘寄りに切り替えておこうね”って意味」
「……それ、なんでちょっと可愛く言おうとしたんです?」
「可愛く言わないと、プレッシャーで胃が死ぬでしょ?」
言われてみれば、その通りかもしれない。
◇ ◇ ◇
その直後だった。
前方の茂みから、低い唸り声が上がる。
狼だ。三体。
――いや、その後ろにもう数体。
「来る!」
ユイが即座に槍を構える。
「《フット・エンチャント・ウィンド》」
俺も脚に風をまとわせて前に出た。
だが狼たちは、まっすぐ俺たちには向かってこなかった。
視線はチラチラと荷馬車のほうへ向き、
じりじりと距離を測っている。
(狙いは人か荷馬車か――)
「秋人!」
クレハの声。
その瞬間、俺は違和感の正体に気づいた。
(狼の“目”が……)
怖がっている。
空腹と獰猛さよりも、どこか怯えた光。
(“追い立てられてる”……?)
まるで、誰かに棒で突かれて前へ出されているような、そんな動き。
「――っ、ユイ! 狼、なるべく殺さず追い払えるか!?」
「えっ?」
「人間が後ろで操ってるかもしれない!
狼を使って“反応を見るつもり”の可能性がある!」
一瞬の逡巡のあと、ユイはすぐに頷いた。
「分かった!」
槍先に、淡い光が宿る。
「《威嚇衝撃》!」
地面を軽く叩くと、衝撃波が土を打ち、
狼たちの足元をすくうように揺らした。
「キャンッ!」
「グルルッ!?」
狼たちは驚き、足をもつれさせて転がる。
その隙に、クレハが影のように回り込む。
首筋すれすれをかすめる短剣。
絶妙な力加減で、“怖い目”だけ見せて、致命傷は避けている。
「帰って」
静かな声でそう告げると、
狼たちは一目散に森の奥へ逃げていった。
「……ふぅ」
「今の、ギリギリだったね」
ユイが息を整えながら言う。
「狼たち、本気で“餌”見つけて襲ってきた顔じゃなかった」
「やっぱり、そう見えたか」
俺も刀を収めながら頷いた。
「誰かが後ろで追い立ててる。
“こっちの反応を見るために、狼をぶつけてみた”感じ」
「そういう小細工、盗賊はよくやるわね」
リゼが肩をすくめる。
「でも、今の対処は悪くなかったわよ。
“本命じゃない敵”に、きっちり必要最低限だけ反応する。
それが出来ると、あとで楽になる」
「本命、ね……」
(まだ来てないってことか)
胃のあたりが、じわりと重くなる。
◇ ◇ ◇
その少し離れた場所。
「……ほぉ」
外套の男が、腕を組んで狼の退散を眺めていた。
「操られた獣の使い方を、だいたい見破りやがったか」
「ど、どうします親分? 次はもっと数増やします?」
「増やさねぇよ」
男は即答した。
「無駄に獣を殺されても困る。
あいつらはあいつらで、この辺の“魔物バランス”守る役でもある」
「……盗賊なのに、妙に自然保護意識が高いですよね、親分」
「無駄な殺しはあとが面倒なんだよ」
男は目を細める。
「分かった。
“狼で様子見作戦”はここまでだ。
そろそろ――」
唇の端が、不穏に吊り上がった。
「準備に移るぞ」
◇ ◇ ◇
それとほぼ同じ頃。
街道から少し離れた尾根の上。
別方向から状況を見ていた獣人の影が、長く息を吐いた。
「……やっぱり、いたか」
ドルガンは、狼たちが逃げていった方向を目で追う。
「獣の走り方が、途中からおかしかった。
“縄張りから追い出されてる”動きだ」
盗賊ギルド。
この辺りを縄張りにしている連中の噂は、ラグナスにも届いていた。
だが、こうして実際に“仕事”を見れば、
その厄介さは噂以上だ。
「……まぁ、あいつらはあいつらで、“仕事”をしてるだけだ」
ドルガンは、己の腰の短剣に指をかけた。
「こっちはこっちで、“影の仕事”をする」
風が吹き、草が揺れる。
ドルガンの姿は、次の瞬間にはもうそこにはなかった。
◇ ◇ ◇
「前方に、宿場町の旗が見えるわよー」
ニナの声が、少し弾んだ。
視界の先に、小さな城壁と、煙突から立ち昇る煙。
街道沿いの宿場町が、ようやく手の届く距離に見えてきた。
「今日のところは、ここまで行ければ御の字ね」
ユイがほっと息をつく。
「盗賊は、今日は“見るだけ”で終わってくれると助かるんだけど」
「今日のところは、ね」
リゼが小さく笑った。
「でも、“明日もそうとは限らない”ってことだけは、
忘れないでおきなさい」
「……はい」
宿場町の門が少しずつ近づいてくる。
温かな料理。
屋根のあるベッド。
人の気配。
緊張していた体が、少しずつ“休息”へ向かっていく――その裏で。
(たぶん、“向こうも同じように考えてる”)
街のすぐ外。
守りの厚い場所で、わざわざ大きく動くことはないだろう。
問題は、その先。
宿場町を出てから、王都へ向かう森の区間。
(そこが――本当の山場だ)
胸の奥が、静かに熱を帯びる。
フロンティア・ラインの旅は、まだ始まったばかりだ。
それでも、少しずつ、確実に“牙と牙が触れ合う場所”に近づいている。
そのことだけは、嫌でも分かっていた。
つづく。
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