第75話 野営の夜と、過保護な影たち
焚き火の火が小さくなり始めたころ、
俺の見張りの番は終わりに近づいていた。
「じゃ、次はユイと交代だな」
「はい。秋人くん、お疲れさまです」
毛布を肩に掛けたまま、ユイが小さくあくびを噛み殺しながら近づいてくる。
「眠れそう?」
「たぶん。……少なくとも、秋人くんが無茶しないなら」
「なんでそこで俺基準?」
「なんとなくの信頼感?」
「それ、信頼って言うのか?」
ぼやきながらも、交代の手順は手慣れたものだ。
周囲の状況を簡単に共有し、
“今のところ変な気配はないこと”“でもクレハの言う『見られてる感じ』はまだ消えてない気がすること”だけ伝える。
「了解。じゃあ、二時間後にまた声かけるね」
「頼んだ」
ユイが焚き火の外側へ歩いていくのを見届けてから、
俺は自分の寝床に戻った。
粗末な寝袋と毛布。それだけなのに、
今日一日動き回った体には、十分すぎるご褒美だ。
(……眠れるときに、ちゃんと寝とけって、リゼにも言われたしな)
目を閉じると、意外なほど簡単に意識が落ちていった。
◇ ◇ ◇
――どれくらい時間が経っただろう。
耳元で、そっと名前を呼ぶ声がした。
「秋人くん。交代の時間」
「……ん。ああ、もうそんな時間か」
目をこすりながら起き上がると、
ユイが焚き火の方を顎で示した。
「なにも変わりはなし。
クレハも、さっき軽く起きてたよ。三番手、やる気満々」
「やる気満々って表現で合ってるのか、それ」
「ふふ。たぶん」
交代の挨拶を済ませると、今度は俺が毛布に潜り込む番だ。
「秋人くん」
ふと、ユイがこちらを振り返った。
「ん?」
「……おやすみ」
「おやすみ」
短い言葉を交わし合い、
今度こそ俺は深く眠りに落ちた。
◇ ◇ ◇
夜半。
焚き火の光から一歩外れたところで、
ユイは槍に体重を預けるようにして立っていた。
足元には、簡易的な光の魔法陣。
「《ライト・オーブ》」
小さな光球が、ふわりと浮かぶ。
暗闇に紛れず、しかし周囲を照らしすぎない明るさ。
エルナに教わった、“夜の見張り用”の適度な光量だ。
(……静か)
風の音と、草のさやめき。
時おり、獣の遠吠えが聞こえる程度。
(でも、やっぱり……)
昼間から続く「あの感じ」は、完全には消えていない。
じっとこちらをうかがっている気配。
はっきり形にはならないけれど、背中に薄く刺さる視線。
(盗賊、かな)
もしくは、ただの野良の追い剥ぎか。
どちらにせよ、「こちらから探して潰しにいく」段階ではない。
エルナとドルガンの声が、脳裏によみがえる。
――“全部を殴り返そうとしない。
本当に必要なときに、必要なだけ刃を抜け”
(今は、まだ“必要なとき”じゃない)
槍を握る手に、少しだけ力を込める。
そのとき――
「そんな顔で夜に見張り立ってると、
枕元に“悩み相談したがる幽霊”とか寄ってくるわよ?」
背後から、軽い声が落ちてきた。
「リゼ」
振り向くと、焚き火の明かりのギリギリ外側に、
銀髪のエルフが寄りかかっていた。
「こっそり様子見?」
「先生はね、生徒の頑張りをこっそり見るものなのよ」
「……なんか、聞こえはいいけどずるいですそれ」
ユイは苦笑しながら、少しだけ姿勢を緩めた。
「やっぱり、気づいてました? “見られてる感じ”」
「まぁね。
あっちも“本気を出しきるタイミング”を測ってるんでしょう」
リゼは肩をすくめる。
「こっちも、同じことをしておけばいいわ。
“こっちにはまだ余裕がある”ってことを、
さりげなく見せておけばいい」
「さりげなく……」
「そう、さりげなく。
だからそんな真面目な顔しすぎない」
リゼは、いたずらっぽく片目をつむってみせる。
「不安なときほど、顔は笑っておきなさい。
不安はね、“敵”にも“味方”にも伝染するから」
「……味方にも?」
「そう。特に、リーダー格の表情はね」
ちらっと寝ている方向を見ながら、
リゼは意味ありげに笑った。
「秋人、最近ちょっと“リーダーの顔”してきたでしょ?」
「……そう、ですね。
いい意味でも悪い意味でも、真似してるのかも」
「誰の?」
「昔見た、道場のおじいちゃんの顔とか。
ミルダのときのドルガンさんとか。
ボルグさんやエルナさんの、ときどき見せる顔とか」
「ふふ、いいじゃない」
リゼは満足そうに頷いた。
「そういうの、全部ちょっとずつ混ぜて、
“秋人の顔”になっていくんだから」
「……そのうち、ちゃんと“秋人らしい顔”になりますかね」
「するわよ。
なにせ――」
リゼは、夜空を一度見上げてから、
ユイのほうへ視線を戻す。
「“支えてくれる人間”が、こんなに近くにいるんだから」
「……はい」
その一言で、ユイの頬がほんのり熱くなった。
◇ ◇ ◇
リゼが再び焚き火のそばに戻り、
ユイがひとり見張りを続けていると――
ふいに、草むらがカサリと鳴った。
槍先が、自然とそちらを向く。
「……誰?」
短く問いかけると、小さな影がぴょんと飛び出した。
「ピィ!」
「えっ」
出てきたのは、小型の茶色いウサギだった。
丸い目でこちらを見上げると、
何事もなかったかのように、草をかじり始める。
「ウサギ……」
全身から、ふっと力が抜けた。
「なにやってるの、ユイ?」
クレハが寝袋から顔だけ出す。
「ううん、なんでもない。可愛いお客さんだった」
「食べる?」
「食べません!」
「……そっか」
クレハは、すぐにまた毛布に潜り込んだ。
――そんな、ささやかな夜のやり取り。
遠くから見れば、ただの穏やかな野営風景なのだろう。
◇ ◇ ◇
夜も更け、見張りの三巡目。
クレハが焚き火の火を細かく調整しながら、
暗闇に目を凝らしていた。
他の二人よりも、彼女の目は闇に慣れている。
光の加減も、夜の音も、忍びの感覚で測る。
(……いる)
遠く。
街道から外れた斜面の上。
完全には隠しきれていない、わずかな気配。
自分と同じ“隠れて見る側”の匂い。
(盗賊)
決めつけるには早いが、
仲間でも商人でもない足取りだ。
じっと相手の気配を追いながら、
クレハはふと、ほんの少しだけ口角を上げた。
(こっちも、“見てる”)
焚き火の影。
荷馬車の影。
馬の影。
それらのすべてを使って、自分の姿を揺らし、
「ここには、気配を読める奴がいる」とだけ伝える。
(……どうせ、本気の牙はまだ見せない)
ドルガンの教えが、頭をよぎる。
――“お前みたいな奴が、本気の牙を見せるのはな。
本当に“殺すか殺されるか”になったときだけでいい”
(じゃあ今は、“見る側としての顔”)
静かに、じっと、
互いの距離を測る時間だけを過ごした。
◇ ◇ ◇
その、さらに外側。
「……クソ、あのちっこいの、一回こっち見たぞ」
丘の上の外套の男が、舌打ちする。
「気づかれたんですか?」
「“場所”までは読めてねぇだろうがな。
影を見る目だけはかなりある。面倒なタイプだ」
「どうします?」
「どうもしねぇよ、今は」
男は肩をすくめる。
「今日のところは本当に“見るだけ”。
奴らの見張りのパターン、交代のタイミング、
どのタイミングで一番隙が出るか――全部メモしたか?」
「はい」
「……次の野営地か、その次だな」
男は、遠くの焚き火を見つめながら言った。
「奴らの“疲れと安心が一番混じる頃”に、牙を立てる」
◇ ◇ ◇
夜明け前。
見張りの最後の時間帯が終わるころ、
空が少しずつ白んでいく。
「おはよ……」
寝ぼけ眼で起き上がった俺のところへ、
クレハが淡々と報告に来た。
「なにもなし」
「ほんとに?」
「今は」
「今は?」
「“盗賊の目”はいた。
でも、まだ遠い。
……“次”に来る」
短い言葉に、妙な確信がにじんでいた。
「分かった。
ボルグさんの言う通り、“今日一日をちゃんと終わらせる”ことに、まず集中しよう」
「うん」
俺たちは手早く野営地を片づけ、
荷馬車の準備を整える。
空は、もう完全に朝の色だ。
「さーて! 二日目も張り切っていきますか!」
ニナが、相変わらずのテンションで声を上げる。
「今日は宿場町までは行ける?」
「がんばればね。
途中で何事もなければ、夕方前には着けるはず」
「“何事もなければ”か……」
リゼが小さく笑って、俺たちを見る。
「何かあったときのために、今日もちゃんと“余裕”を残しながら進むわよ」
「了解」
「はい」
「わかった」
こうして、《フロンティア・ライン》の二日目が始まった。
まだこのときの俺たちは知らない。
――今日の終わりに、“本気の牙”が、
どれくらい近くまで迫ってくるのかを。
つづく。
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