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第74話 初日の実戦と、遠くからの視線



 砦の朝は、ラグナスよりも少しだけ早い。


 まだ薄暗い中、号令の声と鎧の擦れる音が、石造りの廊下に響いていた。


「ふあぁ……」


 簡素な宿舎のベッドから起き上がりながら伸びをする。


 昨日までのミルダ遠征のときより、体は軽い。

 少しは場数を踏んだせいか、緊張も前ほどではない……はずだ。


(いや、やっぱり王都って思うと、ちょっと胃がキュッとするか)


「秋人くん、起きてる?」


 扉の向こうから、控えめなノックと声。


「起きてる。今開ける」


 扉を開けると、髪をポニーテールにまとめたユイが、すでに装備を整えた状態で立っていた。


「おはよう。砦の人たち、もう朝食の準備してくれてるって」


「おはよう。クレハは?」


「もう食堂。パンをもぐもぐしてたよ」


「早いな、相変わらず」


◇ ◇ ◇


 砦の食堂は、簡素だけど温かい匂いで満たされていた。


 焼きたての黒パン、野菜たっぷりのスープ、少しのベーコン。

 それだけなのに、妙に安心する。


「王都に行けば、もっと豪華な飯が食えるぞ~とか言われるが」


 向かいの席でスープをすすりながら、騎士の一人が笑う。


「こういう飯のほうが、結局一番うまいんだよな」


「分かります」


 俺も素直にうなずいた。


 ……もっとも、その「豪華な飯」が、のちのち俺たちのホームシックの原因になるとは、この時点ではまだ知らない。


◇ ◇ ◇


 出発の準備を整え、砦の門前に集合すると、

 ニナの荷馬車の隣で、司令官が最後の確認をしていた。


「街道沿いは、最近大きな魔物の報告はない。

 ただ、中型オークや狼の群れくらいは出てもおかしくない距離だ」


「そのあたりなら、想定内です」


 ユイが落ち着いた声で答える。


「ミルダ周辺の討伐依頼で、何度も相手にしてきましたから」


「頼もしいな」


 司令官は満足げに頷き、それから少しだけ声を低くした。


「王都までの道は長い。

 “今日一日を無事に終えること”だけに集中しろ。

 明日のことは、今日を終えてから考えればいい」


「はい」


 それは、妙に胸に残る言葉だった。


◇ ◇ ◇


 砦を出てしばらくは、道も緩やかで、空気も澄んでいた。


 荷馬車のきしむ音と、馬の蹄の音。

 揺れる荷台の上で、ニナの明るい声が響く。


「ここから先はね、宿場町まで人里がほとんどないからさ~」


 荷台の上から顔を出しながら、ニナが説明してくれる。


「盗賊が出る可能性もあるけど、逆に言えば、

 “ここにいるのは荷馬車と護衛と魔物だけ”って考えて動けるんだよね」


「人が少ないぶん、見通しはいい」


 クレハが、馬上から周囲を眺めながら言った。


「でも、“隠れる場所”も多い」


 確かに、街道から少し外れれば、背丈ほどの茂みと、低い丘が続いている。


「秋人くん、魔力の具合は?」


 隣のユイが、小声で尋ねてくる。


「今のところ、ほぼ満タン。

 “いざというときにまとめて使えるように”って、リゼに言われてるから、まだ温存かな」


「うん。

 わたしも《守護の加護》は、いざというときに残しておきたい」


「魔力、もったいない使い方したら、リゼに怒られる」


 クレハがさらっと怖いことを言った。


「“怒るんじゃなくて、正しく教えるのよ”って、リゼさんは言いそうだけどね」


「それ、実質怒ってるときの台詞」


「分かる」


「分かるなよ」


◇ ◇ ◇


 昼前。


 丘を越えたところで、リゼが手を上げて合図した。


「一旦止まりましょ。

 その先の窪地で、今日最初の“お客さん”がお出迎えしてくれるみたいだから」


「お客さん……?」


 前方を見ると、道の先の窪んだところに、何か大きな影が見えた。


 土色の皮膚、がっしりした体躯。

 オークだ。ただし単体ではない。


「三、四……五体?」


「中型一体、小型四。

 ちょっとしたパーティには、いい準備運動ね」


 リゼが、ちらりとこちらを見た。


「基本は三人に任せるわ。

 私は周囲の警戒と、フォローだけ」


「了解」


「任せて」


「わかった」


 ニナの荷馬車は、その場で止まり、護衛たちが馬を後ろに下がらせる。

 荷馬車と荷の位置を、俺たちが前で守る形だ。


「いつも通り、“線”を引いて考えなさい」


 リゼが、俺たちの背中へ声をかける。


「“ここから先は通さない線”を、どこに引くか。

 あとは、そこを守り抜くだけ」


 ――線。


 ミルダの村の柵。

 ラグナスの城壁。

 俺たちの足元。


(ここだ)


「ユイ、右側頼む。クレハは左から回り込み」


「了解。右、任せて」


「左、行く」


 俺は刀を抜き、真ん中の中型オークへ向けて歩み出た。


◇ ◇ ◇


 オークたちもこちらに気づき、吠え声を上げながら突っ込んでくる。


 先頭の中型が、棍棒を振りかぶって――


「《フット・エンチャント・ウィンド》」


 小声で詠唱し、自分の脚に風の魔力をまとわせる。


 足元が軽くなり、一歩で間合いを詰める。


 振り下ろされる棍棒を、半身でかわし――

 柄に魔力を流す。


「《エンチャント・フレイム》」


 刃が、ぼうっと赤く光る。


 勢いそのまま、オークの腹を横薙ぎにした。


 焼けた肉の匂いと、鈍い悲鳴。

 中型オークの体がよろめく。


(前より、ちゃんと切れてる)


 リゼから教わった“魔力の乗せ方”が、刀にしっかり乗っているのが分かる。


 深追いはしない。

 俺は一歩下がって距離を取り、オークの反応をうかがう。


 その間に――


「《ガード・サークル》!」


 ユイの足元に、淡い光の輪が広がる。


 右側に回り込んできた小型オーク二体が、

 見えない壁に弾かれたように、一瞬動きを止められた。


「甘いです!」


 その隙を逃さず、槍兼薙刀が突きと払いを連続で叩き込む。


 喉元、足、腕。

 無駄のない動きで急所を削り、二体まとめて地面に沈めた。


 一方、左側では――


「《影走り》」


 クレハの姿が、ふっと薄くなったかと思うと、

 オークの死角から現れる。


 足首に短剣、膝裏に短剣。

 小型の足を“動かなくする”斬り方だ。


 転んだオークの顔面すれすれに、

 小さな筒が転がり込む。


「《煙幕》」


 白い煙が一気に立ち込め、

 オークの視界を奪う。


「っ、グォォ――」


「バイバイ」


 煙の中から飛び出したクレハが、喉元に一閃を加えた。


◇ ◇ ◇


 真ん中の中型オークは、腹を焼かれながらもまだ立っていた。


 棍棒を半ばやけっぱちに振り回し、

 “線”を越えて荷馬車に近づこうとする。


「させない!」


 ユイが一歩前に出る。


 《守護の加護》を使うべきか、一瞬迷ったが――

 まだそこまでの状況ではない。


 彼女は槍を構え、その場で踏み込みの準備だけしながら、

 オークの重心を見ていた。


 棍棒が左に大きく振られた瞬間、その足元に隙ができる。


「そこ!」


 ユイが突き出す。

 槍の穂先が、オークの軸足の膝を正確に貫いた。


 よろめいたオークの首元へ――


「もらう!」


 俺は踏み込み、一気に斬り上げる。


 炎をまとった刃が、分厚い首の肉を断ち切った。


 ドスン、と重い音を立てて、中型オークが地面に沈む。


 その瞬間、あたりの空気がすっと軽くなった。


「……ふぅ」


 刃についた血と肉片を拭いながら、周囲を確認する。


 ユイの右側、小型二体は沈黙。

 クレハの左側も、煙が晴れるころには動く影はない。


「全員、無事?」


「大丈夫」


「平気です」


 俺たちは互いに頷き合い、荷馬車を振り返った。


 ニナと護衛たちが、ほっとした顔でこちらを見ている。


「さっすがフロンティア・ライン!

 今の、かなり余裕あったよね?」


「どうだろうな。

 “想定内の戦闘”だからまだ余裕があるだけで、

 これが続いたら多分ヘトヘトだよ」


「そうそう。油断は禁物だよ」


 そう返しつつも――


(前よりずっと、落ち着いて動けてる)


 そんな実感はあった。


◇ ◇ ◇


 その少し離れた丘の上。

 ボロい外套を羽織った男が、石の陰からじっと様子を眺めていた。


「……今の見たか?」


 隣にしゃがんでいた若い男が、唾を飲み込む。


「ああ。中型オークと小型五体を、あの若い連中だけで……」


「銀髪のエルフは手出ししてねぇ。

 ってことは、あの三人だけであのレベルってことだ」


 外套の男は、目を細める。


「“ラグナスの三人組”って噂は、本当らしいな」


「どうします? 親分。今ならまだ――」


「馬鹿言え」


 男は、若いほうの頭を軽く小突いた。


「今動いたら、あのエルフに真っ先に気づかれる。

 下手すりゃその場で全滅だ」


「で、でも、オークキングの魔石を運んでるのは、ほぼ確定なんじゃ――」


「だからこそ慎重にやるんだよ」


 男は、街道の方を睨むように見つめた。


「こっちが“本気”出すのは、あいつらがもっと疲れてからだ。

 野営のときか、宿場町の手前か……」


 風が吹き、外套の裾が揺れる。


「――今日は“見るだけ”だ。

 獲物の癖と、動きと、“誰が一番邪魔か”をな」


◇ ◇ ◇


「よし、解体と証拠部位の回収、やっちまおうか」


 戦闘が終わり、俺たちはいつも通りの作業に移る。


 中型オークの牙と耳、小型の分もまとめて切り取り、

 使えそうな部分とそうでない部分を手早く分けていく。


「秋人くん、魔力の残りは?」


「まだ半分以上はある。

 炎のエンチャントも、出力抑え気味にしたから、そんなに減ってない」


「よかった。

 わたしも《ガード・サークル》一回だけだし、

 《守護の加護》は温存できてる」


「クレハは?」


「大丈夫。

 爆薬、まだ一本も使ってない」


「それは本当に助かる」


 笑いつつ、俺はふと空を見上げた。


 まだ日も高い。

 初日としては悪くない滑り出しだ。


 だが、さっきクレハが言った「見られてる気がする」は、

 戦闘中もずっと消えなかった。


(どこかに、誰かがいる)


 盗賊かもしれないし、別の護衛かもしれない。

 それでも、“気配を無視しないで進む”って感覚だけは、

 忘れずに持っておこうと思った。


◇ ◇ ◇


 夕方が近づくころ、リゼが前方を見て言った。


「そろそろ、今日の野営地ね」


 緩やかに窪んだ、街道脇の広い空き地。

 古いかまどの跡や、馬を繋いだであろう杭が残っている。


「ここ、昔の軍の野営地だったらしいわ。

 今は旅人の定番休憩ポイント」


「見通しもいいし、左右もそれなりに開けてる」


 ユイが周囲の地形を見回す。


「逆に言えば、“隠れて近づきにくい”ですね」


「そう。だから一応、安全寄りの場所ってわけ」


 荷馬車を円を描くように止め、

 馬を内側に、荷を中央に向けて配置する。


 護衛たちと一緒に、火を起こし、簡易テントを張る。

 このあたりは、もう何度もやってきた作業だ。


「見張りは三交代ね」


 リゼが言った。


「一組は、秋人。二組目にユイ、三組目にクレハ。

 それぞれ護衛の一人と組んで、二人一組で回る」


「了解」


「了解です」


「わかった」


「私は……」


「私はこれでもSランクだから、ちゃんと全部の時間、寝ながらでも気配は読むわよ?」


 リゼがにやりと笑う。


「それに、あなたたちが見張り交代をちゃんと回せるかを見るのも、

 今回の“課題”の一つだからね」


「課題……」


「学校のテストみたいな言い方しないでください」


「え? 違うの?」


「違います!」


 そんな掛け合いをしながら、

 日が沈み、空に星が瞬き始める。


◇ ◇ ◇


 焚き火の光が、野営地を柔らかく照らしていた。


 湯気の立つスープと、砦で分けてもらったパン。

 少しの干し肉。


「王都に着いたら、もっと派手な料理食べられるんだろうけどさ」


 スープをすすりながらつぶやく。


「こういうの、今のうちに味わっておかないと」


「秋人くん、結局こっちの方が好きって言いそう」


「もう言いそう」


「……その予言は、当たりそうな気がする」


 ニナが苦笑しながらパンをかじる。


「でもまあ、派手な料理も一度くらいは経験しておきなよ。

 “ラグナスのご飯はやっぱり落ち着くわー!”って言うためにもね」


「比較対象として必要ってことね」


「そうそう」


 冗談混じりの会話に、疲れた体が少しだけ軽くなる。


◇ ◇ ◇


 そして――夜。


 最初の見張りは俺と、ニナの護衛の一人。

 焚き火の光の外側を、ゆっくり歩きながら、耳を澄ませる。


(……静かだ)


 風の音、草の擦れる音、遠くの虫の声。

 その中に、まだ“異物”は混じっていない。


(でも、見られてる気配は、やっぱり完全には消えてない)


 どこか、もっと遠くで、

 じっとこちらを見ている目がある。


 盗賊か、ただの野生動物か。

 それとも――


(……まぁ、どっちにしても)


 俺は刀の柄に軽く触れ、

 深呼吸をひとつした。


(今は、“ちゃんと今の番を終えること”に集中しよう)


 王都はまだ遠い。

 でも、ラグナスを出てからの一歩一歩が、

 ちゃんと繋がっているのを感じる。


 俺たち《フロンティア・ライン》の、最初の長距離護衛依頼。

 その一日目は、こうして静かに終わっていった。


 ――ただし、“影”は、確かにこちらを見ている。


 それを、俺たちはまだ、本当の意味では知らない。


つづく。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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皆さまの反応を参考に、今後の更新ペースや展開も調整していきたいと思っています。

誤字脱字なども気づいた点があれば、遠慮なく教えてください。


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