第73話 ラグナス出発、砦そして“影”
出発の朝は、思っていたより静かだった。
まだ日も昇りきらないラグナスの門前に、
荷馬車二台と馬数頭、それから商人と護衛の一団が集まっている。
「おはよー、フロンティア・ライン!」
やたら元気な声で手を振ってきたのは、もちろんニナだ。
「おはよう、ニナ。……早いな」
「商人はね、朝が早いほうが儲かるの。基本だよ?」
「その理屈で言うと、俺たちはもうちょい頑張れそうだな……」
眠気をこすりながら言うと、隣でユイがくすっと笑った。
「ちゃんと起きられてるだけえらいよ、秋人くん。
ほら、ベルト緩んでる」
「あ、本当だ……」
ユイがさっさと腰ベルトを直してくれる。
旅装備用の軽めの革鎧。その上に、マント兼雨具を羽織った。
クレハはすでに完全に“仕事モード”だ。
軽装の鎧に、腰回りのポーチ。短剣と小型の筒が整然と並んでいる。
「爆薬、落とさないように」
「落とさない。
落としたら、秋人が怒る」
「怒る以前に、俺の心臓が止まるからやめてくれ」
◇ ◇ ◇
門の上からは、見慣れた声が降ってきた。
「よーし! ラグナス期待のCランク三人組、出発だな!」
門番のグレンさんだ。
隣には、真面目そうな新人門番・リオも見張りに立っていた。
「おはようございます、グレンさん、リオさん」
「おう。……王都までだって? 大したもんだ」
「ちゃんと帰ってきてくださいね。帰還報告も依頼のうちですから」
「固いな、リオ」
「当然です」
グレンさんが笑い、俺たちは頭を下げた。
「行ってきます。
ラグナス、ちゃんと守っておいてくださいね」
「任せとけ。“帰ってくる場所”は俺たちが守る。
お前らは“行って帰ってくる仕事”に集中しろ」
「……はい」
その言葉に、胸の奥が少しだけ熱くなった。
「エルナさんからも、これ預かってるわよー」
背後から聞き慣れた声。
振り向くと、教会のシスター・エルナが小さな包みを持って立っていた。
「“道中で無茶しないように”って。
回復ポーションと、傷薬と、喉にいい飴」
「飴まで……」
「大事でしょ? 長旅は喉からやられるのよ」
エルナさんは、いつもの柔らかな笑みを浮かべる。
「戻ってきたら、旅の話をゆっくり聞かせてね。
王都の空気と匂いを、言葉でおすそ分けしてちょうだい」
「任せてください。……なるべく“いい匂い”を選んで話します」
「ふふ、それは楽しみ」
◇ ◇ ◇
最後に、ギルドマスター・ボルグが近づいてきた。
大きな手で俺の肩をどん、と叩く。
「行ってこい。《フロンティア・ライン》」
「はい」
「王都は広いし、めんどくさいやつも多い。
だが、世界を知るにはいい場所だ」
「……ラグナスの名を、汚さないように頑張ります」
「気負いすぎるな。
“ちゃんと帰ってくる”ことが一番の仕事だ」
そう言ってから、ボルグさんは、視線を三人それぞれに向けた。
「ユイ」
「はい」
「仲間と荷を守ることを忘れるな。
誰か一人だけ無茶させるな」
「……はい」
「クレハ」
「うん」
「使うべきときだけ、牙を剥け。
“全部を吹き飛ばす爆薬”は、忍びにとって負けだ」
「……気をつける」
「秋人」
「はい」
「お前が一歩前に出たとき、
二人が迷わずついていけるようにいてやれ」
――その一言が、妙にはっきりと胸に刺さった。
「……やってみます」
「ふん、“やってみます”でいいさ。
最初から出来る人間なんていねぇ」
ボルグさんが手を離し、少しだけ後ろに下がる。
「よし、行け」
◇ ◇ ◇
荷馬車の前方にはニナ。
その隣、馬に跨がっているのは――
「じゃ、行きましょうか。王都までの“課外授業”」
銀髪のエルフ、リゼだ。
軽鎧に外套、背には長剣。
その姿は相変わらず軽やかで、どこか楽しげですらある。
「じゃあ、配置はこうね。
ニナの荷馬車の前方に私、後方側面に秋人たち三人。
もう一台の荷馬車の近くには、ニナの雇った護衛たち」
「了解です」
「了解」
「わかった」
俺たちも馬に跨がり、それぞれ位置につく。
「じゃ、ラグナス出発――!」
ニナの高い声とともに、荷馬車の車輪が軋んだ。
ラグナスの城門をくぐる瞬間、
俺は思わず一度だけ振り返る。
城壁の上で手を振るグレンとリオ、
遠くに見える教会の塔。
ギルドの方角。
(ちゃんと戻ってくる)
心の中で、静かにそう呟いた。
◇ ◇ ◇
街道をしばらく進むと、左右の景色は一面の草原と、疎らな森に変わっていく。
馬の歩調に合わせて、俺はリゼに話しかけた。
「リゼさん――」
「旅のときは“リゼ”でいいって言ったでしょ?」
「あ、……リゼ。
長距離護衛で、一番気をつけるべきなのって何ですか?」
「そうねぇ……」
リゼは少し考え込むような素振りを見せてから、あっさり答えた。
「“疲れの貯め方”かしら」
「疲れの……貯め方?」
「そう。
馬も、人も、荷も。
どこで休ませて、どこであえて無理させるか」
リゼは前方の荷馬車を指す。
「短期戦なら、全力で走って全力で戦って、
後は寝て回復すればいい。
でも長距離護衛はそうはいかない」
「……」
「少しずつ、じわじわ削られていくのよ。
荷の重さ、移動距離、魔力の消耗、緊張。
戦いの前から、もう戦いは始まってる」
その言い方は、どこかドルガンに似ていた。
「だから、意識して“力を抜く時間”を作りなさい。
特に秋人、あなたいつも“余計なとこで気張る”癖あるから」
「う……」
心当たりがありすぎて何も言えない。
「気づいてるなら直せるわよ。頑張りなさい、弟子くん」
◇ ◇ ◇
昼過ぎ。
最初の休憩ポイントで馬を降り、水を飲みながら景色を眺めていると――
「……なんか、変」
クレハがぽつりと言った。
「変?」
「うん。
“見られてる”気がする」
周囲の林や草むらを、一通り目で追う。
だが、目に見える範囲に怪しい影はない。
「盗賊か、魔物か……?」
「まだ、遠い。
でも、“じっと見てる目”がある」
クレハの感覚は、これまで何度も助けてくれた。
こういうときは、素直に信じたほうがいい。
「リゼ」
「聞こえてるわよ」
すぐ近くで水を飲んでいたリゼが、カップを置く。
「クレハがそう言うなら、何かいるんでしょうね」
「どうする?」
「今はまだ、こっちから動かない。
“警戒してる”ってことだけ、それとなく見せておけばいいわ」
リゼは軽く肩を回して立ち上がると、
わざとらしく林の方を眺めて、口笛を吹いた。
「……?」
「“気づいてるわよー”って合図」
ニナが小声で教えてくれる。
「盗賊も偵察も、チキンレースみたいなことするからねぇ。
“こっちのほうが目がいいぞ”ってアピールすると、
意外と距離置いてくれるの」
「そんなかけひきもあるんだ……」
世界は本当に、知らないことだらけだ。
◇ ◇ ◇
――その、さらに外側。
街道から少し離れた林の奥で、獣人の影が木にもたれていた。
「気づいたか、嬢ちゃん」
ドルガンが、気配を殺したまま小さく笑う。
遠目に見える銀髪のエルフと、三人の若い冒険者。
その少し先に、風に揺れる草の影。
盗賊か、ただの野盗か、それとも偵察か。
「……まぁ、どっちでもいいか」
くい、と短剣の位置を直す。
「今はまだ、“見ているだけ”で済んでる。
爪を出すのは、奴らが本気で噛みついてきてからでいい」
風が吹き、木々がざわめく。
ドルガンは、そのざわめきに紛れるように、
また一歩、街道の影に近づいていった。
◇ ◇ ◇
日が傾き始めるころ。
遠くに石造りの建物の群れが見えてきた。
「砦だ」
ユイが目を細める。
「前にミルダの件で行ったところと、同じ?」
「同じだよ。
今回も、あそこを経由していくんだって」
ニナが荷馬車の上から説明してくれる。
「砦で騎士団の人たちと合流して、
“特別な荷物”も受け取るの。
そこから先は、王都の街道をまっすぐ」
「特別な荷物……」
その言葉に、胸の奥が少しだけざわつく。
(あの木箱の中身、か)
オークキングの魔石だなんてことは、もちろん俺たちは知らない。
ただ、“かなりやっかいなもの”であることだけは、
空気で感じ取っていた。
◇ ◇ ◇
砦の門が開き、俺たちは中に入る。
そこには、見慣れた顔が待っていた。
「よく来たな、ラグナスのCランク三人組」
前回も世話になった、砦の司令官だ。
「お久しぶりです、司令官さん」
「王都行き護衛を受けたと聞いてな。
こちらも、“お前たちの顔を見て安心した”ところだ」
司令官は、ニナと軽く言葉を交わしたあと、
砦の奥にある倉庫を顎で示した。
「例の荷は、あそこで保管してある。
日が落ちきる前に積み込みまで済ませよう」
「分かりました」
倉庫の中には、大きめの木箱が一つ。
分厚い鎖と封印札で、がっちり固定されている。
(……重そうだな)
なんとなくそんなことを考える。
「こいつが“特別な荷物”だ」
司令官が、俺たちには具体的な中身を言わないまま続ける。
「中身については、途中で詮索するな。
お前たちが気にすべきは、
“荷が重かろうが安かろうが、無事に届けること”だ」
「ニナにも同じこと言われました」
「なら話が早い」
司令官は少し笑った。
「お前たちは“護衛のプロ”になりつつある。
プロは、“品物の値札”じゃなくて“依頼”を見るものだ」
「……はい」
その言葉に、自然と背筋が伸びた。
◇ ◇ ◇
積み込み作業が終わり、
砦の兵たちがそれぞれ持ち場に戻っていくころ。
司令官は、ふと周囲を見回し――
少しだけ声を低くした。
「――ドルガン、お前もそろそろ持ち場につけ」
何もないはずの城壁の影から、
ふっと、獣人の姿が現れた。
「……やっぱりバレてやがったか」
「当たり前だ。
ここは俺の砦だぞ」
司令官が苦笑する。
「ラグナス支部からの密命は受け取っている。
“あいつらには悟られないように”だそうだ」
「分かってる」
ドルガンは短く頷いた。
その横顔には、いつものだるそうな表情と、
それとは別の鋭さが同居している。
「王都の盗賊ギルドがどこまで本気出してくるかは分からねぇが……
“あいつらの背中にだけは手を出させない”」
「頼んだぞ、影の斥候」
「……その呼び方は、もうやめろ」
ぷい、と顔をそらして、
ドルガンは砦の壁を軽々と飛び越えていった。
◇ ◇ ◇
そのころ、荷馬車のそばでは――
「明日は早朝に砦を出て、そのまま街道を進む。
最初の夜は野営になるわ」
リゼが俺たちに簡単な説明をしていた。
「今日は砦の宿舎でちゃんと寝られるから、
温かいもの食べて、しっかり休んでおきなさい」
「はーい」
ニナが嬉しそうに手を挙げる。
「砦のご飯、けっこう好きなんだよね。素朴でちゃんと美味しいし」
「王都の料理と比べるとどうなの?」
「見た目は地味だけど、味はこっちのほうが好きかなー。
王都はね、なんかソースとか飾りがすごくて、
“お腹いっぱい”になる前に目が疲れるの」
「目が疲れる料理ってなかなかだな……」
そんな他愛のない会話をしながら、
俺たちは砦の食堂へ向かった。
明日は、いよいよ本当の意味での“王都への旅”が始まる。
ラグナスから伸びた線が、
砦を経由して、王都へと繋がっていく。
(ちゃんと、行って帰ってくる)
何度目か分からない決意を、
俺はまた胸の中で繰り返した。
つづく。
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