第68話 壊れた村に、ただいまを
砦を出て、森の中の道をしばらく歩いた。
前にミルダから避難したときと同じ道。
けど、空気の張りつめ方は、あのときよりずっと薄い。
「前は、“いつ背中を食いちぎられるか分からない”って感じだったもんね」
ユイが木立を見回しながら言う。
「今は、“まだ何が残ってるか分からない”ぐらい?」
「十分怖いけどな、それ」
苦笑しつつも、俺は視線を森の奥に走らせる。
クレハは、少し前を歩きながら、鼻と耳で空気を探っていた。
「……オークの匂い、ほとんど消えた」
「ほとんど、ってことは?」
「たぶん、残党。
でも、“群れ”じゃない。バラバラ」
「掃討戦の残りか」
騎士団と冒険者たちがずっと森を回っているから、
大きな塊はもういないのだろう。
でも、一体二体ならどこかに隠れていてもおかしくない。
「念のため、“村に近づくまでは森側に寄りすぎない”で行こう」
「了解」
「分かった」
◇ ◇ ◇
やがて木々が少し薄くなってきて、
見覚えのある柵が視界に入った。
折れた杭。
倒れた木の柵。
その向こう、踏み荒らされた畑の跡。
「……」
思わず、言葉が出なかった。
避難のときは、オークが迫ってきてて、
正直、ここまで細かく周りを見る余裕なんてなかった。
今、改めて見ると──
地面に残った足跡。
抉れた土。
焦げ跡や、何かが倒れたままの形。
(本当に、“村ひとつ丸ごと蹂躙した”って感じだな)
喉の奥が、少しだけ重くなる。
「前に見たときより、匂いは薄い」
クレハがぽつりと言う。
「血の匂い、もうほとんどない。
土と、草と、少しだけ煙」
「騎士団が片づけてくれたんだろうな」
遺体や血の跡は、可能なかぎり処理されたはずだ。
それでも、痕跡までは消えない。
「……入る前に、一回ぐるっと一周しよっか」
ユイが提案する。
「柵の切れ目とか、森側から近づきやすい場所とか、
“危ないとこ”先に見ておきたい」
「だな」
「私、森側見てくる」
クレハが、影のようにするすると木立の方へ消えた。
「勝手に遠く行くなよー」
「行かない」
声だけが、少し離れた茂みから返ってくる。
◇ ◇ ◇
村の外周を、ゆっくり歩いて回る。
柵の一部は完全に倒れていて、
そこからオークの足跡がどっと入り込んでいた。
「ここが一番、踏み荒らされてるね」
ユイが、土をしゃがんでなでる。
「柵も古かったみたいだし……
荷車がよく通る道の近くだから、もともと弱かったんだろうね」
「“次に直すときは、もっと頑丈に”ってところだな」
木だけじゃなく、石も使って土台を固めるとか。
頭の中で、勝手に設計図が浮かんでくる。
(日本で見た“獣除けフェンス”みたいなやつ、
こっちの世界の技術で再現できないかな……)
そんなことを考えていると──
「秋人」
クレハが、森の方から戻ってきた。
「どうだった?」
「近くにオーク、いない。
代わりに、“別の匂い”」
「別?」
「狼」
クレハは、村の方角をちらりと見る。
「たぶん、“オークがいなくなったから近づいてきた”」
「食い散らかしの跡とか、ゴミとか残ってるしね……」
ユイが眉をひそめる。
「“畑が戻る前に、狼に慣れちゃう”のも良くない気がする」
「同感」
オークのような知性はなくても、
人や家畜を襲う厄介さは十分だ。
「数は?」
「五〜六。
さっき、森の影からこっち見てた。
“様子見てる”感じ」
「そっちから仕掛けてくるかどうか、迷ってるやつか」
だったら──
「先にこっちから、“ここは危ない場所だぞ”って教えてやった方がいいかもな」
「追い払う方向で?」
「うん。
ここ、“これから人が戻る村”だから」
ユイの言うとおり、
「今のうちに人の匂いと痛い目を覚えさせておいた方が、長い目で見ればマシ」だ。
◇ ◇ ◇
森の縁まで下がり、
クレハの案内で“狼が覗いていた場所”へ向かう。
少し開けたところに、踏み固められた獣道。
そこに、灰色がまじった毛が何本か引っかかっている。
「この辺り」
クレハが、木の幹を指差す。
「さっき、ここからこっち見てた」
「じゃあ──」
俺は、一歩前に出た。
「ユイ、後ろ一歩下がって。
クレハは斜め右に。……いつもの形で」
「はい」
「了解」
三人で自然に身体が動く。
前衛・中衛・斥候の基本フォーメーション。
「じゃあ、呼ぶよ」
俺は、手にした小石を、わざと派手な音が出るように、
獣道の奥に投げ込んだ。
ガサッ、と大きな音がした瞬間──
茂みの奥で、低い唸り声が返ってきた。
「来る」
クレハの声と同時に、灰色の影が茂みから飛び出してくる。
一体、二体、三体──
全部で六匹の狼。
ジャッカルウルフと呼ばれる、普通の狼より少し大きい魔獣だ。
「《フィールド・プロテクション》!」
ユイが、俺たちの前に薄い光の膜を展開する。
突っ込んできた一匹の爪が、光に弾かれてわずかに軌道をずらした。
そこに俺の一閃。
「はっ!」
首筋を狙って斬り抜けると、狼は地面に転がった。
すぐさま、左右から別の狼が回り込んでくる。
「右、取る」
クレハが影のように滑り込み、
狼の足元に小さな爆薬を転がした。
ぱんっ、と小さく炸裂。
大きなダメージにはならないが、狼は驚いて足をもつれさせる。
そこに短剣が二度、三度。
「左はもらうよ」
ユイの声と共に、槍兼薙刀がしなる。
突き上げるように胸元を刺し、
そのまま払うように薙ぎ払って、二匹まとめて距離を取らせた。
「《ホーリー・ショット》」
光の矢が、一匹の目を射抜く。
叫び声を上げてのたうったところに、俺が踏み込んで一撃。
「残り二」
クレハが、木の影から様子をうかがうように言う。
残った二匹は、すでにこちらを見て唸るのではなく、
森の奥を振り返っていた。
「逃げる?」
「多分、“危ない場所”って理解した」
ユイが槍を構えたまま、じっと見つめる。
「追う?」
「……いや、ここまででいい」
俺は、刀先をわずかに下げた。
「“村の近くに来たら痛い目を見る”って覚えさせるのが目的だ。
森の奥まで追いかけるのは、むしろ悪手だと思う」
「了解」
ユイが結界を解除し、クレハも短剣を納める。
「また来たら、そのときはまた追い払う」
「うん」
◇ ◇ ◇
狼との小競り合いを終えて、改めて村の入口に立つ。
折れた柵をくぐり、足を踏み入れた。
踏みしめた土が、以前より柔らかく感じるのは、
オークの足が何度も通ったせいだろうか。
「……ただいま」
無意識に、声が漏れていた。
ユイとクレハが、横でちらりと俺を見る。
「言ったね、“ただいま”」
「先に言われた」
「じゃあ、追いかけて言っとく」
ユイが、少し笑ってから続ける。
「ミルダ村、ただいま」
「ただいま」
クレハも、小さな声で同じ言葉を重ねた。
◇ ◇ ◇
村の中心へ進んでいくと、
まだ倒れたままの荷車や、崩れかけの家がそのままになっていた。
屋根が抜けた家。
壁が一部だけ残っている家。
逆に、外見はほとんど無傷に見える家もある。
「被害の差、かなりあるね……」
ユイが、メモ帳にざっと書き込んでいく。
「“とりあえず雨風しのげる共同宿舎に出来そうな家”をいくつかピックアップして、
あとで村長さんに報告かな」
「畑のほうも見よう」
俺は、村の外れの方角を指さした。
「地面の状態と、水の通り方も確認しておきたい」
「了解」
◇ ◇ ◇
畑は──正直、ひどい有様だった。
土が抉れている場所。
足跡だらけでぐちゃぐちゃのところ。
火を付けられたのか、ところどころ焦げ跡もある。
「……これは、全部耕し直しだね」
「だな」
でも、救いもあった。
畑のいちばん端。
オークの足跡があまり残っていない細い筋に、
小さな芽がいくつか顔を出していた。
「生き残ってる」
クレハが、しゃがみ込んで土をそっと触る。
「根まで全部、やられてない」
「この辺りを中心に、“土の生きてるゾーン”を広げていく感じだね」
ユイが、芽の位置を丁寧にメモしていく。
「“全部ダメになったわけじゃない”って、村の人に伝えられるの、
けっこう大きいかも」
「そうだな」
完全にゼロからじゃなくて、「まだ残ってるものがある」。
それは、人の心を支えるには十分な材料だ。
◇ ◇ ◇
一通り村の中を見て回り、
危なそうな場所や、逆に使えそうな場所に目星をつけていく。
途中で、子どもたちが遊んでいた広場を通りかかった。
避難のときに、「線の上だけ走る練習」をした場所だ。
あのとき引いた線は、雨に流されてもう残っていなかったけど、
地面の真ん中あたりだけ、少しだけ土の色が違って見えた。
「ここ、あのときの“安全ライン”だね」
「……だな」
ユイが、しゃがんでそのあたりの土を指でなぞる。
「次にここで走るときは、
“逃げる練習”じゃなくて、“遊びのときのコース”がいいな」
「鬼ごっことか?」
「いいね」
クレハが小さく頷いた。
「今度来たら、“線の上だけ鬼ごっこ”教える」
「ルール複雑そうだな、それ」
そんな他愛もない会話をしながらも、
胸の奥はほんのりと温かかった。
◇ ◇ ◇
一通りの確認を終えて、村の入口に戻る。
「危険箇所チェック──とりあえずこんな感じでいいかな」
ユイが、メモをぱたんと閉じる。
「オークの残党はいなさそう。
狼は少し離れたところから様子を見てる程度。
使えそうな家が二軒、半壊だけど補修すれば使えそうなのが三軒。
畑は一部に生きたゾーンあり」
「井戸は?」
「水を少しだけ汲んでみた。
濁りはあるけど、“使えないほどではない”感じ」
「あとでエルナさんに見てもらえば、もう少しはっきりしそうだな」
「うん」
クレハが、最後に村をぐるっと見渡す。
「ここ、“まだ壊れた場所”。
でも、“これから戻る場所”」
「その“これから”を、ちゃんと村長さんたちに渡してこよう」
俺たちは、砦へ戻る道を振り返った。
「ミルダ村、ただいま。
──次は、“おかえりなさい”の番だな」
「うん。
そのときは、“おかえりなさい”って一緒に言う」
「“おかえり”って言われる前に、“おかえり”って言うの、
ちょっと楽しそう」
「それはもう、ただの先取りだろ」
そんなふうに笑い合いながら、
俺たちはもう一度、砦へと歩き出した。
ミルダはまだ壊れたまま。
でも、“戻る準備”は、確かに始まっている。
その一歩目に立ち会えたのが、少しだけ誇らしかった。
つづく。




