第63話 逃がす罠と、逃げない覚悟
避難の話が出た日の夜は、さすがに村も眠りが浅かったらしい。
翌朝、広場に集まった村人たちの顔には、
寝不足と不安と、少しの覚悟が混じっていた。
「……では、改めて確認しよう」
村長が、杖をつきながらみんなの前に立った。
「オークの巣を潰す作戦が、本日より数日のうちに始まる。
その余波が、このミルダにまで及ぶ可能性がある」
ざわ、と小さな声が上がる。
「前にも言ったように、わしは、本当は村を捨てたくはない。
ここで生まれ、ここで死ぬつもりでおった」
村長の視線が、畑や家並みに向かう。
「それでも──
“子や孫が死ぬよりは、家を捨てたほうがマシ”じゃ」
その言葉に、誰からともなくうなずきが広がった。
「だから、避難する。
ラグナス近くの砦まで、一時的に退く」
村長が、俺たちのほうを見る。
「案内と護衛を、頼めるか」
「はい」
自然と、声が出た。
「オークの巣を潰す人たちがいる間、その外側を守るのが、今のぼくたちの仕事です。
ミルダのみなさんを、必ず砦まで連れて行きます」
ユイも、クレハも、横でしっかりうなずいていた。
◇ ◇ ◇
「出発は二刻後だ」
ゴルドさんが、斧の柄で地面を軽く叩いた。
「荷物は“最低限”。
食料と水、毛布、貴重品、それだけでいい。
壊れて困る器や家具は置いていけ」
「そんな……」
誰かが小さく漏らす。
「大事なもんは、あとでいくらでも作り直せる」
ゴルドさんの声は、意外と優しかった。
「だが、“今ここで死んだら”二度と作れねぇ。
それだけは忘れるな」
「……はい」
村人たちが、ちらほらと自分の家に戻っていく。
子どもが「おもちゃ持って行きたい」と泣き、
母親が「ひとつだけね」となだめる光景が、あちこちで見えた。
当たり前の生活の匂いが、
今日からしばらく、ここから消えるのかと思うと、胸がきゅっとなった。
「秋人くん」
ユイが、小声で呼んだ。
「わたしたちは、避難列の隊形と、休憩ポイントを決めないと」
「だな」
頭を切り替える。
「先頭はゴルドさんたち“風切り熊”。
その後ろに、足の速い大人と荷車。
真ん中あたりに子どもと老人。
その後ろに、俺たち三人──でどうだ?」
「わたしは基本、真ん中をうろうろしたいな」
ユイが指で空に図を描く。
「前に簡易バフ、真ん中で回復、後ろでプロテクション。
“列全体”を見られる位置がいい」
「じゃあ、“真ん中担当”はユイ、
“前後の危険察知と罠”はクレハ、
“戦闘時の前に出る役”は俺とゴルドさんたち、って感じか」
「了解」
クレハが、腰のポーチの口を締め直す。
「昨日の“逃がす罠”、途中の道にも増やす。
“ここを通る”って決めたルートに、オーク専用の罠を」
「頼む」
◇ ◇ ◇
二刻後。
ミルダ村の門の前には、荷車と人の列が出来ていた。
荷車には、小麦の袋や毛布、最低限の鍋や食器。
その周りを、大人たちが囲み、子どもたちがしがみつく。
老人は、若者に肩を貸してもらいながら、
村の方を何度も振り返っていた。
「……戻って来られるよね?」
前に助けた子どもが、俺の服の裾をつまんで訊いてきた。
「戻ってくるつもりがないなら、
柵も畑も、あんなに一生懸命直さないよ」
そう言って、頭をくしゃりと撫でる。
「“戻ってきて、また畑耕して、パン焼く”気がなかったら、
俺たち、こんなに頑張らない」
「……そっか」
子どもが少しだけ笑った。
その笑顔に、こっちも少し救われる。
◇ ◇ ◇
「よし、出発するぞ!」
ゴルドさんの声で、列がゆっくりと動き出した。
門の外に出る瞬間、
村長が振り向いて、深く頭を下げる。
「ミルダ村一同、この命、預ける!」
「預かった!」
ゴルドさんがどんと胸を叩く。
俺も、剣の柄に手を添えたまま、小さく頭を下げた。
避難行軍が始まった。
◇ ◇ ◇
ラグナスまでの道は、
普段なら一日かけてのんびり歩く距離だ。
でも今日は、のんびりしている余裕はない。
「歩幅、もう少しだけ広く」
列の中を歩きながら、ユイが声をかける。
「でも、息が上がらないくらいには抑えて。
“走れる余力”は残しておきたいです」
子どもたちは、少し緊張した顔で頷く。
クレハは、列の後ろから少し離れた場所を、
木の影から木の影へと跳び移るように移動していた。
彼女の目は、“追ってくるかもしれない敵”と、
“仕掛けるべき罠ポイント”の両方を探している。
(ここ、昨日通った場所)
森に入る前の、少し開けた地帯。
クレハは、すでに二本の木の間に薄いワイヤーを張っていた。
村人たちの通り道からは、半歩外れた場所。
オークの足なら、しっかり引っかかる位置だ。
「……よし」
ワイヤーの張り具合を確認してから、
クレハはまた列のそばに戻っていった。
◇ ◇ ◇
午前中は、それなりに順調だった。
子どもたちは疲れた顔をしながらも、
訓練通り「前だけ見て歩く」を守っている。
途中、ユイが簡単な疲労軽減の魔法を使って、
老人や荷車押しの人の負担を少し軽くしてやる。
「甘いもの、欲しいって顔してる」
クレハが、ちらりと子どもを見て言った。
「分かる?」
「分かる」
「わたしも分かる」
ユイが苦笑する。
「砦に着いたら、マリーさんに“甘いお菓子お願いします”って頼もうね」
「約束」
そんな他愛もない会話で、
少しだけ空気を和らげておく。
(緊張しっぱなしじゃ、持たないからな)
俺は、先頭付近でゴルドさんと歩きながら、
森の影や風の匂いをチェックしていた。
「……まだだな」
「まだ、だな」
ゴルドさんも、鼻をひくつかせる。
「だが、今日は“いずれ来る”と思っておけ」
「覚悟はしてます」
◇ ◇ ◇
正午を少し過ぎた頃。
森の中の、少し開けた場所で一旦休憩を取ることになった。
「ここが、今日の中間地点くらいだ」
ゴルドさんが、木の幹に背中を預けながら言う。
「ここから先は、ラグナスに近づくにつれて道も広くなる。
その分、“広がって襲ってくる”奴らが出やすくなるがな」
「……聞きたくなかったです」
そうぼやきながらも、頭の中で地形をなぞる。
ここから砦までは、まだ半日分の距離。
オークが本気で動き始める前に抜けたいところだが──
「秋人」
クレハが、木陰から戻ってきた。
「後ろ、“匂い”変わった」
「……マジか」
さっきまでの森の匂いに、
少しだけ混じる獣臭。
家畜の匂いじゃない。
もっと濃くて、湿った獣の匂い。
「数は?」
「まだ、はっきりは分からない。
でも、“一体二体”じゃない」
「よし」
ゴルドさんが、立ち上がって斧を担いだ。
「休憩はここまでだ。
村の連中には、すぐに歩き出してもらう。
俺たちは、“後ろの歯止め”に回る」
「了解」
ユイが、荷車のほうへ駆けていく。
「みんな、すみません! すぐに出発の準備をお願いします!」
村人たちは、疲れた顔のまま、それでも文句を言わず立ち上がった。
子どもたちも、何かを察しているのか、
いつもより静かに荷物を持ち上げる。
◇ ◇ ◇
列が再び動き出した少しあと。
俺たちは、列のいちばん後ろ──
少し離れた場所に位置を取った。
「ここから先は、“逃がしながら戦う”」
クレハが、木の影から道を見下ろしながら言う。
「追ってくる数、全部倒す必要はない。
“逃げ切れるだけ時間稼ぎ出来ればいい”」
「ドルガンさんが言ってたな」
俺は、刀の柄に自然と手を伸ばした。
『根っからの悪人や、お前らを確実に殺しに来てる奴は、躊躇なく殺せ。
ただし、“嬲り殺し”はするな。
まずは自分たちの生存、次に守るべき奴らの生存。それ以外は後回しだ』
(オークは……迷う必要ないな)
人間の言葉も通じない、獣と人の間のような魔物。
あの村を見たあとだと、余計にそう思う。
「来るぞ」
ゴルドさんが短く告げた。
森の陰から、灰緑色の影が、五つ、六つ──
次々と姿を現す。
「六。
……七」
クレハの声が、静かに数を刻んでいく。
「“追っかけてくる群れ”、だな」
ゴルドさんが斧を構えた。
「いいか、秋人。
“全部倒すんじゃなくて、止める”ことを考えろ」
「分かってます」
先頭のオークが、こちらに気づいて吠えた。
列が見えないのをいいことに、
のしのしと道の真ん中を歩いてくる。
「《シャドウ・タグ》」
クレハが、そっと一枚の札を地面に滑らせた。
先頭から二番目のオークの影が、
ほんの一瞬だけ揺らぐ。
それに気付かないまま、オークはずんずん前へ。
やがて──
足元の影が、いきなり伸びた。
「グ……!」
オークの足首に、黒い縄のようなものが絡みつき、
勢いを殺していく。
その一瞬の遅れが、
後ろから来ていた別のオークの足元に影響を与えた。
「おっとっとっと……?」
前のやつの背中にぶつかり、
バランスを崩してよろめく二体目。
そこに──
「《スモーク・ライン》」
クレハの投げた小さな筒が、足元で弾けた。
地面スレスレに白い煙が広がる。
足元だけ見えない状態。
オークたちは、
自分たちの足の位置を確認できないまま前へ突っ込んだ。
──当然。
「グアッ!」
「グルッ!」
昨日までに張っておいたワイヤーに、
二体まとめて引っかかる。
派手にすっ転び、
後ろから来ていた三体目四体目も、避けきれずに巻き込まれて転倒した。
「今!」
クレハの合図に、俺とゴルドさんが飛び出す。
「俺は右!」
「じゃあ左!」
右側に倒れたオークの首筋めがけて、
俺の刀が走る。
ゴルドさんは、斧を大きく振りかぶり、
左側のオークの腕と胸をまとめて叩き割った。
「グガァァ!」
後ろの二体は立ち上がろうとしているが、
足元のワイヤーと影縫いが邪魔をする。
そこに、後ろから矢が飛んだ。
「二本!」
弓使いの男が、木陰から矢を連射する。
一本目がオークの目を、
二本目が喉元を貫いた。
「……っし!」
短く息を吐く。
(よし、まだいける)
だが──
全員を倒しきる必要はない。
「クレハ!」
「《爆符・閃》」
クレハが、小さな紙を転倒したオークたちの足元に滑り込ませた。
ぱん、と乾いた音。
地面スレスレに、眩しい光と衝撃が走る。
目と耳をやられたオークたちが、一斉に呻き声を上げる。
「今のうちに、離れる!」
クレハが手を振る。
「この先にも罠、仕込んである。
追ってくるなら、そこでまた転ぶ」
「了解!」
俺たちは、追撃せずに一旦下がった。
オークたちは、耳を押さえながらも、
執念深くこちらを追ってこようとする。
だが、転んだ状態から立ち上がるのにもたついている間に、
俺たちはすでに数十メートル先へ移動していた。
その先にも──
クレハの“逃がす罠”が待っている。
◇ ◇ ◇
その頃、列の真ん中では。
「みんな、前だけ見て!」
ユイが、走りながら叫ぶ。
「後ろは、秋人くんたちが見てます!
わたしたちは、とにかく“前へ”!」
子どもたちの肩に、簡易の軽減魔法をかける。
足が軽くなり、呼吸が少し楽になる。
「ひぃ、ひぃ……」
老人が息を切らしているのを見て、
ユイはそっと肩に手を置いた。
「《スモール・ヒール》」
足の痛みを少し和らげ、
筋肉の張りを落とす。
「あと少し、頑張れますか?」
「う、うむ……
孫が、前で待っとるでな……」
「はい、一緒に行きましょう」
村人たちは、後ろの戦いの気配を薄々感じている。
それでも、訓練どおり前を向いて歩き続けた。
◇ ◇ ◇
後方の森の中で、
再びオークの悲鳴と、何かが転ぶ音が響く。
「引っかかった」
クレハが、木の影から様子をうかがいながら言った。
「さっきのやつら、まだ追ってきてるけど……
全部は追い付けない」
「いい。全部倒す必要はない」
俺は、息を整えながら頷いた。
「“砦に着くまで、追いつかせなきゃいい”」
「そう」
クレハが、ふっと微笑んだ。
「逃がす罠、成功」
「言い方こえぇけど頼もしいな」
◇ ◇ ◇
夕暮れが近づくころ。
森を抜けた先に、小さな石造りの砦の影が見えた。
「あれが……」
「ラグナス近郊の防備拠点、“灰色の小砦”だ」
ゴルドさんが、斧の柄で指し示す。
「ラグナスから派遣された兵士と、
冒険者たちが常駐してる。
ここまで来れば、ひとまず安全圏だ」
村人たちの間に、安堵のざわめきが広がる。
「見ろ、もう門が開いてるぞ!」
「ラグナスの旗だ!」
「本当に……着いたんだ……」
誰かが、その場に膝をついて泣きそうになっているのを、
周りの村人が支えた。
「足、止めないで」
ユイが、優しく促す。
「門をくぐってから、いくらでも座れます。
今は、もう少しだけ」
「……うむ」
村人たちは、最後の力を振り絞って歩き出した。
◇ ◇ ◇
砦の中へ入ると、
鎧姿の兵士たちと、冒険者たちが待ち構えていた。
「ミルダ村の人たちか!」
兵士のひとりが、俺たちに駆け寄る。
「よくぞここまで! 被害は!?」
「全員、無事です」
息を切らしながらも、はっきりと答えた。
「途中でオークの追撃はありましたが、
村人の死者も、重傷者もいません」
「……そうか!」
兵士は、心底ほっとしたように笑った。
「砦の中に空きスペースを作ってある。
狭いが、今夜はここで休んでくれ」
「ありがとうございます」
村人たちが、次々と砦の中へ入っていく。
その背中を見送りながら、
俺はようやく、剣から手を離した。
(……着いた)
膝が、少し笑っている。
ユイも、クレハも、ゴルドさんたちも、
それぞれのやり方で大きく息を吐いていた。
「全員無事、か」
ゴルドさんが、空を見上げる。
「かろうじて、だがな」
「“かろうじて”でも、“全員無事”です」
ユイが、少し笑った。
「それ以上の結果、ないと思います」
「……そうだな」
ゴルドさんも、笑い返す。
◇ ◇ ◇
砦の壁の上に上がると、
森の向こうに沈みかける夕日が見えた。
あの森のずっと奥に、
オーク村と、その“王”がいる。
(あそこを潰しに行くのは、俺たちじゃない)
でも、その前後でこぼれた牙から、
ひとつの村をちゃんと守り切れた。
それだけは、胸を張ってもいいはずだ。
「秋人くん」
隣に立ったユイが、空を見上げたまま言う。
「“逃げるだけの仕事”って、
思ってたより、ずっとしんどいね」
「そうだな」
俺も、同じように空を見上げる。
「でも、“逃げ切れた”って結果が出たら──
ちゃんと、意味のあるしんどさだと思う」
「うん」
ユイが、少しだけ笑った。
クレハは、砦の外をじっと見ている。
「オーク、まだ追ってきてる?」
「もう気配、薄い。
罠で転んで、諦めたかも」
「そうか」
クレハは、小さく息を吐いた。
「“逃がす罠”、うまく使えた。
……でも、本番は、きっとまだこれから」
「オーク村本体を潰すとき、だな」
「うん」
俺たちの視線の先には、
見えない森の奥と、その向こうの“戦場”があった。
『オークキング』
そんな単語が、すでに作戦の中で囁かれ始めている。
Aランク魔獣。
一体で村を壊せる格の、群れの王。
それと正面から殴り合うのは、
リゼたち上位陣の仕事だ。
(でも──)
今俺たちが立っているこの場所も、
確かに“戦場の一部”なんだと思えた。
「準Cランクとしては、上出来だろ」
小さく呟く。
「ここまで来させてもらったんだ。
この先も、ちょっとずつ前に進もうぜ」
「うん」
「進む」
三人の返事が、砦の上で小さく重なった。
オーク村を見てしまった日。
ミルダ村を守り切った日。
その両方が、これから来る“オークキングの日”への、
長い助走になっていくのだろう。
つづく。




