第62話 オークの“試し噛み”
翌日の朝は、変に静かだった。
子どもたちの声も、家畜の鳴き声も、いつもより小さい。
村全体が、息をひそめているみたいだ。
「……行くか」
簡単な朝食を済ませて、俺たちは村の外周を一周することにした。
柵の補強具合。
門の前の“細い通路”。
避難路の“安全ライン”。
昨日までに手を入れた場所を、実際に歩きながら確認していく。
「ワイヤー、ゆるんでない」
クレハが、道の脇の木と木の間に張った細い糸を確かめる。
ぱっと見には分からないけど、
日の光の角度でよく見れば、うっすら光る線が見えた。
「“安全ライン”から半歩外。
村人が走っても当たらない」
「オークの脚なら、ちょうど引っかかる高さだな」
俺は、腕を組んで距離と高さを測る。
「……よくこんなの思いつくよな」
「ドルガンが、『獲物の足の長さと歩幅を測れ』って」
クレハが、淡々と言う。
「オークの足、だいたいこれくらい。
走るときの歩幅も、だいたいこれくらい」
土の上に線を引きながら、オークの足跡の大きさをなぞる。
「だから、“ここに足を出すはず”って場所に罠を置く」
「理屈聞くと、すごく当たり前なんだけどな……」
それを実戦でやれるのがすごいんだよなぁと密かに思う。
◇ ◇ ◇
村人たちは、朝からそれぞれの持ち場に散っていた。
子どもたちは、一見ふつうに遊んでいるように見える。
けど、ユイの指導で、「笛が鳴ったら安全ラインへ」の練習はちゃんと続けている。
村長の家の前の鐘も、いつでも鳴らせるようにひもが垂れていた。
「……空気が、違うな」
門のところで、ゴルドさんがぼそりと呟いた。
「この静けぇの、久しぶりだ。
魔物に狙われる前の村ってのは、どこも似たようなもんだな」
「慣れてる感じが全然嬉しくないです……」
「慣れちまう仕事なんだよ、冒険者なんざ」
ゴルドさんは、門の外をじっと見つめる。
「秋人、気配はどうだ?」
「まだ……」
剣の柄に手をかけたまま、耳と鼻に意識を集中させる。
風の音。葉擦れ。
鳥の声──が、少しだけ減った気がした。
「……ん?」
クレハが、ぴくりと耳を動かした。
「どう?」
「……家畜、小屋のほう、“ざわざわ”してる」
「よし、来るなこれは」
ゴルドさんが、斧を肩に担ぎ直す。
「“風切り熊”の連中は門の外、俺と秋人で最初の一撃を受ける。
ユイと忍び嬢ちゃんは──」
「私は広場の真ん中」
ユイが答える。
「笛と回復の準備。
クレハは避難路の入り口と罠のチェックをお願い」
「分かった」
役割分担は、もう自然に口から出てきた。
◇ ◇ ◇
家畜小屋のほうから、牛が鳴く声が聞こえた。
低く、落ち着きのない声。
「……来る」
クレハが木柵の上に軽く跳び乗り、目を細める。
畑の向こう。
森の影から、灰緑色の影がぬっと現れた。
「三」
クレハの声は短くて、はっきりしていた。
三体のオーク。
昨日見た斥候と同じくらいのサイズだが、腰にぶら下げている骨や鉄片が少し多い。
「“様子見”って感じか」
ゴルドさんが、にやりと笑う。
「王様が本気で動く前に、餌場を軽くつつきに来たってところだな」
「試し噛み、ですか」
「そういうこった」
オークたちは、鼻をひくひくさせながら柵のほうへ向かってくる。
まだこちらには気付いていない。
「よし」
俺は、小さく息を吸って吐いた。
「ここで、“噛ませない”って教えよう」
「いいね、それ」
ユイが、広場へ駆け戻りながら笑う。
「笛と準備、してくる!」
◇ ◇ ◇
ユイが広場に戻るのとほぼ同時に、
村長の家の鐘が鳴った。
カラン、カラン──と、甲高い音。
それを合図に、村人たちがほぼ迷いなく動き出す。
子どもを抱える母親、荷物を最小限にまとめて抱える父親。
老人は若者に肩を貸してもらいながら、事前に決めた家の中や集会所へ避難していく。
ユイは広場の真ん中で、木笛を手に村を見渡していた。
(まだ、“走る合図”じゃない)
鐘の音は「準備」。
笛の音が「走れ」だ。
子どもたちは、習った通り頭を抱えてしゃがみ、
母親に腕を引かれて家の中へ入っていく。
「よし、いい感じ」
ユイは、小さく頷いた。
(“訓練通りに動けてる”)
その事実が何より心強い。
◇ ◇ ◇
門の外側。
風切り熊のメンバーが、半円を描くように並んでいた。
ゴルドさんの大盾と斧。
女戦士の大剣。
弓使いの男の矢筒。
無口そうな魔法使いの杖。
その少し前に、俺が立つ。
「秋人、出す?」
クレハが、門の上から小さく訊ねてきた。
「罠、出す前に“様子見”する?」
「……まずは、柵の前で一回止める。
そこでどのくらいの勢いか見てから、罠のほうに誘導しよう」
「分かった」
オーク三体は、もうこちらを視界に捉えている。
鼻を鳴らしながら、棍棒を肩に担いで近づいてくる様子は──
正直、かなり気持ち悪い。
「グルルル……!」
一体が吠えた。
それが合図だったかのように、三体が一気に速度を上げる。
「来いよ」
俺は刀の柄に手をかけたまま、一歩前に出た。
(ここで“全部受け止める”のは違う)
守るべき場所は、門の内側だ。
だから、“ここより前”で止める。
「──《ガーディアン・ブレス》」
背後から、ユイの声が届いた。
薄い光が身体を包む。
守護の加護とあわせて、じんわりと防御が底上げされていく感覚。
それを合図に、俺は刀を抜いた。
「はぁっ!」
最初の一体の棍棒が振り下ろされる。
その軌道を、半歩外側に逸れて避ける。
頭を狙うのではなく、
まずは太腿と膝。
タツミに言われた“魔物優先”の斬り方を思い出す。
筋肉の流れに沿って、斜めに刃を滑らせる。
深く、だが骨に当てて止めない。
「グアァ!」
一体目の膝が折れかけたところに、
横から大盾が突っ込んだ。
「おらぁ!」
ゴルドさんの体当たり。
オークが柵の外側に押し戻される。
「一歩も入れさせんな!」
「了解!」
風切り熊の女戦士が、二体目の棍棒を大剣で受け流し、
弓使いが三体目の肩を矢で射抜いた。
ほんの数秒間。
柵の前に、“壁”が出来る。
(やれる)
そう思った瞬間──
「グルルルル……!」
三体目のオークが、突然方向を変えた。
門の前から少し離れた柵の脇。
そこから畑を迂回して、村の裏へ回ろうとする動きだ。
「回り込み……!」
俺の背筋が冷たくなる。
こっちの戦力を正面に引きつけたうえで、
別ルートから侵入しようとしている。
「ユイ!」
「分かってる!」
ユイが笛を構えた。
鋭い音が、村中に響く。
「“安全ライン”へ! 走って!!」
家の中にいた子どもたちが、一斉に飛び出す。
母親に手を引かれながら、昨日何度も練習した“真ん中の線”へ向かって走り出す。
そのタイミングで──
「今!」
クレハが、村の裏手で影符を弾いた。
「《煙幕・連》!」
オークが回り込もうとしていたルート上に、
白い煙が一気に立ち上がる。
畑と畑の間の細い道。
その両脇には、クレハのワイヤーと影縛りがすでに仕込まれている。
「グルル……?」
視界を奪われたオークが、足を止める。
──と、同時に。
「“安全ライン”、走る!!」
ユイの声とともに、子どもたちが走り出した。
真ん中の白い線の上だけを、
転んでもすぐ立ち上がりながら、森の手前へ向かっていく。
大人たちも、前後を挟むようにして走る。
「後ろ、見ない! 前だけ!!」
ユイは、走りながら叫んだ。
「怪我しても、あとでいくらでも治せます!
今は、とにかく“前へ”!!」
◇ ◇ ◇
煙の中から何かが飛び出した。
灰緑の影。
オークだ。
だが、その足は――
「ググッ……!」
途中で、見えない何かに思いきり引っかかった。
クレハのワイヤーだ。
勢いを殺しきれず、そのまま前のめりにすっ転ぶオーク。
すぐさま、足元の影が伸びた。
「《影縫い》!」
クレハの術が、オークの足首と影を地面に縫いつける。
「グアァァ!」
足をばたつかせるが、立ち上がることが出来ない。
その頭上から、矢が一本落ちてきた。
「おらよ!」
さっきまで門の前にいた弓使いが、
裏手に回ってきていたのだ。
矢がオークの肩を貫き、体勢をさらに崩す。
「秋人!」
「任せろ!」
俺は走った。
避難路の横を、
“安全ライン”には踏み込まないように注意しながら。
クレハの影縫いで足を止められ、
煙で視界を奪われたオークが、必死にもがいている。
(紅風一閃は──まだ温存)
ここで大技を使わなくても、
今の状態なら“普通の斬り方”で十分落とせる。
「せいっ!」
転がるように飛び込んで、
オークの首筋めがけて一閃。
皮膚は硬い。
でも、タツミの研ぎ方と、自分の体重を乗せた斬りで──
「……っ!」
手応えは、十分だった。
血が一気に噴き出す。
オークの巨体が、地面に沈んだ。
◇ ◇ ◇
その頃、門の前では。
「そら、もう一丁!」
ゴルドさんの斧が、一体目のオークの頭を叩き割る。
女戦士の大剣が、二体目の腕を叩き落とし、
無口な魔法使いの放った炎が、オークの胸元を焼いた。
足を斬られていた一体目も、
とっくに動けなくなっている。
「三!」
クレハの声が、裏手から飛んできた。
「三体、全部倒した!」
「おう!」
ゴルドさんが、肩の力を抜いた。
「“試し噛み”は、これで……」
「終わりとは限らん」
無口そうな魔法使いが、ぽつりと言った。
「匂いと血の気配で、
もう少し集まってくるかもしれん」
「だな」
ゴルドさんも、すぐ表情を引き締める。
「とは言え──」
俺は、息を整えながら村の裏手から戻ってきた。
門の向こうでは、
子どもたちが“安全ライン”の終点で息を切らしながら立っているのが見える。
ユイが、ひとりひとりの肩に手を置いて、息を整えさせていた。
誰も、血を流していない。
誰も、倒れていない。
(……守れた)
その事実が、じんわりと胸に広がった。
◇ ◇ ◇
ひとまず第一波を退けたあと、
村長たちが広場に集まった。
「――よくぞ、皆無事で」
村長の声が、少し震えている。
「子どもも、老人も、誰一人怪我がない……。
ここまでしてもらって、なんと礼を言えばよいか」
「礼なんて、あとでいくらでも言ってください」
ユイが、少し照れながら笑う。
「今はまだ、“これで終わり”って決まったわけじゃないですから」
「そうだな」
ゴルドさんが、腕を組んで空を見上げた。
「本隊が動くのは、まだ少し先だ。
それまでに、もう何度か“小規模な試し”が来るかもしれん」
「そのたびに、今みたいに動いていけばいい」
クレハが、白い線を指さす。
「“安全ライン”、ちゃんと守れてた」
子どもたちが、誇らしげに胸を張った。
「線から落ちなかったもん!」
「ちゃんと走れた!」
「転んだけど、すぐ立った!」
「えらい」
クレハが、ぽんぽんと頭を撫でて回る。
その様子を見ていた母親たちが、少し涙ぐんでいた。
「……あの」
村長が、おずおずと手を上げた。
「ひとつ、聞いてもよいか」
「はい?」
「これは……ずっと続くのか?
オークが来て、逃げて、また戻ってきて……」
その問いは、村人全員の本音だろう。
「正直に言うと」
俺は、少しだけ息を吸った。
「このままずっと、ってことにはならないはずです」
「……?」
「オークの“巣そのもの”を潰す作戦が、
近いうちに始まります」
その言葉に、ざわめきが起きた。
「巣を……?」
「そんなこと、出来るのか?」
「出来る人たちが、います」
ユイが、静かに言葉を継いだ。
「わたしたちじゃない、もっと強い人たちです。
でも、その人たちが本気で戦っている間に──
“周りを守る役目”は、わたしたちの担当です」
「……なるほど」
村長は、しばらく目を閉じてから、ゆっくり頷いた。
「その日まで、我々は“逃げる練習”と“守りの準備”を続けよう。
どうか、その間の力添えを頼みたい」
「もちろん」
素直に返事が出た。
◇ ◇ ◇
その日の夕方。
ラグナス方向から、一人の騎士が馬で駆け込んできた。
「伝令だ!」
門の前で馬を止めると、息を切らしながら叫ぶ。
「ミルダ村にいる、秋人・ユイ・紅葉、それと“風切り熊”はいるか!」
「ここだ!」
ゴルドさんが手を挙げる。
俺たちも駆け寄った。
「どうしました?」
「ボルグ殿からの伝令だ!」
騎士は、懐から封蝋の押された紙を取り出す。
「オーク本隊討伐の作戦日が、予定より前倒しになった!
森の動きが早まっているらしい!」
「前倒し……」
嫌な予感はしていた。
「それに伴い、周辺村の避難も“早めに開始せよ”とのことだ!」
騎士の声が、広場に響き渡る。
「ミルダ村は、“一時的にラグナス近郊の防備拠点へ避難”!
秋人たちと風切り熊は、その護衛を最優先とせよ!」
「……来たか」
ゴルドさんが、斧の柄をぎゅっと握り直した。
ユイが、村の子どもたちの方を見る。
クレハは、避難路と罠の配置を頭の中で高速でなぞっている。
俺は、剣の柄にそっと手を添えた。
(オーク村本体を潰しに行くのは、俺たちじゃない)
でも、その前後でこぼれてくる牙から、
この村を守るのは──
「……分かりました」
騎士からの書状を受け取りながら、口が勝手に動いた。
「ミルダ村の避難。
必ず、全員無事にやり遂げます」
そう言った俺の言葉に、
村人たちの視線が一斉に集まる。
重い。
でも、その重さから逃げる気にはならなかった。
(オーク村を見てしまった日が、“届かない悔しさ”だとしたら)
今日とこれからの日々は──
“守れるかもしれない場所を、本当に守れるかどうかの勝負”だ。
「準Cランク、全力でやるか」
小さく呟くと、隣でユイとクレハが同時に頷いた。
「もちろん」
「やる」
ミルダ村の行く先と、オーク村の運命。
その両方が、大きく動き出そうとしていた。
つづく。




