第60話 ミルダからの「お願い」
ギルドの作戦室は、いつもより少しだけ空気が重かった。
大きな地図が机いっぱいに広げられていて、赤や黒の印がびっしり付いている。
その周りを、ボルグさん、ミリア、数人のベテラン冒険者たちが囲んでいた。
「──じゃあ、全体の概要はもう一度おさらいしておくぞ」
地図の端を押さえながら、ボルグさんが低い声で言った。
「オークの巣そのものは、数日後に“本隊”が叩く。
騎士団、それなりのランク以上の冒険者──リゼやドルガンもそっちに回る」
赤丸で囲まれた森の窪地が、あの“見てしまった”場所だと、ひと目で分かった。
「その間に問題になるのが二つ。
一つは“オークが先に嗅ぎつけて、周りの村を荒らしに来ること”。
もう一つは、“巣を潰したあとに散った連中が、逃げ場を求めて村に流れ込むこと”だ」
ボルグさんは、森から伸びる線を指でたどりながら、いくつかの小さな×印を指した。
「そこで、“周辺村の護衛と避難誘導”が必要になる。
──秋人たちの仕事は、ここだ」
指先が止まった場所には、見覚えのある地名が書かれていた。
「……ミルダ村」
思わず、声に出していた。
ユイも、クレハも、同時に息を呑む。
「そうだ」
ボルグさんは頷いた。
「ギルドと領主のほうで協議した結果──“ミルダ村だけは、前に関わったお前らに任せたい”って話になった」
「領主さまが?」
ユイが少し首をかしげる。
「エドガー様が、だ」
横でミリアが補足する。
「前の人身売買の一件で、ミルダがどんな目に遭ったか、あの人たちも知ってるからね。
『今度こそは絶対に守りたい』って、すごく強く言ってたよ」
クラリスの顔が、頭に浮かんだ。
あの時、門のところで会った、少し世間知らずっぽいけど真っ直ぐな領主の娘。
(……領主側からも、“守りたい村”に入ってるんだな)
変な実感が湧いた。
「もちろん、お前らだけで全部どうにかしろとは言わねぇ」
ボルグさんが続ける。
「中堅どころのパーティも一組、一緒にミルダへ行く。
現地での守りは協力してやれ」
「どのパーティです?」
「“風切り熊”だ」
「ああ」
ユイが小さく頷く。
何度か依頼で顔を合わせたことのある、斧と盾がメインの四人組だ。
豪快そうに見えて、意外と防衛戦が得意な人たち。
「こっちとの連携は、今までの依頼でも取れてる。
“前衛の壁役”としては申し分ねぇよ」
「……はい」
「秋人たち、お前らは“ミルダ村の事情を知ってる側”として、現地の案内と避難経路の構築、それからオークの足止めと迎撃」
「迎撃も普通にやるんですね」
「当たり前だ。
全部避けられるわけじゃねぇからな」
ですよね、としか言えない。
「出発は明日。
今日は準備と、ミルダまでの道の“罠ポイント”の確認に使え」
そう言って区切ると、ボルグさんは地図の一角を指で軽く叩く。
「……最後に一つだけ言っとく」
視線が、俺たち三人に真っ直ぐ向いた。
「“オーク村は潰せなかった”って顔で行くなよ」
「……」
「お前らがミルダに行くのは、“今回こそ守るため”だ。
その顔で行け」
喉の奥の重い塊が、少しだけ溶けた気がした。
「……はい」
ちゃんと前を見て返事する。
ユイもクレハも、横でしっかり頷いていた。
◇ ◇ ◇
「──ってわけで」
作戦室を出たところで、ミリアがふにゃっと笑った。
「“あんたたちにしか頼めない仕事”ってことだからさ」
「それ、簡単に言いますね……」
「簡単に言ってるように見えるだけだよ?」
ミリアは肩をすくめる。
「ギルドはさ、“誰でもいい仕事”は誰に回してもいいけど、
“あの人たちがいい仕事”は、ちゃんとその人たちに回さなきゃいけないんだ」
「……“あの人たち”って、わたしたちですか?」
「そう」
あっけらかんと言われて、一瞬言葉が詰まった。
「前にミルダを助けたのも、あんたたち。
あの村の人たちの顔を思い浮かべて動けるのも、あんたたち。
だから、今回もお願いね」
「……はい」
今度は、素直に返事が出来た。
◇ ◇ ◇
翌朝。
ラグナスの門の前は、いつもより少し賑やかだった。
「おーい、おまえら!」
大盾を背負った大男が、斧を肩に担いで手を振る。
「久しぶりだな、“三人組”!」
「ゴルドさん、お久しぶりです」
“風切り熊”のリーダー、ゴルド。
後ろには片目に傷のある弓使い、金髪ポニテの女戦士、無口そうな魔法使いが並んでいる。
「聞いたぜ。オーク村を見てきたんだってな」
「見ただけなんですけどね……」
「見て帰ってこれただけで十分だ」
ゴルドさんは豪快に笑った。
「“オーク村の情報持ってきた三人組”って話、もう酒場で何回も聞いたぞ」
「話、広がるの早くないですかこの街」
「ギルドと酒場の情報網なめんなよ」
横でユイが小さく苦笑している。
「今回のミルダの件、こっちは“村の壁役”で前に立つ。
お前らは村の中と周りの地形に詳しいんだろ?」
「だいたいは」
「なら、お互い得意なとこでやろうや」
「お願いします」
短く握手を交わしたあと、視線が自然と道の先を向く。
(……ミルダ、か)
前に来たときより、
少しだけ自分の足取りがしっかりしている気がした。
◇ ◇ ◇
街道を歩きながら、俺とクレハとユイは少し前に出て、道の周りを見回していた。
「この辺り、前も通ったよね」
「うん。
あのときは、“連れていかれる側”を追いかけてた」
クレハが、木立の間をじっと眺める。
「今回は、“逃がす側”」
「ドルガンさんに言われた、“逃がす罠”って……」
「避難ルートの途中で、追ってくるオークの足だけ止めるやつ」
クレハは、腰のポーチを軽く叩いた。
「村人が通っても、絶対に引っかからない高さと位置に仕込む。
“逃げ道は生かしたまま、追う足だけ殺す”」
「言い方は物騒だけど、やろうとしてることは優しいよね」
ユイが小さく笑う。
「優しい?」
「だって、“逃げ道を残す罠”って、すごく支援職っぽい発想だなって」
「……支援忍び?」
「そう、それ」
クレハが少しだけ首をかしげたあと、ぽつりと言う。
「それ、ちょっといい」
「命名:支援忍びクレハ」
「やめろ、なんか恥ずかしい」
そんな他愛もない会話をしながらも、足元と周囲の地形はきっちり見ていた。
森から道へ降りてくる獣道。
小さな崖、浅い溝。
“ここに煙幕”“ここに影縛り”“ここにワイヤー”と、頭の中で印を付けていく。
(……ここなら、村人を先に行かせて、後ろを俺たちが押さえる形にできる)
タツミに言われた“魔物優先”の斬り方を思い出しながら、
オークの足と腰の高さを頭の中でラインに描いた。
◇ ◇ ◇
やがて、見覚えのある畑と、低い柵が見えてきた。
「見えてきたね」
ユイが少し息を弾ませながら言う。
小さな村。
前に来たときより、少しだけ柵がしっかりしている気がした。
門のところには、慌てたように数人が集まっている。
「──本当に、来てくれたのか!」
先頭に立っていたのは、前にも会った村長だった。
その後ろから、パンの匂いと一緒に見覚えのある顔が現れる。
「兄ちゃん姉ちゃん!!」
小さな影が、勢いよく走ってきた。
前に拉致されかけていたあの子だ。
以前より少しだけ背が伸びている。
「また来てくれたんだ!」
「うお、危ない」
思わず抱きとめると、子どもは遠慮なく胸に飛びついてきた。
「痛い痛い、骨折れてないから大丈夫」
「折られてたの?」
「比喩だ比喩」
横でユイが苦笑している。
「本当に……」
パン屋のおじさんが、深く頭を下げた。
「また世話になることになるとは……
あの時助けてもらっただけでも十分だと思ってたのに」
「いや、今回は“助けに来た”っていうか」
言葉を探して、少しだけ息を吸う。
「前みたいに“事件のあと”じゃなくて、
“事件が起こる前に止めに来ました”って感じです」
「……オーク、というやつの、巣が出来たと聞いた」
村長の顔は、前に見たときより少し皺が増えたように見えた。
「ここまで来る可能性があると」
「正直に言うと、ゼロではありません」
ユイが、一歩進み出る。
「だからこそ、ここで“守る準備”をしておきたいんです。
村を捨てろとは言いません。
でも、もしもの時は“逃げる道”も作っておきたい」
「逃げる道……」
村長が、少しだけ目を伏せる。
「村を置いて逃げるのは、正直なところ……抵抗もある」
「分かります」
その気持ちは、本当に分かった。
ここで生まれて、ここで生きて、
畑と家と家族がある場所を捨てるのは、簡単な話じゃない。
「でも」
クレハが、ぽつりと口を開いた。
「村は……壊れても、直せる。
人は、壊れたら……直すの、むずかしい」
静かな声だったけど、よく通った。
「だから、“逃げる練習”してほしい」
「忍びの子の言葉じゃねぇな……」
ゴルドさんが小さく笑っていた。
「村の方々には、“逃げる役”をちゃんとやってもらう。
俺たちは、“逃がす役”と“守る役”をやる。
──そういう分担ってことでどうでしょう?」
ユイが、村長に問いかける。
しばらくの沈黙。
村人たちの間で、小さなざわめきが走る。
その中から、一人の女性が前に出てきた。
以前、子どもを抱いて泣いていたあの母親だ。
「……お願い、してもいいですか」
震える声だった。
「前に、あの子を助けてもらった時……
『生きててくれればそれでいい』って言ってもらったの、覚えています」
「あ……」
ユイが、小さく息を呑む。
「また、助けてもらうことになるのかもしれない。
それでも、生きて……生きてここに戻ってこられるなら。
逃げる練習でも何でも、します」
その言葉に、村長が深く目をつぶった。
しばらくしてから、顔を上げる。
「……分かった」
ゆっくりと頷く。
「村の者は、お前さんたちの指示に従おう。
オークとやらが来る前に、“逃げる練習”とやらも、きちんとしておきたい」
「ありがとうございます」
胸の奥の緊張が、少しだけほぐれた。
(……今回は、“間に合った”)
まだ何も起きていない。
だからこそ、今なら準備が出来る。
「じゃあまずは、村の中と周りをぐるっと見せてください」
俺は刀の柄に手を添えながら、一歩前に出る。
「“どこで守って”“どこから逃げるか”。
一緒に考えさせてください」
「うむ。案内しよう」
村長が歩き出す。
その後ろを、俺たち三人と“風切り熊”が続いた。
前は“事件のあと”に歩いた村の道を、
今度は“何も起きる前に”歩いている。
まだ、畑にも、家にも、温かい生活の匂いが残っている。
(──この匂いを、守らないと)
刀の柄を握る手に、自然と力が入った。
今度こそ、“守るために”ここに来た。
そのことが、少しだけ誇らしかった。
つづく。




