第58話 ラグナスの朝と、悔しさの居場所
次の日の朝、目が覚めたとき。
「……あー……全身だる……」
筋肉痛でも魔力切れでもない、変な疲れが体に残っていた。
布団の中で伸びをしてから起き上がると、向かいのベッドでユイがこちらをじっと見ていた。
「おはよう、秋人くん」
「……おはよ。なんでそんな“観察してました”みたいな顔してんの?」
「寝てる間、うなされてたから」
「マジで?」
「『刀が届かない……』って、三回くらい言ってた」
「やめてくれ恥ずかしい」
枕に顔を埋めたくなった。
「でも、叫んだり暴れたりはしてなかったよ。
……ちゃんと“届かなかった悔しさ”で止まってる感じだった」
「それ褒めてんの?」
「褒めてる」
ユイは、いつもの微妙に分かりにくい笑い方をした。
「“助けたい助けたい”って暴走して飛び出してく秋人くんじゃなくて、
ちゃんと悔しさを覚えてる秋人くんだったから」
「……うん。昨日のあれは、流石に飛び出したら死ぬって分かる」
捕虜の囲いを思い出して、胸がちくりとした。
隣のベッドでは、クレハが布団から顔だけ出して、じーっとこっちを見ていた。
「……秋人、寝顔、ちょっと怖かった」
「そこまで報告しなくていいからな?」
「でも、“生きてる顔”だったから安心した」
「それは……ありがと」
◇ ◇ ◇
一階の食堂に降りると、パンとスープの匂いが迎えてくれた。
「おはよう、あんたたち」
カウンターの向こうで、マリーさんがパンを並べながら笑う。
「昨日は遅かったねぇ。ちゃんと帰ってきてえらいえらい」
「子ども扱いされてる気がする……」
「子どもよ。あたしから見たら全員」
そう言って、俺たちのテーブルにパンとスープを置いてくれた。
隣の席では、看板娘のリナが目を輝かせてこちらを見ている。
「ねぇねぇ! 昨日ホントにオークの巣見てきたのっ?」
「……噂広がるの早すぎない?」
「ギルドの人が、ちょっとだけ話してたもん!」
リナは、身を乗り出してきた。
「どんなだった!? やっぱりすっごい怖かった?
オークってホントにあの絵本の挿絵みたいな顔?」
「だいたいあんな感じだった」
クレハが、普通に真顔で答える。
「でも、匂いは絵本の十倍くらいだった」
「うわ……」
リナの顔が分かりやすく歪んだ。
「それ聞いただけでご飯まずくなるから、その話はあとにしよっか」
マリーさんが苦笑しながらスープをよそってくれる。
「まずは食べなさい。武勇伝はそのあと」
「武勇伝ってほどのもんでもないですけどね……」
パンをちぎりながら、ふと思ったことを口にした。
「オークの巣、ギルドが本格的に潰しに行くのって、やっぱ近いうちなんですか?」
「さあねぇ」
マリーさんは肩をすくめる。
「そういうのはギルドと領主様の仕事。
あんたらは“ちゃんと報告して帰ってきた”時点で十分仕事してるわよ」
それは、昨日ボルグさんにも言われたことに近かった。
「“全部自分たちで何とかしようとしない”のも、冒険者の仕事だってね」
「……はい」
パンを一口かじりながら、
昨日見た窪地の光景が頭をよぎった。
◇ ◇ ◇
朝食を終えてギルドに向かうと、
昨日よりもざわざわした空気が流れていた。
掲示板の前には、オーク関連の新しい紙が貼られている。
「“オーク拠点存在の確認により、近郊の一部依頼を制限します”」
ユイが、貼り紙を読み上げた。
「“村周辺の護衛要請を増やす予定”か……」
ラグナスの外にある小さな集落も、今回の件で警戒を強めるらしい。
「お、来たな」
カウンターの向こうから、ミリアが手を振る。
「ボルグさんたち、昨日の続きで奥にいるからね。
“起きたら来い”って言われてたでしょ?」
「言われてました」
俺たちはそのまま奥の部屋へ向かった。
◇ ◇ ◇
作戦室の扉をノックすると、
中から「入れ」と声がした。
「失礼します」
中にはボルグさんと、リゼさん、ドルガン、エルナさんがいた。
テーブルの上には、地図と書類が広げられている。
「来たか」
ボルグさんが、俺たちを見上げる。
「ちょうど話はまとまったところだ」
「えっと、その……」
ユイが、小さく頭を下げた。
「昨日は、その……
あそこまで行ったのに何も出来なくて、すみませんでした」
「謝る必要はねぇ」
ボルグさんは即答した。
「“何も出来ない状況だ”ってちゃんと認識して戻ってきた。
それだけで十分仕事したって言ってんだろ」
「……はい」
少しだけ肩の力が抜けた。
「それに」
リゼさんが、紙を一枚ひらひらさせる。
「あなたたちが見てきた情報のおかげで、“本格的なオーク討伐作戦”が組めるようになったのよ」
「作戦……」
「ええ。
ラグナスのギルドだけじゃなくて、領主様と近隣の騎士団、それから上のギルド支部も絡めてね」
地図には、赤い印がいくつか新しく書き込まれていた。
「……俺たちは?」
思わず訊いていた。
「俺たちは、その作戦に参加するんですか?」
「“メインの殲滅部隊”には、まだ早い」
ボルグさんの答えは、予想通りだった。
「オーク村を正面から潰すのは、Bランク以上と騎士団の仕事だ。
お前らがそこに突っ込んだら、邪魔とまでは言わねぇが、“守る手間が増える”」
「……正直、それは分かります」
昨日の光景を思い出せば、納得しかない。
「だから、お前らには別の仕事がある」
ボルグさんが、紙を俺たちの方へ押しやる。
「“周辺村の護衛と避難誘導”。
オーク討伐作戦の前後で、オークが散ったときに備える」
「あ……」
言われてみれば、当然の話だった。
巣を潰せば、そこから逃げ出すオークも出るかもしれない。
逆に、討伐前に“嗅ぎつけて”周辺の村を荒らす可能性もある。
「ここ」
クレハが、地図の端を指さした。
「ミルダ村に近い」
「そうだ」
エルナさんが頷く。
「あなたたちが人身売買団の件で関わった村ね。
あそこも、今回の件で“再被害”に遭う可能性がある」
「……それは、絶対嫌だな」
ミルダ村の人たちの顔が頭に浮かぶ。
おじさんのパン。
泣きながら笑っていた子どもたち。
あの、小さな村の路地裏。
「だからこそ、あなたたちの力が必要になる」
エルナさんの目が、真っ直ぐだった。
「オーク村は潰せなくても──
“オークに狙われた村を守ること”なら、今のあなたたちでも出来る」
「……はい」
それなら、今の自分たちでも届くかもしれない。
◇ ◇ ◇
「それから、もうひとつ」
リゼさんが、にやりと笑う。
「本題の前に、“ご褒美”があるわ」
「ご褒美?」
首をかしげる俺たちに、ボルグさんが短く告げた。
「秋人・ユイ・紅葉──
この三人のパーティを、“正式にCランク昇格候補”として上に上げる」
「……候補?」
ユイが、ぽかんと口を開ける。
「今までは“口約束のC候補”だっただろうが。
今回は正式に書類付きで上に上げるって話だ」
ボルグさんが、書類の角を指で叩いた。
「オーク斥候討伐。
オーク拠点の発見と情報持ち帰り。
撤退判断も含めて、“Cの下の方”としては十分な実績だ」
「…………」
実感は、正直あまり湧かなかった。
でも、昨日まで“候補”って言葉だけだったのが、
ちゃんと紙に残る形になったのは分かる。
「ただし」
当然のように、その言葉が続く。
「本格的なC昇格は、“オーク討伐作戦が終わってから”だ」
「……ですよね」
「作戦前にCに上げると、
“Cなんだからオーク村行けよ”って声が絶対出るからな」
それは本気で勘弁してほしい。
「だから今回は、“準Cランク”ってところね」
リゼさんが笑う。
「報酬や依頼の幅も、少しだけC寄りに広がるように調整するわ。
でも、身の程は間違えないように」
「……はい」
嬉しいような、身が引き締まるような、変な感じだった。
◇ ◇ ◇
部屋を出て廊下に出たところで、
三人で顔を見合わせた。
「……準Cランク、だって」
ユイが、少しだけ照れくさそうに笑う。
「なんか、“仮免合格”みたいな響きだな」
「でも、“仮免”ってことは、
“本免”もちゃんと視野に入ったってこと」
クレハの言い方は相変わらず淡々としている。
「オーク村、直接は無理。
でも、その周りなら、今の私たちでも出来る」
「……そうだな」
刀の柄を軽く叩きながら、
ちょっとだけ胸を張れる気がした。
「昨日見たあいつらを……
“その外に出てきたやつくらいは、絶対通さない”ってのが、今の俺たちの仕事か」
「うん」
ユイが頷いた。
「ミルダ村や、他の村の人たちが、
“オークがいたことも知らないまま平和に暮らせたらいいな”って思う」
「忍び的には、“何も起きなかったように終わる仕事”は、
けっこう好き」
クレハが、少しだけ口角を上げた。
その笑い方が、
昔話で聞いた“影の仕事”ってやつのイメージにやけに合っていて、
ちょっとだけ背筋が伸びる。
◇ ◇ ◇
ギルドを出て、街の広場を歩きながら、
ふと、空を見上げた。
昨日と同じ青空なのに、
見える景色が少しだけ変わって見える。
(森の向こうに、オーク村がある。
でも、その手前に、俺たちがいる)
それだけで、
昨日よりも世界が少しだけ“自分の手の届く範囲”になった気がした。
「秋人くん」
「ん?」
「今日の午後から、どうする?」
「とりあえず、鍛冶場と教会と酒場の裏をはしごかな」
自分で言って、自分で笑った。
「結局いつも通りじゃん」
「いつも通りが一番強くなる気がしてきた」
「それは、そうかも」
ユイも笑い、クレハも小さく頷く。
「じゃあ、“いつも通り”続けながら、
“いつかオーク村を潰せる側”になろ」
「うん」
「了解」
三人で短く言葉を交わす。
悔しさは、まだちゃんと胸の中に居座っている。
でも、その居場所が──
昨日よりも少しだけ“前向きな場所”に移動している気がした。
それだけで、
今日の訓練も、ちゃんと意味があるものになる気がした。
つづく。




