第56話 二体目の距離感
オーク一体目の死骸を、簡単にだけ確認したあと。
俺たちは場所を少しだけずらし、木陰で水を飲んだ。
「……ふぅ」
喉を通る水が、やけに冷たく感じる。
緊張と興奮で、まだ心臓の鼓動が完全には落ち着かない。
「秋人くん」
ユイが、鞄から小さな布を取り出した。
「汗、すごいよ。顔、拭いて」
「あー……ありがと」
布を受け取って、額の汗を拭う。
ついでに刀の柄も少し拭いた。
「二人とも」
クレハが、じっと俺たちの顔を見た。
「“怖いの”、ちょっと減った?」
「……さっきよりは、かな」
正直、さっきの一体目で“まだ勝てる”と分かったのは大きい。
でも同時に、“一体であの消耗”という現実も理解した。
「お前は?」
「私も。
“止めれば倒せる”って分かったから」
クレハが、少しだけ口元を緩めた。
◇ ◇ ◇
少し離れたところで、カイルたちも同じように息を整えていた。
「いやー……生で見るオーク、想像以上にごつかったな」
カイルが槍を肩に預ける。
「でも、最初の一体があのくらいでよかったわ」
セラが双剣を繰りながら答えた。
「これでいきなり三体スタートとかだったら、普通に詰んでたでしょうね」
「ノア、大丈夫?」
ユイが、少しだけ心配そうに覗き込む。
「は、はい……。
さっき、魔法打とうか迷ってる間に終わっちゃって……」
ノアは、まだおどおどしながら杖を抱えていた。
「でも、“いつ撃つか”はちゃんと考えてたでしょ?」
「……はい。
崩れたところに、って思ってたんですけど……その……」
「それでいいのよ」
リゼさんが、いつの間にかそばに来ていた。
「一体目は、“自分が何も出来なかった”で終わってもいいの。
次から、“何かひとつやれること”を増やしていけばいいわ」
「……はい」
ノアが、小さく頷く。
◇ ◇ ◇
「よし、次行くぞ」
ボルグさんの声で、休憩終了が告げられた。
「斥候はまだいる。
匂いと痕跡からすると、このあたりで“二〜三体の小集団”が徘徊してるはずだ」
「次は、二体か三体……」
カイルが、わざとらしく肩を回す。
「秋人。
さっきの感覚、体に残ってるうちにもう一回やった方がいい」
ボルグさんが俺の方を見る。
「ただし、さっき言った“コスト”を忘れるな」
「……了解です」
回復魔法と罠の残数。
俺の魔力の残り。
紅風一閃を連発するわけにはいかない。
今度は、より“剣そのもの”の仕事が増える。
◇ ◇ ◇
再びドルガンとクレハが先行し、森の奥へ。
俺たちは、さっきより少し広く間隔を取って後を追った。
数分後――また、合図。
「二体」
クレハが戻ってきて、小さく告げた。
「獲物、分け合って食べてる。
さっきのより、ちょっと筋肉多め」
「距離は?」
「さっきと同じくらい。
ただ――」
クレハが、わずかに眉を寄せる。
「二体とも、“鼻を動かしてる”。
警戒少し高め」
「そりゃあ、一体帰ってこなかったらな」
ドルガンが鼻で笑う。
「斥候役が一体戻らねぇ。
となりゃ、周りの奴らも多少は慎重になるさ」
「さっきと同じパターンで釣るのは難しそうね」
リゼさんが腕を組む。
「どうする?」
ボルグさんがこちらを見る。
「試すか?」
“試す”と言われて、俺は思わず喉を鳴らした。
でも。
「……はい」
自分でも驚くくらい、迷いはなかった。
「二体までなら、“まだ行けるかどうか知りたい”です」
ユイも、クレハも頷いた。
「カイルたちは?」
「もちろん。
ここでビビってたら、一生Cにはなれないしな」
カイルが笑い、セラも肩をすくめる。
「撤退ラインはちゃんと見てくれれば、文句は言わないわよ」
「ぼくも……その……がんばります」
ノアの声は震えていたけど、足はちゃんと前を向いていた。
◇ ◇ ◇
作戦は少しだけ変えた。
・ドルガンが匂いで位置を探り、クレハが“合流地点”に罠を仕掛ける。
・片方を“先に倒す”より、“二体まとめて足を鈍らせる”方を優先。
・秋人&カイル組で“片方を集中して削る”。
・もう一体は、罠+セラ+ノアの魔法で極力動かさない。
「“手数を分ける”ってことですね」
「そうだ」
ボルグさんが頷く。
「いいか。
二体相手に、一体ずつ倒そうとして、
両方に中途半端にダメージ入れる――」
「それ、一番やっちゃダメなやつだ」
セラが即座に言った。
「どっちも“まだ動ける”状態で残るから、一気に押し潰される」
「だからまず、“一体を明確に戦闘不能”にする。
それから、残りをどうするか考えろ」
「分かりました」
喉の奥の乾きを、ごくりと飲み込む。
◇ ◇ ◇
オーク二体のいる場所は、さっきより少し開けていた。
低い木の枝が少ない分、棍棒を振り回しやすそうなスペース。
一体は、骨を齧りながら周囲を嗅ぎ回っている。
もう一体は、鼻を鳴らしつつ、時々森の奥の方を気にしていた。
(警戒してるな……)
さっきより、“何かを探している”ようなそぶりがある。
クレハとドルガンは、すでに別ルートから動いているはずだ。
「合図が来るまで待つぞ」
ボルグさんの小声に頷く。
少しして、葉が一枚、ひらりと落ちた。
さっき見たのと同じ、クレハの合図だ。
「行け」
ドルガンの低い声と同時に、状況が動いた。
◇ ◇ ◇
最初に飛び出したのは、カイルだった。
「よっしゃ、一番乗りだ!」
わざと派手に地面を蹴り、オークの視線を引き寄せる。
「グルルァッ!」
一体目のオークが、こちらを振り向き、棍棒を振りかぶる。
その瞬間、地面がわずかに爆ぜた。
「《爆鎖陣》!」
クレハの声が、木々の間から響く。
オークの足元と腰のあたりで、小さな爆発が連鎖した。
さっきより少し控えめな火力。
だが、“足を止める”には十分だった。
「今のは、“二体目に残す用”だから」
クレハの声が脳裏に蘇る。
爆鎖陣フルパワーは、あと一回だけ。
今回は“足止め寄り”の調整だ。
爆発で足が止まった一体目へ、カイルの槍が飛び込む。
「おらぁ!」
槍の穂先が、オークの太腿を貫く。
ぐらりと体勢が崩れるその瞬間――
「《影縛り》!」
二体まとめて、足元から影が絡みついた。
少し離れたところで警戒していた二体目のオークも、影の鎖に引っかかったらしい。
「今は“完全拘束”じゃなく、“動き鈍らせる”方」
クレハの影術は、今回は“二体とも半端に縛る”方向で使われていた。
「秋人くん、右!」
「了解!」
一体目のオークに向かって駆けながら、
“さっきと同じこと”をやるわけにはいかないと理解していた。
(紅風一閃は、最後の切り札。
今は――)
火も風も、刀には乗せない。
守護の加護とガーディアン・ブレスだけを頼りに、
“ただの剣”でオーク一体を落とす。
棍棒が、影縛りを力ずくで引きちぎろうとしている。
その隙間――膝に近い部分へ、思い切り踏み込む。
「せいっ!」
膝裏を狙って、袈裟ではなく横一文字に斬り払う。
筋肉と腱を一緒に断ち切る感触。
オークの足が、崩れた。
「グァアア!」
前のめりに倒れかける巨体。
その頭を、横から別の金属音が打った。
「おらぁぁ!」
カイルの槍の石突きが、オークの側頭部を思い切り打ち抜いたのだ。
「今のは、トドメの一歩手前ね」
セラの声が、少しだけ近くから聞こえる。
「ノア!」
「は、はい!」
ノアが震える杖を前に突き出した。
「《ストーンバレット》!」
小さな石弾が、オークの顔面に飛ぶ。
大ダメージにはならない。
でも、最後の一回だけ、オークの動きが完全に止まった。
その隙を逃さず、カイルが槍を引き抜き、今度は喉元へ突き込む。
鈍い音。
オーク一体目が、完全に沈黙した。
◇ ◇ ◇
だが、もう一体がまだ残っている。
「グルルルアア!」
二体目のオークは、足元の影を無理やり引きちぎっていた。
爆鎖陣の範囲外だった分、足はまだ生きている。
棍棒を振り上げ、こちらへ突進してきた。
「秋人くん、下がって!」
ユイが素早く前に出る。
槍を横に構え、棍棒の軌道に合わせて受ける――のではなく、
柄で“滑らせる”ようにいなす。
棍棒の重さを真正面から受けず、槍のしなりを使って流す。
それでも、衝撃は凄まじく、足が一歩下がった。
「ッ……!」
「《ガーディアン・ブレス》、重ねます!」
ユイ自身に防御バフを重ねる。
(しまった、守られる側から、守る側に回ってる……)
そう思った瞬間。
「秋人」
静かな声が、右側から聞こえた。
「“足、止めたい?”」
クレハだ。
「もちろん!」
「じゃあ、“足だけ”」
クレハが、木陰から飛び出す。
足元に影符を投げつけ、手印を結ぶ。
「《影縫い》」
さっきより範囲を狭めた、ピンポイントの影術。
オークの片足だけが、地面に縫いつくように止まった。
もう片方の足は動くが、その場で踏み鳴らすことしかできない。
「ユイ!」
「分かってる!」
ユイが、一気に踏み込んだ。
槍兼薙刀の刃が、オークの足首を狙って薙ぎ払われる。
骨までは断てない。
だが、十分に深い傷。
オークのバランスが崩れた瞬間――
「今だ!」
俺は、横から膝を狙って踏み込んだ。
さっきと同じように、膝の裏を横に斬る。
膝が折れる音がした。
オークが片膝をついた、その瞬間。
「ノア!」
セラの声。
「い、今です!」
ノアが、必死に杖を振る。
「《フレイムショット》!」
小さな火球が、オークの顔面に直撃した。
火傷させるほどの威力はないが、目の前が一瞬光に包まれる。
オークが顔を覆った、その隙に――
「せぇいっ!!」
カイルの槍が、横から首を穿った。
ぐらりと揺れ、二体目もついに崩れ落ちた。
◇ ◇ ◇
静寂。
さっきより少し長く、誰も声を出せなかった。
「……はぁっ、はぁっ……」
槍を支えにしながら、ユイが肩で息をしている。
俺も、足が少し震えていた。
さっきの一体目より、明らかに余裕がなかった。
「……っ、よし」
何とか刀を納め、深呼吸を繰り返す。
「ノア、大丈夫か?」
「は、はい……。
今度は、ちゃんと撃てました……?」
「ああ。
お前の一発、結構効いてたぞ」
「……よかったです」
ノアの顔から、初めて少しだけ“やり切った”表情が見えた。
◇ ◇ ◇
「ふむ」
リゼさんが、倒れた二体のオークを見下ろす。
「一体目と二体目。
どっちも、“ギリギリじゃない勝ち方”が出来たわね」
「ギリギリじゃない……のか、これ」
俺が思わず呟くと、ボルグさんが肩をすくめた。
「ギリギリってのはな。
誰かが腕を持っていかれたり、内臓をぶちまけたりして、
それでも何とか勝つことを言う」
「それは……あんまり想像したくないですね……」
ユイが、苦い顔をする。
「そのラインから見れば、“ヒールとバフでカバー出来る傷”の範囲内で勝ててるうちは、まだ余裕がある」
エルナさんの声が、少し離れたところから聞こえた。
もう一班の方は、今のところ大きな交戦はしていないらしい。
「でも、二体でこれだけ消耗したなら」
リゼさんが続ける。
「“三体同時に相手すると危ない”って感覚も掴めたはずよ」
「……はい」
それは、誰も反論できなかった。
腕の重さ。
呼吸の荒さ。
魔力の残量感覚。
全部、さっきより確実に減っている。
◇ ◇ ◇
「収穫は十分だな」
ボルグさんが、オーク二体の死体から目を離し、森の奥を見た。
「痕跡からすると、この先に“もっと濃い匂い”がある」
「オーク村、ですか?」
「村ってほどかはまだ分からんが、
“複数体が行き来してる拠点”はあるだろうな」
その言葉に、全員の表情が引き締まった。
「行くのか、行かないのか」
ボルグさんは、俺たちを見渡した。
「さっきも言ったが、
“オーク村を潰す”のはお前らの仕事じゃねぇ。
あくまで“場所を特定して帰ってくる”のが任務だ」
「…………」
それでも、足は自然と前を向いていた。
二体を倒せた、という事実と、
二体でこれだけ削れた、という現実。
その両方を抱えたまま、俺たちは考える。
「行けるかどうか、じゃなくて」
自分の口が勝手に動いた。
「“行ったうえで、戻ってこられるかどうか”ですよね」
ボルグさんの口元が、わずかに上がった。
「分かってきたじゃねぇか」
「行きたいです」
驚くほど、迷いなく言っていた。
「行って、場所だけでも掴んで、ちゃんと帰ってきたいです」
「秋人くん」
「私も、行きたい」
ユイが、槍を握り直す。
「オーク村が出来たら困るのは、この街の人たちだし。
この先の戦いのためにも、“どんな拠点なのか”見ておきたいです」
「私も」
クレハが、短く頷く。
「“敵の巣”、一回見ておく。
……忍びとしても、興味ある」
「ったく。素直じゃねぇ連中だ」
カイルが笑う。
「もちろん、俺たちも行くに決まってんだろ」
セラもため息をつきつつも、双剣を握り直した。
「……ぼくも、行きたいです」
ノアの声はまだ震えていたけれど、はっきりしていた。
「怖いですけど、その……。
ここで帰ったら、きっとあとで後悔すると思うので」
「よし」
ボルグさんは、ゆっくりと頷いた。
「監督陣の判断としても、“ここまでは合格”だ」
ドルガンが、鼻を鳴らす。
「この先は、“匂いの濃さ”だけ確かめて、“ヤバそうなら即帰り”だ」
リゼさんも頷き、エルナさんが小さく十字を切る。
「これから先は、本当に“線を引く訓練”になるわ」
エルナさんの声が、少しだけ厳しくなる。
「“行ってもいい場所”と、“行ってはいけない場所”。
“戦っていい相手”と、“手を出してはいけない相手”。
それを、自分の目で見て覚えてきなさい」
「……はい」
刀の柄を握り直しながら、俺は森の奥を見た。
さっきより濃い、獣と血と煙の匂い。
オークたちの“巣”が、この先にある。
(そこまで行って、ちゃんと戻ってくる)
それが今日の、最後の課題だ。
「じゃあ」
ユイが、そっと手を差し出した。
「もう一回だけ、“がんばろう宣言”してから行こ?」
「……いいな、それ」
俺もその手を握る。
クレハも、反対側からそっと重ねた。
カイルたちも、少しだけ離れたところで同じように手を重ねていた。
「オークの巣、見て帰る」
「全員で、ちゃんとラグナスに帰って――」
「帰ってきたら、また、どうでもいい話しよう」
「うん」
短い約束を交わして、俺たちは再び、森の奥へ足を向けた。
オーク村の気配は、確実に近づいている。
でも、その気配よりも――
隣にいる二人の手の感触の方が、今はずっとはっきりしていた。
つづく。




