第53話 オークと呼ばれるもの
ギルドを出て一度宿に戻り、昼食をかき込んだあと。
俺たちは、自然と別々の方向へ歩きだした。
「じゃ、私は教会」
「私は、酒場の裏」
「俺は鍛冶屋街だな」
ユイはエルナさんのもとへ。
クレハはドルガンのとこへ。
俺はタツミさんとリゼさん──いつものルートだ。
オークの話を聞いた以上、
一度は師匠に報告しておかないといけない気がしていた。
◇ ◇ ◇
鍛冶屋街に着くと、いつもの金属を叩く音が聞こえてきた。
タツミの工房の扉を開けると、熱気と鉄の匂いが全身を包む。
「入りまーす」
「勝手に入るな。……で、入れ」
「どっちですか」
ツッコみながら、道場で鍛えられた足で作業場をすり抜ける。
タツミさんは炉の前で鉄を打っていた。
火花が散るたびに、腕の筋肉が無駄なく動く。
「どうだった」
挨拶より先に、それだった。
「ボルグさんから、“オークの斥候”の話を聞きました。
監督付きで、D上位から何組か……その中に俺たちも、って」
「…………」
タツミさんは、何度か鉄を叩き終えてから、ようやく顔を上げた。
「断らねぇのか」
「……はい」
自分でも、ちょっと驚くくらい迷いがなかった。
「怖いですけど。
でもここで逃げたら、一生逃げグセつく気がします」
「ったく」
タツミさんが、ため息とも笑いともつかない息を吐いた。
「こないだのゴブリンロード見たあとで、そのセリフが出るなら上等だ。
でかいのを間近で見て、戦場から逃げねぇなら、物にはなる」
そう言って、俺の腰の刀を顎でしゃくる。
「抜け」
「はい」
鞘から、静かに刀を抜く。
鍛冶場の火が、刃に映った。
「構え」
「……ふっ」
いつもの中段。
前より、自然に重心が落ちている気がする。
タツミさんは、しばらく黙って俺の構えを眺めていた。
「オークは、拳一発で骨が砕ける。
棍棒も、斬る前に受けたら腕が飛ぶと思え」
「……はい」
「だから、お前に必要なのは――
“受けないで斬ること”だ」
短く言い切られた。
「火だの風だの乗せるのはいい。
だが、まず“当たる前に落とす”って考え方を身体に叩き込め」
「……了解です」
「今日からしばらく、“オークの棍棒想定”の素振りだ。
細かい魔力操作はあとでリゼに任せる」
「なんか、前衛らしいメニューになってきましたね……」
「前衛をやるってのは、そういうことだ」
タツミさんの言葉は、いつもどおりぶっきらぼうで。
でも、その奥にあるものは、前より少しだけ分かるようになっていた。
◇ ◇ ◇
鍛冶場裏の空き地に移動すると、そこにはすでに先客がいた。
「やっと来たわね、“オークにケンカ売りに行く気満々の子”」
腰に細身の剣を提げ、長い銀髪を揺らして振り向くのはリゼさんだ。
「ケンカ売るっていうか……仕事ですから」
「仕事のついでにちょっとケンカ売るでしょ?」
「……まぁ、そういうこともあるかもしれません」
「素直でよろしい」
リゼさんは肩をすくめると、俺の刀を指さした。
「オークの斥候案件、だいたい話は聞いたわ。
で、あなたはどうしたいの?」
「どう……」
少し考えてから、正直に口にする。
「“紅風一閃”を、切り札以上のものにしたいです。
あと、もっと“普通に斬る力”も欲しいです」
「うん。
欲張ってるけど、間違ってはないわね」
リゼさんは、にっと笑う。
「ただし、ひとつだけ覚えときなさい」
「はい」
「オーク戦で、初見の大技をぶっつけ本番で使うな」
一瞬、息が詰まった。
「……耳が痛いことを」
「あなたの顔がそう言ってるもの」
図星すぎて反論できない。
「紅風一閃は、確かにいい技よ。
でも、まだ成功率も精度も不安定。
そんな状態で“ここぞ”を狙うと、そこでコケる」
「…………」
「だから、オーク戦までにやることは二つ」
リゼさんが指を二本立てた。
「一つ目。
紅風一閃を“七割くらい狙って出せる”ところまで持っていくこと」
「七割……」
「十分高いわよ? 本来なら十割まで持っていきたいけど、それは贅沢ね」
確かに、今はまだ“出たらラッキー”に近い。
「二つ目」
リゼさんの目が、ほんの少しだけ鋭くなる。
「魔法剣を一切使わずに、
“ただの剣で中型魔物を仕留められるようにすること”」
「……」
「紅風一閃に頼り切ってたら、そのうち足元すくわれるからね」
「分かりました」
素直に頷くしかなかった。
「よろしい。
じゃあ今日から、“魔力ありの日”と“魔力封印の日”を交互にやりましょう」
「地味に地獄が始まった気がするんですが」
「前衛やるってそういうことよ?」
さっきも聞いた気がするセリフだった。
◇ ◇ ◇
その頃、教会の小部屋では。
「……オークの話、出ました」
ユイが椅子の端に座り、膝の上で手を重ねながら言った。
「ボルグさんの説明だと、“監督付き”で、
斥候の段階で叩く、って形になるみたいで」
「そう」
エルナさんは静かに頷き、机の上で組んだ手を解いた。
「オークはね。
“治すのが大変な怪我”を持ってくる相手よ」
「……やっぱり」
「骨折、内出血、内臓損傷。
切る・刺すだけじゃなく、“潰す力”を持ってるから」
ユイの喉が、ごくりと鳴った。
「だからこそ、あなたの役割は大きくなるわ」
「わたしの……」
「前線で一緒に槍を振るか、後ろに下がって支援に回るか。
その切り替えを、今まで以上に早くしなきゃならない」
「…………」
ユイは、自分の手のひらを見つめた。
ここ数日で覚えた回復と支援の魔法。
ヒールライト。クレンズ。ガーディアン・ブレス。プロテクション・シェル。
「怖いですか?」
エルナさんの問いに、ユイは正直に頷いた。
「正直、怖いです。
秋人くんやクレハが潰されるところなんて、絶対見たくないです」
「なら、なおさらね」
エルナさんは椅子から立ち上がり、壁にかかっている小さな十字を見上げる。
「今日から、支援魔法の練習に“想定オーク戦”を加えましょう」
「想定……」
「オークの棍棒が、秋人くんの側頭部に迫っている。
その瞬間に──あなたは何を、誰に掛ける?」
「《守護の加護》と、《ガーディアン・ブレス》を秋人くんに」
「そうね。
じゃあ、クレハが真横から突き飛ばされて、壁に叩きつけられそうになったら?」
「……《プロテクション・シェル》を壁側に」
「その時、秋人くんは?」
「……自分で避けてもらうしか――」
言った瞬間、自分でも胸がちくりと痛んだ。
「“全員を同じだけ守る”のは無理です」
エルナさんの声は、優しいのに厳しかった。
「でも、“誰も死なせないための優先順位”なら、決められるはずよ」
「…………はい」
「その線を、今のうちに何度も何度も頭の中で引いておきなさい。
そうしておけば、いざという時、心が折れにくくなるから」
ユイは目を閉じた。
秋人くん。
クレハ。
自分。
それから、カイルたち、騎士たち、知らない誰か。
(誰を、どう守るか)
今までよりずっとはっきりと、考えなきゃいけなくなる。
「それと」
エルナさんが付け足した。
「薙刀の型、もう一度最初からおさらいしましょう。
“支援と攻撃を両立させるフォーム”に組み替えていくわ」
「よろしくお願いします」
ユイは真っ直ぐ頭を下げた。
◇ ◇ ◇
一方その頃、酒場の裏庭。
「オーク、ねぇ」
ドルガンは、木にもたれかかりながら煙草のような葉巻をくゆらせていた。
「“近くで見ねぇのが一番いい獲物”だ」
「でも、見ちゃう」
クレハが、当たり前みたいに言う。
「行くって決めた」
「……そうだな」
ドルガンが口の端を上げる。
「で。
お前はどうしたい?」
「“止めたい”」
クレハは迷いなく言った。
「オークの足、止めて、腰も止める。
動き鈍らせて、秋人が斬りやすくする」
「いい答えだ」
ドルガンは葉巻を靴裏で踏み消した。
「だったら今日から、“オーク一体相手にどう罠を張るか”を徹底的にやる」
「……一体?」
「群れを想定するのは、そのあとでいい。
一体すら扱えない奴が、群れ相手に立ち回れるわけねぇだろ」
「あ」
言われてみれば当然すぎて、思わず声が漏れた。
「まずは、“一体を確実に足止めするルート”を身体に叩き込め。
影の使い方、罠の位置、爆薬の量。
全部、“オーク一体”をイメージしながら詰める」
「分かった」
クレハは、腰のポーチに手を伸ばした。
ワイヤー。
爆符。
煙玉。
影符。
「今日から、オークのつもりで動いて」
「は?」
「ドルガン、オークの“真似”、出来る」
「おい、失礼だな」
言いつつ、どこか楽しそうだった。
「まぁいい。
じゃあ俺が“オーク役”やる。
お前は“止める側”だ。全力で来い」
「うん」
クレハは、目を細めた。
里では、「殺すための罠」を教わった。
ここでは、「生きて帰るための罠」を教わっている。
その違いが、今は少しだけ誇らしかった。
◇ ◇ ◇
日が傾き始めたころ。
それぞれの修行を終えて、俺たちは宿の部屋に集合した。
「おかえり。どうだった?」
「タツミさんとリゼさん、揃って“前衛やるってのはそういうことだ”って言ってきた」
「内容被ってるのちょっと面白いね」
ユイは笑い、ベッドの端に腰かけた。
「こっちは、“誰を守るか事前に決めておきなさい”って、何回も言われた」
「それもまた、前衛こそ聞くべき話な気がするんだが」
「じゃあ今度一緒に説教聞く?」
「遠慮しとく」
クレハは、というと。
「ドルガン、“俺はオークじゃねぇ”って言いながら、すごくオークっぽかった」
「どんな感想だよ」
「でも、止め方分かってきた。
足、腰、視界。
どれか一つでも奪えば、“仲間の仕事場”になる」
「……いいな、それ」
本当にそう思った。
「じゃあ、まとめるぞ」
俺は立ち上がり、窓の外をちらっと見てから、二人に向き直った。
「オーク戦までにやること」
「うん」
「まず俺。
紅風一閃の成功率を上げるのと、
魔法剣封印した状態での“ただの剣の一撃”を鍛える」
「私は、支援と前衛の切り替え。
秋人くんとクレハを“どこで守るか”の線を、ちゃんと頭に叩き込む」
「私は、オーク一体を確実に止める罠と影の使い方。
“止めたあと、どう逃げ道残すか”もセットで」
三人とも、言葉が自然と出てきた。
怖くないわけじゃない。
不安がないわけでもない。
それでも――
「……なんかさ」
「ん?」
「“オークが怖い”って気持ちと同じくらい、
“どこまでやれるか見てみたい”って気持ちもあるんだよな」
言葉にしながら、自分でちょっと驚いた。
「分かる」
「分かる」
ユイとクレハが、声を揃えた。
「じゃあ決まりね」
ユイが、手のひらをこちらに差し出す。
「オーク戦、全力で行って、全員で生きて帰ってきて――
帰ってきたら、またここでくだらない話しよう?」
「……それ、いいな」
俺もその手を握る。
反対側から、クレハがそっと重ねた。
「オーク、怖い。
でも、“怖いまま逃げる”より、“怖いって分かって挑んで、生きて帰る”方が好き」
「名言っぽいことさらっと言うな」
「……そう?」
「そう」
三人で、顔を見合わせて笑った。
窓の外、ラグナスの空はオレンジから群青に変わりつつある。
その向こうには、オークの影と、Cランクの壁。
でも、今はまだ遠くにある。
(届くかどうかは、“今の俺たち”次第だ)
紅風一閃。
守護の加護。
影走りと罠。
三つの線が交わる場所に、きっと答えがある。
そう信じて、その夜も俺たちは遅くまで、それぞれの技のイメージを確認し続けた。
つづく。




