第50話 ラグナスの朝と、それぞれの師匠
翌朝、目が覚めた瞬間──
「……あ、ちゃんとベッドだ」
思わずそんなことを口にした。
昨日までの数日が濃すぎて、目を開けたらまた薄暗い鉱山とか、ゴブリンの巣の中なんじゃないか、って一瞬本気で思ったのだ。
「おはよ、秋人くん」
隣のベッドから、のそっと上半身を起こしたユイが、寝癖の付いたままの髪をかき上げる。
「……おはよう」
「今日、うなされてなかったね」
「自分の寝顔チェックから入るのやめろ」
「クレハは?」
視線を横に向けると──
「……すぅ……」
布団をすっぽり被った小さな塊が、規則正しい寝息を立てていた。
枕を抱きしめて、微妙にしっぽを振っているように見えるのは、きっと気のせいじゃない。
「熟睡だな、あいつだけ」
「里式メンタルケア、“寝ろ”だからね」
「シンプルだな里……」
でも、結局それが一番強いのかもしれない。
◇ ◇ ◇
一階の食堂は、いつも通りの朝だった。
パンとスープと、ちょっとした卵料理。
ギルド職員らしい人や、別の冒険者たちがそれぞれのテーブルで小声で情報を交わしている。
「はい、三人分ね」
マリーさんが、慣れた手つきでお盆を置いてくれる。
「昨日は大変だったみたいじゃない。ちゃんと食べなきゃ倒れちゃうわよ」
「ありがとうございます」
パンの匂いだけで、少し心が落ち着いた。
「ね、秋人くん」
向かいの席で、ユイがパンをちぎりながら言う。
「昨日さ。
夢、見た?」
「ちょっとだけ」
「どんな?」
「……ロードに殴られる前に、ドルガンさんがいてくれればよかったのに、って夢」
「それ夢っていうか願望では?」
「で、殴られる前に起きたから、たぶんギリセーフ」
そう言うと、ユイはふっと笑った。
「私はね、人身売買団のアジトの時の夢見たよ」
「大丈夫か」
「うん。
でも、前みたいに“何も出来なかった”って感じじゃなくて、
“あの時と今の自分は違う”って分かる夢だった」
ユイは、自分の胸に手を当てる。
「多分、昨日のゴブリン巣のおかげで、少し線が整理されたんだと思う」
「線、ね」
俺も、パンをちぎりながらぼんやりと考える。
人間相手に迷う線。
ゴブリン相手に迷わない線。
そして、守るために斬る線。
「クレハは?」
「……夢、見ない」
いつの間にか起きてきていたクレハが、スープをすすりながらぽつりと言った。
「“寝たら寝ただけ回復する”タイプ」
「羨ましいような、心配なような」
「“寝るのが仕事”って里言ってた」
「里教育、やっぱり雑だろ……」
でも、昨日のクレハの動きは、雑どころかむしろ洗練されていた。
◇ ◇ ◇
「でさ」
ひと通り食べ終わったところで、ユイが指を一本立てた。
「今日の予定だけど──とりあえず、教会行きたくない?」
「エルナのところ?」
「うん。
ミルダ村のお姉さんの様子も気になるし、
私も“支援魔法の練習、本格的に始めたいです”ってちゃんと頼もうと思って」
それは、前から話してた“師匠ポジション”の話だ。
「じゃあ俺は……タツミ工房と、できればリゼ師匠捕まえたいな」
魔法剣のこと。
全属性適性のこと。
昨日、目の前で“本物の魔法剣”を見てしまった以上、あれを目指さない理由がない。
「私は、ドルガンのところ」
クレハが当たり前のように言う。
「“ゴブリンの巣の中”は、まだ入ったことない。
さっき外から見ただけ。
もっと、“中でどう動くか”教えてほしい」
「完全にそれぞれ師弟関係が出来上がってるな……」
でも、悪くない流れだ。
「じゃあ今日は、“師匠に正式にお願いして回る日”にするか」
「うん」
「する」
三人で目を合わせ、小さく頷き合った。
◇ ◇ ◇
まず向かったのは、街の教会だった。
白い壁と高い天井。
前に来たときより、なぜか少しだけ安心する。
「いらっしゃい」
出迎えてくれたのは、シスター・エルナだった。
いつもの穏やかな笑み……の奥に、ほんの少しだけ疲れが見える。
「昨日はお疲れさまでした。
あのゴブリンの巣から、よくあの人数を連れて戻れたわね」
「俺たちは、外で逃げてくる群れを止めただけです」
「それでも十分よ」
エルナは、俺たち一人一人の顔を順番に見る。
「あなたたちも、ちゃんと“線”を守ってる顔をしてる」
「線って、やっぱり分かるんですか?」
ユイが尋ねる。
「ええ」
エルナは、ステンドグラス越しの光を見上げる。
「“命を守る人”と“命を踏み台にしてる人”の目は、全然違うもの」
その言い方は、静かだけど重かった。
「ミルダの方は……?」
「助け出された村娘さんなら、今は眠ってるわ。
体の傷は、治癒術で何とかなりそう。
心の方は、少し時間が必要ね」
「……会いに行ってもいいですか」
ユイが、慎重に言う。
「落ち着いてからの方がいいかもしれませんが」
「そうね。
今はまだ、夢と現実の境目が曖昧な状態だから」
エルナは小さく首を振った。
「でも、“助け出してくれた冒険者が会いたがっていた”ってことは、あとで伝えておくわ。
それだけでも、きっと支えになるから」
「お願いします」
ユイが深く頭を下げる。
(……俺は)
何を言えばいいのか分からないからこそ、軽々しく顔を出すのが怖い。
だから今は、エルナに任せることにした。
◇ ◇ ◇
「それで、今日はもう一つお願いがあって来ました」
ユイが、少しだけ姿勢を正す。
「支援魔法のこと?」
エルナの方から、先に口にした。
「はい。
《守護の加護》とか《霊槍薙刀》を、戦いの中でちゃんと使えるように──
“どういう時に、どういう支援を選ぶべきか”を学びたくて」
ユイの声は、少し緊張していた。
「前線に立てる分、
後ろを守る視点を持っていたいんです」
「いいわね」
エルナは、嬉しそうに微笑む。
「あなた、そう言うと思ってた」
「え?」
「ここに来たときから、“自分のため”より“誰かのため”に力を使いたいって顔をしてたもの」
その言葉に、ユイがわずかに目を見開いた。
「支援魔法はね、“優しいだけ”じゃ務まらないの」
エルナは、静かに続ける。
「どんなタイミングで、誰を優先して、何を諦めるか。
時には、“この一人を守るために、別の一人を守るのを諦める”判断もしなくちゃいけない」
「……はい」
「その覚悟が持てるなら、私は喜んで教えるわ。
支援も回復も、“戦いの一部”だから」
「お願いします」
ユイが、深く頭を下げた。
横で見ているだけなのに、俺まで背筋が伸びる。
(支援も、“線”の一種だよな)
誰を守るか。
誰を優先するか。
ユイなら、多分、その線を曲げずに持てるんだろう。
◇ ◇ ◇
教会を出たあと、今度は鍛冶屋街に向かう。
タツミの工房は、今日も金属を叩く音が響いていた。
「お邪魔します」
控えめに扉を開けると、タツミがちらりとこちらを見た。
「来たか」
相変わらず無表情……なんだけど、前よりほんの少しだけ柔らかい気がするのは、気のせいじゃないと思いたい。
「この前の刀、助かりました」
俺は、腰の刀の柄を軽く叩く。
「ロードの一撃、ギリ受けられたの、こいつのおかげです」
「刃、見せろ」
「はい」
刀を抜き、慎重に鞘から半分ほど出して見せる。
タツミは、刃の反りや、傷の付き具合をじっと眺めた。
「……悪くない」
低い声でそう言う。
「“無理に受けた”傷は付いてるが、
まだ折れてねぇ。
お前の握り方も、前よりマシになってる」
「それ、褒め言葉ですよね?」
「褒めてる」
そう言い切るのが、この人の可愛いところだと思う。
「で、今日は何の用だ」
「本格的に、“魔法剣の練習”を始めたいんです」
俺は、息を整えてから言った。
「リゼさんにもお願いして、魔力操作とか教えてもらうつもりで。
タツミさんには、“剣と体の方”を見てもらえないかと」
「……」
タツミは、腕を組んで少し黙り込んだ。
鍛冶場の奥で、火がぱちぱちと音を立てる。
「リゼ」
不意に、背後の影から声がした。
「呼ばれた気がしたから来たわよ」
「女神かお前は」
ちょうど工房の裏口から、リゼが顔を出した。
本当に、タイミングだけは神懸かってる。
「話は大体分かったわ」
「聞いてたんですね」
「“魔法剣やりたいです”って顔してたもの、昨日から」
図星だった。
「いいわよ」
リゼはあっさりと言う。
「あなたの《魔力適性:全属性》、放っとくのはもったいないし。
ちゃんと“剣に魔力を乗せる”ところから教えてあげる」
「その代わり」
タツミが、そこで口を挟んだ。
「俺の条件が一つある」
「……条件?」
「“力に甘えない”ことだ」
タツミの目が、じっと俺を射抜く。
「魔法剣は便利だ。
だが、“魔力が尽きた時”に、剣だけで戦えねぇ奴はすぐ死ぬ」
「……はい」
「リゼに魔力教わる分、俺のところでは“魔力抜きの剣”を叩き込む。
それでよければ、鍛えてやる」
「お願いします」
迷いはなかった。
(力に甘えない、か)
昨日、Bランクの壁を見た今なら、その言葉の重さが少し分かる気がする。
◇ ◇ ◇
そして最後に向かったのは──ちょっと外れの方にある、小さな酒場の裏。
昼間の酒場はまだ静かで、裏庭みたいな場所に、木の人形と簡易な的がいくつか置かれていた。
「来たか」
そこにいたのは、もちろんドルガンだ。
腕を組み、いつもの無精ひげ顔でこっちを見る。
「“師匠、お願いします”って言いに来ただろ」
「……なんで分かる」
「顔」
一言で片づけられた。
クレハが、素直に頭を下げる。
「巣の中の動き、教えてほしい。
罠の張り方とか、逃げ道の作り方とか。
“殺す前にどう追い込むか”も」
「里じゃ教わらなかったか」
「教わった。
でも、“こっちの世界のやり方”は違う」
クレハが、真っ直ぐに言う。
「ドルガンの動き、秋人を庇う動き、ちゃんと見てた。
ああいうの、出来るようになりたい」
ドルガンの口元が、少しだけ吊り上がる。
「……言い方は悪くねぇ」
短くそう言ってから、肩をすくめた。
「いいだろ。
その代わり、一つだけ覚えとけ」
「なに」
「“カッコつけて死ぬな”」
ドルガンの声は、妙に静かだった。
「巣の中で一番大事なのは、“自分が生きて帰ること”だ。
仲間を守るのも大事だが、自分が死んだら守る奴も守れねぇ」
「……うん」
「里のやり方は“任務のために死ね”だろ。
こっちは違ぇ。“生きて帰る技術”を教えてやる」
“任務のために死ね”、の一文に、クレハの肩がわずかに揺れた。
でもすぐに、ぎゅっと拳を握る。
「覚える。
“生きて帰る忍び”になる」
「よし。
なら、今日からしごきだ」
ドルガンの笑みは、どこか楽しそうだった。
◇ ◇ ◇
こうして──
ユイはエルナのもとで、
支援と回復と、“誰を守るか選ぶ”線を学ぶことになり。
クレハはドルガンのもとで、
“生きて帰るための忍びの技”を叩き込まれることになり。
俺はリゼとタツミの両方に、
魔力と剣、その二本の柱を“甘えずに”積み上げることを許された。
(Bランクの壁は、まだ遠い)
それでも──
昨日までより、少しだけ道筋が見えた気がした。
「秋人」
夕方、宿に戻る途中で、クレハが袖をつまんできた。
「ん?」
「“いつかロード級を正面から斬りたい”って顔してる」
「……顔で全部バレるな俺」
「でも、そういう顔、嫌いじゃない」
クレハが、ほんの少しだけ微笑んだ。
「ユイも」
「もちろん」
ユイも、当たり前のように頷く。
「秋人くんが勝手に突っ走りそうになったら、私とクレハでちゃんと引っ張って戻すからね」
「それはそれで怖いな」
でも、悪くない怖さだ。
ラグナスの夕焼け空の下。
二人の横顔を見ながら、俺はそっと刀の柄に手を置いた。
(いつか、今日見た背中に追いつくために)
今はまだ、Dランク上位の三人組。
でも、その先に続く道の入り口には、ようやく立てた気がする。
剣と魔法と、支援と忍び。
三人三様に、“強くなるための夏”が始まろうとしていた。
つづく。




