第48話 ゴブリンロード、そして「任せなさい」の意味
翌朝。
ラグナスのギルドは、いつもより空気が張り詰めていた。
「全員いるな」
丸テーブルの前に立ったボルグさんが、ざっと顔ぶれを見回す。
俺たち三人。
ボルグさん。
騎士団からは五人ほど。
それから──ドルガンと、銀髪のエルフ・リゼ。
「作戦は昨日話した通りだ」
ボルグさんが地図を指でなぞる。
「俺たちと騎士団で正面から巣に突入する。
リゼとドルガンは、“頭”の対応がメインだ」
「はいはーい、“ロード以上担当”ね」
「おう、“デカいの専門”」
この二人、言い方が軽いのに内容が重い。
「秋人たち三人は」
ボルグさんの指が、森の外縁をぐるりと回る。
「森の縁を掃除しながら巣の周囲に展開。
逃げ出してくるゴブリンの群れを潰しつつ、村への抜け道を塞ぐ」
「ロード級と正面からやり合おうとか、絶対思うなよ」
リゼがぴしっと指を立てる。
「“あ、無理だ”って思った瞬間は正しい。すぐ叫びなさい」
「叫ぶとどうなるんです?」
「瞬きしてる間に、私かドルガンが顔の前にいるわ」
「瞬きしたくないなそれは……」
「怖がるためじゃなくて、“退路がある”って知っとくためね」
リゼの笑顔は明るいけれど、目は冗談じゃない。
「ゴブリンは害獣。ガキでも迷うな」
ドルガンが、いつものように短く言う。
「ただし、お前らは人間相手の時の線も忘れるな。
ゴブリンと人間を、同じ袋に放り込むな」
「……はい」
三人で頷く。
「よし。行くぞ」
ボルグさんの一声で、俺たちはギルドを出た。
◇ ◇ ◇
ラグナスからミルダ村までは、昨日と同じ道だ。
違うのは、今回は後ろに騎士団と、上位二人がいること。
振り返ると、ドルガンはいつも通り無駄のない歩幅で、
リゼは肩に長剣を乗せながら、鼻歌まじりに歩いている。
「緊張してる?」
ユイが、こそっと聞いてくる。
「まあ、してないと言えば嘘になる」
「でも、昨日より顔はマシ」
クレハの妙な評価が飛んできて、ちょっと笑ってしまった。
(……怖いけど、逃げたいほどじゃない)
それくらいの緊張感だ。
◇ ◇ ◇
ミルダ村に着くと、すでに村人たちが門のところで待っていた。
「来てくれたか……!」
昨日の男が、胸を撫で下ろすようにして頭を下げる。
「今日は“巣そのもの”を叩きます」
ユイが落ち着いた声で言う。
「森から逃げてくるゴブリンがいたら、すぐ柵の中に入ってください。
門の見張りは増やして、絶対に一人で外に出ないように」
「分かった。
お前たちも……どうか無事でな」
その言葉に、自然と背筋が伸びた。
◇ ◇ ◇
森の入口で、一旦全員が足を止める。
「ここから先は、いつも通りだ」
ボルグさんが振り返る。
「怖がるのは普通だ。
怖くても“足を止めない”のが仕事だと思っとけ」
「はい」
「うん」
「分かってる」
「秋人」
ドルガンが、わざわざ少し近づいてきた。
「線、覚えてるか」
「ゴブリンは害獣で、人じゃない」
「そうだ。
だが、お前の手は“守るために斬る”ためにある。
どっちを忘れても線が狂う」
言いながら、軽く拳で俺の胸を小突く。
「混ざりそうになったら叫べ。
その時は、俺がぶった斬る」
「……はい」
“怖いけど安心する”言い方をする人だ、本当に。
「じゃ、そろそろ行こうか」
リゼが軽くストレッチしながら進み出る。
「今日の目標、“全員生還・巣ごと殲滅”。以上」
「簡単に言うなぁ……」
でも、言い切ってくれるのはありがたい。
◇ ◇ ◇
森の中は、昨日よりもさらに空気が重かった。
気のせいじゃない。
ゴブリンの気配が、明らかに増えている。
「昨日より“ざわざわ”してる」
クレハが、枝葉の動きと足跡を見ながら小声で言う。
「奥が騒がしい。
たぶん、こっちの気配に気づいてる」
「なら、こっちも遠慮はなし」
ユイが槍薙刀を構え直す。
ボルグ隊はまっすぐ巣の方向へ。
俺たち三人は、森の外縁側に少しずれながら並走する形で進んだ。
◇ ◇ ◇
最初の交戦は、すぐだった。
「ギャッ!」「ギャアア!」
茂みの陰から飛び出してくる、小さな影が五つ。
投石。
棍棒。
錆びた短剣。
昨日見たパターンの寄せ集めだ。
「秋人、右!」
「了解!」
右側の二匹に踏み込む。
一本目の棍棒を刀の側面で受け、二本目の短剣を袈裟懸けに斬り払う。
血しぶき。
でも、もう手は止まらない。
(こいつらは、村に向かう害獣だ)
そう頭の中で繰り返しながら、致命傷を重ねていく。
「“霊槍”!」
背後で、ユイの声。
槍薙刀の一薙ぎで、三匹目が腹を裂かれて倒れる。
「“影走り”」
クレハの姿が、一瞬ふっとぶれた。
ゴブリンの背後に回り込んで、喉をナイフで切り裂く。
喉を押さえたまま倒れこんだゴブリンは、音にならない音を漏らしながら動かなくなった。
ほんの数秒で、五匹は全滅した。
「……よし」
息を整える。
胸の奥は、やっぱり少し痛い。
それでも、“線がぐちゃぐちゃになる感じ”はない。
「大丈夫?」
「多分な」
「“楽しい顔”はしてない」
クレハの一言に、ユイがふっと笑う。
「クレハのその判定、だいぶ信用されてるよね……」
「だって分かりやすい」
「そこ褒められてる気がしない」
他愛もない会話を挟みつつ、前に進む。
◇ ◇ ◇
森の中腹あたりで、一度ボルグ隊と視界が重なった。
木々の間から見下ろすと、騎士たちが盾と槍を構え、その前にボルグさんが岩のように立っている。
「ギャアアア!!」
ゴブリンたちが突撃してくる。
その先頭に、一回り大きな個体──ゴブリンファイター。
「ふっ!」
ボルグさんの拳が、一閃。
ファイターの胸板にめり込み、そのまま後ろの三匹まとめて吹き飛ばす。
(……やっぱり、あの人もおかしい)
前衛の厚みが違いすぎて、見てるこっちが安心してしまう。
さらにその後方、影のように動く人が一人。
「──そこだ」
ドルガンだった。
ゴブリンシャーマンが、どこか離れた岩陰から呪文を唱えかける。
その瞬間には、もう目の前にいる。
喉元に突きつけられた短剣。
シャーマンが声を出せないうちに、顎を蹴り上げ、意識を刈り取る。
(速い……)
動きはシンプルなのに、無駄がない。
敵が何かする“前”に、もう届いている。
「見とれてないで動きなさいよー」
横から、軽い声。
リゼだ。
彼女は剣を抜き、本当にただ一度、軽く振っただけに見えた。
風が止む。
次の瞬間、前にいたゴブリンたちの首元に、一斉に赤い線が入った。
「ギ、ャ……」
声が途切れ、バタバタと倒れていく。
(今の……一振りで?)
剣先に残る、淡い光。
ただの物理攻撃じゃない。
魔力をまとわせた“魔法剣”だ。
「ほら、行った行った」
リゼはこっちに手を振る。
「見学はまた後でね。
あなたたちはあなたたちの持ち場へ」
「はいはい、了解です」
ユイが笑いながら答えて、俺たちはまた森の縁へと戻っていった。
◇ ◇ ◇
何戦か小競り合いを繰り返したあと、森全体がピリッとした。
「……空気が変わった」
クレハが立ち止まる。
風が、一瞬だけ止まったような感覚。
鳥の鳴き声も消える。
「奥から、でっかい“圧”が来る」
「ロード級、動いたかな」
ユイが槍薙刀を構え直す。
次の瞬間──地面が、小さく震えた。
「ギャアアアアアアアア!!」
森の奥から、耳が痛くなるほどの咆哮。
さっきまでのゴブリンの声とは明らかに違う。
もっと低く、もっと重い。
「……来る」
クレハが、森の奥を指さす。
「巣から、こっちに向かってる群れがいる。
“他の群れ”を押しのけながら、走ってくる」
「逃げようとしてる……?」
「たぶん。
ボルグたちが巣の中に入ったから、“外に逃げた方が安全”って思ってる」
嫌な賢さだ。
「ここで止めるの、私たちの役目だよね」
ユイが、一歩前に出る。
俺も、刀の柄に手を置いて隣に並んだ。
「来いよ、害獣ども」
心臓は速く打っている。
でも、足は震えていなかった。
◇ ◇ ◇
木々の隙間から、影がどっと溢れ出す。
十……二十……もっといる。
そのほとんどが、昨日までに見たようなゴブリンだが──
「デカいのいる」
クレハが目を細める。
群れの中央に、ひときわ大きな影。
人間と同じくらいの身長。
肉付きのいい筋肉。
粗末な鉄鎧と、大ぶりの片手剣。
真っ赤に濁った目が、こちらを睨んでいた。
「……ゴブリンロード」
見た瞬間に分かる。
“格”の違いってやつだ。
「ギガアアアア!!」
ロードが吠えると、周りのゴブリンが一斉に声を上げた。
「ギャッ!」「ギャア!」「ロード!ロード!」
数が多い。
さっきまでの小競り合いとは、明らかに次元が違う。
「秋人、どこ見る?」
ユイが短く聞いてくる。
「ロードは……今の俺らじゃ無理だ」
即答だった。
「だからまずは、取り巻きの“前列”を削る。
ロードがこっちに来ようとしたら、少しでも進行方向をずらす」
「“真正面からぶつからない”ってことだね」
「うん」
クレハが頷く。
「ロードの目、こっち向いた瞬間が一番危ない。
そこは、逃げ道優先」
「了解」
構えを取る。
ゴブリンの群れが、どっと押し寄せてきた。
「“霊槍”!」
ユイの槍薙刀が光り、前列を薙ぎ払う。
数匹がまとめて倒れるが、すぐ後ろから別の個体が踏みつけるように前に出てくる。
「火球!」
俺は、手を刀から離さずに、空いた方の手を前に突き出した。
簡易詠唱+イメージ。
小さな火の塊が、ゴブリンの群れに飛び込んで爆ぜる。
「ギャアア!」
数匹が燃え上がり、周りが一瞬ひるむ。
「今!」
その隙に踏み込み、刀で二匹分の首を斬り払う。
血と、焦げた肉の匂い。
胃が少しひっくり返るけれど、足は止めない。
「後ろ、任せて!」
クレハの声。
背後で爆薬の破裂音と、煙幕の匂い。
いつの間にか、別方向から回り込もうとした集団に対して、
クレハが罠と煙で動線を潰していた。
「ギャッ!?」「ミエナイ!」「ケムリィ!」
混乱する声。
(三人で、ちゃんと回せてる)
そう思った瞬間──
「ギガアアアア!!」
重い咆哮が、正面から飛んできた。
視線を上げる。
ゴブリンロードが、真っ直ぐこちらを見ていた。
さっきまで取り巻きを盾にしていたくせに、
今は、その盾をものともせず前へ出てくる。
「……来る」
一歩。
二歩。
ロードの大剣が、振りかぶられる。
「“守護の加護”!」
ユイが、俺とクレハに半径を合わせるように地面を踏み鳴らした。
淡い光が、俺たちの体を包む。
同時に──
「ぎっ──!」
視界がぐらりと揺れた。
ロードの一撃は、周りのゴブリンごと地面を叩き割るような横薙ぎ。
辛うじて刀で受けたものの、重さが桁違いだった。
骨の芯まで震えるような衝撃。
腕が痺れ、足が地面をずるりと滑る。
(うっそ……重っ……)
もし“守護の加護”がなければ、そのまま腕ごと持っていかれていたと思う。
「秋人くん!」
「大丈夫!」
何とか踏みとどまって叫び返すが、胸の奥は冷たくなっていた。
(これを、正面から受け続けるのは無理だ)
次の一撃が来たら、多分、誰かが死ぬ。
「ギギギ……ニンゲン……ツヨイ……」
ロードが、涎を垂らしながら笑った。
「ツヨイメス……ツレテク……」
嫌悪感で、喉が震える。
その瞬間──
「そこで止まってろ」
低い声が、風に紛れて聞こえた。
「──?」
ロードが顔を向けた瞬間。
影が、ロードの足元を走った。
「“影走り”」
ドルガンだ。
いつの間にか、ロードの懐に潜り込んでいた。
そのまま腰のあたりを、凄まじい勢いで蹴り上げる。
ごり、と骨がきしむ音。
「ギギィッ!?」
ロードの巨体が、横にずれた。
それだけで、さっきまで俺たちの頭上を通っていた軌道が、木々の間の空間にずれていく。
同時に、別の方向から風がうなった。
「──“風刃連斬”」
リゼの声。
彼女の長剣がひと閃するたびに、目に見える“風”が弧を描いた。
一振り。
二振り。
三振り。
たったそれだけで、ロードの周りにいたゴブリンたちの上半身と下半身が、別々の方向に倒れた。
(……速すぎて、途中が見えない)
剣筋に乗った風が、範囲ごとスパッと切り裂いている。
「ここから先は」
リゼが、くるりと剣を回して構え直した。
「私たちに任せなさい」
そう言って、俺たちの前に一歩出る。
その姿だけで、さっきまで胸にあった冷たいものが、少し溶けた気がした。
◇ ◇ ◇
「ギガアアア!!」
ゴブリンロードが咆哮する。
大剣を構え直し、今度はドルガンに向けて叩きつけた。
大地が揺れる。
土が爆ぜる。
それなのに、ドルガンは半歩だけ横に滑るだけで、その一撃を紙一重で避けた。
「重さは悪くねぇ」
短く評価するように言いながら、ロードの手首に短剣を走らせる。
骨までは届かない。
だが、腱は切った。
「ギギッ!?」
大剣の軌道が鈍る。
そこへ──
「“雷光の刃”」
リゼの剣に、バチッと雷がまとわりついた。
踏み込み──一閃。
雷光を引きながら、剣がロードの胸を斜めに裂いた。
焼ける肉の匂い。
ロードの悲鳴。
「ギガアアアアア!!」
それでも、まだ倒れない。
包帯のような筋肉が、無理やり体を動かしている。
「タフだね、本当に」
リゼが肩をすくめる。
「でも、ここまで」
ロードが、今度はリゼに向けて大きく腕を振りかぶった。
だが、その腕が振り下ろされる前に。
「──うるせぇ」
ドルガンの声が聞こえた。
次の瞬間、ロードの顎に拳がめり込む。
さっきまでの蹴りとは比べ物にならない“本気の拳”だった。
骨が砕ける、嫌な音。
ロードの首が、あり得ない角度に曲がる。
巨体が、ぐらりと揺れて──
そのまま、崩れ落ちた。
「…………」
あまりにも、あっけなかった。
さっきまで“正面から受けたら死ぬ”と思った相手が、
数合で、当たり前のように“ただの死体”になっている。
「これが、“Bランク相当”の頭ね」
リゼが、倒れたロードの額を軽く剣先で突く。
「このくらいのやつが頭張ってる群れは、放っておくと村が一つ消える。
だから、さっさと潰す」
「……はい」
胸の中に、何か熱いものと冷たいものが同時に広がる。
(俺たちじゃ、まだ絶対無理だ)
さっき受けた一撃の重さを思い出す。
“守護の加護”ありでギリギリ耐えたあの一撃を、この二人は当たり前のように“かわして”“返して”いる。
(でも、いつか)
いつか、自分の刀で、このレベルの相手に正面から勝てるようになりたい。
そんなことを思ってしまった自分に、ちょっと苦笑する。
「ぼーっと突っ立ってない」
リゼが、くるりとこちらを振り返る。
「まだ残党いるんだから。
ここから先は、“Bランク相当の戦いを見たDランク”として、ちゃんと仕事しなさい」
「……了解です!」
俺は刀を握り直し、大きく息を吸い込んだ。
ゴブリンロードは倒れた。
でも、巣そのものはまだ息をしている。
ここから先は、俺たちの役目だ。
“任せた”と言われた背中を見失わないように──
俺たちは再び、ゴブリンの群れに向かって走り出した。
つづく。




