第44話 吐いて、食べて、報酬もらって
ギルドの建物が見えた瞬間、足がちょっとだけ軽くなった気がした。
石畳。
朝焼け。
パン屋の前を通ると、焼き上がったばかりの香り。
(……あ、腹減ってる)
そこでようやく、自分の胃が「何か入れろ」と主張しているのに気づいた。
「まずは報告だな」
ボルグさんが振り返る。
「そのあと、飯食って寝ろ。
倒れるのはその順番にしろ」
「了解です」
「はーい」
「うん」
三人とも、半分くらい眠そうな目で頷いた。
◇ ◇ ◇
ギルドの扉を開けると、ミリアがカウンターから飛び出してきた。
「おかえ──って、うわ、顔!」
「そんな酷い?」
「酷い。
“徹夜で徘徊してきました”みたいな顔してる」
「徘徊はしてない」
一応抗議してみたけど、鏡があったらたぶん何も言えなくなる自信がある。
「報告、奥だよ。
ボルグさんたちはもう通してある」
「助かる」
ボルグさんが軽く手を挙げて、そのまま会議室へ向かった。
俺たち三人も、ふらふらとそれに続く。
◇ ◇ ◇
会議室には、すでに何人かが待っていた。
領主ラグナス卿。
執事のセバス。
エルナ。
そして、騎士団長らしき鎧姿の男。
「ご苦労だった」
ラグナス卿が、椅子から立ち上がりかけて──結局立たずに、深々と頭を下げた。
「ラグナス領主として、そして一人の人間として、礼を言う。
人身売買団のアジトを突き止め、囚われていた者たちを救い出してくれてありがとう」
「……頭、上げてください」
逆にこっちが焦る。
「俺たちは依頼受けただけですし」
「依頼だからといって、誰にでも出来る仕事ではない」
セバスが静かに言った。
「特に、“人を相手に刃を向ける”というのは、簡単な仕事ではないでしょう」
妙に刺さる言い方をしてくる。
「報告は、ボルグ殿から伺っています」
騎士団長が続けた。
「救出された者は三十名余り。
死者なし。
加害者側は数名負傷していますが、全員生存。
……見事な結果です」
あらためて数字を聞くと、「結構大事をやったんだな」とじんわり来る。
「で」
ラグナス卿が、俺たちの方に一歩近づいた。
「君たち三人に聞きたい」
「え?」
「……大丈夫か?」
思ってたのと違う質問が飛んできた。
「怪我の有無ではなく、心の方だ」
領主様の目が、真っすぐこちらを見ていた。
「初めて人に刃を向けたのだろう?
“平気です”などと言われたら、こちらとしては逆に心配になる」
「……」
そこまで言われると、逆にごまかしがきかない。
「正直に言えば」
俺は首の後ろを掻いた。
「出来れば、もう二度とやりたくないです」
「うん」
隣でユイも頷く。
「でも、“やらなかった方がよかった”とは思ってません」
「私も」
クレハも小さく手を挙げた。
「怖いし、気持ち悪いし、手がまだちょっと震えてる。
でも、“何もしないで家に帰るよりマシ”って思う」
「……それでこそ、だな」
ラグナス卿の肩から、少し力が抜けた。
「“何とも思わない”ようになるのは怖いが、
“何も出来ない”ままでいるのもまた、別の意味で怖い」
エルナが、少し微笑む。
「だからこそ、私たち大人が出来る限り“前で受け止めて”、
君たちには必要な時だけ“守るために斬る”役目を頼みたいのです」
ドルガンの言葉と、同じ筋の話だった。
「……はい」
小さく頷くと、騎士団長が咳払いをした。
「……では形式的な話に戻らせてもらおう」
少し空気を締め直す声音。
「今回の功績により、三名を“Dランク冒険者の中でも上位扱い”とし、
今後のCランク昇格に必要な実績は十分に満たされたと、ギルドとラグナス領主の名で認める」
「Dランク上位……!」
ユイが、ほんの少しだけ目を丸くした。クレハの耳もぴくりと動く。
「本来なら、もっと時間をかけて判断する案件だ。
だが、人身売買団の拠点を潰し、囚われ人を全員生存で救出したという事実は、
それだけの価値があると判断した」
「ありがとうございます」
素直に頭を下げる。
ランクそのものは変わっていない。
けれど、“Dとして一段上に見られている”というのは、ちゃんと評価されている証拠だった。
「報酬については、後ほどギルドから正式に支払われる。
金貨と、領主館からの支援物資の形で用意しよう」
ラグナス卿がセバスに目を向ける。
「衣食住に関わるものを中心に、だ。
この街で長く活動してくれるのなら、なおさらだな」
「それはありがたいです」
本能的に財布事情が喜んだ。
刀の支払いもあるし、ユイの槍の改造代もあるし、クレハの新装備もある。
現実はいつだって財布に厳しい。
「……では、今日はこれで解散としよう」
ラグナス卿が締めくくる。
「詳しい事情聴取や今後の作戦については、君たちが休んだあとで構わない。
しっかり眠りなさい」
「はい」
深く頭を下げて、会議室を出る。
扉が閉まった瞬間、足から力が抜けた。
「……ふぅ」
「よく喋ったね、秋人くん」
「いや、あれくらいしか言えないし」
「十分だよ」
ユイがにこっと笑う。
「クレハも、お疲れさま」
「うん。
……秋人」
「ん?」
「“吐いていい”タイミング、今だと思う」
「タイミング指定すんのやめて」
でも正直、今なら誰にも迷惑かけずに吐ける気がする。
「外、空気いいよ」
「……行ってくる」
俺は、そのままギルドの裏手に回った。
◇ ◇ ◇
石壁の影。
人目のない場所。
しゃがみ込んだ瞬間、胃が勝手に動き出した。
「……っ、げほ……!」
ほとんど水と胃液しか出ない。
それでも、さっきまで喉に貼り付いていた血の匂いまで一緒に出ていくような気がした。
(いってぇ……)
胃も胸も、喉も全部痛い。
しばらく、何も考えられなかった。
落ち着いてきたころ、背中に軽く手が触れた。
「大丈夫?」
「……最悪だけど、マシにはなった」
「うん、“マシになった”なら合格」
ユイの声だった。
「クレハは?」
「見張り。
“誰もこっち来ないようにする”って」
「あいつ、妙な気遣いは本当に出来るよな……」
「“気遣い”って自覚、本人にはあんまりないけどね」
ユイの手が、ゆっくりと背中をさする。
(ああ、現実だ)
こんな風に背中をさすられてると、さっきまでの血の匂いや悲鳴が、少しずつ遠くなっていく。
「……ありがとな」
「ううん。
秋人くん、昔から“吐き終わるまで付き合って”って顔してるから」
「昔からって言うな」
でも、子どもの頃に風邪で吐いた時も、隣で同じように背中をさすってくれてたのを思い出した。
「クレハもね、さっき一回、檻のところでちょっと震えてたよ」
「マジで?」
「うん。
子どもに“怖かった?”って聞かれて、“怖いの、あと少しで終わる”って言ってたけど、
自分の方も“あと少しで終わる”って言い聞かせてる顔だった」
「……あいつも、ちゃんと“こっち側”にいるんだな」
「それが分かっただけでも、今回やってよかったと思う」
ユイの言葉に、胸の中のモヤモヤが少しずつ溶けていく。
「……よし」
壁に手をついて立ち上がる。
「とりあえず、水飲んで、飯食って、寝る」
「賛成」
「クレハー」
「いる」
視線を向けると、ギルドの角の上からひょこっとクレハが顔を出した。
「見張り、お疲れ」
「ううん。
その、“吐くとこ”見られると、秋人、もっと嫌かなと思って」
「……ありがとな」
「うん」
クレハの尻尾(※実際には生えてない)が、見えないのに見える気がした。
◇ ◇ ◇
ミリアが、とりあえずスープと柔らかいパンを出してくれた。
「油っぽいのはやめときな。
今はこれくらいから」
「助かります」
スープの湯気が、少しだけ胃を落ち着かせる。
一口飲む。
塩気が、ちゃんと味として感じられた。
(……あ、大丈夫だ)
「食べられる?」
「いける」
「じゃあ、私も」
ユイもスープを口にする。
クレハも、パンをちぎって口に運んだ。
三人で黙々と食べる。
昨日の血の匂いとは違う、スープの匂いとパンの香りが、少しずつ上書きされていく。
「ねぇ」
パンを半分くらい食べたところで、ユイがぽつりと言った。
「今日みたいなこと、たぶんこれからもあるよね」
「あるだろうな」
魔物だけじゃなく、人間相手の依頼は絶対なくならない。
「それでも、秋人くんとクレハと一緒なら、たぶん大丈夫だと思う」
「……根拠は?」
「今日、生きて帰ってこれたっていう実績」
即答だった。
「それと、“ちゃんと気持ち悪がってる”三人だから」
「それが根拠って、どうなんだ」
「大事だよ?」
ユイが笑う。
「慣れすぎないように、お互いチェックし合おう。
“あ、こいつちょっと危ないな”って思ったら、遠慮なく止める」
「うん。
私、秋人が“楽しく斬る顔”したら、里に帰る」
「それは困るから頑張って自制する」
クレハの極端な言い方に、思わず吹き出しそうになった。
「じゃあ逆に、ユイが“楽しく貫く顔”し始めたら?」
「秋人くんが全力で止めて」
「了解」
ほんの少しだけ笑いがこぼれて、重かった空気がやっと軽くなる。
◇ ◇ ◇
スープとパンを平らげて、部屋に戻ろうとしたとき。
「おい、蛇口」
鍛冶屋独特の煤の匂いとともに、低い声が聞こえた。
「……タツミさん?」
「様子見に来た」
やっぱり、情報網がおかしいくらい早い。
「何だ、“吐き終わった後”か」
「タイミングまでバレてるの何なんですか」
「顔がそういう顔だ」
ひどい。
「刀は」
「ここに」
腰の刀を軽く叩いて見せる。
「折れてねぇな」
「はい。
斬ったのは、人の腕と腰一発ずつです」
自分で言って、ちょっと胃が重くなる。
でも、もう隠すようなことじゃない。
「……そうか」
タツミは、それ以上何も聞かなかった。
ただ、少し間を置いてからぽつりと言う。
「“守るために斬った”って顔なら、そのまま持ってこい」
「……はい」
「“面白くて斬った”って顔なら、二度と持ってくるな」
それを言うためだけに来たらしい。
タツミは踵を返しかけて──ふと思いついたようにこちらを見た。
「今度、鍛冶場に来い」
「また何か打ってくれるんですか」
「別に刀とは限らねぇ」
ぶっきらぼうに言う。
「対人戦用の“鈍いやつ”も一本持っとけ」
「あぁ……」
今回みたいに「殺さずに止める」場面なら、刃物じゃない方がいいこともある。
「鈍器も、仕事だ」
それだけ言って、本当に帰ってしまった。
「……忙しい人だよね」
「でも、ちゃんと見に来てくれる」
鍛冶場の寡黙な職人なりの、気遣いなんだろう。
◇ ◇ ◇
「じゃ、寝よっか」
ギルドの簡易宿の部屋に戻る前、ユイがあくびを噛み殺しながら言った。
「今日はさすがに、勉強も筋トレも無しでいいよね」
「それやる体力あったら寝ろってドルガンさんに怒られる」
「うん。
里も、こういう時は“寝ろ”って言う」
クレハの言葉に、少し笑う。
「……なぁ」
部屋の前で、ふと口を開いた。
「今日はさ、夢見悪そうだったら、起こし合わね?」
「うん」
「了解」
即答だった。
「“変な汗かいて唸ってたら水飲ませる係”、交代制で」
「じゃあ、最初は私ね」
「勝手に決めた」
そんな他愛もないやりとりをしながら、俺たちは部屋に入った。
布団の感触が、やけにありがたかった。
(……明日起きても、きっと刀の重さは変わらない)
でも。
(今日の“線”を越えなかったことは、ちゃんと覚えていたい)
そんなことをぼんやり考えながら、俺は深い眠りに沈んでいった。
長かった“初めての対人戦”の一日は、こうしてようやく、本当に終わった。
つづく。




