第43話 守るために斬る──人身売買団の「核」
奥の通路は、さっきよりも湿っぽさが増していた。
じっとりした空気。
鉄と汗と、嫌な油の匂い。
通路の先から、笑い声と泣き声が交じっている。
「こいつは歯も揃ってるし肌も綺麗だ」「王都の貴族商会に流せばいい値がつくぜ」
「その前に“味見”くらい──」
その言葉で、胃の奥がぐっと縮まった。
(……こいつらは、“向こう側”だ)
ドルガンが、一度だけちらりと俺とクレハを見た。
「角の先、広間。
四人。
うち一人が“頭”だ」
低い声で情報が飛ぶ。
「頭は、腰に鍵束。
机の上に帳簿と金。
奥に、檻とは別の“個室”」
クレハの報告は早くて正確だ。
「見張りの配置は?」
「頭が椅子。
右にナイフ持ったのが一人。
左の樽のそばに太いの。
奥の壁にもたれてるのが一人」
四人。
こっちは三人。
でも、奇襲だ。こちらは相手が何人でどこにいるかを知っている。
「秋人」
ドルガンが、短く俺の名を呼ぶ。
「もう一回、頭の中で線を引いとけ」
「……はい」
(守るために斬る。
殺しを楽しむな。
“殺さないこと”を優先しすぎて、守るべき奴が死ぬのは違う)
檻の奥から聞こえていた泣き声が、かすかに震えている。
こいつらはそこにいる人たちを、ただの“商品”としか見ていない。
(こいつらが、誰かの家族を奪って笑ってるなら──
俺は、そっち側には行きたくない)
「クレハ」
「うん」
「最初の動き、お前に任せる」
「分かった」
クレハの手が、腰のポーチに伸びる。
「煙、少し炊く。
暗くなるけど、こっちの方が見えてる」
「了解」
ドルガンがこくりと頷く。
「合図は、樽の横の奴が咳をした瞬間だ」
クレハが目を閉じて、耳を澄ませる。
ごく短い静寂。
やがて──
『ゴホッ』
通路の向こうから、酒焼けした咳払いの音。
「今」
囁きと同時に、クレハが小さな筒を広間に転がした。
パシュッ、と乾いた音。
次の瞬間、鼻がツンとする煙が広間に広がる。
「なんだ!?」「煙!?」「おい、ランプ倒すな──!」
慌てた声が混ざる。
俺たちは、通路の角を回り込んだ。
◇ ◇ ◇
視界が、白く濁る。
でも、完全には見えないわけじゃない。
煙の濃さも方向も、クレハが計算していた。
頭の男は、椅子から半分立ち上がっていた。
片手に酒瓶、片手に腰の剣。
右のナイフ男は、目を細めて辺りを見回している。
左の樽のそばには、太い腕をした大男。
奥の壁にもたれていた男は、煙を鬱陶しそうに振り払っている。
「頭は俺だ」
ドルガンが地を蹴った。
影のように滑り込み、椅子ごと頭の男を後ろに引き倒す。
剣を抜く前に、顎に重い一撃。
頭が床に叩きつけられ、男の手から剣が転がった。
「秋人、右」
「はい!」
ナイフを構えた男が、煙の中でこちらに気づいた。
「てめぇ──っ」
ナイフが振りかぶられる。
距離は近い。ここで下がると、檻の方に逃げ道が出来る。
一歩、踏み込む。
刀が鞘から抜ける。
今度は、斬るのではなく、ナイフを“払う”。
刃と刃がぶつかる音。
火花が散る。
男の手首の力が一瞬緩んだ瞬間、踏み込んだ足で膝を払う。
「うぐっ──」
膝が折れた男の顎を、柄で上へ打ち上げた。
ガキン、と嫌な音。
男は仰向けに倒れ、そのまま動かなくなった。
(……骨、いったか?)
喉が寒くなる。
でも、血はあまり出ていない。
呼吸も、胸が上下している。
(大丈夫だ。多分、歯か顎だ)
“殺さずに止める”方に入ったと判断して、すぐに次の動きに移る。
クレハは、すでに左の大男の周りを動いていた。
「ちょこまかと──!」
大男の腕が空を切る。
クレハは、その腕の外側をすり抜けて足首に蹴りを入れた。
大男が体勢を崩す。
その瞬間、クレハの指から何かが飛んだ。
小さな金属片──投げ針だ。
針が、大男の首筋に突き立つ。
瞬間、男の動きが鈍くなった。
「毒?」
「“眠り”」
クレハが短く言う。
「強くはない。
でも、“力が入らなくなる”くらいには効く」
大男の拳が、弱々しく振るわれる。
クレハはそれを軽く避け、足の甲を踏みつけた。
「……っ!」
最後の力が抜け、大男はその場に崩れ落ちた。
「三人」
クレハの報告。
残るは奥の壁にもたれていた男だ。
「おい! お前ら何──」
叫びかけた口が、ぴたりと止まった。
俺と目が合ったからだ。
男の視線が、俺の腰の刀と、床に倒れた仲間たちへと往復する。
目に、あからさまな恐怖と怒り。
「てめぇら……!」
男は懐から小さな瓶を取り出した。
(嫌な予感)
次の瞬間、男は瓶を床に叩きつけた。
パリン、と割れる音。
鼻を突く、さっきとは違う刺激臭。
「……!」
目が、焼けるように痛い。
「クレハ!」
「大丈夫、慣れてる」
本当に慣れてるのか、クレハはほとんど目を細めるだけだった。
男は、煙の向こうへと走り出す。
奥の通路──多分、別の出口か、人質を“別ルート”で移動させる道だ。
「行かせるな!」
ドルガンの声とほぼ同時に、俺の体は動き出していた。
目は痛い。
でも、足音は聞こえる。
右足が石を蹴る音。
布が擦れる音。
距離を詰める。
「止まれ!」
自分でも驚くほど大きな声が出た。
男は振り返らない。
通路の先には──子どもの声。
「やだ! 来ないで!」「離して!」
(──あっちに行かせたら、駄目だ)
考えるより先に、刀が抜けていた。
今度は、迷いなく。
男の背中。
腰の少し下。
斜めに斬りつける。
肉を裂く嫌な感触。
男の体が、前にのめって床に倒れた。
「ぎゃ、あああああ!!」
悲鳴が鉱山の中に響く。
足元に、温かいものが飛び散った。
呼吸が、うまく出来なくなる。
(やった)
さっきより、明らかに深い。
致命傷ではないかもしれないけど、“もう走れない”くらいには斬った。
そのことが、頭では分かるのに、心臓が追いついてこない。
「秋人!」
肩をがしっと掴まれた。
ドルガンだ。
「目、こっちだ」
「……はい」
言われるままに顔を上げる。
男は、床の上でもがいていた。
足に力が入らず、動こうとしても動けない。
「こいつが今、走れたらどうなってたか分かるか」
ドルガンが、低く問いかける。
「……あっちの子どもたちのところに行って……」
「そうだ」
奥の通路の先から、かすかなすすり泣きが聞こえる。
「そいつが“最後の綱”だった。
ここで斬ったから、あっちに手が届かねぇ」
ドルガンは、男の傷口の少し上を足で踏んで押さえつけ、手際よく止血用の布を巻いた。
「殺す気なら、背中じゃなくて首からいけ。
お前は“走れなくする”程度で止めた。
それでいい」
「……はい」
それでも、胃の奥がひっくり返りそうになる。
「吐きてぇか」
「正直、はい」
「終わってからにしろ」
何度言われるのか分からないが、今回もそれが正しい気がした。
「今は、“こいつをどうするか”じゃねぇ。
“あっちをどうするか”だ」
奥の通路の先。
まだ、誰かが怯えた声を出している。
「行け。
檻より奥は、お前と紅葉の方が声かけやすい」
「……分かりました」
◇ ◇ ◇
通路の先には、小さな広間があった。
そこには檻ではなく、縄でまとめられた数人の人たちがいた。
そのうちの一人が、俺たちを見て目を見開く。
「た、助けて……ください……!」
かすれた声。
腕や足には縄の跡。
頬は痩せこけている。
「大丈夫。
もう“売られない”」
自分でも意外なほど、低く落ち着いた声が出た。
「ギルドから来た。
外に騎士と治癒師がいる。
今から、縄を解いて、一緒に外に出よう」
「この人たちは、みんな……?」
大人の女の人が、震える声で聞いてきた。
「私たち、途中で攫われて……家族のところに……」
「……“帰る”ところまでは、今すぐ約束出来ない」
本当のところを言う。
「でも、“もう売られないようにする”ことと、
“ここから生きて出る”ことだけは、今、約束出来る」
女の人の目から、ぽろりと涙がこぼれた。
「それで、十分です……」
縄を解いていく。
手が少し震えたが、クレハも隣で無言で手伝ってくれた。
「子どもは、クレハの近くに」
「うん。
迷子にならないように、前の裾掴んでて」
クレハがそう言うと、子どもたちは素直に彼女の服をぎゅっと掴んだ。
さっきまで怖がっていた目が、ほんの少しだけ和らいでいる。
(……ちゃんと“こっち側”でいたい)
さっき斬った時の感触を思い出して、胸の奥がちくりと痛んだ。
でも、この光景を見ると、「斬ったこと自体」を否定する気にはなれなかった。
◇ ◇ ◇
奥の人たちをエルナのところへ送り届けると、今度は前線の方に合流する番だった。
「正面はどうなってます?」
通路の途中で、騎士の一人に声をかける。
「大方は鎮圧しました。
残るは、元鉱山の外側に逃げた数名と……」
「と?」
「ボス格が一人、外で暴れていると報告が」
外。
ユイたちのいる方だ。
「……行くぞ」
ドルガンの言葉に、俺もクレハも頷いた。
◇ ◇ ◇
鉱山の外に出ると、冷たい夜気が一気に肺の中に入ってきた。
その空気の中に、怒鳴り声と、金属がぶつかる甲高い音が混ざっている。
「このクソ騎士どもが!」「近寄るな、こいつの喉を──!」
声のする方を見ると、そこには一人の男がいた。
筋肉質な体。
片手には大ぶりの短剣。
もう片方の腕には──子ども。
小さな女の子を前に引き寄せ、喉元に刃を当てている。
「くそっ……!」
カイルが歯噛みして槍を構えている。
でも、子どもを盾にされていて踏み込めない。
その少し前には、ユイが立っていた。
槍薙刀を構え、全身に“守護の加護”の光を纏わせている。
「その子を離して。
今なら、まだ腕だけで済みます」
「は、ははっ……!」
男は、狂ったように笑った。
「今さら何言ってやがる!
テメェらがここまで踏み込んできたせいだろうが!
こいつの首、へし折ってやってもいいんだぞ!」
喉元にナイフが押し当てられる。
女の子の目から、ぽろぽろと涙が流れる。
「ユイ」
俺は、横に並んだ。
「秋人くん……」
ユイの喉が、小さく鳴る。
「“守護の加護”で、どこまでいける?」
「喉元、直撃じゃなければ、大丈夫……
でも、完全じゃない。
深く入ったら、助けきれない」
“ギリギリ”のラインだ。
その時、後ろからボルグさんの声。
「時間はかけられねぇぞ。
今も、どっかで誰かが逃げてる」
こいつをさっさと押さえないと、後ろの包囲網が崩れる。
「……ユイ」
「うん」
短い呼びかけだけで、何が言いたいか伝わった気がした。
俺は刀を抜かない。
ここは、俺じゃなくてユイの領分だ。
ユイが、一歩、前に出る。
「最後にもう一回だけ言うね」
いつもより、少し低い声。
「その子を離して。
武器を捨てて、両手を上げて」
「はっ、バカかお前は──」
「それが出来ないなら、“斬る”」
ユイの目が、静かに光った。
「“守るために斬る”。
さっき教わったから」
一瞬、男の顔に動揺が走る。
その瞬間を、ユイは見逃さなかった。
「今──!」
槍薙刀が、地面を蹴る音と同時に走る。
突きかと思った。
でも違った。
最初の一撃は“払う”。
刃の平で、男の手首を叩き上げる。
ナイフが喉から離れる。
「なっ──」
二撃目は、“刺す”だった。
槍先が、男の肩と胸の境目を貫く。
“子どもから遠い側”の肩。
血が飛び散る。
男の腕から力が抜ける。
同時に、「守護の加護」の光が子どもを包んだ。
もし少しでも刃が逸れていても、その光が“致命傷”を防ぐように。
「今だ!」
カイルが子どもを引き剥がし、後ろの騎士へと渡す。
男が呻き声を上げて倒れかけたところに、ボルグさんの拳が飛んだ。
「ぐへっ──!」
顎を砕くような一撃。
男は白目を剥いて、地面に沈んだ。
「生きてるか?」
「息はあります。
肩の貫通と、顎の骨折」
エルナがすぐさま駆け寄って診る。
「……あとは、裁く側の仕事ですね」
ユイは、槍薙刀を引き、深く息を吐いた。
足が少し震えている。
「ユイ」
「なに」
「今のは、“守るために斬った”方だと思う」
言いながら、自分のさっきの斬撃も一緒に思い出していた。
「“面白いから斬った”顔はしてなかった」
「……してたら止めてね」
「全力で止める」
そう言うと、ユイは力なく笑った。
「じゃあ、大丈夫だ」
その横で、クレハが子どもと目線を合わせていた。
「怖かった?」
「……うん」
「でも、もう大丈夫。
“怖いの”は、全部地面の上で寝てるから」
言い方は相変わらず不器用だけど、子どもはその言葉で少し安心したようだった。
◇ ◇ ◇
騎士団が、生き残った盗賊たちを縄で縛っていく。
檻の中にいた人たちは、エルナや神官たちの誘導で安全圏へと移動していた。
鉱山跡には、まだ血の匂いが残っている。
叫び声の余韻も。
それでも──
(“売られる前に”間に合った)
そう思うと、胸の重さが少しだけ軽くなった。
「秋人」
ドルガンが、俺の肩を軽く叩いた。
「どうだ」
「……正直、まだ気持ち悪いです」
「それでいい」
即答だった。
「今、“なんとも思わなかった”って言われた方がよっぽど怖ぇ」
「そういうもんですか」
「ああ」
ドルガンは、鉱山の入り口を振り返る。
「お前は斬った。
紅葉は眠らせた。
ユイは貫いた。
どれも、“守るために”だ」
それぞれの一撃の光景が、頭の中に浮かぶ。
「今日のこと、忘れんな」
「はい」
「でも、“引きずり過ぎ”ても動けなくなる。
そこは、ちゃんと寝て、ちゃんと食って、明日も剣振れ」
「……はい」
本当に、この人は必要なことだけ言う。
◇ ◇ ◇
ラグナスに戻る頃には、東の空が少し白み始めていた。
長い夜だった。
血の匂いと怒鳴り声と、泣き声にまみれた夜。
でも、街の門が見えると、自然と肩の力が抜けた。
「全員、ちゃんといる?」
「いる」
「いるよ」
ユイとクレハの返事を聞いて、ようやく少し笑えた。
「帰ったら、とりあえず風呂と、ご飯と、寝る」
「順番、大事」
「どれからにする?」
「……ご飯、かも」
胃はまだ少し重いけれど、それでも何かを入れたいと思えた。
「秋人くん」
「ん?」
「今日、“こっち側”にいてくれてありがとう」
唐突に、ユイがそう言った。
「クレハも」
「私も?」
「うん。
“人さらいの側に行かなかった”方の意味で」
クレハは、少しだけ考えてから頷いた。
「三人で、“こっち側”にいた」
「……うん」
それが、今日一番欲しかった言葉だったのかもしれない。
刀の重さは変わらない。
血の感触も、しばらくは消えないだろう。
それでも──
(守るために斬ったことだけは、胸を張れるようでいたい)
そう思いながら、俺たちはラグナスの街へと足を踏み入れた。
長かった“初めての対人戦”の夜が、ようやく明けようとしていた。
つづく。




