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第42話 鉱山跡の夜襲──影の通路と最初の一撃



 夜の森は、昼と同じ場所とは思えない顔をしていた。


 冷たい空気。

 土の匂い。

 遠くで鳴く獣の声。


 月明かりだけが、薄く道を照らしている。


「ここから先が、鉱山跡だ」


 ドルガンが低く言った。


 獣人の耳が、暗闇の中でわずかに動く。


 目の前には、崩れかけた岩山。

 正面の入口は石で塞がれているが、よく見るとところどころ人工的な平らさが残っている。


「あそこが元の入口。

 今は使ってねぇ。

 奴らは、左の斜面から回り込んで入ってる」


 ボルグさんが正面を顎で示した。


「正面組は、この前に陣取る。

 合図と同時に、一気に叩き込むぞ」


 ユイは、槍薙刀を握り直した。


 薄暗い中でも、刃の線がきちんと見える。

 “刺す”と“斬る”の両方が出来る形。


「潜入組は、こっちだ」


 ドルガンが、岩山の脇を指した。


 暗闇に溶け込むような斜面。

 よく見なければ分からない細い獣道が、上へと続いている。


「行くぞ、紅葉、秋人」


「うん」


「はい」


 ユイと視線が合う。


「気をつけて」


「そっちもな」


 短く言葉を交わし、俺たちは岩山の脇へと回り込んだ。


◇ ◇ ◇


 斜面を登ると、岩と岩の隙間が現れた。


 大人一人が、ぎりぎり横向きで通れるくらいの穴。

 中からは、冷たく湿った空気が流れてきている。


「ここが、換気用の穴」


 ドルガンが言う。


「中で二手に分かれて、最初の広間の上に出る」


「二手?」


「俺は先に行く。

 お前ら二人は、俺の後ろでついて来い」


 説明になっているようで、なっていない。


「……いつものドルガンさんだ」


 クレハが小さく呟いた。


 でも、慣れてきたのでそれで分かる。


 “一番危ないところは自分が前に立つ”ってことだ。


「合図は?」


「リゼの魔法だ」


 ドルガンが指を鳴らす。


「正面から仕掛ける瞬間、鉱山の上空で光る。

 それが見えたら、こっちも動く」


「了解」


「行くぞ」


 ドルガンが先に穴へと身を滑り込ませた。


 続いて、クレハ。

 最後に俺。


 岩に肩と背中が擦れる。

 身体を斜めにしながら、少しずつ奥へ進む。


(……狭い)


 息を深く吸い込むと、胸が窮屈になる。

 だから、自然と浅く静かな呼吸になる。


(落ち着け)


 自分に言い聞かせながら、一歩一歩進む。


 刀は、邪魔にならないように身体の前ではなく背中側に回してある。

 抜く時はかなり窮屈になるだろうけど、それはその時考えるしかない。


「秋人」


 前から、クレハの小さな声。


「大丈夫?」


「……ぎりぎり」


「止まりたいなら、言って」


「いや、進む」


 ここで引き返したら、たぶんずっと後悔する。


◇ ◇ ◇


 しばらく進むと、急に視界が開けた。


 頭上に、わずかな隙間。

 薄い光が差し込んでいる。


 ドルガンが、その隙間から下を覗いた。


「……いたな」


 囁き声。


 俺も、隙間からそっと覗いてみる。


 そこは、鉱山跡の“最初の広間”らしかった。


 粗末なテーブル。

 樽。

ごろ寝している人影が数人。


 奥には通路が伸びている。

 さらに奥からは、かすかな声が漏れてきていた。


 笑い声と、罵声と、泣き声。


(……檻は、あっちか)


 喉の奥が、きゅっと締まる。


「合図を待つ」


 ドルガンが短く告げた。


 上空は、穴から見える夜空だけ。

 星が少しと、薄い雲。


 その時。


 空に、一瞬、白い光が走った。


 音のない、静かな閃光。

 リゼ師匠の魔法だ。


 ほぼ同時に、鉱山の正面方向から怒鳴り声と金属音が響いた。


「来たな」


 ボルグさんの咆哮らしい声と、男たちの慌てた叫び。


 広間にいた盗賊たちが飛び起きる。


「なんだ!?」「誰か来たのか!?」「見張りの奴らはどうした!」


 雑な足音で出口の方へと走っていく。


「今だ」


 ドルガンが、岩の隙間の蓋を慎重に外した。


 落としたら、さすがに音でバレる。

 ぎりぎり音を立てない角度で、岩を滑らせる。


 隙間が、狭い梯子くらいの穴になった。


「俺が先に降りる。

 次、紅葉。

 秋人は最後だ」


 ドルガンが、するりと穴から下へ消えた。


 続いて、クレハ。

 最後に俺。


 岩肌を手と足で探りながら、静かに降りる。

 心臓の音がやけに大きく聞こえた。


◇ ◇ ◇


 足が、地面の感触を捉えた。


 広間の隅。

 物陰になっている場所だ。


 正面の方からは、相変わらず怒鳴り声と金属音が響いている。


「おい! 何人だ!」「くそ、騎士どもか!」「女を連れてる奴は後ろに下げろ!」


(ユイ……)


 自然とそっち方向に意識が行きそうになるのを、首を振って戻す。


 今の役目は、こっちだ。


 広間には、まだ二人残っていた。


 片方は、慌てて靴を履いている。

 もう片方は、テーブルの上の酒瓶とナイフを掴んでいる。


「……あ?」


 靴を履いていた男が、こちらに気づきかけた。


 その瞬間には、クレハがもう動いていた。


 影から影へ、すっと滑るような動き。

 “影走り”が、暗闇で線を描く。


 背後に回り込んで、ナイフの柄を後頭部に叩きつけた。


 鈍い音。

 男はそのまま床に崩れ落ちる。


「一人」


 クレハが、短く状況を報告する。


「もう一人」


 酒瓶を掴んでいた男がこちらを見て、椅子ごとひっくり返った。


「な、なんだてめぇら──」


 叫びかけた口を、ドルガンの腕が塞いだ。


 背後から首を締め上げる。

 短いもがき。

 ぐったりと力が抜けた。


「二人だ」


 ドルガンが男を床に横たえ、手早く縄で縛る。


 俺は、その様子を見ながら、ごくりと唾を飲み込んだ。


(……“殺さずに倒す”って、こういう感じか)


 後頭部への打撃と、気道を塞がない範囲の締め技。

 ギリギリのところを狙っている。


「秋人」


「はい」


「こいつらの武器、全部まとめろ。

 起きても何も出来ねぇようにしとけ」


「了解」


 テーブルの上のナイフ、男たちの腰の短剣。

 壁際に立てかけてあった粗末な槍。


 一本一本、手を伸ばして回収する。


 今まで、こういう作業を「ゲームでよくやる拾い作業」くらいにしか見てなかったけど──

 全部、“人を傷つけるための道具”なんだよな、と妙に実感した。


◇ ◇ ◇


「檻は、奥だ」


 ドルガンが、広間の奥の通路を指す。


 遠くから、泣き声が聞こえる。

 誰かに怒鳴られる声も。


「紅葉」


「うん」


「先行。

 罠と見張りを見ろ」


「分かった」


 クレハが、影に溶けるように通路へと消えた。


 俺とドルガンは、少し距離を置いてついていく。


 通路は思ったよりも低く、狭い。


 壁にはランプが数本掛けられているが、明るくはない。

 湿った土と鉄の匂いが混ざっている。


(……嫌な匂いだ)


 足元には、ところどころ鉄の輪や鎖。

 床に染み込んだような黒いシミもある。


 想像しないようにしても、勝手に想像してしまう。


「秋人」


 前から、クレハの囁き。


「角の先、見張り一人。

 背中向けてる。

 “こっち側”には気づいてない」


「距離は?」


「三歩」


 三歩。

 短い距離だ。


「どうする」


 ドルガンが、俺を見る。


「……どうする、って」


「お前がやれ」


 あっさり言われた。


「ここから先、“見張り”はまだいる。

 全部、俺と紅葉でやってたらキリがねぇ」


 それは、そうだ。


「“殺さずに止める”練習には、ちょうどいい」


「練習って言い方やめてほしい……」


 言いつつも、刀の柄に手をかけていた。


 角の手前で、そっと足を止める。


 心臓の音が、また大きくなった。


(殺さずに止める)


 ドルガンの言葉が頭の中で反芻される。


 自分と仲間を守る。

 人質を守る。

 その上で、出来る限り生かして捕える。


(今は──こいつだけ見てればいい)


 角の向こうに意識を集中させる。


 靴が石を擦る音。

 金属が腰に当たるカチャ、とした音。


 タイミングを測って、角を回り込む。


「──」


 見張りの男が、振り返る途中だった。


 目が合う。

 口が開きかける。


 叫ぶより早く、俺は一歩踏み込んだ。


 刀は抜かない。


 足を払う。

 膝の裏を蹴る。

 上体が崩れたところに、柄で顎を打つ。


 祖父の道場で散々叩き込まれた、対人の“無力化”の型。


 鈍い音。

 男の体が、ぐたりと崩れ落ちる。


 呼吸はある。

 意識だけが飛んでいる状態だ。


「……っ」


 全身の力が、一気に抜けそうになる。


(やった、のか……?)


 初めて、人間に向けて全力で技を掛けた。


 男の顔が、目の前でぐちゃりと歪んだまま眠っている。


 もし、力加減を間違えていたら──と考えて、背筋が冷えた。


「悪くねぇ」


 背後から、ドルガンの声。


「顎、入ってる。

 骨は折れちゃいねぇ。

 しばらく起きない程度だ」


「……よかった」


 心底、そう思った。


「縄」


「あ、はい」


 男の腰の縄を拝借して、手早く手足を縛る。


 教わっていないはずなのに、祖父の道場で“護身術”として習った結び方が自然と出てきた。


「次」


 ドルガンが通路の奥を見た。


 まだ、声が聞こえる。


◇ ◇ ◇


 通路を抜けると、少し広い空間に出た。


 そこには、いくつもの檻が並んでいた。


 粗末な木と鉄の格子で作られた檻。

 中には、人影がうずくまっている。


 薄暗くて顔はよく見えない。


(……うわ)


 胸が、ぎゅっと痛くなった。


 檻の手前には、椅子に座った男が一人。

 片足をテーブルに乗せて、酒を飲んでいる。


 その足元には、棒で殴られたような跡のある空き瓶。


「おい、静かにしろ。

 うるせぇと売り物の価値が──」


 男が苛立ったように振り返った瞬間、クレハの姿が影から溶け出した。


 ナイフの柄が、側頭部をとらえる。

 男は声を出す暇もなく崩れ落ちた。


「檻、鍵ついてる」


 クレハが、腰のポーチからピックを取り出した。


「秋人は、こっち」


「こっち?」


「通路、もう一本ある」


 クレハが顎で奥を指す。


 檻の列の向こうに、まだ別の通路が伸びていた。


 その先から、男の怒鳴り声が聞こえる。


「おい! 何騒いでやがる!

 表で何があった!」


 声が近づいてくる。


「……来るな」


 思わず小声で呟いた。


 でも、来る。


(ここで止めないと、人質の方に行く)


 刀の柄を握る。


 今度は、多分、柄だけでは済まない。


「秋人」


 ドルガンが、短く言った。


「一回考えろ」


「……はい」


 深呼吸一つ。


(こいつを斬らなかったら、檻の方に行って、誰かを殴るかもしれない。

 最悪、殺すかもしれない)


 それでも斬らない理由があるか。


(ない)


 すぐに出てきた。


「行きます」


 通路の角の手前で、足を止める。


 足音が、近づいてくる。


「ったく、表で何が──」


 角を曲がった瞬間、目の前に男の顔。


 驚愕の表情。

 開きかけた口。


 刀が、鞘から半月を描いて抜けた。


「──っ!」


 狙いは、首ではない。


 右腕だ。


 ナイフを握っていた腕の、肘の少し上。


 刃が肉を裂く感触が、はっきりと伝わってきた。


 赤いものが、暗闇に飛び散る。


「ぎゃああああっ!!」


 男の悲鳴。

 ナイフが床に落ちる。


 膝が崩れかけるところを、ドルガンが背後から押さえた。


「動くな」


 低い声とともに、男の肩が床に叩きつけられる。


 俺は、その場に立ち尽くしていた。


(……切った)


 人の腕を、本気で斬った。


 血の色も、匂いも、熱も、全部“生々しい”。


 胃の中が、ぐらりと揺れる。


「秋人」


 ドルガンの声が、思ったより近くで聞こえた。


「見ろ」


「え……」


「目を逸らすな。

 今のは、“守るために斬った”一撃だ」


 男は、腕を押さえてのたうち回っている。

 でも、まだ息はある。


 動脈は外した。

 傷は深いが、圧迫すれば死にはしない。


「ここで目を逸らして、“何もしなかったらよかった”って思うようになったら──

 次は斬れなくなる」


 ドルガンは手早く布を裂き、男の腕を縛った。


「斬らなかった時に死ぬのは、檻の中の奴らだ。

 忘れるな」


「……はい」


 喉が、ひどく乾いていた。


「吐きたきゃ、終わってから吐け」


「今じゃないってことですよね」


「ああ。

 今は、まだやることがある」


 そうだ。


 まだ、檻の中には人がいる。


◇ ◇ ◇


「鍵、開いた」


 クレハが最初の檻の鍵を外した。


 軋む音とともに、扉が開く。


 中から、怯えた目がいくつもこちらを見ていた。


 痩せた男。

 膝を抱えた女。

 まだ十歳にもならなそうな子ども。


「大丈夫。静かに」


 クレハが、いつもより少し柔らかい声で言った。


「私たち、ギルド。

 ラグナスから来た」


「……本当に?」


 大人の男が、信じられないという顔をする。


「本当に。

 外に、騎士もいる」


 俺も出来るだけ落ち着いた声で続けた。


「今、正面からやつらを押さえてる。

 ここから、少しずつ外に出ていってもらう」


 エルナが通路の向こうから駆けてくる。


「こっちは大丈夫ですか!」


「見張り三人、無力化。

 一人、腕をやったが、止血した」


 ドルガンが簡潔に報告する。


「分かりました。

 こちらは人質を外へ。

 騎士団の安全圏まで誘導します」


 エルナの目が、檻の中の人たちを見て柔らかくなった。


「皆さん、今から順番に外へ出ます。

 走ったり叫んだりしないでくださいね」


「こっちの檻も開ける」


 クレハが次の鍵に取りかかる。


 鍵穴の中で、金属が小さく歌う。

 “カチリ”という音とともに、また一つ檻が開いた。


 子どもが、クレハの裾をぎゅっと掴んだ。


「お姉ちゃん……」


「大丈夫」


 クレハは、その小さな手をそっと握る。


「怖いの、あと少しで終わる。

 だから、静かに歩ける?」


「……うん」


 そのやりとりを見て、少しだけ胸の痛みが和らいだ。


◇ ◇ ◇


「ここにいるのは……半分くらいか」


 いくつかの檻を開け終わったところで、ドルガンが呟いた。


「もっと奥に?」


「声はする」


 通路のさらに奥から、まだ別の泣き声と怒鳴り声が聞こえる。


「“売り物の検品”してる連中は、そっち側だな」


 嫌な表現を平然と口にするが、それが現実なのだろう。


「ここまでの人たちは、エルナと騎士団に任せる。

 俺たちは奥だ」


「……分かりました」


 刀の柄に、もう一度手を置く。


 まだ、腕の斬撃の感触が残っている。

 血の匂いも、完全には消えていない。


(それでも、行く)


 檻から一歩外に出た子どもの目が、俺たちを見ていた。


 怯えと、期待と、よく分からない感情が混ざった目。


(あの目、裏切りたくない)


「ドルガン」


「なんだ」


「さっきの、斬ったやつ」


「腕のか?」


「……“守るために斬った”って、自分で認めていいですか」


 自分の中で、そこを認めてしまうのが怖かった。


 でも、ここで曖昧にしたら、次にもっと迷う。


「当たり前だ」


 ドルガンは、きっぱりと言った。


「あれを躊躇って、檻の誰かが死んだら──

 それこそ、“自分のために斬らなかった”ってことになる」


「……はい」


「斬りたくないからって理由だけで斬らねぇのは、“逃げ”だ。

 お前がさっきやったのは、“守るために斬る”方だ」


 喉の重さが、少しだけ軽くなった気がした。


「ただし」


 ドルガンが続ける。


「さっきの感触、忘れんな。

 “慣れ”てもいいが、“何とも思わなくなる”のはアウトだ」


「それは……気をつけます」


 多分、ここから先も何度もこういうことがある。

 そのたびに、ちゃんと“重さ”を感じられる自分でいたい。


「行くぞ」


 ドルガンが、奥の通路へと歩き出した。


 クレハも、その後を追う。


 俺も、刀の鞘をそっと押さえながら続いた。


◇ ◇ ◇


 奥の通路の先から、下品な笑い声が聞こえた。


「こいつは高く売れそうだなぁ」「いや、このちっこいのの方が好みの奴多いぜ」


 足が、自然と早くなる。


「秋人」


 ドルガンが、短く制した。


「焦るな」


「……はい」


 深呼吸。

 また、浅めに整える。


(殺すためにじゃなく、守るために)


 刀の刃は、まだ鞘の中だ。


 それを、どこで抜くか。

 どこで止めるか。


 次の角を曲がった先で、それを決めることになる。


 俺は、自分の手のひらに残る血の感触を、もう一度だけ確かめてから──

 通路の奥へと踏み出した。


つづく。

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