第40話 人さらいを釣り出せ──護衛任務と最初の痕跡
地図の上に、赤い印がいくつも乗っていた。
街道沿いの分かれ道、森の入り口、小さな村のそば。
全部、“行方不明者が出た場所”だとボルグさんは言った。
「いいか。今回の仕事は大きく分けて二つだ」
ボルグさんが指で地図をなぞる。
「一つは、“こいつら”──」
赤印をぐるりと囲む。
「人さらいどもの、アジトと行動パターンを探ること。
もう一つは、“これ以上攫われる奴を出さないようにすること”だ」
俺たちは自然と背筋を伸ばしていた。
「いきなりアジト殴り込みはしねぇ。
まず、“餌”だ」
「餌……?」
カイルが眉をひそめる。
「護衛付きの商隊に紛れて街道を進む。
“襲いやすそうだけど、実は手が多い隊商”ってやつだな」
ボルグさんが、地図の街道を指で辿る。
「奴らがこの辺で動いてるなら、どっかで姿を見せるはずだ。
そこで、尾行。
アジトまで案内してもらう」
「逆に、こっちが釣るわけですね」
セラがあっさり理解して頷いた。
「商人には事前に話を通してある。
“囮役”を買って出てくれた、肝の据わった連中だ」
王都に比べれば小さな街だけど、その分、“街全体で何とかしよう”って空気は強い。
「構成はこうだ」
ボルグさんが名前を並べる。
「表向きの護衛──
俺、カイル、セラ、秋人」
「え、俺も表なんですか」
「お前だけ隠しても違和感出る。
“ちょっと強そうな若手護衛”として堂々と立っとけ」
「……了解です」
「周囲警戒と尾行──
ドルガン、紅葉、ノア。それからベテラン二人」
壁際にいた獣人の男と、ローブ姿の女性が軽く手を挙げた。
「上空と後方からも見る。
念のため教会から、一人“目の良い神官”も付ける」
エルナが、その“目の良い神官”枠なのだろう。微笑んで頷いた。
「ユイは?」
「ユイは──」
ボルグさんが、ユイを見る。
「表側護衛として隊商の側面、プラス“人質になりそうな奴”の最接近阻止だ」
「……重い役目ですね」
「お前の“守護の加護”と槍なら出来る。
あくまで“守る側の刃”として動け」
ユイは一瞬だけ目を伏せてから、小さく笑った。
「はい。
最初から、そのつもりです」
◇ ◇ ◇
準備は、案外あっさり進んだ。
荷物は軽装。
食料と水、治癒用のポーション少し。
拘束用の縄や鎖はギルドが用意してくれる。
「魔物は、あくまで副産物だと思っとけ」
ボルグさんが言う。
「本命は人さらいどもだ。
森の中で無駄に消耗すんなよ」
「了解です」
俺たち三人は目を合わせて頷いた。
腰には新しい刀。
明日にはユイの“槍薙刀”と、クレハの強化装備も完成する。
(……人を相手に振るうための準備を、自分で頼みに行ってるんだよな、これ)
道具だけが先に“本番モード”になっていく感じがして、心のどこかが少しざわついていた。
そんな俺の気配を察したのか、リゼ師匠が近づいてきた。
「顔、固いわよ」
「……ですよね」
「初めて人を斬るかもしれないって時に、へらへらしてる方が心配よ」
銀髪のエルフは、からかうように笑う。
「悩むのはいいこと。
でも、悩んだまま刀振っても、誰も得しないわ」
「はい」
「考えるのは今のうち。
現場に出たら、“その時の自分”を信じなさい」
そんな簡単に信じられるものなのかと思いつつ。
でも、リゼ師匠が言うと不思議と「そうかも」と思えてしまう。
◇ ◇ ◇
翌朝。
街門の前には、荷馬車三台と、屈強そうな商人たちが並んでいた。
「よお!」
筋肉質なオッサンが手を振る。
「ギルドの兄ちゃん姉ちゃんたちだろ?
今回、囮役買って出たヴォス商会のヴォスだ」
「お世話になります」
ボルグさんが軽く頭を下げる。
「危なくねぇのかって? 危ねぇよ」
ヴォスはガハハと笑った。
「だがな、人さらいなんざ野放しにしてたら、
どのみち商売にならねぇ。
だったら、一発で根っこから叩き折ってもらった方がマシだろ」
「……ありがとうございます」
本気でそう思う。
こういう人が、「この世界の“普通の大人”」なんだろう。
「じゃ、行くぞ!」
号令とともに、隊商がゆっくりと動き出した。
街を出れば、そこは“事件の現場”だ。
◇ ◇ ◇
最初の数時間は、驚くほど平和だった。
青い空。
揺れる馬車。
両脇には、見慣れた森。
魔物に遭遇することもなく、いつもの「素材採集のついでに護衛してるシチュエーション」と大差ない。
「拍子抜けですね」
隣を歩くカイルが槍を肩に担ぎながら言う。
「まぁ、最初の一回で出てきたら苦労しねぇしな」
セラが肩をすくめる。
「でも、こういう静かな時間がある方が、逆に“本番”怖くなるんだよね」
「それは分かる」
俺も苦笑した。
先頭にはボルグさん。
隊商の一番後ろにはユイ。
俺は真ん中の馬車の横につき、いつでも前後どちらにも動ける位置だ。
森の上を、時々黒い影が走る。
木から木へ飛び移る軽い影。
(クレハだな)
枝と葉を使って気配を絶妙に隠しつつ、常に周囲を見ているはずだ。
さらにその上空を、鳥が一羽、ぐるぐると旋回していた。
ノアが操る偵察用の小さな風精霊だ。
ドルガンは、どこかに紛れている。
気配が本気で読めないので、逆に安心でもあり怖くもある。
◇ ◇ ◇
昼前。
「ここからが“線”だ」
ボルグさんが小さく告げた。
地図の上で赤印が多かったエリア。
行方不明者が出たという報告が集中している場所に入る。
空気が、ほんの少しだけ変わった気がした。
森の音が減る。
鳥の声が遠くなる。
足音だけが、やけに耳につく。
「……静かですね」
ユイが、小声で言う。
「魔物も、人も、いない感じがする」
「“人間がよく通るルート”ってのは、本来もう少し騒がしいからな」
セラが、身を低くして周囲を見る。
「警戒しときなさい。
“何もいない静けさ”が、一番怪しいこともある」
「了解」
その時だった。
「ボルグ」
風に混じって、かすかな声が届いた。
ドルガンの声だ。
どこにいるのか姿は見えないが、音だけ正確に届く。
「左の林の奥。
古い荷車の残骸。
血の匂い、薄く残ってる」
ボルグさんの目が細くなる。
「隊商はそのまま進め。
少し先の開けたところで止まる。
俺と数人で見てくる」
「俺も行きます」
気づけばそう口にしていた。
「俺とセラと秋人。
あとはエルナ、来てくれるか」
「分かりました」
ユイは一瞬こちらを見たが、すぐに隊商側の方へ視線を戻した。
「秋人くん、戻ってくるまでの間は隊商の方、任せるね」
「あぁ、任された」
隊商を止めるタイミングでユイが仕切る形になる。
俺たちはボルグさんの後ろについて、林の奥へ入った。
◇ ◇ ◇
林の中は、ひんやりしていた。
葉の隙間から落ちる光の中に、微妙な違和感があった。
土が、ところどころ不自然に乱れている。
何かを引きずった跡。
馬の蹄のあと。
そして──
「……あったな」
ボルグさんが低く言った。
木の陰に、古い荷車の車輪が転がっていた。
半分ほど土に埋もれ、苔が生えている。
近づくと、鉄の匂いがした。
もう乾ききっているのに、鼻の奥に刺さるような匂い。
「血……ですね」
エルナが囁く。
荷車の側板には、何かがぶつかったようなへこみ。
地面には、押さえつけられたような足跡と、引きずられた跡。
人のサイズが、まちまちだ。
小さい足。
大人と同じくらいの足。
途中で土を爪で掻いたような痕跡もある。
想像したくない光景が、脳裏に浮かんだ。
「……吐きたくなったら、吐いていいからね」
隣でセラがぽそっと言う。
「初めてこういうの見ると、だいたい一回は吐くらしいよ」
「経験談ですか」
「半分ね」
気持ち悪さを誤魔化すように軽口を返しながら、それでも目を逸らせなかった。
ボルグさんは膝をつき、地面に触れた。
「……一ヶ月は前か」
「そんなに経ってるんですね」
「土の乾き方と、匂いの残り具合で、だいたい分かる」
場数の差が、こういうところに出るのだろう。
「ただ、こっちの方は──」
荷車から少し離れた場所を指さす。
そこには、比較的新しい足跡があった。
少し泥が盛り上がっている。
「ここ最近、誰かが確認しに来てる」
「盗賊団側ですか?」
「だろうな。
“痕跡が消えてるかどうか”見に来る」
つまり、まだ近くで動いているということだ。
「エルナ」
「はい」
「残留してる血の“気配”から、何か分かるか」
エルナは目を閉じ、両手をそっと地面にかざした。
淡い光が、指先からじわりと広がる。
「……ここで怪我をした人は、死んではいません」
少しして、静かに言った。
「血は多いですが、致命傷ではないはず。
その後どうなったかまでは分かりませんが……」
「“売る前提”なら、殺さねぇだろうな」
ボルグさんの声に、軽い嫌悪が滲む。
「とりあえず、ここが“やつらの仕事場”の一つだってことは確かだ」
その時だった。
「ボルグ」
今度は、上から声が降ってきた。
枝の上に、クレハがしゃがんでいた。
いつの間にか、すぐそばの木に登っていたらしい。
「上の道。
隊商のすぐ後ろの斜面。
“見てる奴”、一人」
“見てる奴”。
ボルグさんの目が細くなる。
「偵察か」
「多分」
「距離は」
「隊商から、弓一発ぶん。
そこから、森の奥にすぐ逃げられる位置」
「いい場所、取ってやがる」
ボルグさんは立ち上がった。
「隊商は、予定通り少し先で休憩だ。
“見張り”はこちらからは手出ししない」
「いいんですか?」
「今は“尾行する獲物”を探してる段階だ。
こっちから狩りに行くのはまだ早ぇ」
ボルグさんは、隊商の方角を見た。
「向こうが動く。
どこに逃げるか、誰と合流するか──全部、見せてもらう」
ドルガンの声も、木々の間から聞こえてきた。
「尾行は、俺と紅葉でやる。
ノアは上空。
騎士団にはまだ知らせるな」
「任せる」
短いやりとりだけで、方向性が決まっていく。
「秋人」
「はい」
「お前らは隊商と一緒に戻れ。
今日は“ここまで”だ」
「ここまで……?」
「一日で全部終わらせようとすんな」
ボルグさんは、道の方を指さした。
「向こうの“見張り”も、最初は様子見だ。
こっちの戦力と動きを測ってくる」
「……向こうもこっちを観察してる、ってことですね」
「そうだ。
だから今日は、“こっちの普段通り”を見せときゃいい」
ユイが待っているであろう隊商の方を思い浮かべる。
商人たちも、人を売る連中と戦う覚悟を持って出てきている。
こちらが変に焦って全滅するのが、一番意味がない。
「分かりました」
「戻って、“今日見たもの”を全部話せ。
血の匂いも、足跡も。
気持ち悪くても、それを言葉にしとけ」
「……はい」
言葉にするのは、たぶん、後でもう一回しんどくなる。
でも、黙って頭の中で回すより、その方がマシだと思った。
◇ ◇ ◇
隊商のところに戻ると、ユイがすぐこちらに駆け寄ってきた。
「どうだった?」
「……荷車の残骸と、血の跡」
短くまとめて伝える。
「エルナさん曰く、“死んではない”らしい。
でも、連れて行かれた先でどうなったかは分からない」
ユイの表情が、きゅっと引き締まる。
「……許せないね」
「うん」
クレハが木の上からひょいっと降りてきた。
「でも、“見張ってる奴”見つけた」
「え?」
「隊商の後ろ。丘の上。
こっちを見てた」
「それ、大丈夫なの?」
「ドルガンが尾行してる。
“逃げる方向”を見て、アジト探す」
ユイは、少しだけ安心したように息を吐いた。
「……じゃあ、今はまだ、“こっちのターン”じゃないんだ」
「そういうこと」
俺も頷く。
「今日はここで一泊して、街に戻る。
明日以降、尾行の結果を聞いてから本格的に動くことになるはず」
「分かった」
隊商の商人たちも、不安そうな顔をしながらも仕事を続けている。
誰も「やっぱやめた」とは言わない。
それが、余計に事態の重さを感じさせた。
◇ ◇ ◇
その夜。
野営の焚き火を囲んで、俺たちは簡単な食事をとった。
あの血の跡。
引きずられた足跡。
爪で掻いたような土。
全部、頭の中で何度も再生される。
「秋人くん」
隣から、ユイの声。
「ちゃんと食べてる?」
「食べてるよ」
「噛んでる?」
「噛んでる」
実際、味はよく分からなかったけど、噛んではいた。
「吐きそうになったら、言って」
「その時は静かに草むら行くから」
「勝手に行かないで。
誰か付いてくから」
「過保護だな」
「今くらいはいいでしょ」
ユイは、少しだけ笑った。
「私も、正直キツかった。
でも……見ておかないと、“何と戦ってるか”分からないから」
「うん」
クレハも、膝を抱えて座りながら、焚き火の火を見ていた。
「里でも、“人さらい”の話、よく聞かされた。
“そういうのから人を守るために動け”って」
「……忍びって、そういう役目もあるんだな」
「うん。
“殺し”だけが仕事じゃないってこと、最近やっと実感してる」
ドルガンの「守るために斬れ」という言葉が、火の音と一緒に蘇る。
(今はまだ、“斬る相手の顔”を見てない)
次は、見ることになるのだろう。
焚き火の火が、刀の鍔をちらりと照らした。
その鈍い光を見つめながら、俺はそっと柄に手を置いた。
(どこまで斬るか。
どこで止めるか)
決めるのは、きっとその場になる。
でも、決めるための準備だけは、今のうちにしておきたかった。
「明日、またギルドに戻るんだよね」
「そうだな」
「ドルガンさんたち、何か掴んでるといいけど」
「……あいつのことだから、手ぶらでは帰ってこねぇよ」
ボルグさんの言葉を信じておくことにする。
焚き火の火が、ぱちぱちと音を立てた。
その音を聞きながら、俺たちはそれぞれ、自分の中の“線”のことを考えていた。
人を斬るかもしれない夜の、静かな前触れだった。
つづく。




