第38話 領主館へ、昨夜の酔いと微妙な空気を抱えて
朝。
青い灯火亭の二階の部屋に、うめき声が響いていた。
「うぅ……頭、重い……」
片方のベッドで、ユイが枕に顔を押しつけたまま呻いている。
もう片方では、毛布にくるまったクレハが小さく丸まっていた。
「……世界が、すこし回ってる」
「回ってない回ってない。気のせいだから」
俺は窓を少し開けて、冷たい外気を入れる。
昨夜のことを思い出して、こっそりため息をついた。
(あれだけ綺麗にほろ酔いになるとはな……)
マリーさんが「こっちが果実水、こっちが薄い果実酒」とトレイで出してきたところまではよかった。
そのあと、ほんのちょっとグラスの位置が入れ替わって──
俺:ノンアル果実水。
ユイ&クレハ:薄い果実酒。
という、絶妙に面倒くさい配牌が出来上がったのだった。
「……秋人くん」
反対側のベッドから、くぐもった声がする。
ユイが枕から半分だけ顔を出し、こちらを見た。
「昨日……その……私、変なこと言ってなかった?」
「変ってどのレベルの話?」
「“明日も頑張ろうね”くらいはセーフでしょ。
“秋人くん大好き”って叫んでたらアウト」
「それはしてない。たぶん」
「“たぶん”って何」
俺は視線をそらした。
その瞬間、隣の布団からひょこっと顔を出す小さな影。
クレハだ。
「“元の世界でも、隣にいてね”って言ってた」
「クレハ!?」
ユイがバッと起き上がる。
布団から上半身だけ飛び出して、耳まで真っ赤になった。
「わ、忘れて……!」
「無理です。人間は便利な消しゴム機能は搭載してません」
「そういう真面目な返しはいらない……!」
枕を投げようとするユイを、俺は手で制した。
「とりあえず水飲め。話はそれからだ」
「話す前提なんだ……」
テーブルに置いたコップを、ユイとクレハの前に押しやる。
二人とも、うめきながらもちゃんと起き上がってごくごくと水を飲んだ。
「……クレハは、あんまつらくなさそうだな」
「里で、祝いのときに一口だけ飲まされたことある。
今日のは、それより薄い」
「経験値の差か……」
クレハはコップを置いて、ぽそっと続ける。
「昨日のユイ、かわいかった」
「やめて!? そういう追い打ちほんとやめて!?」
「“元の世界でも”って言ってた」
「もう一回言わなくていいよね!?」
ベッドの上で頭を抱えるユイ。
その姿が妙に様になっていて、ちょっと笑いそうになる。
笑ったら殺されそうだから我慢するけど。
◇ ◇ ◇
「……で、今日は何時にどこ集合だったっけ」
水で少し頭がスッキリしたところで、ユイが現実に戻ってきた。
「ギルド前に八時半。エルナさんと合流してから、領主館へ」
「領主館……」
“領主館”の単語が出た瞬間、ユイの顔から一部の血の気が引く。
「クラリス様、いるんだよね」
「だろうな」
馬車事件のあと、正式なお礼の書状が届いていたし。
ロックシェル討伐の件でも、領主家はかなり俺たちを気にしているらしい。
きっと、今日は「街の問題を相談する相手」として会うことになる。
「うぅ……昨日の酔っぱらいムーブを思い出すと、クラリス様の清楚さで死ぬ……」
「異世界お嬢様と、ほろ酔いヤンデレ幼馴染を同じ土俵で比べるのやめろ」
「誰がヤンデレよ」
「自覚はあるんだな、“ヤンデレ”って単語は否定しないんだな」
「そこだけ拾わないで!?」
クレハが毛布をたたみながら、こくりと頷いた。
「ユイ、“ちょっとだけヤンデレ”」
「クレハまで!?」
「でも、“ちょっとだけ”だから、かわいい」
「フォローの仕方が高度なんだよ……」
なんだかんだで二人とも、いつも通りのツッコミをできている。
これなら領主館に行っても、途中で倒れることはなさそうだ。
「よし。顔洗って、下で朝飯食おう。
クラリス様の前で、酒臭いとか絶対嫌だろ」
「……それは本当に嫌」
「うん。
お姫様の前では、ちゃんとしてたい」
二人の言い方が、微妙に違う。
ユイは“ライバル視しつつ憧れ”みたいなニュアンス。
クレハは、“守る対象が増えた”みたいな目をしていた。
◇ ◇ ◇
一階に降りると、マリーさんとリナが朝の仕込みをしていた。
「おはよう、あんたたち。ちゃんと起きられたじゃないの」
「……犯人見っけました」
俺がジト目を向けると、マリーさんは悪びれもなく肩をすくめた。
「いやぁ、あのくらい薄い果実酒であそこまで可愛く酔うとは思わなくてさ」
「“可愛く”って主観混ぜないでください」
「ちゃんと水飲ませて寝かせたんだから許してよ。
ほら、今日も領主館行くんでしょ?」
「どこ情報ですか」
「ミリア」
「ギルドの情報網恐るべし……」
パンとスープの軽い朝食を済ませて、俺たちは装備を整え、青い灯火亭を出た。
◇ ◇ ◇
ギルド前には、すでにエルナが待っていた。
「おはようございます、三人とも」
「おはようございます」
「……おはよう」
「おはようございます……昨夜は、その……」
ユイが気まずそうに頭を下げる。
「はい、“少しだけ可愛く酔っていた”とミリアから報告を受けています」
「報告されてるんだ……」
情報共有が徹底している。嬉しくない方向に。
「体調に問題がなければ大丈夫です。
領主館で倒れたりしなければ、昨夜のことは不問にしましょう」
「倒れなければセーフ基準なんですね、この世界」
「冒険者としては、割と重要なラインですよ?」
ニコリと笑ってから、エルナは少し真面目な顔になった。
「では、行きながら少し、礼儀作法について簡単に復習しましょうか」
「お願いします」
◇ ◇ ◇
領主館へ向かう道すがら、エルナの“貴族対応講座”が始まった。
「まず、姿勢。
立つときも座るときも、背筋を伸ばすだけで印象が変わります」
エルナはすっと立ち、手本を見せる。
さすが教会所属の治癒師、所作が綺麗だ。
「お辞儀は、頭を下げすぎず、しかし軽すぎず。
……アキトさん、もう少し顎を引いて」
「こうですか」
「はい、それくらい。
“相手を敬っているが、卑屈ではない”程度がちょうどいいですね」
「難易度高くない?」
「でも、秋人くん似合うと思うよ。
武家の礼儀っぽい雰囲気出る」
ユイが横から口を挟む。
「ほら、元の世界でも、おじいさまに礼儀作法教えられてたじゃん」
「まぁ、最低限は……」
祖父母の道場で、挨拶や座礼は散々叩き込まれた。
貴族相手は初めてだけど、基本はきっと変わらない。
「紅葉さんは、そのままでも大丈夫です。
無駄な動きが少ない分、静かにしているだけで“育ちが良さそう”に見えますから」
「育ち……?」
クレハが小さく首をかしげる。
「里の訓練の賜物ですよ」
「……里の人、喜ぶ」
「ただし、“袖を噛む”のは領主館ではやめておきましょうね」
ぴくり、とクレハの耳が動いた。
「昨日のあれ見てたんですか」
「見てはいませんけど、噂は聞きました」
ミリア、どこまで喋ってるんだ。
「ユイさんも、“秋人くんの隣にいたい”と言うのは自由ですが、
領主館の中では少しだけ我慢してくださいね」
「言ってたんだわたし……」
ユイが再び頭を抱えた。
「それでも、ああして本音を出せるのは良いことですよ」
エルナは、そう言って俺を見る。
「アキトさんも、“聞かなかったことにする”だけでなく、
ちゃんと受け止めておいてくださいね?」
「……はい」
そう言われると、妙に照れくさい。
◇ ◇ ◇
そんなこんなで、領主館の前に着いた。
街の中心から少し高い丘の上に建つ、大きな屋敷。
城ほどではないが、石壁と鉄の門が重厚感を出している。
門番に名前を告げると、すぐに中へ通された。
玄関ホールで待っていたのは、あの老執事だった。
「ようこそお越しくださいました、冒険者の皆様」
背筋はまっすぐ、白髪はぴしっと撫でつけられている。
目の奥だけ、戦場帰りの兵士みたいに鋭い。
「お久しぶりです、セバスさん」
エルナが軽く会釈する。
「シスター・エルナも、ご同行ありがとうございます。
──“ロックシェルの討伐者”の皆様、お初にお目にかかります」
セバスは一歩前に出て、俺たちに向き直った。
「佐藤秋人殿、藤原結衣殿、紅葉殿。
ラグナス家執事長、セバスと申します」
その名乗りに合わせて、俺たちも頭を下げる。
「佐藤秋人です。お招き、ありがとうございます」
「藤原結衣です。お世話になります」
「……紅葉。
よろしく、お願いします」
セバスの口元が、わずかに緩んだ。
「以前、馬車の件では、当家の令嬢がお世話になりました」
馬車事件──暴走しかけた馬車から子どもをかばった時のことが、頭に浮かぶ。
あの金髪のお嬢様が泣きそうな顔で飛び降りてきて、俺と子どもの怪我を必死に心配していた。
そのあと門番経由で礼状は届いたが、直接会うのは今日が初めてだ。
「本日は、ロックシェル討伐への謝意とともに……
もう一つ、お願いしたいことがあり、お越しいただきました」
セバスは、静かに続ける。
「詳しい話は、当主の口から。
こちらへどうぞ」
俺たちは応接室に案内された。
◇ ◇ ◇
応接室は、落ち着いた色合いの部屋だった。
豪華すぎず、質素すぎず。
木のテーブルとソファ、壁にはラグナス家の紋章と地図。
数分待つと、扉がノックされる。
「失礼いたします」
入ってきたのは、見覚えのある金髪の少女と──
その隣で、ゆっくりと歩く中年の男性だった。
「ようこそ、ラグナスの館へ」
男性は柔らかな声で言った。
「私は、この街を預かるエドガー・ラグナス。
こちらは娘のクラリスと、息子のレオンです」
「……!」
クラリスが一歩前に出て、まっすぐ俺を見る。
青い瞳が、はっきりとした意志を宿していた。
「──やはり、あの時の剣士の方ですね」
「……覚えていてくださったんですね」
「もちろんです。
あなたが、あの子どもを抱きかかえてくれなければ……
あの子も、私も、どうなっていたか分かりませんでした」
クラリスは、深く頭を下げた。
「その節は、本当にありがとうございました」
「い、いえ……」
改めて正面から感謝されると、変な汗が出る。
隣でユイが、ちらっと俺とクラリスを見比べて、
ほんの少しだけむくれているのが見えた。怖い。
レオンは、クラリスの後ろから顔を出して、こちらを興味深そうに見ていた。
「お姉様が言っていた“剣士さん”、この人なんだね」
「ええ」
クラリスは微笑んでから、俺たち三人を見渡した。
「ロックシェル・リザードを討伐されたと伺いました。
ラグナスの街のために命を賭してくださったこと、心から感謝いたします」
その真剣な言葉に、思わず背筋が伸びる。
「ありがとうございます」
俺たちも、改めて頭を下げた。
エドガーが、一つ息をついて口を開く。
「さて──本題に入ろう」
柔らかな声の奥に、疲れと緊張が混ざっている。
「ロックシェルの件も、もちろん大事だ。
だが、今ラグナスにはもう一つ、見過ごせない問題がある」
エドガーの視線が、地図の一角に向けられる。
街道。
周辺の村々。
いくつかの場所に、赤い印がついていた。
「ここ数ヶ月、この辺りで“行方不明者”が増えている」
その言葉に、部屋の空気が少し重くなる。
「荷馬車が襲われ、荷物だけ残って持ち主が消える。
村から、誰かがふっといなくなる。
死体が見つかるなら、まだ“魔物に襲われた”と言い切れるのだが……」
エドガーは、悔しそうに拳を握りしめた。
「痕跡だけが残り、人だけがいない。
──人を攫い、どこかへ売る連中がいる可能性が高い」
人身売買。
その言葉が脳裏をよぎって、胸の奥がざわりとした。
(ゲームや漫画の中だけの話だと思ってた。
けど、この世界では、本当にあるんだろうな)
ユイの表情が固くなる。
クレハの目の奥も、静かに沈んだ。
「王都にも報告は上げている。
だが“辺境の治安悪化”として、優先度は決して高くない」
エドガーは苦笑に近い息を吐いた。
「魔物相手なら、まだいい。
だが、“人が人を売る”というのは、放置したくない。
ラグナスの名に関わる問題だ」
静かな、しかし強い怒りが滲んでいた。
「騎士団だけで探してはいるが、奴らは痕跡を消すのがうまい。
そこで、冒険者ギルドにも力を借りたい」
視線が、俺たちに向く。
「ロックシェルに挑み、生きて戻った君たちに……
この件でも、戦ってほしい」
言葉の重さに、喉が鳴る。
隣で、エルナが静かに補足した。
「もちろん、三人だけに全てを任せるつもりはありません。
ボルグさんやドルガンさんを含めた小隊で動くことになります」
「あなた方の役割は──」
クラリスが続ける。
「前線で全てを背負うことではなく、
森や街道での経験を活かした“偵察と捕縛の補助”です」
“捕縛”。
その単語に、俺は思わず聞き返した。
「……殺す、じゃなくて、捕える、ですか?」
エドガーはゆっくり頷いた。
「そうだ。
出来る限り、生かして捕えてほしい。
奴らが誰と繋がっているのか、どこへ人を売っているのか──
情報は、その口からしか出てこない」
「ただし」
セバスが口を挟む。
「これは、“あなた方の安全を犠牲にしても捕縛を優先せよ”という意味ではありません。
第一に守るべきは、あなた方自身の命です」
その言い回しが、少し意外だった。
「……俺たちの命が、第一なんですか」
「当然です」
セバスはきっぱりと言い切った。
「街を守るために命を懸けている者の命を、
街が粗末に扱ってどうします」
エドガーも頷く。
「君たちがいなければ、ラグナスはロックシェルに怯え続けていた。
君たちは、街の“仲間”だ。
仲間の命を、遊び半分で使うつもりはない」
真正面からそう言われて、少しだけ胸が熱くなった。
「だからこそ、頼みたい」
エドガーは、改めて頭を下げた。
「“人を物のように扱う連中”と、戦ってほしい。
可能な限り、生かして捕えてほしい。
だが──君たちが死ぬくらいなら、遠慮なく斬って構わない」
その一言で、この依頼の重さがよく分かった。
◇ ◇ ◇
ユイが、隣で静かに手を握りしめていた。
「……許せません」
ぽつりと、しかしはっきりした声。
「魔物に襲われるのとは違います。
“わざと”弱い人を狙って、“金のために”人を売るなんて」
クレハも、口をきゅっと結ぶ。
「里の教えでも、“子どもと女を売るやつは最低”って言われてた」
「具体的な教えなんだな、それ……」
でも、今はその価値観がありがたい。
「アキト」
二人の視線が、自然と俺に向いた。
決めるのは俺じゃなくて、三人で決めることのはずなのに。
何となく、言葉を期待されている気がした。
「……俺」
少しだけ息を整える。
「魔物相手なら、“ゲームみたいだな”とか正直思ってました。
ロックシェルにビビりながらも、どこかで“戦闘イベント”みたいに見てたところがあると思います」
でも。
「人を売るって話は、全然笑えないです。
ゲームじゃない」
俺はエドガーたちを見た。
「俺たちに出来ることがあるなら、やります。
全部は背負えないけど、今の力の範囲で、出来る限りは」
ユイが頷く。
「私も。
“守護の加護”は、人を守るためにあるんですから」
クレハも、短く言葉を重ねた。
「私も。
“忍び”って、本当はこういう時に使うって、最近分かってきた」
エドガーの顔に、ようやく少しだけ安堵が浮かんだ。
「ありがとう」
クラリスも、胸の前で手を組んで頭を下げる。
「無理はしないでください。
でも、どうか力を貸してほしい」
「はい」
そう答えた瞬間。
“魔物”とは違う種類の、ざらざらした緊張が、胸の奥に広がるのを感じた。
(次は、人を相手に、剣を振るうことになるのか)
刀を振るう感触。
血の色。
悲鳴。
想像しただけで、手のひらが少し汗ばむ。
それでも──
(それでも、“こっち側”に立ちたい)
そう思った。
「詳しい作戦については、ギルドの方で打ち合わせをすることになるでしょう」
エルナが、静かにまとめる。
「ボルグさんとドルガンさんから、“対人戦の線引き”についても教わるはずです」
“線引き”。
その言葉が、この先のことを暗示しているようで、少しだけ背筋が冷えた。
◇ ◇ ◇
領主館を辞した帰り道。
ユイが、ぽつりと呟いた。
「ねぇ、秋人くん」
「ん?」
「“殺さず捕える”って、すごく綺麗な言葉だけどさ」
握りしめた拳が、ほんの少し震えていた。
「本当に、そんな綺麗なだけで済む世界じゃないよね、多分」
「……だろうな」
「それでも、“どこまでやるか”は、自分たちで決めなきゃいけないんだろうなって」
クレハも、小さな声で続ける。
「ドルガン、きっと“甘いことだけ言わない”。
“守るために斬れ”って言う」
「だろうなぁ……」
元暗殺者の元A級斥候。
優しいことだけ教えてくれるタイプじゃないだろう。
でも、だからこそ──
「ちゃんと、教わっといた方がいいんだろうな」
“どこまでが守るためで、どこからが自分のための暴力か”。
その線を、間違えたくない。
「ギルド戻ったら、ボルグさんとドルガンに話聞こう」
「うん」
「うん」
三人で歩幅を合わせて、ギルドへ向かう。
ロックシェルの森を出た時とは、また違う重さを抱えながら。
次は、“人を相手に”戦うための準備だ。
つづく。




