第36話 ロックシェル・リザード再び
森の空気は、やっぱり重かった。
でも──前ほど、息が詰まる感じではない。
「ここまでが、前回引き返したラインだね」
ユイが、槍の石突きで地面を軽く突く。
湿った土。
斜めに伸びた木の根。
どこか見覚えのある風景。
「一本目の逃げ道はこっち。
街道までの最短ルート」
クレハが、低い声で確認する。
「二本目、斜面下りて小川沿い。
倒木トラップ仕掛けポイント三つ」
「三本目は最後。
今日は、出来れば使わない」
「賛成」
俺たちは小さく頷き合う。
少し後ろには、ボルグさんたちギルド側の面々が控えていた。
一定の距離を保ちながら、でもいつでも前に出られる位置。
「前に出るのはお前らだ」
出発前に、ボルグさんはそう言った。
「ただし、“戻ってくる”前提で行け。
戻る場所は、ちゃんとここに用意しておいてやる」
それだけで、だいぶ心が軽くなったのを覚えている。
◇ ◇ ◇
森の奥へ、ゆっくり進む。
足音は出来るだけ殺す。
でも、完全に消そうとはしない。
“森の中の通行人”ぐらいを装う。
前を歩くクレハの影が、木々の間で細く揺れた。
「……匂い、する」
立ち止まって、小さく囁く。
「前と同じ。
石と、土と、少しだけ血の匂い」
俺とユイも息を潜める。
(来たか)
胸の奥が、ぐっと締め付けられる。
「ここから先、ロックシェルの縄張り」
クレハが振り返った。
「行く?」
問いは短い。
でも、意味は重い。
「行く」
迷いは、思ったより少なかった。
「俺たちの“怖さ”の正体、ちゃんと殴って確かめないとさ」
「うん」
ユイが、槍を握り直す。
「逃げ道も、準備も、師匠もいる。
それで逃げっぱなしは、なんか違う気がするしね」
「……行こう」
クレハが小さく頷く。
三人で前に出る。
◇ ◇ ◇
しばらく進んだところで──
ゴリッ、と、嫌な音がした。
地面を引きずる何かの音。
低い振動。
それに続いて、森を震わせる咆哮。
『グォォォォォォ……ッ!!』
全身の毛穴が一気に開くような感覚。
でも、前よりは足がすくまなかった。
「来る!」
ユイの声とほぼ同時に──
木々の隙間から、あの灰色の巨体が姿を現した。
岩のような甲殻。
鈍く光る黄の目。
地面を抉る太い四肢。
ロックシェル・リザード。
(……久しぶり)
喉が乾く。
でも、逃げる足ではなく、踏み込む足が動いた。
「秋人くん、前!」
「分かってる!」
俺が一歩前へ出る。
剣を構えて、距離を測る。
ロックシェルが、こちらを見据えた。
前回のときと違って、最初から“敵”として認識されている目だ。
「毒霧、来る!」
クレハの声。
ロックシェルの口元に、紫がかった霞が集まり始めた。
前は、これをまともに浴びそうになってパニックになった。
今日は──
「《風・小》!」
俺は、事前に決めておいた通り、右斜め前に小さな風を吹かせた。
毒霧が、ほんの少しだけ横に逸れる。
完璧ではない。
でも、正面直撃は避けられる。
「二人とも、左斜め後ろ!」
声を出しながら、自分も決めていた位置に飛び退く。
さっきまで俺のいた場所を、紫の霧がなめていった。
足元の草が、じわっと枯れていく。
(……よし)
前みたいに、“来てから考えて”ない。
事前に決めた通りに、足が動いた。
「クレハ!」
「うん!」
クレハが、影の中から音玉を一つ取り出す。
ロックシェルの右前方の地面に、それを投げつけた。
カンッ!
高い音。
巨体が、そちらにわずかに顔を向ける。
その一瞬、正面の警戒が緩む。
「今!」
ユイが駆けた。
槍を低く構え、ロックシェルの左前脚──関節の継ぎ目に狙いを絞る。
カンッ!
甲殻に、鋭い音が走る。
完全には貫けない。
でも、さっきの爆ぜた音と合わせて、“そこを守らなきゃ”と思わせるには十分だ。
ロックシェルが、怒ったように咆哮する。
『グルォォォ……ッ!!』
太い尾が横薙ぎに振られた。
「──っ!」
ユイが跳ぶ。
ギリギリで尾の軌道から外れる。
その尾が、今度は俺の方に向きを変えて迫ってくる。
(来る)
前は、ここでただ構えた。
今日は──
「《風・中》!」
足元に、中くらいの強さの風を走らせる。
自分の身体を、“横に滑らせる”イメージで。
重心が、すっと右に流れた。
尾が、さっきまで俺の胸があった位置を風を切って通り過ぎる。
頬に、岩肌のざらついた感触がわずかに触れた。
「っぶな……!」
「今の、ちょっとカッコよかった」
ユイの声が飛んでくる。
「褒めるの後にして!」
「はいはい!」
◇ ◇ ◇
ロックシェルは、明らかに前より警戒していた。
適当に突っ込んでくるわけじゃない。
距離を測りながら、じりじりと間合いを詰めてくる。
「クレハ、“爆薬一個”」
「了解」
クレハが、小さな紙包みを取り出した。
ドルガン&タツミ監修、“甲殻にヒビを入れるためだけの爆薬”。
「刺すんじゃなくて、“貼る”」
クレハが、影と一緒に地を走る。
ロックシェルの視界の外側──後ろ脚側に回り込み、
甲殻の継ぎ目に紙包みをそっと押し当てる。
足音はほとんどない。
《隠密強化》と、《影走り》の本領だ。
「ユイ、今度は“右前脚”!」
「任せて!」
ユイが再び前へ出る。
ロックシェルの注意がユイと俺に向いている間に、
クレハが影から離れる。
「退避」
その一言で、俺たちは一度距離を取った。
「起爆」
クレハが、小さく指を鳴らす。
次の瞬間──
ドンッ!
派手な爆発音ではない。
でも、土が持ち上がり、ロックシェルの後ろ脚がぐらりと揺れた。
『……グォ!?』
甲殻の継ぎ目に、白いヒビが走るのが見えた。
「ヒビ入った!」
「今だ!」
ユイが、そのヒビに向かって槍を突き出した。
槍の穂先に、淡い霊的な光が宿る。
《霊槍薙刀》の応用。
ガッ!
鈍い音。
ロックシェルが、苦しそうにうなった。
完全には貫けない。
でも、明らかに動きが重くなる。
(いける……!)
胸の奥で、何かが弾けた。
怖さと同じくらい、手応えが湧き上がってくる。
◇ ◇ ◇
……だからこそ。
「秋人」
頭の中に、師匠の声がよぎった。
『大技、禁止よ?』
蛇口を、一気にひねる衝動が喉元まで上がってきて──
寸前で止まった。
(小と中だけで、やるって決めた)
火を、風を、水を。
全部ちょっとずつ混ぜて、“すごい魔法”を撃ちたくなる自分を、
無理やり押さえ込む。
(今必要なのは、“ドカン”じゃない)
ヒビの入ったところに、
“ちょうどいいだけの火と風”を送る。
「《火・小》──“ヒビに入り込む火”」
指先に小さな火を灯す。
それを、ヒビに触れそうな位置まで持っていく。
ロックシェルが、痛みで動こうとする。
「《風・小》!」
火を押し込むための、そよ風。
風で火を運ぶイメージ。
ヒビの中に、火が吸い込まれていく。
じわり、と甲殻の内側から熱が広がる。
『グルルルッ……!』
ロックシェルが地面を踏み鳴らす。
甲殻の表面に、細かいヒビが増えていく。
「ユイ!」
「任せて!」
ユイが、ヒビの延長線上──一番弱そうな継ぎ目に槍を叩き込む。
《守護の加護》が、僅かに光った。
自分の身を削る一撃を、ギリギリ安全圏に留める加護。
ガキィィンッ!!
今までで一番、甲殻の中まで響くような音がした。
ロックシェルの後ろ脚が、完全に崩れる。
巨体が、ぐらりと傾いた。
「今だ、倒すなら今!」
俺は、前に出る。
暴走させない。
でも、“中”までなら使っていい。
「《水・中》──!」
今度は、水だ。
ヒビの入った甲殻の隙間に、水を流し込む。
内部の熱で一気に温められ、蒸気が膨張するイメージ。
中程度の圧力で、内側からこじ開ける。
『──グオォォォォッ!!』
ロックシェルが、苦悶の咆哮を上げる。
甲殻の一部が、バキンッと割れた。
露出した肉が見える。
そこに──
「とどめ!」
俺とユイが、同時に踏み込んだ。
俺の剣が、割れた甲殻の隙間から中へ。
ユイの槍が、そのすぐ下をなぞるように刺さる。
クレハの投げナイフが、さらにその周囲に“抜け道”を作る。
三本の線が、同じ一点を抉る。
『……グ、グゥ……』
ロックシェルの咆哮が、徐々に弱くなっていく。
巨体が、ぐらりと揺れ──
ドスンッ!
地面に倒れ込んだ。
しばらく、土煙と、息遣いだけが響いた。
◇ ◇ ◇
「……倒れた?」
ユイが、まだ槍を構えたまま息を切らす。
クレハが、慎重に周囲を回り込む。
影を這わせ、魔力の残滓と気配を探る。
「……動かない。
心臓の気配、ない」
一言。
その意味が、頭に入ってくるまで、数秒かかった。
「……勝った?」
自分で言って、自分で驚く。
「勝った……!」
ユイの顔が、一気に笑顔になる。
槍を持ってない方の手で、俺の肩をバンバン叩いてくる。
「やった! 秋人くん、やったよ!」
「いってぇ!」
クレハも、小さな拳でコツ、と俺の胸を叩いた。
「三人で、倒した」
「……ああ」
胸の中に、じわっと熱いものが広がる。
前は、“ただ逃げるしかなかった相手”。
今日は、“ちゃんと準備して、殴って、勝った相手”。
足が震えてるのは、怖さだけじゃない。
「おい!」
少し離れたところから、ボルグさんたちが駆けてきた。
「無事か!」
「生きてます!」
思わず、敬礼みたいなポーズを取ってしまう。
ボルグさんが、倒れたロックシェルを見下ろして、低く唸った。
「……やるじゃねぇか、お前ら」
「ヒビ入れてからの連携、見事でした」
エルナが微笑む。
「爆薬も、“壊しすぎない”出力にちゃんと抑えてた。
ね、ドルガンさん?」
「まぁ、“ギリギリ合格”ってとこだな」
ドルガンは、わざとらしく渋い顔をしていたけれど。
その口元は、いつもより少しだけ緩んでいた。
「蛇口くん」
リゼ師匠が、俺の頭をくしゃっと撫でる。
「大技、ちゃんと我慢したわね」
「……正直、一回くらいぶっぱなしてもいいかなって思った瞬間ありました」
「知ってる」
「知ってた」
やっぱり全部見られてた。
「でも、“小と中だけでやる”って決めたこと守った。
それが、今のあなたには何より大事なことよ」
「……はい」
胸の奥が、少し誇らしかった。
◇ ◇ ◇
「よし」
ボルグさんが、手をパンと打つ。
「ロックシェルはギルドで回収する。
素材も情報も、有効に使わせてもらう」
「報酬は?」
「もちろん出すさ」
ニヤリと笑う。
「“ロックシェル・リザード討伐”の正式依頼達成。
新人三人で成し遂げた、って話は、ラグナス中に広まるだろうよ」
「ちょっと恥ずかしいような、嬉しいような」
「嬉しいでいいでしょ?」
ユイが、槍をくるりと回す。
「秋人くん、“逃げるだけ”の新人から、“ちゃんと勝ちに行ける新人”になったんだから」
「……クレハ」
「うん」
クレハが、短く言う。
「“汚い足”も、“守るため”って決めて使えば。
こうやって、“ちゃんと帰ってこれる”」
「そうだな」
俺は、二人の顔を順番に見た。
「三人で決めた線、ちゃんと守ってここまで来れた気がする」
「これからも、守ろうね」
「うん。
“全員生存で勝ち”が、一番の目標」
「“全員生存で撤退”も、ちゃんと勝ち」
「そうだね」
◇ ◇ ◇
ラグナスへ戻る道すがら。
森を抜けたところで、ユイがふと思い出したように言った。
「そういえばさ」
「ん?」
「秋人くん、蛇口くん卒業する?」
「卒業したい。切実にしたい」
「ダメよ」
後ろから、即座にリゼ師匠の声が飛んできた。
「あなた、一生“魔力の蛇口”と付き合っていくんだから。
あだ名ぐらい、可愛がってあげなさい」
「可愛がる対象がおかしくない?」
「でも、“蛇口”って聞くと、“暴走じゃなくて調整”ってイメージできる」
クレハが、ぽそっと言う。
「私、結構好き」
「クレハまで味方じゃないの……」
「ヤンデレ幼馴染と忍び彼女(仮)公認のあだ名だね」
「やめろ、新しいラブコメ属性をぽんぽん足すな」
みんなで笑う。
ロックシェルの森で感じたあの重さが、
今はもう、そこまで怖くない。
胸元の金属の輪が、ちり、と小さく鳴った気がした。
(……ちゃんと、“二回目も守ってくれた”な)
お守りの輪も。
三人の匂いの煙玉も。
蛇口も、槍も、影も。
全部ひっくるめて、俺たちの“今の力”だ。
「さ、帰ったらギルドで報告して、
そのあとマリーさんのところでご飯だね!」
「肉、いっぱい食べたい」
「甘いものも」
「……よし」
自然と足が速くなる。
ロックシェル・リザードに勝った。
でも、多分これはまだ、“冒険者としての最初の山”でしかない。
この先、もっと大きな魔物も、もっと厄介な人間も、いくらでもいるのだろう。
それでも──
「三人なら、どうにかなるだろ」
そんな風に思えるぐらいには、俺たちは前に進んでいた。
つづく。




