第35話 決戦までの一週間と、ちょっとだけラブコメ
一週間なんて、長いようで一瞬だった。
──少なくとも、体感的には。
◇ ◇ ◇
まずは、蛇口の微調整から始まる。
「はい、今日もコップ三兄弟からね、蛇口くん」
「せめて“秋人くん”にしてもらえませんかね、リゼ師匠」
「嫌よ。その呼び名が一番イメージ通りなんだから」
ギルド裏のいつもの場所。
板の上には、今日も「小・中・大」の三つの丸と、空っぽのコップたち。
「今日は“火・風・水”全部ね。
それぞれ、小・中・大を一往復」
「……つまり、九回分?」
「それを三セット」
「ロックシェル殴った方が絶対楽なんですが」
「そのロックシェルの甲殻に、
“ちょうどいいだけの火”と“ちょうどいいだけの風”を流し込むための練習よ?」
「うっ……」
正論でぐうの音も出ない。
仕方なく深呼吸して、右手を前へ。
(火、小。
ろうそく一本。森じゃなくて机を照らす火)
指先に、小さな火がぽっと灯る。
「はい、丸の中に」
火をそっと押し出す。
“小”の円の中へ、ちゃんと収まった。
「お、安定してきたわね」
リゼ師匠が、素直に褒めてくれる。
次は、風。
(風、小。
紙をちょっとだけ浮かすぐらい)
指先から、ふわりと空気が動く。
板の端に置いた紙片が、ひらりと一センチだけ浮いて、すぐに落ちた。
「いいじゃない。
前は、“テーブルごと吹っ飛ぶ風”になりかけてたのに」
「なんで師匠は、俺の黒歴史をそんなに楽しそうに語るんですか」
「黒歴史はネタにしていかないとね?」
そんな感じで、ひたすら蛇口をひねったり締めたりする一時間。
正直、ちょっと退屈だ。
でも、魔力の流れが前より“手触り”として分かってきてるのは、肌で感じる。
(……前みたいに、気づいたら暴走してた、ってことは減ってるな)
それだけでも、続ける価値はある。
◇ ◇ ◇
ユイはユイで、地味に死んでいた。
「はぁ、はぁ……腕が……」
「弓引きすぎ?」
「“槍で前衛やりながら、弓も撃つ筋力”って、当たり前だけど二倍必要なんだよね……」
矢筒の矢を半分以上使い切って、ユイはその場に座り込む。
ギルド裏の即席射場には、穴だらけの的が立っていた。
「でも、だいぶまとまってきたわよ」
リゼ師匠が、的を指さす。
「“当たればいい”から、“どこにどれくらい刺すか”に意識が行き始めてる。
それだけでも、弓としてはちゃんと戦力になる」
「……ホント?」
「ホント。
後は、“槍モード”から“弓モード”への切り替えをもう少し早くすることね」
「切り替え」
「そう。
秋人が暴走しそうになったら、“槍で止める”か“弓で援護する”か、瞬時に選べるように」
「それ、さりげなくハードル高くない?」
「大丈夫。ヤン──」
リゼ師匠が、ちらっとこっちを見て口をつぐむ。
「……続き言いませんでした?」
「言ってないわよ?」
絶対、「ヤンデレの本領発揮」とか言いかけた。
ユイがわずかに頬を膨らませる。
「秋人くんの暴走止めるの、師匠ポジの人多くない?」
「守られてるって意味では、ありがたいよ?」
「……まぁね」
不満そうな顔をしながらも、目はちょっとだけ嬉しそうだった。
◇ ◇ ◇
クレハはというと──
「音玉、四個目。
今度は、“右から来たと思わせて左に投げる”」
「……うん」
ドルガンの前で、音玉を握りしめている。
少し離れたところには、棒で作った即席の「敵」が三体並んでいた。
「敵が見えてないとき、
“どっち向いてるか”“どっちに振り向かせたいか”イメージして投げろ」
「……こう」
クレハが、足を一歩踏み出す。
影が伸び、その先から音玉が飛ぶ。
──カンッ!
棒人形の右側に音が落ちた瞬間、ドルガンが棒を軽く回した。
人形の“顔”にあたる部分が、わずかに右を向く。
「今ので、“敵の意識は右”。
左から回り込む足があれば、背中がガラ空きだ」
「うん」
クレハが小さく頷く。
「今までの私は、“右から刺す足”ばっかりだった。
これからは、“右向かせて、左から逃がす足”も覚える」
「それでいい」
ドルガンは、いつもと同じ低い声で言う。
「暗殺者の足を全部捨てる必要はねぇ。
ただ、“殺すため”じゃなく“守るため”に使えばいいだけだ」
「守るための、汚い足」
「そうだ」
その言い方に、どこか救われたような顔をしていた。
◇ ◇ ◇
日中は、軽めの依頼もこなした。
ホーンラビットの数調整。
小さなゴブリンの群れの追い払い。
薬草採集ついでの、スライム掃除。
その合間に、練習の成果をちょっとだけ試す場面もあった。
「来る!」
茂みから飛び出してきたホーンラビットに、
ユイが弓で一発入れて動きを鈍らせる。
その横から、クレハの投げナイフが飛び、耳の根元を軽くかすめた。
「狙って急所は外した。
でも、“そっち見させる”には十分」
「ナイフ刺さってるのに、そんな冷静に……」
俺が前に出て、とどめを刺す。
暴れ方や距離感が、前より分かる。
(……あ。
逃げるときの足、確かに前よりマシだな)
ほとんど無意識で、斜め後ろに下がりながら剣を振っている自分に気づいた。
「秋人くん、その動き、ドルガンさんに褒められるやつだよ」
「褒めてくれるかな」
「“褒めると調子に乗る”って言ってた」
「褒めてなかった」
そんなくだらない会話が、妙に楽しい。
練習と実戦が、少しずつ噛み合っていく感覚。
◇ ◇ ◇
夜は、教会でエルナのチェック。
「はい、“魔力の蛇口”、今日の締まり具合は──」
「その呼び方、教会まで浸透してません?」
「便利なので」
エルナは、俺の胸にそっと手を当てる。
あたたかい魔力が、体の中を優しくなぞる感覚。
「暴走の“癖”は、だいぶ薄まってきてますね。
リゼさんの修行の成果です」
「リゼ師匠、鬼だけど、ちゃんと成果出してくるから怖いです」
「弟子を潰すタイプの師匠じゃないですからね。
“ギリギリで伸ばす”タイプです」
ユイとクレハも、順番に診てもらう。
「ユイさんの筋肉の疲労は溜まり気味ですけど、
回復魔法とストレッチを続ければ問題ないでしょう」
「ありがとうございます」
「クレハさんは……」
エルナが、クレハの手を取る。
「“汚い手”を学ぶたびに、胸が少し痛くなってませんか?」
「……ちょっとだけ」
クレハが、視線を落とす。
「でも、“守るため”って決めたから、我慢できる」
「我慢しなくていいですよ」
エルナは、柔らかく微笑んだ。
「“嫌だな”って思いながら、それでも“守るために使う”って決めてる。
その感覚を持ち続けることが、線を守ることに繋がりますから」
「線……」
「はい。
あなたの足が、“守る側”に残り続けるための線です」
クレハは、少し考えてから、小さく頷いた。
「……エルナ、優しい」
「仕事ですから」
さらっと言うあたりが、このシスターの怖いところでもある。
◇ ◇ ◇
そんな風にして、一日、また一日と過ぎていく。
気づけば、ロックシェルとの“再戦予定日”まで──あと二日。
その夜、宿の部屋で、ユイがふと思い出したように言った。
「そうだ。
秋人くん、ちょっとこっち来て」
「何?」
「いいから」
テーブルの方に呼ばれて、椅子に座る。
ユイは、自分の荷物から、何か細い紐を取り出した。
「……それ、何?」
「お守り」
細い革紐に、小さな金属の輪が通してあった。
輪には、見覚えのある傷。
「それ──」
「前に、秋人くんの肩を守ってくれたプレートの“破片”」
ユイが、少しだけ照れくさそうに笑う。
「ガルドさんに頼んで、危なくない形に削ってもらったの」
「あのときの……」
ロックシェルの尾が直撃したとき、
防具のプレートが割れて衝撃を逸らしてくれた、あの一枚。
「“一回守ってくれたものは、二回目も守ってくれる”って、うちの祖母が言っててね」
「それ、すごい理屈だな」
「おばあちゃん理論だから」
ユイは、俺の首元にその紐をかける。
冷たい金属が、胸の上にちょこんと乗った。
「これで、“一回目よりはちょっとだけマシ”」
「……ありがとう」
素直にそう言うと、ユイが少しだけ顔を赤くする。
「別に。
そのくらい、幼馴染の特権でしょ?」
「幼馴染、便利な言葉だな……」
クレハが、その様子をじっと見ていた。
「私も、何か……」
「え?」
「お守り。
でも、あんまり重いと邪魔」
「物騒なもの出てこないよね?」
ちょっとだけ不安になったが、クレハが出してきたのは、小さな布包みだった。
「これ」
「……何?」
「煙玉の、“失敗作”」
「物騒だった!!」
「でも、“煙出ないで、ちょっとだけ匂いだけ残る”」
クレハが、包みを開ける。
中には、小さな丸い玉が一つ。
「匂い?」
「うん。
私とユイと秋人の服の匂い、ちょっとだけ移した」
「それ、どういう工程で?」
「内緒」
怖いことをさらっと言うな。
「“三人が揃ってる匂い”があれば、
どこにいても、“あ、三人で帰るんだった”って思い出せる」
クレハが、真顔で言った。
「……つまり、これは」
「“単独で無茶しないお守り”」
変な理屈だけど──なんか、すごく嬉しかった。
「ありがとう」
「うん」
それも、小さなポーチにしまう。
胸の上には、割れたプレートの輪。
腰には、三人の匂い(?)が染みこんだ煙玉もどき。
(……なんか、すごい装備増えてきたな)
でも、不思議と心は軽くなった。
◇ ◇ ◇
そして──決戦前日。
最後の蛇口訓練が終わったあと、リゼ師匠が言った。
「明日は、“魔法の大技”は禁止」
「えっ」
「いきなりの封印宣言!?」
「当たり前でしょ。
初っ端から大技撃って暴走されたら、私の苦労が水の泡だもの」
言い方が容赦なさすぎる。
「まずは、“今のコップでどこまでやれるか”試す。
小・中の火と風と水だけで、どこまでロックシェルを揺らせるか」
「……はい」
「どうしても大きいのを撃ちたくなったら、
“その前に一回、私の顔を見ること”」
「顔?」
「そう。
“師匠の顔見てまで撃ちたいか?”って一瞬でも考えなさい」
「メンタル制御入れてきた」
でも、多分それくらいでいい。
「無茶したら、ユイとクレハに殴られる前に、私が首根っこ掴むから安心しなさい」
「安心の方向性がおかしい」
そんな風に笑いながら──
気づけば、本当に“明日”になっていた。
◇ ◇ ◇
決戦の朝。
ラグナスの東門前には、見慣れた顔ぶれが揃っていた。
ボルグさん。
エルナ。
ドルガン。
リゼ師匠。
それに加えて、槍の青年カイル、双剣のセラ、魔法志望の少年ノアたちも、少し離れたところに立っている。
「俺たちは、あくまで“援護と保険”だ」
ボルグさんが言う。
「お前ら三人が一番前に立つ。
危なくなったら、遠慮なく下がれ」
「はい」
「うん」
「了解」
俺たちは、それぞれの武器を握る。
剣。
槍と弓。
影と忍具。
胸の上の金属の輪が、ひんやりとした重みを主張してくる。
腰のポーチには、三人の匂いが染みこんだ“お守り玉”。
(逃げる準備も、守る準備も、殴る準備もした)
後は、やるだけだ。
「行こうか、蛇口くん」
リゼ師匠が、にやりと笑う。
「今日は、“ちょうどいい大きさの一撃”で、石皮を割りに行くわよ」
「……はい」
自然と、口元が笑っていた。
「行ってくる」
二人を見る。
ユイが、槍の石突きを地面に軽く打ちつけた。
「行こ、秋人くん。
三人で、“ちゃんと帰ってくる”ために」
クレハが、影を少しだけ伸ばす。
「うん。
“殺す足”じゃなくて、“守る足”で、踏み込む」
ラグナスの街を背に、森の方へ歩き出す。
その一歩目は、前に来たときよりもずっと軽くて、
でも確かな重みを持っていた。
ロックシェル・リザードとの、二度目の戦いが始まろうとしていた。
つづく。




