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第31話 弓と忍具と、汚い手ほど守りに変える



 翌朝。


 想像通り──いや、想像以上に、全身がバキバキだった。


「いっ……っだぁぁ……」


 宿のベッドから起き上がろうとして、背中の筋肉が盛大に抗議してきた。


 昨日、ドルガンにひたすら走らされた成果だ。

 逃げる練習だけでここまで筋肉痛になるって、どんな修行だよ。


「秋人くん、起きてる?」


 隣の部屋から、ユイの声がした。


「生きてはいる……生きてはいるけど、前世でトラックに轢かれた人ってこんな気持ちだったのかなってぐらい痛い」


「変な例えやめよ?」


 そんなやりとりをしつつ、どうにか防具を着て一階に降りると──


「おはよう、秋人くん」


 食堂の隅でストレッチしていたユイが、苦笑いしながら手を振った。

 クレハはその横で、胡坐をかいて前屈している。身体、柔らかすぎない?


「ドルガンに『筋肉痛になる前提でストレッチしとけ』って言われたからね」


「素直に従ってるあたり、もう弟子だな」


「師匠、怖いけど悪い人じゃない」


 クレハが、ぽそっと言う。


「“守るために汚い手も知っとけ”って言い方、嫌いじゃない」


「そこ評価するんだ……」


 でも、俺も同意だ。

 知らないままでいるのと、知ったうえで線を引くのは違う。


◇ ◇ ◇


 朝ごはんを済ませてから、いつものようにギルドへ向かった。


 入口をくぐると、ミリアさんがすぐに顔を上げる。


「あ、来た来た。おはよ、三人とも」


「おはようございます」


「昨日、ドルガンさんとの“逃げ方特訓”どうだった?」


「逃げ切るまで帰れない地獄でした」


「でも、“帰してくれる地獄”ならまだ良い方よ」


 ミリアさんはケロっと言う。


「でね、ギルマスから伝言。

 『今日は狩りには出すな。鍛冶屋と師匠と教会で潰せ』だって」


「潰せって言い方やめません?」


 ボルグさんの語彙の暴力。


「でも、ちょうど良かった」


 ユイが、ふっと真面目な顔になる。


「相談したいことがあって」


「相談?」


「サブ武器で、弓も持ちたいんです」


 その一言に、ミリアさんの眉がぴくりと上がった。


「お、いいじゃない。レンジ増えるのはギルド的にも歓迎だよ。

 故郷でも弓やってたんでしょ?」


「はい。弓道を少し。

 薙刀と一緒に教わってました」


「武芸フルセットだねぇ……」


 ミリアさんが感心したように笑う。


「じゃあ、タツミさんのところにもう一回ね。

 『中衛前衛が持つ軽量の弓』って注文なら、きっと良いの出してくれるよ」


「お願いします」


 こうして、俺たちは二日連続で《タツミ鍛鉄工房》に向かうことになった。


◇ ◇ ◇


 工房の扉を開けると、昨日と同じ鉄と炭の匂い。

 カン、カン、と槌の音が響く。


「いらっしゃ──」


 顔を上げたタツミさんが、俺たちを見るなり無言で顎をしゃくった。


「昨日のガキどもか」


「ガキです。アキトです。二日連続でお世話になります」


「覚えた名前はわざわざ訂正しなくていい」


 あっさり切り捨てられた。


「今日は、防具の微調整か?」


「それもお願いしたいんですけど……」


 ユイが一歩前に出る。


「サブで、弓も持ちたいと思って」


「槍に加えて弓か」


 タツミさんの目が、ユイをじっと観察する。


「前も言ったが、全部に手を出すとどれも中途半端になる。

 それでもやるか」


「はい」


 ユイは即答だった。


「距離を変えられる方が、秋人くんとクレハちゃんを守れる場面が増えるはずなので」


 その言い方に、タツミさんの口元が少しだけ緩んだ気がした。


「……なら、一つ条件だ」


「条件?」


「弓は“サブ”だってことを忘れるな。

 槍が鈍ったら、作った俺が損する」


「はい。メインはあくまで槍です」


 その答えを聞いて、ようやくタツミさんは棚の方に向き直った。


「東方式の弓は──」


 一段、二段と見てまわり。

 やがて、少し細身の弓を取り出す。


「軽量の合成弓だ。

 東方の長弓ほどじゃねぇが、中距離なら十分通る」


 弦を軽く弾くと、低く乾いた音が鳴る。


「引きはどれくらいだ?」


「そこそこ強くても大丈夫です」


「……試せ」


 工房の隅に設置された簡易的な射場で、ユイは弓を受け取る。


 構えた瞬間、空気が少し変わった。


 薙刀を持つときと同じ、“道場モード”のユイだ。


 すっと弦を引き、狙いを定め──放つ。


 矢は、木板の中央付近に突き刺さった。


「……問題ないな」


 タツミさんが短く言う。


「お前の筋力なら、もう少し強くてもいいが、槍との両立考えりゃこのくらいが妥当だ」


「ありがとうございます」


 ユイの声には、少し嬉しさが滲んでいた。


「矢筒は背中か腰か、どっちだ」


「動きやすさ優先で、腰でお願いします」


「了解した」


 タツミさんは、矢筒とセットで軽いベルトを取り出す。


「ガキと忍び」


「セットで呼ばれた」


「爆薬と煙幕を扱う気があるなら、後で来い」


「……聞いてたんですね」


「ギルドの連中は口が軽い。

 ボルグもエルナも“弟子にするなら、そこまでやってやれ”ってうるさい」


 タツミさんは溜息まじりに言ったが、その表情はそこまで嫌そうではなかった。


「ただし──」


 獣人のドルガンと同じように、鋭い目になる。


「“自分で調合する”のは、ちゃんと教わるまで禁止だ。

 爆薬も煙幕も、中途半端な知識でいじると、まず自分が吹き飛ぶ」


「……はい」


 クレハが素直に頷く。


「今までは、里で支給されたものだけ使ってた。

 こっちの世界の火薬……分からない」


「分かってるだけマシだ」


 タツミさんは、新しい小物用ベルトをカウンターに置いた。


「爆薬と煙幕用のポーチは、ドルガンと相談しろ」


「ドルガンと?」


「俺は作るだけだ。

 “どこまでやっていいか”決めるのは、現場の“汚ねぇこと知ってる奴ら”だ」


 言い方は乱暴だけど、信頼してる感じが伝わってきた。


◇ ◇ ◇


 弓と矢筒と、小物ベルトを受け取り、工房を出る。


 ユイは早速、腰に矢筒を固定して感触を確かめていた。


「どう? 重くない?」


「大丈夫。弓も軽いし、これなら走れる」


 その横で、クレハは新しいベルトをじっと見つめる。


「爆薬入る。煙幕も入る。

 ……何入れるか考えるの、ちょっと楽しい」


「楽しみ方が物騒なんよ」


 でも、少し笑ってしまう。


「さて」


 俺はギルドの方角を見た。


「爆薬と煙幕の“使い方講座”は、ドルガンのところだな」


「うん。

 “汚いのも全部知っとけ”って言うと思う」


「エルナさんも、多分どこかで見てる」


「エルナさん、なんだかんだで全部見てるからね……」


 三人で苦笑いしながら、再びギルドへ戻った。


◇ ◇ ◇


 ギルドの裏手。

 昨日と同じ、街外れの草地。


 ドルガンは、既にそこにいた。


 地面には、見慣れない小さな包みや、土でこしらえた凹みがいくつか並んでいる。


「来たか」


 振り返りもせずに言う。


「今日は走らない」


「ありがとう……!」


「代わりに、“吹き飛ぶ練習”だ」


「やっぱり帰っていいですかね?」


「冗談だ」


 冗談……だよな?


「安心しろ。

 最初に吹き飛ぶのは、石と木だ」


 地面に置かれた土嚢を顎で示す。


「嬢ちゃん」


「クレハ」


「今日はお前が主役だ」


 ドルガンは、クレハに小さな包みをひとつ渡した。


「袋の中、見てみろ」


 クレハが慎重に開ける。


 中には、小さな紙包みと黒い粉。鼻をつく匂い。


「……火薬?」


「そうだ。

 この火薬は、お前の里のとは少し違うかもしれん」


 ドルガンは、自分の指にも少し粉をつける。


「だが、“扱いが危ない”って点は同じだ」


 指先で、地面に少しだけ粉を落とす。


 そして、離れた場所から火打ち石で火花を散らした。


 パチッ、と小さく火が走り、粉が一瞬だけ閃いた。


「今のは、ただの“導火”。

 これに油脂やら薬やらを混ぜると、煙にも爆発にもなる」


「ふむふむ……」


 クレハの目が、真剣そのものになる。


「……クレハちゃん、今ちょっと危ない顔してない?」


「してない」


 してないらしい。


「いいか、忍び」


 ドルガンはクレハの目をまっすぐ見た。


「“爆薬”と“煙幕”、両方教える。

 両方、『守るためにしか使わない』って誓えるか」


「誓う」


 即答だった。


 ドルガンは、さらに踏み込む。


「“殺したくなる相手”が目の前にいてもか?」


「……」


 一瞬だけ、クレハの視線が揺れた。


 里長の顔か。

 それとも、もっと別の誰かか。


「殺したくなるときは、ちゃんと三人で相談する」


 出てきた答えは、予想外で、でもクレハらしかった。


「私一人で決めない。

 秋人とユイが“それでもやろう”って言ったら、多分止める」


「そこまで言う?」


 ユイがびっくりした顔をする。


「二人が“殺したくなる”なら、よっぽど。

 だから、多分その前に逃げる」


「……」


 ドルガンは、しばらく黙ってクレハを見ていた。


 やがて、「はっ」と短く笑う。


「いい線だ」


「線?」


「“自分ひとりで殺さない”って線。

 汚ねぇことを一人で決めると、すぐ境界が壊れる」


 ドルガンは、俺とユイの方を見る。


「ガキと槍の嬢ちゃん」


「アキトです」「ユイです」


「お前らも、“クレハに汚れ仕事を押し付ける役”にはなるな」


 言われて、ギクリとした。


 クレハが暗殺と罠のプロなら、

 「それ得意だよね?」で押し付けたくなるのは、正直分かる。


「三人で、どこまでやるか決めろ。

 その線から、絶対に一人で勝手に出るな」


「……分かりました」


「了解です」


「うん」


 三人で頷く。


「よし」


 ドルガンは、ようやく表情を緩めた。


「じゃあまずは、『絶対に人の方に向けちゃいけねぇ煙』からだ」


「最初から危ないやつなのでは?」


「大丈夫だ。量は調整してある」


 土嚢の上に、小さな紙包みを置く。


「ここに、これをこうして──」


 燃えやすい紐を挟み、少し離した場所にもう一つ土嚢を置く。


「ガキ、その辺に立て」


「いや俺からですか」


「お前は“どこまで離れれば安全か”覚えろ。

 嬢ちゃん二人は、起爆のタイミングと、風向きの読みだ」


 言われるがままに、俺は土嚢から数メートル離れた位置に立つ。


 クレハが、導火線に火をつけた。


 じりじりと火が進み──


 ポンッ!


 乾いた音とともに、白い煙がぶわっと立ち上がった。


「うわっ!?」


 思わず一歩下がる。


 煙は風下に流れていき、俺の立ち位置までは届かない。


「今ので、どれくらい見えなくなるか。

 どれくらいの音が出るか」


 ドルガンが言う。


「これを、“誰を隠すため”“誰を止めるため”に使うか考えろ」


「……今のなら」


 ユイが、煙の広がりを見ながら言った。


「秋人くんが逃げる道の途中に撒いて、追ってくる敵の視界を切るくらいですね。

 私たちは横に逸れる」


「私は、煙の中でも動けるように練習する」


 クレハの声。


「足音と気配で位置掴む。

 “煙の中で迷う敵”は、怖くない」


「怖くないって言い方が怖いよ」


 でも、頼もしい。


◇ ◇ ◇


 そのあと数時間、俺たちは煙幕と小規模な爆薬の扱いを教わった。


 爆薬と言っても、最初は「土を吹き上げる」程度の弱いものだ。


 足元を滑らせる罠。

 追撃してくる敵の足場を崩すための小さな爆破。

 音と光だけで威嚇する玉。


 どれも、「殺すため」じゃなく、「逃げる/守るため」に用途が設定されている。


「覚えろ、忍び」


 ドルガンが、最後にもう一度だけ念を押した。


「“殺すための道具”は、世の中にいくらでもある。

 それを“生かすための道具”に変えられるかどうかは、使う奴の足次第だ」


「……足次第」


「お前はもう、“殺すための足”は十分知ってる。

 これから、“守るための足”を覚えろ」


「うん」


 クレハは、しっかりと頷いた。


「爆薬も、煙幕も、罠も──三人で生き延びるために使う」


「よろしい」


 ドルガンは、そこでようやく口の端を上げた。


「今日のとこはここまでだ。

 明日は、森に行く前提で“ロックシェルの予習”をする」


「予習……」


 あの灰色の甲殻が、脳裏に浮かぶ。


「弱点探しと、撤退ルートの確認だ。

 “戦う前から逃げ道決めとくのは卑怯じゃないか?”って顔してるが──」


「バレてた」


「そんな奴から先に死ぬ」


 バッサリ切られた。


「逃げ道用意して、それでも前に出る奴が、“前衛”だ」


「……はい」


 妙に胸に刺さる言葉だった。


◇ ◇ ◇


 街に戻る道すがら。


 ユイは、腰の弓と槍を交互に確認しながら歩いていた。


「なんか、一気にやること増えたね」


「そうだな」


「でも、すごくいいと思う」


 ユイが、ふっと笑う。


「秋人くんが前で耐えるために、

 私が槍と弓で距離を作って、

 クレハちゃんが影と罠で“勝てる地形”を作る」


「三人で一つの戦い方って感じ」


 クレハも、小さく頷いた。


「一人で全部やろうとしないで済むの、好き」


「……俺もその方がありがたい」


 前だけ見て、全部なんとかしようとしてたら、多分どこかで折れる。


「よーし」


 ギルドの塔が見えてきたところで、自然と声が出た。


「絶対勝てない相手ってのが分かったならさ。

 その分、準備し放題ってことだよな」


「うん。

 “勝てないまま突っ込む”のは二度としない」


「勝てるようになるまで、いっぱい汚い手も覚える」


「言い方」


 三人で笑う。


 夕暮れの石畳に、三本の影が伸びていた。

 そのうち一本は、煙と爆発の匂いをまといながら──

 でも、前よりずっと“人間の側”に近づいていた気がした。


 守るための弓。

 守るための爆薬。

 守るための影。


 全部抱えて、俺たちはまた一歩、ロックシェルのいる森へ近づいていく。


つづく。

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