第30話 獣人の師匠と、影の歩き方
新しい防具を着た翌朝。
まだ慣れない革のきしむ音を気にしながらギルドに入ると、カウンターの奥でボルグさんがこっちを見た。
「お、来たか」
顎でこっちをしゃくる。
「こっちだ。ちょうどいい」
「ちょうどいいって、何がですか?」
「“師匠”だ」
短くそれだけ言って、ボルグさんは視線だけでギルドの片隅を示した。
酒場スペースの一番奥、柱の陰。
そこに──でかい影がひとつ、座っていた。
◇ ◇ ◇
最初に目に入ったのは、背中の傷だった。
椅子にもたれている背中、革のベストの隙間から覗く、古い大きな斜めの傷跡。
片耳は途中から欠けている。
全体的にごつい体格なのに、動きだけは妙に静かだ。
灰色の短い毛並み。獣人──狼系、だと思う。
腰には、短い片刃のナイフが二本。
足元には、使い込まれたブーツ。
渋い、ってこういうのを言うんだろう。
「ドルガン」
ボルグさんが声をかける。
「例のガキどもだ」
「……知ってる」
低くてしわがれた声だった。
獣人の男──ドルガンは、ゆっくりと視線を上げた。
黄色い瞳が、俺たち三人を順番になめるように見ていく。
獲物を見る目、ってこういうのなんだろうなって、変なところで納得した。
「こないだの森の騒ぎ。
教会の小娘と、ギルドのデカいのが、楽しそうに噂してた」
「楽しそうって言い方やめません?」
ボルグさんが軽くしかめっ面をする。
「楽しそうではなかった。
“生きて帰ってきた”って顔だった」
ドルガンの視線が、ぴたりと俺の肩に止まる。
「ロックシェルの尾を受けたのは、どいつだ」
「……俺です」
思わず姿勢を正す。
「左肩と肋骨グループが、今も抗議中です」
「へぇ」
ドルガンは立ち上がった。
近くで見ると──やっぱりでかい。
身長は俺より頭ひとつ分は高い。肩幅も厚い。
「前に出るのは、好きか?」
「……得意な方では、あると思います」
「好きか、と聞いた」
黄色い目が、すぐ目の前で細くなる。
正直に言えば、怖い。
でも、ここでビビって目を逸らすのも違う気がした。
「……好きじゃないと、続かないと思うんで。
多分、好きなんだと思います」
「ふん」
次の瞬間、でかい手が俺の胸当てをコン、と叩いた。
「新しい鎧は、悪くねぇ。
前のままでもう一回ロックシェル行ってたら、今ここにいねぇな」
「それは、全力で同意です」
苦笑いが出た。
「嬢ちゃん二人」
今度は、ユイとクレハの方を向く。
「槍と、影。
どっちも、前を生かすか殺すか決める立ち位置だ」
「……はい」
「うん」
短く答える二人。
「で」
ドルガンは、ボルグさんの方をちらっと見た。
「俺に何をさせたい」
「“影の歩き方”を教えてやってくれ」
ボルグさんはあっさり言った。
「こいつの──」
クレハを顎でさす。
「“暗殺者の足”を、“護衛と斥候の足”に替えてやってほしい」
「……」
ドルガンは、しばらくクレハを見ていた。
クレハも、見返す。
無表情同士の、目だけのやりとり。
どっちが先に視線を逸らすか、妙に見入ってしまう。
「──座れ」
最終的に、ドルガンが先に視線を切った。
それが“認めた”合図なのかどうかは、まだ分からない。
◇ ◇ ◇
ギルドの一番奥、酒の匂いから少し離れたテーブル。
俺たち三人が並んで座り、その向かいにドルガンが腰を下ろす。
ボルグさんは「後は任せた」と言って、さっさと受付の方に戻って行った。
エルナは──多分、どこかで聞き耳を立てている。
「……軽く聞く」
ドルガンは、テーブルの上に肘をついて、手を組んだ。
「お前ら、何で戦ってる」
唐突な質問だった。
「えっと……」
俺は条件反射で答えかけて、言葉に詰まる。
(何で、戦ってる?)
異世界に巻き込まれて。
生きるために。
帰る手段が分からないから、とりあえず。
……それだけじゃない気がする。
「秋人くんは?」
ユイが、横から覗き込むように聞いてくる。
「“何となく”で剣握ってたら、そのまま冒険者になってたわけじゃないでしょ」
「それ言われると、返しづらいけどさ……」
目を閉じて、少しだけ考える。
剣と魔法のRPG。
道場で触れた本物の剣。
こっちに来てから覚えた、本物の魔物の重さ。
「……俺は」
ゆっくりと言葉を選ぶ。
「“守りたい”って思ったから、だと思います」
「守りたい?」
「夢が叶ったとか、チートだとか、それはもちろんあるけど」
ユイとクレハが、視界の端でじっと俺を見てるのが分かる。
「ここで何もしないで逃げてたら、
多分この二人、どっかで死ぬなって、思ったんで」
「何それ、縁起悪い言い方」
「でも、分かる」
ユイとクレハが、同時にツッコんでくる。
ドルガンは、ふん、と鼻を鳴らした。
「嬢ちゃんは?」
今度はユイに視線を向ける。
「私は──」
ユイは迷いなく口を開いた。
「秋人くんの隣に立つため、です」
「……ストレートだな」
思わず顔が熱くなる。
「子どもの頃から、“あなたの嫁になりなさい”って言われて育ってきましたから」
「情報量が多い」
ドルガンの片耳が、ぴくりと動く。
「嫁修行で槍振るのか、お前の里は」
「薙刀と合気と弓と槍です」
「物騒な嫁だ」
でも、ドルガンの口元には、うっすら笑みが浮かんでいた。
「で、影」
最後に、クレハ。
「お前は、何で戦ってる」
「……昔は、“仕事だから”」
クレハはまっすぐ前を見たまま言う。
「今は、“二人を生かしたいから”。
でも、“殺すために動く”足のまま」
「ふむ」
ドルガンは、指でテーブルをトントンと叩いた。
「三人とも、“守りたい”って言ったな」
「……そうなりますか?」
「言い方は違うが、同じだ。
守りたいものがあるから、前に立つ。
守りたいから、隣に立つ。
守りたいから、影から見てる」
黄色い目が、順番に俺たちを見ていく。
「だったら──“暗殺者”じゃなくて、“斥候”と“護衛”の足を覚えろ」
「……暗殺者と斥候、違うんですか?」
思わず聞いてしまった。
「似て非なるものだ」
ドルガンは、すぐに答えた。
「暗殺者は、“一つの命を奪う”ために動く。
斥候と護衛は、“複数の命を生かす”ために動く」
エルナが言っていた“線引き”の言葉と、どこか繋がった。
「影から見てるだけなら、どっちも同じだ。
問題は、“次の一歩”だ」
ドルガンの視線が、クレハに止まる。
「影から出るとき、お前は今まで──“首を取りに行く足”で出てただろ」
「……うん」
「それを、“仲間を連れて逃がす足”に変える。
“罠に誘い込む足”に変える」
ドルガンは、胸の前で手のひらを返した。
「同じ技、同じ足でも、“使う方向”を変えるだけで別物になる」
「……出来る?」
クレハの声が、少しだけ揺れた。
「出来るかどうかは、やるかどうかだ」
即答だった。
「ただし──」
ドルガンの目が細くなる。
「”汚ねぇ足”も全部知ってる奴じゃないと、
“綺麗に歩き方を変える”なんざ出来ねぇ」
「汚ねぇ足?」
「人質の取り方。
後ろから刺すタイミング。
逃げるために捨てる駒の選び方」
言葉が一つ出るごとに、クレハの手が膝の上で強く握られる。
「それを知ってる奴が、“それはやらねぇ”って決めて歩くから、線になる」
ドルガンは、ふと俺の方を見る。
「ガキ」
「アキトです(二回目)」
「お前は、“汚ねぇ手”をまだ知らねぇ。
それはそれで、いいことだ」
少しだけ、安心した。
「ただ、知らねぇままだと、“知らないせいで仲間が死ぬ”こともある」
「……」
「だから、お前には、“汚ねぇのもある”ってことだけは教える。
選ぶのはお前だ」
その言い方は、妙に現実的で、でもどこか優しかった。
◇ ◇ ◇
「で、具体的に何から教わるんですか?」
ユイが、少し真面目モードで尋ねる。
「斥候として、影として、護衛として──」
「まず、“逃げ方”だ」
ドルガンはあっさりと言った。
三人で一斉に固まる。
「え、そこから?」
「お前ら、この前ロックシェルから逃げたとき、たまたま上手く行っただけだ」
「たまたま……」
「影の嬢ちゃんの《影走り》があった。
槍の嬢ちゃんの加護があった。
ガキの無茶が、“ギリギリ足りた”」
図星すぎて何も言えない。
「それを“再現できる形”にしろ。
足と目と、合図で」
「合図?」
「そうだ」
ドルガンは指を三本立てた。
「“撤退決定の合図”」「“誰が先に下がるかの合図”」「“最後に下がる奴の合図”」
どれも、今までなんとなくやってたことだ。
「それを“なんとなく”じゃなく、“決め事”にしろ」
「具体的には?」
「今から、街の外周で走らせる」
即決だった。
「俺が“危険な役”。
お前ら三人が“逃げるパーティ”。
合図一つで、三人全員、俺から視界切って距離取れ」
「……それ、楽勝って言いたいところですけど」
「言ってみろ」
「やめときます」
絶対楽勝じゃないやつだ。
◇ ◇ ◇
ラグナスの街外れ。
石壁のすぐ外、比較的開けた草地。
「ここなら、街の連中に迷惑かけねぇ」
ドルガンは軽くストレッチしながら言った。
獣人の体がしなやかに伸び縮みする。
年季は入ってるけど、まだまだ現役って感じだ。
「ルールを決める」
ドルガンは、俺たち三人の前に立つ。
「今から俺は、“お前らを捕まえに行く側”だ。
お前らは、“三人全員で逃げ切る側”」
「はい」
「“危険合図”は、槍の嬢ちゃんに任せる」
「私?」
「《間合い感知》と《絆感知》があるのはお前だろう」
見てたのか、ってくらい正確な分析だった。
「危ないと思ったら、“撤退”って叫べ。
そしたら三人とも即時退避。
影の嬢ちゃんは、“誰から先に引っ張るか”決めておけ」
「……アキトから」
「即答かよ」
でも、クレハの目は真剣だった。
「一番殴られる。だから、一番先に引っ張る」
「否定できねぇ」
「最後に下がるのは、基本槍の嬢ちゃんだ」
ドルガンがユイを見る。
「支援範囲と視界をギリギリまで確保しろ。
ただし、下がると決めたら躊躇うな」
「了解しました」
ユイが槍を構える。
「で、ガキ」
「アキトです(三回目)」
「お前は、“自分だけかっこよく戦おうとする”の禁止」
「耳が痛い」
「三人セットで生きて帰る。
今日の目的は、それだけだ」
黄色い目が、少しだけ細められる。
「いいか?」
「……はい」
三人で頷く。
次の瞬間。
「──じゃあ、始めようか」
ドルガンの姿が、ふっと視界から消えた。
「っ!?」
背筋に冷水を浴びせられたみたいな感覚。
まるで、クレハの《影走り》を見てるみたいだ。
(いや、クレハより速くね?)
「来る!」
ユイの声が飛ぶ。
「撤退!!」
即座に“撤退”の合図。
俺は反射的に後ろへ飛びのく。
同時に、腕をぐいっと引っ張られる感触。
「こっち」
クレハだ。
クレハの《影走り》が発動し、俺の視界が一瞬だけ暗転する。
影から影へ。
さっきまでいた場所から、数メートル先の草地へ。
横を見ると、ユイもちゃんと走っている。
(今の、間に合ったか……?)
「……まあまあだな」
少し離れたところに、ドルガンが立っていた。
さっきの位置から、いつの間にか距離を取っている。
「嬢ちゃんの合図は悪くねぇ。
影の嬢ちゃんも、“最初に誰を掴むか”が決まってた」
黄色い目が、俺を見る。
「問題は──ガキだ」
「知ってた」
「お前、“一回だけ殴り返してから逃げよう”って顔してた」
「読まれてるぅ……」
図星すぎて、笑うしかない。
「“逃げるための一撃”と、“粘りたいからの一撃”は違う」
ドルガンの声は淡々としていた。
「前者は、“下がる道を開けるため”の一撃だ。
後者は、“諦めきれないから足掻く”一撃だ」
「……」
「今日覚えろ。
“逃げるために振る一撃”と、“ここで留まるための一撃”の違いを」
そう言って、ドルガンはニヤリと口の端を上げる。
「走れるか? ガキ」
「……走れますとも」
「嬢ちゃんたちも?」
「もちろん」
「うん」
「よし。じゃあ、もう一回だ」
何度も、何度も、その日俺たちは走らされた。
ドルガンの気配を追い、ユイの合図に従い、クレハの影に引っ張られながら。
逃げて、逃げて、時々“逃げるためだけの一撃”を振って。
日が少し傾く頃には、三人とも息が上がって、足はがくがくだった。
◇ ◇ ◇
「……今日は、このへんでいい」
ドルガンがようやく言ったとき、心の底からホッとした。
「明日からも続ける。
“逃げる練習”を馬鹿にする奴は、すぐ死ぬからな」
「今のでだいぶ分かりました……」
地面に座り込んだまま答える。
全身汗だく。
新しい防具が早速しっとりしている。
「ガキ」
「アキトです(しつこい)」
「お前は、ちゃんと“逃げるための一撃”も振れる」
「……振れてました?」
「最後の方はな」
ドルガンは、少しだけ口元を緩めた。
「“ここで粘るため”じゃなく、“ここから先には来させないため”に剣を出してた」
「……そう言われると、ちょっと嬉しいです」
「嬉しがっていい」
黄色い目が、少しだけ柔らかくなる。
「嬢ちゃんたち」
「はい」
「うん」
「槍の嬢ちゃんは、“合図の声”がいい。
影の嬢ちゃんは、“掴んだ瞬間の力”がいい」
「掴んだ瞬間の力?」
「逃げるとき、人間の足は死ぬほど重くなる。
それを引っ張るのは、力じゃなくて、“迷いを減らす手”だ」
その“手”を、クレハはもう持っているらしい。
「これから、もう少し“汚ねぇ話”もする」
ドルガンは、少しだけ真剣な顔になった。
「“罠の読み方”“人間の目の濁り方”“殺気とそれ以外の見分け方”──
全部、“守るために”使え」
「……うん」
クレハが、強く頷く。
「分かった?」
ユイがクレハを見る。
「“守るために使う”って、ちゃんと覚えといてね」
「覚えた。
忘れたら、ドルガンとユイが怒る」
「もちろん怒る」
俺もそこに乗っかる。
「俺も怒る」
「怒られるの、嫌」
クレハが、ぽつりと言って、少しだけ笑った。
獣人の師匠は、その笑顔を見て、ほんの少しだけ視線をそらした。
「……エルナが言ってた通りだな」
誰にも聞こえないくらいの小さな声で、そう呟いた気がした。
◇ ◇ ◇
ラグナスの街に戻る頃には、空が夕焼け色に染まり始めていた。
防具は汗まみれ。
脚は棒。
でも──妙な充実感がある。
「ねぇ秋人くん」
「ん」
「“逃げ方”から教わるって、ちょっとダサいかなって思ってたけど」
「言うなそれを」
「でも、今日の練習で、だいぶ怖さ減った気がする」
ユイが、槍の柄を軽く叩きながら言う。
「“逃げるための一撃”とか、“誰から引っ張るか”とか。
決めてるだけで、森の奥にまた行くのが、前よりマシに思える」
「……分かる」
俺も頷いた。
「何も決めずに突っ込んで、その場で考えるよりは、ずっとマシだ」
「クレハちゃんは?」
ユイが尋ねる。
「疲れた」
「だろうね」
「でも、“逃げるのも仕事”って、ちょっと好き」
クレハの口元が、少しだけ緩む。
「今までは、“逃がさないために追いかける仕事”だった。
これからは、“逃がすために、追いつかれないようにする仕事”も出来る」
「言い方が元暗殺者」
でも、その違いは──でかい。
“追う足”しか知らない奴と、“逃がす足”を覚えた奴。
影の意味が変わってくる。
「さ、今日はお風呂とご飯だね」
ユイが、現実的なことを言ってくれる。
「明日も絶対筋肉痛だから、ちゃんとストレッチして寝よ」
「おう」
「うん」
三人で笑いながら、宿へ向かう。
夕陽に伸びた自分たちの影が、三本並んでいた。
そのうち一本は、前より少しだけ“軽く”なった気がした。
守るために歩き出した、影の足。
それを導く、獣人の師匠。
そして──どこか遠くで。
剣に魔法を乗せて戦う、“もう一人の師匠候補”が、この街に向かって歩き始めていることを──
このときの俺たちは、まだ知らない。
つづく。




